くじらとダンスは踊れない   作:勇気生命体

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部下と上司と

 プロヴァンス家での夕食が終わり、セナは王都の宿まで帰った。

 帰り道にはスーとハウレーンも同行し、律義にも宿の前まで送ってくれた。最初はうし車を出してくれようとしたが、セナは乗り物酔いを理由にこれを断った。ならば、せめてと二人は見送りに立候補したのだ。むしろその方がスーには都合がいいところもあった。父抜きでスーと話せるし、長姉は絶対にセナともっと仲良くなれると思っていた。

 

「じゃあ、二人ともありがとうね」

「気にしないでくれ」夜の散歩で幾分か距離が縮まったハウレーンが言う。「まったくうちの男衆が酔いつぶれてなければ────」

「────もう、大丈夫よ。そもそも、一人で帰ったって絶対安全だっていうのはわかってたでしょう?」

「それでも、客人を一人で帰らせるなんて、もってのほかですよ。プロヴァンス家では」微笑みながらスーが言った。

 

 セナはスーに微笑み返した。その笑顔が養女としての生活が素晴らしいものだと再確認させてくれる。

 

「ありがとう。それじゃあ、おやすみ。帰りも気を付けて」

「おやすみなさい。セナさん」

「おやすみ。今度は白の軍にもおいでください」

 

 セナは二人と別れた。二階にある自分たちの部屋までの僅かな道のりをゆっくりと歩く。

 何と素晴らしい食事会だったのだろうか。セナは改めて思った。そして同時に夜道を歩く間、ずっと頭を巡っていた記憶が鮮明になる。

 

 あの戦争の記憶だ。自分はチューリップ三号に乗っていた。酷い乗り物酔いのまま、あの崖に向かって走った。チューリップ三号を破壊しようとした部隊の元へ……。

 覚えている。確かに自分は一つの部隊をせん滅した。その時のヘルマン兵の顔を思い出したのは、おそらく初めてだった。

 宿の部屋にたどり着く。遅い時間だったが、セピアは起きていた。どうやら報告書をまとめていたようで、テーブルに書類を広げている。

 

「遅かったわね」

「思ったよりも盛り上がっちゃってね」

「そう……ならよかったわ」

「…………」

「……何よ。ちゃんと次の営業してきたんでしょうね、とでも言うと思った?」

「……ちょっとね」

「馬鹿ね。あんたは……特に軍人と話す時は普通にしてるのが一番宣伝になるのよ。軍人は規律と礼儀と情の生き物だから。現場に立ってるタイプならなおさらね」

「セピアさんって仕事人間よね」

「そうせざるを得ないのよ。私にはこの仕事以外後がないから」

 

 そう言って、セピアは再び書類に視線を落とした。

 実はセピアはキースから個別に仕事を受けていた。リーザスのあらゆることに関する調査、というアバウトな仕事だ。とにかく目につくこと、金になりそうなことをなんでも記録してくることを命じられている。

 

 自分でも驚くくらいセピアはこの仕事に没頭していた。

 市に並ぶ商品。新しく立つ建物。軍人の訓練。宿の食事。それらすべてをありったけの語彙で記録した。

 それらはきっと四年前の戦争で失われるかもしれなかったものたちだ。だから、こんなにも目が吸い込まれるのだ。セピアはそう思った。

 

 そんな風に一心不乱に書類に向かうセピアを、セナはボーとした目で見つめていた。記憶の隅にずっと引っ掛かっていた彼女のことを──あるいは彼女の兄らしき人物のことを──ついにその手にしたのに、それを言い出す気になれずにいた。

 邪魔しているのはこの数か月で手に入れたものたちだった。セピアとの日々、決して仲良しとは言えなかったが、共に働いた日々がこの奇妙な関係性を崩すことを拒んでいる。

 そんな思いを抱えながら、セナはただじっとセピア見て、自身の葛藤と戦った。

 

 第一、今急にあなたのことを思い出した、なんて言ってどうなるというのだ。セナの半分はそう言った。

 私たちの関係は、私が二人を思い出すことを目標に始まったのだから、次に進むためにはそれを伝えることが必須だろう。もう半分はそう言った。

 

 どちらも本音だ。セナはセピアと今まで通り不思議な関係を続けていたいし、少し進んで友達……あるいはそれ以外の何かになりたいという気持ちもある。

 だが、恐ろしいのだ。行動の結果──沈黙と前進どちらを選んだとしても──二人の関係に終止符が打たれ、彼女が去っていくことを想像する。そんな苦々しい結末に至る可能性は、決して低くないと感じていた。

 

 ふとセナは自分を省みた。いま考えたことは確かに自分の正直な気持ちだ。

 だが肝心のセピアはどう思っているのだろうか。ようやくそのことに思い至った。そして、あのスカウトの日のことを思い出す。

 あの日のセピアは本当におびえていた。そして、自分にセピアと兄のことを思い出させることを目標にしてようやく立ち上がることが出来た。

 しかし、思い返せばおかしな話だ。セナが二人を思い出したからといって、彼女に一体なんの得があるというのか。確かにある種の意地は達成され、溜飲が下がるかもしれない。それだけだ。

 確かにそれだけでも努力する価値がある。そう思う人間はいる。プライドのために努力できる人間が。

 しかしながら、その人物像はセピアには一致しない気がした。彼女はもっと冷静で、理と利を重視する人間のはずだ。

 

 確かにセナと張り合うことは彼女が再起するためには良い起爆剤になった。それでも、今日までそのスタンスを貫くほど利のある選択には思えない。

 疑問はセナの中に残った。元来さして頭のいい方ではない。疑問を解消するだけの思考にはたどり着けなかった。

 ただそれでも、口を開いた。自分の理由で彼女の歩みを止めることをセナは許さなかった。

 

「セピアさん」

「……え、なに? まだ寝てなかったの?」

「一つ聞いてもいい?」

「なによ?」

「……セピアさんと私が初めて会ったのは、レッドでの戦いの時? あの────」

 

 ────崖の上で。

 お互いの耳にその言葉は遠く聞こえた。

 

 四年前、セナはレッド解放戦の折、チューリップ3号の破壊を目論んだヘルマンの部隊を壊滅させ、何人かのヘルマン兵を捕虜にした。

 戦場を見渡せるあの崖の上で、部隊長らしき男は確かにセピアの名を呼んだ。思い出したのは、本当につい先ほどだった。正直、セナにとっては重要な出来事ではなかったのだ。そのあと、彼女の人生には多くの苦しみと波乱があった。しかし、その出来事がセピアの人生を完全に破壊したのだ。

 

 セナとセピアはお互いを見た。セナは覚悟を持っていたが、セピアはまだ言われた言葉を理解するのに必死だった。

 

 セピアにとってセナの存在は複雑に絡んだ糸のようだった。あの戦争の後、確かにセピアはセナを恨んだ。たとえそれが逆恨みだったとしても、恨まずにはいられなかった。

 だがその恨みが、あの日──セナがセピアに会いに来た日──セピアを立ち上がらせた。歯牙にもかけられていなかったという事実が、足に力を与えたのだ。

 しばらくはその怒りが必要だった。やがて時が経つと、むしろその怒りは邪魔なものになった。

 

 セピアにとってセナはいい奴だった。同僚としても、友人としても、申し分ない人物だった。

 怒りはどんどん小さくなり、この英雄性を有した小市民的な女を支えてやってもいいかと思えるようになった。それでも、怒りが消えないのだ。

 小さな小さな黒い怒りがずっと消えない。そのことをどうしようもなく醜く感じているのに、どうすることも出来ないのだ。

 

 ほとんど走馬灯のように、セピアの記憶は巡っていく。その速度があまりに早すぎて、思考が入り込む余地がない。このままぐるぐると振り回されて、出られなくなってしまうのではないかと思った時だった。

 

「セピアさん」セナが静かに言った。

 

 セピアは意識を取り戻したが、やはり何も言えなかった。

 

「セピアさん」再びセナが言った。「あなたはあの日、レッド近くで戦ったヘルマン兵で。お兄さんはあの時、チューリップ3号を破壊しようとした人ね」

「…………そうよ」

「…………これであの日言ったことは達成ですね」セナは言うべきか少し迷ったが結局言葉を続けた。「次(・)は(・)ど(・)う(・)し(・)ま(・)す(・)か(・)?」

 

 その言葉はセピアのために放った。彼女には進み続ける理由が必要に思えた。あるいは、それを再認識させる必要があった。

 だがいまのセピアは黙りこくっている。何を言うべきがまるで思いついていないのだ。あるいは彼女自身がどう感じるべきなのかわかっていないのだ。彼女は必死に思考を開始しようと努力している。

 セナは少しだけ待った。セナもまたどのようなことを言うべきか迷っていた。それでもまたセピアよりも先に口を開く。

 

「セピアさんにとってあの戦争がどんな意味を持つのか、私には想像するしかありません。でも、これまでのことなら知ってます。あなたが居ないと困る……から」

 

 セナはおずおずと右手を差し出した。それはセナが求める次のステップであり、セピアへの提案だった。

 かつて自分が多くの恩人たちに示されたように、選択肢をセナは提示する。

 

「これからも、よろしく」

 

 セピアは少しの間、差し出された手を見ていた。やがて、その手を握り返す。

 

「よろしく」

 セナは満足そうに手を見ながら言った。「よかった……じゃあ、私はシャワーを浴びるから」

「一つだけ聞かせて」

「! はい」

「兄をどう思う?」

「……えっと……あの戦争で一番最初にチューリップ三号の弱点に気が付いた聡い人って感じかな……」

「そう……」

「でも」セナは気まずそうに付け足す。「ズボンは履いた方がいいと思う」

 

 そう言うと今度こそセナはシャワーの方へ行った。

 セピアはボーとした頭のまま、再び机に向かった。

 仕事を続けなくては……明日からも自分は彼女の部下なのだから……。あらゆることを出来るだけ細かく記録する仕事を。

 

 ふとセピアは特に重要な事柄について記録していなかったことに気が付いた。思考のままにペンを動かす。

 

『リーザスでのセナ・ベリウールに関して』

 

 

 〇

 

 

 セピアはリーザスからようやく我が家に帰った。すでにあの夜からは何日も経っている。しかし、思考はあまり纏まっていなかった。

 あいつには悪いことをしたわ。

 セピアは自身の上司を思い浮かべながら考える。いつだって、彼女はセピアの我儘を受け止めてきた。

 上司を罵倒して、悪態をつき、いびろうとする部下など、すぐにでもクビに出来たはずだ。それなのに、セナはセピアをただの部下以上に厚遇し、友情を育もうとしてくれた。

 そんな甘さに付け込んで、いい思いをした自分はまるで寄生虫ではないだろうか。

 セピアは自虐するが、すぐに思い直した。セナの言葉を思い出したのだ。

 

 自分はセナ・ベリウールに必要とされている。彼女はおべっかを使えないタイプだ。言葉通りに自分を必要と思ってくれているのだろう。

 ならばいいじゃないか。自虐と自罰に塗れた生活はもう捨て去ろう。心を新たにして、ギルドマスター候補セナ・ベリウールを支える部下になろう。

 しかし、それが自分が望む次(・)なのだろうか。再び、セナの言葉が思い出された。

 

 がちゃり。玄関で佇むセピアの耳に鈍い音が飛び込んだ。

 兄さんだ。直観的に理解する。彼は生きる気力を無くして久しいが、空腹を感じれば冷蔵庫を漁るくらいの人間味はまだ残していた。

 セピアは心臓の音を聞きながら、いつの間にかキッチンに足を踏み入れていた。汚らしい兄の姿を見て、唇を噛んだ。

 

「……すまねぇ、酒が切れてな」ロバートはしわがれた声で言った。

 

 セピアは何も言えない。胸の中で何かが渦巻いているのは感じているが、それが喉まで上がってこない。

 次。次。次。次だ。一体、自分は何がしたいのだ。何がしたくて、セナの元で働いていたのだ。

 ロバートはセピアの心をくみ取る程の力が残っていなかった。ただ少しの気まずさ──そんな殊勝な感情かつては持ち合わせていなかった──だけ感じていて、逃げるようにその場を後にしようとした。

 

「────兄さん……!」

 

 ようやくそれだけが口に出た。

 ロバートの心が久方ぶりに揺れた。妹に話しかけられたのは何時ぶりだろうか。

 セピアの心の動揺はその数十倍だった。ここが分岐点であることは間違いない。これ以降、きっと自分の勇気は品切れになる。だから絶対何かが起きなければならない。

 次。次。次。次の一言だ。

 やはり、頭に浮かんだのはセナだった。あの英雄────いや、あの何度言っても変な依頼書を受領してくる上司。あるいは嘘が下手な女。それとも、感情がいつもすぐに顔に出て、あの悪魔のような男に慈しみの籠った流し目を向けるあの人? 

 あんなのはバカだ。でも、ああなりたい。バカになれ、セピア。バカに────

 

「────ヘルマンに帰りましょう」

「はぁ?」思わず、ロバートが言った。「何言ってやがる────」

「────帰るのよ! 私たちは! 故郷に! ……クソ! クソ! ……Fuck!! どうして、さっさと気が付かなかったの!!」

「バカ言ってんじゃねぇ! 今更ヘルマンに戻ったって何しろってんだ!」

「それでも戻るのよ!! 何かするの!! どうせ、パットン皇子は失脚して、政権はロリコン野郎のシーラ派の連中が握ってるんだから!! 革命でもすればいいじゃない!! その方がヘルマンのためよ!!」

「お、お前、何言ってやがる!」

「可笑しなことしてるのは兄さんよ! あの傍若無人の狂人! ロバート・ランドスターがこんなところで腐っていいと思ってるわけ!? こんなくそったれなエンディングが、許されていいわけない!!」

「戻ればお前は死ぬ!! 俺は兄として妹を────」

「────だったら、働けごくつぶしが!!」

 

 セピアの拳がロバートの顎に炸裂した。あの恐ろしかった兄があっさりと殴られ、壁に激突し、意識を失った。その事実にセピアは怒りも悲しみもない。あるのは勢いだけだ。

 セピアは思ったよりも軽い兄を背負った。そのまま玄関を出て町を走る。その振動でロバートも目覚める。

 

「何してやがる!! Fuck!! てめぇ、思いっきり殴りやがったな!!」

「うるさいんだよ!! Fuck!! 殴られるようなこと言ってりゃ、当然殴られるに決まってんでしょ!! アルコールに脳を浸すのは勝手だけど!! その匂いを嗅がせるんじゃないよ!!」

「兄に向ってなんて口の利き方だこのビッチが!!」

「妹に向かってビッチとはなんだ、インポ野郎!!」

 

 CITYの町に汚い罵声が飛び交った。住人たちは気にもしなかった。

 セピアは何も考えちゃいなかった。ただただ情動に任せて行動し、足を進めている。

 もうすっかり日は落ちて、街灯だけが二人を照らす。ロバートはもがくが、いつの間にか強くなった妹の力でがっちりと掴まれていて、降りることは出来なかった。

 

 セピアはようやく足を止める。そこはセナの家──同居人がやってる薬屋も併設されている──だった。結局、いま頼れる人間などセナ以外思いつかなった。

 厚顔無恥。頭を過るそんな言葉ではセピアの足を止めることは出来なかった。

 呼び鈴を鳴らす。セナが出てくるまでの数十秒の間に、熱狂が薄れ、セピアに冷静さが戻ってくる。それと同時に恐怖も帰ってくるが、どうにかそれを腹の奥に押し込める。

 どうにかもう一度狂気を呼び覚まさなければならない。こんな大胆で不確かな行動、いつも自分じゃ出来ない。

 バカになれ。バカになれ。

 

 頭の中でそう唱えても、心が勝手に動いてしまう。

 セピアは故郷を愛していた。しかし、それ以上に兄を愛している。唐突にそう理解した。

 二つを天秤にかけた時、きっとこのイカレた兄を取ってしまうほど、兄に憧れていた。

 

 扉が開く。セナは明らかに困惑の色を見せた。

 

「ええっと────」

「────いいから、入れて!」

 

 セピアは無理矢理体を押し込んだ。簡単に止められるはずのセナは勢いに負けて二人を玄関にあげる。

 扉の前でやっちゃったら、またセナに変な噂が立つわ。奇妙に落ち着いた思考でセピアは思った。

 ロバートは沈黙している。それは驚きから来るものではない。彼は目の前の脅威(セナ)を分析し始めていた。それはとっくに失ったと思っていた参謀としての本能に基づいていた。

 

「────いで!」

 

 セピアが急にロバートを落としたので、間抜けな声が出る。思わずかつての粗暴さが顔を出し、妹に思いっきり文句を言ってやろうと思ったが、今度こそ、驚きで固まった。

 

 セピアは額を床につけて、懇願のポーズをとっていた。彼女自身ほとんど無意識にその姿勢になった。他の二人はただ見ているしかなかった。

 

「お願いします」

 

 静かにセピアが言った。

 セナは困惑して、とりあえず何か返答しようとして、口を閉じる。セピアの本気を感じ取ったのだ。脳裏にいつも彼女が口酸っぱく言ってくる言葉が浮かんだ。

 組織の長になるなら、どんなことも安請け合いするな。

 

「……お願いによります」セナが言う。

「兄をあなたの部下として雇ってください」

 

 再びセナとロバートは驚いた。ロバートは声を出そうとしたが、セナから発せられる威圧感を警戒して黙った。セナが無意識にこの男の介入を拒んだのだ。戦いの場ではないにも関わらず、集中力は高まっている。セピアの本気をセナは本気で受け止めようとしていた。

 

 関係のない者たちが見れば、この玄関はまるで暴風雨の中であるかのような印象を受けただろう。

 それでも、セピアは言葉を続ける。

 

「兄は……私と同じあの戦争の敗残兵です。それでも、あなたの役に立つ、聡(・)い(・)人間です。問題は多々ありますが、私がサポートします。だから、どうかお願いします」

「……どうして、お兄さんを雇ってほしいんですか? セピアさんには二人分くらいなら食べていける給料を払ってると思いますが」

「それでも足りないからです。私たちはヘルマンに帰る。そのためには、逃亡兵としての立場を誤魔化せるくらいの、金が要る。コネが要る。立場が要る。私たちがいまそれを手に入れる方法は、あなたに頼るほかない」

 

 英雄の庇護下にいること。あるいはそのコネを持っていること。凡人として生きてきたセピアには、それがどれほどの力を持つのか痛いほどわかっていた。

 セナとのパイプがある。それはかつて戦争の相手だったというマイナスを加味しても、ヘルマンがセピア達を抱え込むと確信できるプラス要素だった。

 だがそのプラスを持っているのが自分だけではいけない。自分だけだと侮られ、利用される。そして自分ではそれを止めることさえできない。

 しかし、兄がセナとのパイプを持っているならば別だ。ロバートは有能でイカレた指揮官だ。彼がこの手札を持つならば、途端にそれはジョーカーとなる。

 

 実のところ、この考えにはいくつも穴があった。しかし、セピアはそれを意図的に無視する。

 彼女はセナの英雄性とロバートの有能さを信じた。ある種の幻想を抱き、それに向かってただ出来ることをした。

 

「………………」

 

 セナは長く沈黙する。ひたすら考える。いま自分がやるべきこと。やれることを考えて────そして、何よりもやりたいことを考えた。

 

「……まず」ようやくセナは言った。「お兄さんを正(・)式(・)に(・)部下にすることは出来ません」

 

 セピアは何も言わなかった。セナの言葉に続きがあることを理解していたからだ。

 

「私はセピアさんのお兄さんがどんな人なのか知らないし、これ以上部下を増やすことを許可されてもないからです。でも────」

 

 セピアが頭を上げた。久しぶりに二人の目が合う。

 

「────セピアさんがどういう人かはわかってます。いままで真面目に働いてくれたあなたの初めてのお願いを無下にするつもりはありません。だから、お兄さんは試験採用のバイトってことでまずはいきましょう!」

 

 力強くセナは言った。キースになんて言われるだろうか。そんな心配が彼女の頭に巡る。

 それでも、何を言われたとしても、この決定だけは覆すつもりはないが。

 

 セピアは全身に汗が噴き出すのを感じていた。こんなに勢い任せに行動したのは初めてだった。

 呆ける心を動かして、兄の頭を無理やり下げさせる。こんなことをするのもやはり初めてだ。

 

「ありがとうございます!」

「いいの、いいのよ。セピアさんにも事情があるし、込み入った話をされるのも嫌じゃないわ」

「ほら、兄さんも!」

「あ、ああ。ありがとうございます……?」

「もう! しゃんとしてください! 私たちの上司ですよ!」

 

 ロバートは混乱の極致にいた。なぜだか、セピアが結婚して自分の元を離れた時、相手にどんな言葉を言えばいいのだろうとか、そんなことを考え始めている。

 こいつは良く出来た妹だ。不幸にしやがったら、尻の穴に手を突っ込んで火爆破を食らわせてやるからな。

 そんなことを言えばいいだろうか。

 

「えーと、ロバート・ランドスターさん」こめかみを抑えながらセナが言った。

「あ、ああ」

「はいでしょ!」セピアが言う。

「ああ、スマン。ええっとはい。えーと」

「セナです。セナ・ベリウール」

「セナ……さん。なんだ……なんでしょうか?」

「明日から、キースギルドで働いてもらいますが、とりあえず」

 

 セナは言いながらロバートの下半身を指さした。

 

「ズボンは履いてきてくださいね」




またおっさん贔屓ですか。
これにてセナクエストの前半終了です。
お気づきかもしれませんが、前半はリーザス侵攻の決着をつける話でした。
あるいはセナが戦い以外の場所で成長していく話でした。
意図的にランスクエストにはあまり関わらないようにしており、裏ではガンガンランスクエストが進行しています。

またしばらく書き溜め期間に入ります。
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