目が覚めた時、セナはなんだか違和感を覚えた。だがランスの寝顔を見て、それ以上考えることはやめた。セナは何度か彼の髪を撫でて、それから静かに身支度をして家を出た。自分の中に生まれた想いを少し整理したかった。
日の光が眩しかったが、いつもよりも静かな朝だ。騒がし過ぎるくらい騒がしいCITYには珍しい。考えごとをするにはもってこいだが。
ランスに抱かれて、セナは自分の不安や寂しさが解けていくのを感じた。それは肉体的な欲求不満が解消されたことも原因であることは間違いない────コパンドン風に言うなら破廉恥な部分をあっさりと受け入れる。実際、アイスフレームにいた頃も、ミリ達と暮らしていた頃も、セナにはそういう部分が人より多くあった。
それでも、精神的なものがより大きいとセナは確信する。
友人たちや尊敬できる人々に比べて、自分は精神的に弱い方だ。冷静にセナは分析する。愛する人が居てくれないと──それはミルに感じている家族愛とはまた違う愛だ──まっすぐ歩くことが出来ない。いつからかそういう性分になってしまったのだ。
ランスを愛している。ミリと同じように。もはや誤魔化すことは出来ない。それが真実だ。
不思議とミリに対する負い目はない。彼女がここに居てくれたら、きっと笑ってくれるだろう。いや、自分も混ぜろと言うだろうか。
「あ、いや……ミリはともかく、シィルちゃんにはちょっと悪いな……」相変わらず思考が口から漏れ出すが、セナは気が付かない。
今は氷の魔法に閉じ込められている大切な友達、あるいは師匠。シィルこそがランスの正妻であり(当然、セナ目線の話だ)、その彼女がいない場所でランスのハーレムに加わるのは気まずかった。
「待って待って待って。シィルちゃんだけじゃない。リ、リア様もだ……!」
背筋に甘い悪寒が走り、ぶるりと身を震わせる。それ以上思い出さないために首を振る。そうして再び思案に戻った。
「となると、コパンドンさんにもなんか言われるだろうし……あー、もしかしてマジック王女とかもなんか言ってくるかな? 思いのほか、苦労が多そう。でもなー……私もランスくんと家族になりたいし……」
ぶつぶつと独り言を言うセナは、静かに近づいてくる前方の歩行者に気が付かず、そのままぶつかってしまう。
セナは驚いた。そして、ぶつかった人物の顔を見て、さらに驚愕する。
「ク、クルックー司教様……!!」
「おや、セナさん。直接会うのはお久しぶりですね」
「お、お久しぶりです。でも、どうしてここに……? も、もしかして、何か私やっちゃいましたか?」
セナはAL教がバランスブレイカーを封印する活動をしていることを知っているので、戦々恐々としながら聞いた。一方、クルックーはいつもと同じように、話を聞いているのか聞いていないのかわからない表情でただセナを見つめていた。
「あ、あのー、クルックー司教様?」
「ああ、いえ別にセナさんを訪ねてきたわけではありません」
「ほ。よかった。私、最近はクルックー司教様に言われた通り、目立たないようにしてましたから、これ以上となるとどうしようと思いました……」
「ギルドで受付の仕事をしていらっしゃいますね。大変助かります……それにしても、あなたも珍しい呪いにかかっていますね」
「……はい?」クルックーが言ったことを理解できず、セナは聞き返す。
「おや、気が付いていませんでしたか? セナさん呪いにかかってますね。禁欲モルルンの呪いです。この短期間で二度も目にすることになるとは」
「え、えっと、ちょっと待ってください。呪い? 呪いですか? ていうか禁欲モルルンって言いました?」
「はい」
「レベル35以上の女の人としかセックスできないってやつ? ど、どうして?」
本当は答えはしっかりわかっている。ランスとセックスしたからだ。
「いえ、女性の場合はレベル35以上からレベル1になってしまうという呪いになりますね。しかし、男性にかけられるものとは違い、長期的な効果はないのでこのまま放っておけば治りますよ」
「レ、レベル1!!?」
セナはがく然とした。最後に調べたときはレベル104だった。つまり、セナは実に103ものレベルを失ったことになる。まず間違いなく歴史上で最もレベルを一度に失った人間だろう。
雷のような衝撃がセナの脳天に迸る。先ほどまで考えていたセンチメンタルな悩みはどこか遠くに行ってしまった。
目の前の女の子がお偉いさんであることなど忘れて、セナはクルックーの両肩をわなわなと掴む。
「ク、クルックー司教様」
「はい」
さすがのクルックーもセナの気持ちを推し量り、神妙に──ぜんぜん普段と変わったように見えないが──返事をした。
「私って今もバランスブレイカーですか!? レベル1でも!?」
「! ……正確にはそうとは言えませんね」
「お、お、おお……!」セナは感動に打ち震えた。「ありがとうございます! クルックー司教様!」
感情を抑えきれず、セナはクルックーに思いっきり抱擁を交わした。その力の無さにクルックーは彼女がレベル1になったという確信を得る。
そのまま感情に任せてセナはいま来た道を戻っていく。クルックーはそれを止めることはせず、ただその背中を見送った。その背中を見ながらクルックーは自問する。
確かに強さこそが彼女のバランスブレイカーたる所以だが、本当はあの剣の才能だけでも、彼女はバランスブレイカーと言えるのではないだろうか?
そう思いながら、どうして自分はそのことを伝えなかったのか?
自問の答えは出なかった。ただセナの心から嬉しそうな顔を何度か思い出した。
〇
「ランスくん! ランスくん! ランスくん!」
ランスは玄関から聞こえる大声で目覚めた。飯でも作ったのだろうか? そう思って、ベッドから出ようと思った時、すっかり着替えたセナが現れる。
その姿を見てぎょっとした。いつも纏っている明らかに異常な圧が霧散してしまっている。
「もう! ランスくん! 呪いのこと黙ってたでしょう! レベル1になるなんて! でも、いいわ! 最高! 全然速く走れないし! ちょっと走ったら息が切れるし! 耳も目も全然鋭くないの! でも、しょうがない! しょうがないわ!」
「待て待て待て待て。落ち着け。どうしたんだ。ゆっくり話さんか。まるでマリアだぞ」
「冒険よ!! 冒険に行けるのよ!!」肩で息をしながらセナは言った。
にこにこと言うセナは感極まってランスに抱き着いた。その力の弱さと無防備さと言ったら、もし呪いが無かったらすぐでも昨晩の続きが始まったことだろう。
珍しくランスが他人を落ち着かせる側に回り、しばらくして、ようやくセナは平静を取り戻した……と言ってもかなり興奮気味であることは間違いないが。
「つまり、今までは強すぎて冒険を止められてたが、今はレベル1だから行けると」
「そうなの。まさかこんな幸運が舞い込んでくるなんて、コパンドンさん風に言うなら、ランスくんの大吉っぷりが発揮されたわね!」
「がははは。俺様の手にかかれば、この程度お茶の子さいさいだ!」
「まぁでも、この副作用について教えてくれなかったのはどうかと思いますけど」
じろりとランスを見るが、当然梨の礫だ。もっとも、昨晩このことを伝えられたとしても、セナが彼を拒むことはなかっただろう。
「今日と明日は仕事もお休みだし、冒険に行きましょうよ! 行ける友達誘って、コパンドンさんとかね!」
「……うーむ」ランスはこれ見よがしに悩んで見せる。「しかしなぁ」
「な、なによ、ランスくん。ダメなの?」
「だって、弱くなったセナちゃんだろう? それはつまりただの冒険オンチではないか」
がーんと効果音が付きそうなほどセナはショックを受けた。
「そ、そうかもしれないけど……! 私だって結構昔よりも冒険できるようになったのよ? そんなに邪魔にはならないと思うわよ? 弱くなったとは言え、剣も魔法も回復も出来るし……たぶん」
「うーむ。だが俺様は超超超一流の冒険者。今のセナちゃんでは足手まとい確実だ」
「そ、そんなぁ」
「……しかし、まぁ、何か俺様にも得があれば考えんこともないが」
「え? あ! ええっと、それって……」
「ん!? なんだ? セナちゃん何か思い当たるところがあるのか!?」
言わせたいんだ……! ランスくんは私の口から……!
セナはごくりと唾を飲んだ。
「じゃ、じゃあ……私がレベル35になったら……」
「なったら?」
「……セックスしてもいいから」
「……がははははは!! そこまで言うなら仕方ない!! まったくセナちゃんはエロエロだな!!」
「……もう……」心臓の鼓動が早くなり、セナは唇を舐める。
「そうと決まればメンバー集めだ。おーい! いるんだろ出てこーい!」
ランスの声に反応して、しゅっと人影が現れる。セナも知っている人物だ。
見当かなみ。リーザスに仕える忍びである。セナとは前から友人関係だ。
当然、あえてうれしいのだが、先ほどのやり取りを確実に聞かれていたことを察して、セナは顔が赤くなる。それを見たかなみも同じく顔を赤くした。
「久しぶり……かなみちゃん」
「あ、はい。セナさんもお元気そうで何よりです……」
「がはははは! どうした二人してもじもじして! お、おい! かなみ、こっちは丸腰だぞ!」
「うるさい!」手裏剣を構えながらかなみが言った。「私が居ること知ってながら……!」
「ご、ごめんね。気づかなくて……弱くなってるから……」
「セナさんが謝ることじゃないです!」
かなみは実は昨晩どころか結構前からランス宅の屋根裏に住んでいることは言わないでおいた。
「とにかく! うれしいわ! 冒険よ、冒険! 冒険が私たちを待っている!」
うきうきと楽しそうにセナはそう言った。