ランスが襲来した日の夜、セナはミルの作った晩御飯を食べながら考え事をしていた。もちろん、考えているのはランスのことだ。
ちょっと悪いことしちゃったかな。ランスくんは女の人大好きだから……。
そうは思っていても、自分からランスの元へ行く気にはなれなかった。それは別にランスのことが嫌いになったからではない。
セナはふとミリの遺影に目を向ける。笑っている顔を思い出してほしいからと言って、彼女が取らせた写真は、遺影にするにはあまりに眩しい笑顔と陽気なポーズをしている。
彼女が居なくなってから一年余り、そういうパートナーが出来る気配すらない。別にミリに操を立てているわけではない。彼女は性に奔放な性質だったので、まったく気にしないだろう。むしろ、いつまでもうじうじしてるなよ、と怒るかもしれない。
それでも、セナはランスの元へ行けなかった。
「昼のこと聞いたよ」セナの思考を断ち切るようにミルが話し始める。「キースギルドでランスに迫られたらしいじゃん」
「うん。いきなりね。びっくりしたわ」
「どーして、エッチしてあげなかったの?」
「こら。食事中よ」
「エッチ大好きなくせに」
「もう、ミルちゃん!」
「……セナがしないなら、私が────わかったわかったよ! 指向けないで!」
セナが人差し指をすっとミルから逸らすと、ミルは食事を再開した。ぷち雷の矢で抗議されるのはごめんだった。
沈黙が食卓に戻ってきたが、それもほんの少しの間だった。ミルは再び揶揄うようにセナに言う。
「でも、実際さ。悪い気分じゃなかったんでしょ?」
「なにが?」
「ランスに言い寄られて」
「…………そりゃね」
自分で煽ったにも関わらず、ミルはとても驚いた。予想していた答えはこうだ。
『プチ雷の矢』
そして、自分はちょっぴり痺れて、また似たような質問を繰り返す。それなのにあっさり認めるなんて。
この同居人は──かつての同居人と笑えるほどそっくりに──好きな相手に素直に好きと言えない性分だった。以前は最後の最後になるまで背中を押すことが出来なかった。だから今度は出来るだけ早いうちに手助けしてやろうと心に決めていたのだ。
「じゃあ、どうしてランスの家に行かなかったの? ……いや、違うなぁ。行ってないよね? 一度もさ。ランスがCITYに来てから一度もランスの家にさ。ランスのためにキースのおっさんから毎日無茶苦茶な仕事押し付けられてるのに」
「好きでやってることよ」
「でも、好きで始めたことじゃないでしょ」
初めてセナの食事の手が止まった。ミルがはっきり言うくらいだ。よほど自分はランスを避けていたのだろう。セナはそう思った。
「自覚なかったわ。本当。うそじゃない。でも、じゃあどうして? ランスくんに会えて嬉しいし。友達だし。同じ町に住んでるのに会いに行かないなんて変だわ。コパンドンさんにだって月に二回は会いに行くのに」
「セナ」
「え?」
「また口に出てるよ」
「あ、ああ、ごめんね」
セナの食事が再開される。それと同時に思考も再開された。
別に一度も彼と会わなかったわけではない。ランスはキースギルドに依頼を受けに来たし、その時セナと何度か会話することもあった。あるいは町中で顔を合わせたこともあった。だが、腰を据えて話したことはただの一度もない。
マカット酒場で再会して以来──いや、あの日も大して会話をしていないと気が付いた──セナはランスを避けている。一体どうして?
セナの考えが堂々巡りする。何度も何度も同じ問いにたどり着くが、一向に答えが出ることはない。それもそのはずだ。セナはランスを無意識に避けていたのと同じく、その答えを避けているのだから。
原因はもちろんミリの死にあった。人類最強としてある程度の完成を経たセナだったが、生来の繊細さはそのままである。彼女は手に入れ、そして失った最愛の人が、ランスへの想いで胸の中からも消え失せることを恐れていた。その尻込みがミリの遺言と矛盾するからこそ、セナの心はその恐怖から目を逸らしているのだ。
ミルは考え込むセナを見つめる。彼女の停滞に気づいている人間は、自分を除けばキースとコパンドンくらいだろう。その予想がミルを奮起させる。
キースのおっちゃんは年寄り臭く時間が解決するだろう、なんて思ってるだろうし。コパンドンが手助けしてくれるはずない。私が頑張らないと!
そんな風に考えていたミルだったが、セナはその決意に気が付いた様子はない。結局、食事を終えた後も、ソファに座ったままぐるぐると考え続けていた。
それを見ていたミルは彼女の隣に座り言う。
「そんなに悩むならさ。いっそランスの家に行って話してくれば?」
「…………そうする」
「ふえ!?」
軽いジャブのつもりで言った言葉がするりと受け止められてしまったせいで、ミルが素っ頓狂な声を上げる。セナの顔は妙に真剣そのもので、今このタイミングでランスの家に行くということがどういう意味を持つのか、全然わかっていないようだった。
止めるべきか。それとも押すべきか。
ミルの脳内でいくつもの選択肢が生まれる。
「……じゃあ、鍵忘れないでね」
「うん」
ミルはどちらもせずに、ただ送り出した。セナが思いっきりアホになっている時は、そのままにさせた方が突っ走ることを知っているからだ。セナが玄関から出ていく。まだ何か考えているようで上の空だ。
ミルはその背中を見送った後、しばらく玄関の扉を見つめていた。彼女がどうやら戻ってこないらしいことを確認すると、どっと疲れて肩の力が抜ける。
そのまま姉の遺影まで歩いていき、優しくそれを手に取った。
そろそろセナは喪に服さずともいい頃だ。
写真の中の姉はいつもよりも楽しそうに見えた。
〇
結局、セナはランスの家に着いても正気を取り戻さなかった。ずっと思考の中に沈んでいて、気が付いた時には彼の家の前だった。
呼び鈴も鳴らさずに扉を開けて中に入る。無意識下では失礼なことをしていると止める自分がいたが、それ以上の何かがセナを突き動かす。本能に根差した直観はセナにとっての命綱だ。それを無視することはない。
いつも騒がしいランスのイメージと違って家の中は静かだ。気配をたどってランスの場所へと向かう。暗い廊下を渡った先、薄く明かりの漏れる部屋に彼がいる。そんな確信をもって部屋の扉を開いた。
目の前に飛び込んできたのはランスが首を吊ろうとしている姿だった。
うろたえる精神と裏腹に、セナの指先から放たれたライトニングレーザーが天井から垂れる縄を即座に焼き切った。
「んあ?」とぼけた声をランスが上げる。
「な、な、な、なにをしてるのよ! ランスくん!!」
「ああ、セナちゃんか。俺様はもうダメだ。ホモになってしまうんだ」
「ダメってなによ!? ホモになるくらいで死ぬって言うの!!?」
「ホモになるくらいなら死ぬに決まっておろうが!!!」
ランス、魂の叫びだった。その気合たるや、japanで魔人ザビエルをと戦った時でさえも及ばないほどだ。
だが、そんなランスがぎょっとする。気迫が削がれ、ただただセナを見つめた。セナが涙を流していたからだ。その表情には怒りと悲しみ、そして自分自身への混乱が含まれていた。
「死ぬ、死ぬなんて…………死ぬなんて……」セナは言葉が出てこない。
「お、おい」
「死ぬなんて言わないでよ、ランスくん……」
それからセナが落ち着きを取り戻すまで、二人は何もしゃべらなかった。お互い自分の中の考えを整理するので精いっぱいで、何か言う余力がなかったのだ。またランスの方は気まずさのせいで、衝動的な自殺願望が薄れてきてしまったことも話しづらい原因だった。
「ミリが死んだわ」不意にセナが言った。
「おう。らしいな」わざとぶっきらぼうにランスは言った。
「もう一年近くになるのよ? 信じられる?
「アホか。もうあんなもん遥か昔だ。思い出せもせんわ」
「ふふふ、嘘ばっか。チューリップ三号は? ハイパービルでの戦いは?」
「あーやかましい、やかましい。忘れたと言ったら忘れた」
意味のない意地を張るランスが面白くてセナはくすくすと笑った。その目を見れば彼が当時を思い出していることは明白だった。きっとその思い出の中には自分が含まれていない風景もあるだろう。それでも同じ人を思い浮かべているだろう。
「懐かしい思い出ね。あれからたった四年でこんな風になるなんて思ってもみなかった」
「何か変わったか?」
「変わったわよ! ギルドの受付になるなんて……ギルドマスター候補になるなんて考えてもなかったわ! もっとずっと……ただ冒険者でいるつもりだったのに」
「なんだ? もう冒険はせんのか?」
「それは……ちょっと事情があってね。止められてるのよ」
「へっ、誰かに止められたから何かをやめるなんておバカだな」
「おバカって言うのは、変な呪いをもらってきちゃう人のことを言うんじゃない?」
自分の現状を思い出したのか、ランスはずーんと肩を落とす。
慌ててセナはランスの肩を叩いて励ました。
「冗談よ! 何とかしましょう? そんな落ち込まないで! ほら! いまシィルちゃんの呪いを解くために頑張ってるんでしょう? ついでにランスくんの呪いを解く何かも見つかるわよ!」
「……確かに」ガバっとランスは顔を上げた。「なぜ、そんなことも思いつかなかったのだ。がはははは! 俺様がこの程度の呪いにやられるわけがなかった! こんなもんさっさと解いてしまえばいいのだ!!」
突然いつもの調子を取り戻し笑うランスを見て、つられてセナも笑顔になる。
「よーし、そうと決まれば早速セックスだ!」
「……へ?」
「何をとぼけた顔をしとるんだ? セナちゃんもそのつもりで来たのだろう?」
明らかにセナは驚いた顔をした。確かにランスの事情は知っていたし、彼の人となりも知っている。こんな時間に家を訪ねるのはつまりそういうことに他ならない。そのことにようやく気が付いたのだ。
鈍感なセナと違って、ランスはすぐに彼女がそんなつもりではなかったことを見抜いた。しかし、ランスもまたセナの人となりを知っている。セナが次にどんな決断を下すべきか考える前にベッドへ押し倒す。
「ま、待ってランスくん」弱々しくセナが言った。
「待たん。それともセナちゃんはしたくないのか?」
「それは…………私はそんなつもりで来たんじゃなくって……」
「したいのか? したくないのか?」
セナはランスのまっすぐな瞳に──まっすぐ欲望のみを見ている瞳だが──気圧された。何も言えなくなって、身をよじるくらいしかできなくなる。
意外にもランスはセナの言葉を待っていた。それはただセナ自身に言わせた方が興奮するからという理由でしかなかったが、思考のための時間が生まれたことに違いはなかった。
どうしたいのか。
セナはそれを見つめ直した。必死に目を背けていたことだったが、再び確信する。
セナはランスを愛している。だから、ランスに愛されたかった。
彼が与えてくれる喜びや安心に身を委ねたかった。そして同じだけそれを与えたかった。
セナを決心させたのは、ランスに向けるその欲望が、かつてミリにも同じだけ向けられていたことに気が付いたからだった。
「…………したい、です」セナはか細くそう言った。
二人は久しぶりに体を重ねる。
それは確かに肉欲に塗れた行為だった。
だがそこに愛情が紛れていないことなど、誰に証明できるだろうか。
少なくとも、かつてセナとミリの間にあったものと、同質の何かをセナは感じ取っていた。
喪失の恐怖が霧散していく。ランスに抱かれても、ミリは居なくならなかった。
ただセナの心の真ん中に二人分の場所が出来ただけだった。
いや、本当はもっとずっと前にあったのかもしれない。
ようやくそれに気が付いた。