西暦2030年10月29日 15時48分
大日本帝国 東京都 海軍省大臣執務室
大日本帝国帝都東京の海軍省。そこでは日夜、軍政監連の諸事務をこなす数千名の海軍武官がいた。
既に部分動員令により100万以上に膨れ上がった海軍将兵を抱えている巨大組織では日々、尋常ではないほどの書類がさばかれていた。
「流石にやりすぎました」
そのような中で、海軍省軍務局長は経理局員らを引き連れて、大臣執務室を訪れた。かなり悲痛な顔をしている。
膨大な量の見積書の束をめくりながら、数々の修羅場を潜り抜け海軍大臣となった予備役の元帥海軍大将の顔も、段々と血の気が引いていった。
最後まで見ることなく見積書を机に置き、腕を組む。
「少し、やり過ぎたか」
その場にいた全員が認識していた問題。それは日本海軍のこれまでに消費した兵器や弾薬、その他消耗品に関する諸費用であった。
戦時であるため致し方ない、としていた軍務局はじめ海軍省であったが、ここ最近の与党の一部や野党からの軍に対する追及が激しくなったことにより辟易した軍務局長が、ついに大臣に駆け込んできたわけである。
「このまま行けば、国家予算を圧迫して再び経済危機を起こします。東印度の件もありますし……」
異世界に転移してからというもの、帝国陸海軍は戒厳司令部の設置と百数十兆円規模での特別予算がつけられていたものの、その動向には与野党ともに注視していた。
当初こそ対ロウリア戦ということもあり、この世界に来たばかりで右も左も分からない中だったため「すべてに全力で」ということで大規模動員、大規模攻撃計画が看過されていた節があった。
しかしロウリア戦も終わり、転移から10か月も経つと人は慣れるもので、必然をかかってくる経費も天文学的量となり、国家予算を圧迫することに忌避感を募らせていた。
また戒厳令の施行、大本営の設置、そして今帝国議会で審議されている国家総動員法の再制定の流れにより、野党と一部の与党勢力から軍部による独裁体制の確立が警戒されていることもあり、気付けば軍部に対する風当たりも強くなってきたような感じもしてきていた。
かつて1930年代(未遂)、1960年代(成功)、そして直近では2000年代に国軍蹶起による政権掌握により、その都度政党活動の制限を経験してきた大日本帝国では、陸軍に対する政治干渉に過敏に反応するようになっていた。
一方、海軍では陸軍とは別に1930年代初頭の蹶起(未遂)以来、「清廉潔白な海軍」として政治的中立を保ってきていたため、陸軍のそれよりかはまだマシなレベルだった。
といっても、軍内にいる急進派の数は少ないとはいえない。
むしろ陸軍の二度の蹶起からの軍事政権崩壊を見てきているため、無駄に“もし自分たちが蹶起すれば”を丹念に調査研究しているため、下手に陸軍がやったとはいえ二度の成功体験があるためたちが悪い。
「ロウリア戦は大分不評だったからなぁ」
大臣は天井を見上げて呟いた。
確かに先の対ロウリア戦争では、「そこまでロウリアにやる必要があったのか」という言説やメディアを通じて広く帝国臣民に知れ渡り、野党でも追及されているところである。
海軍では記念艦として各軍港に係留していた戦艦を現役復帰させ、半数以上が消失した航空母艦戦力の回復を目指し建艦計画「㉚臨計画」が始動しつつあり、既に内地・外地全ての海軍工廠がフル稼働し、消失した分の艦艇建造が進められている。
……と、言うのは表向きであり、さらっと㉚計画には「46センチ砲搭載の大型巡洋艦(という名の戦艦)」や「10万トン級原子力空母」に、「6万トン級攻撃型原潜」といった地球世界では夢に描いただけの艦艇建造案もしれっと紛れ込ませられていた。
主に大艦巨砲主義者、航空主兵論者、潜水艦隊論者による策謀である。既に海軍省と光蓮重工といった各財閥との間で調整……という名の談合……が行われ、建造に向け進展している。
後にこれは政・軍・財閥の談合事件としてばれて、内閣が吹っ飛びかける一大疑獄事件に発展することになるのであるが、海軍大臣をはじめこの場にいる誰もが知る由もない。
「戦略を変える必要があります。より費用を抑えられる兵器が必要です」
「費用を抑えるって言ってもなぁ。艦隊を動かせばそれだけとんでもない額が飛ぶ。戦艦なんか重油食らいにもほどがあるぞ。やはりここは原子力潜水艦隊を整備して、コストを抑えた方が……」
潜水艦隊論者の海軍大臣が言った時、若干執務室がぴりつく。彼の目の前にいるのは、航空主兵論者の軍務局長をはじめ、持論を押し殺して現状を訴えに来た者たちだったからだ。
反論したい気持ちをぐっと抑え、軍務局長が一歩踏み出す。「考えがあります」
「ほう?」
「経理局と相談しましたが、その中で良い案が出たのでご紹介いたします」
局長は部下に命じ部屋を暗くする。自身は投影機を起動させ、携帯型電子計算機(ノートパソコン)とケーブルで接続し、映像を投影させた。
内容は、何かの試験映像のようだった。
「これは……ああ~、なるほど」
映像は、戦略爆撃機富嶽改の爆弾層内を映し出しており、爆弾層のリボルバー式兵装取付部には、主翼が折り畳まれた状態で待機する小型機の姿があった。
それが次々投下されていき、空中で主翼を開いた。
その小型機……無人特殊攻撃機「空花」は機体後部のプロペラにより推進すると、目標に向かって飛行していく。
徘徊型自律式無人特攻機は、一定時間上空を旋回した後、標的を選別し急降下を開始。
突入した空花は爆発し、突入した先の乗用車は木端微塵に吹き飛んだ。
ここで映像が止められ、局長が説明する。
「対ゲリラ用に開発された空花ですが、研究の結果、この世界においても十分な威力を発揮できると結論付けられました。特に帆船相手においては空花を2、3機突入させることにより撃破可能と結論が出ております。
新型の空対地誘導弾一発でこれが200機作れますので、費用対効果としても最適かと。また輸送機からの投下も可能なので、理論上、全ての輸送機を改造なしに爆撃機として運用することも可能となっています」
「いいじゃないか。㉚計画に組み込んでくれ。これを機に独米がやってきた無人兵器の大規模導入を、我が国でもやってみようじゃないか」
「ありがとうございます。承知いたしました、それでは計画案を修正した後、お持ちいたします」
局長らは敬礼し、その場を後にする。
その後、光蓮重工を中心に無人特攻機空花の量産が開始、50キロの高性能爆薬を搭載する通常弾頭や、対装甲標的用の成形炸薬弾頭、熱圧力弾頭(サーモバリック弾頭)など、数種類の弾頭を搭載する空花は、後々の作戦に多大な影響を及ぼすこととなった。
これ以降、それまで無人兵器に懐疑的だった日本陸海軍は無人兵器の本格投入を開始し、それまでの軍容が大きく変化していくことになる。
陸軍もまた、東印度情勢がきな臭くなっていることもあり、海軍に倣って通常兵器から格安で量産可能、さらに適度に性能もある無人兵器の導入を行うことを決めることとなった。
西暦2030年10月27日 14時32分
大日本帝国 馬来半島昭南島 東印度総督府庁舎
大日本帝国領東印度は、先の大戦により日本が英国、オランダからもぎ取った旧英印及び蘭印地域である(東ニューギニアも含む)。
対英参戦後、好意的中立を表明せず、むしろ対日石油禁輸を断行した蘭印政府に対し武力進駐という対応を取った日本は、1944年の参戦後に各島に上陸、以来戦略重要地帯として帝国直轄領とした。
馬来半島とともに日本の重要な地域として今日まで支配が続けられている東印度であったが、その抵抗の歴史はかなり深い。
東印度事変(インドネシア独立戦争)を鎮圧した軍事政権が1970年代に学生デモにより崩壊すると、政権を握った政友会政権による朝鮮・台湾の”内地化“と並行して、東印度の自治権は拡大され、一方で独立運動は徹底して弾圧する飴の鞭政策により、無理くり落ち着きを取り戻させている。
だがその東印度においても、2010年代後半から再び独立運動が盛んになりつつあった。
きっかけは2000年代前半、ドイツ国内で広がった“ウムゲシュタルト(改革)”運動の一環として行われたオストラント、モスコーヴィエン、ウクライーネ、ドン・ヴォルガ、カウカーズース、トルキスタンの6個の国家弁務官区をそれぞれ独立させたことに端を発する。
以降、NSDAP(民族社会主義ドイツ労働者党)による一党独裁の終結により、急速な欧州民主化運動により東印度においても「スラブ人に続け」をスローガンに独立運動が盛んになっていった。
「戒厳令反対! 高木は辞めろ!! 戒厳令反対! 高木はやめろー!」
『至急至急“昭南3”より警務局、昭南通りに暴徒が集合しつつあり。応援願う』
『“おおとり4”から警務局、昭南植物園を占拠中の群衆約5万、騒擾状況を停止しつつあり。警戒を要す。繰り返す、昭南植物園を占拠中の……』
昭南特別市(シンガポール)南部にある東印度総督府では、今日も今日とて御暴動の鎮圧に明け暮れていた。
総督府周辺の6割方が20万を超す暴徒に制圧され、無法地帯と化している。
日本人街や亜細亜街では、掠奪されていない商店を見つけるのが難しいほど暴虐の限りが尽くされている。
朝鮮人街では天井に上った青年らが猟銃で武装し、やってくる暴徒を片端から射殺。
中華街では三亜会などのチャイニーズマフィアが、不法所持していた拳銃や出どころ不明の自動小銃で武装し、火炎瓶で武装する暴徒と交戦中であった。
特に日本人街はひどく荒らされていたものの、大型商業施設に避難民と自警団が立て籠り、要塞化して日本人に対する恨みが爆発した暴徒相手に対峙している。
当初、ここまでの混沌はなかった。
2030年1月。この世界に転移したことにより、大日本帝国は世界から物理的に孤立した。
日本政府は戒厳令を施行し、政府と戒厳司令部との二人三脚により人々の自由を制限した。ほとんどの臣民はそれに従ったが、独立運動の禍根が根強く残る東印度ではそううまくはいかなかった。
最初は戒厳令反対、次に臨時軍事予算反対、東印度総督の辞任、そして今や再び東印度独立を要求し始めたデモ隊……対するは、総督府警務局が指揮する1万の警備隊。憲兵警察制度が廃止されてから久しく、今の総督府警察はこれが唯一指揮下にある実力組織である。
他の島から警備隊を持ってくることも可能だが、そうなれば引き抜かれた島の治安維持が最悪な状態となるためそれはできない。
装備自体は、一般の警察である青を基調とした色合いの勤務服である。
だが保有する武器兵器は大盾やこん棒に留まらず、四輪駆動車や八輪装輪装甲車、50ミリ擲弾筒、二四式小銃や散弾銃、機関拳銃を装備しており、ドイツや米国からは「国内軍」として準軍事組織扱いされている。
そんな警備隊が、現在進行形で迫りくる暴徒を押しとどめんと昭南通りと呼ばれる総督府前の幹線道路に展開しているわけだが、どうにも状況は変わりない。むしろ暴動の波は広がっていくばかりだった。
「やはり、今警備隊を出すのは愚策だったか?」
総督執務室において、東印度総督の高木はぼそっともらす。
彼とその家族は朝鮮半島で生まれた、いわゆる朝鮮系日本人である。彼の祖父は、帝国陸軍大将まで上り詰めた後、朝鮮人で初の朝鮮総督府政務総監……総督府ナンバー2……に上り詰めた実力者である。
その子である高木もまた武官として帝国軍で奉公した後、東印度総督に任じられている。
その彼を待ち受けていたのが、帝国の転移、そして大暴動である。
きっかけは9月の中頃の話だった。この頃はまだ比較的平穏なデモ活動が行われているだけで、特段暴動の兆候は見受けられなかった。
しかしその日、総督はいつものように昭南通りで発生したデモ行進を抑制すべく、警備隊の派遣を命じた。
問題は、その派遣された警備隊にあった。
昭南特別市には、第一から第四までの4個警備隊が存在する。どれもが総督府警察の中でも精鋭中の精鋭警察官が集められて構成されている。
その中でも、今回送られた第三警備隊は、精鋭な代わりに血の気の多い連中ばかりが配属されている部隊だった。それが最前線に投じられ、悲劇は起きた。
デモに参加していた一部の学生が、警備隊と皇室を煽るような文言の書かれたプラカードを掲げており、それが警備隊員の逆鱗に触れたのである。
警備隊1個中隊が丸々命令を無視して一斉検挙を開始した。擲弾筒により催涙ガス弾が投射され、防毒面(ガスマスク)を装着した警備隊員が蜘蛛の子を散らして逃げ惑うデモ隊に向け突撃していった。
その最中、前の方で平和演説をしていた昭南帝国大学の女学生が、警備小隊長が握る指揮用の刀で斬り殺されてしまう。
これを知った群衆は怒り心頭、事情を察知した警務局の方で女学生を斬殺した小隊長は逮捕、無断で検挙を命じた中隊長は停職処分となったが、東印度人の怒りは収まることなく爆発し、今に至る。
警務局内で陣頭指揮を取る中、総督に一報が入る。
「ブキテマ方面に展開中の第二警備隊より入電。昭南植物園に展開中の群衆約5万が、進路を変更して南進中! こちらに向かっているようです!」
「まずい、今昭南通りの暴徒と合流させれば総督府は……」
総督と警備隊員らの額に汗が垂れる。
警務局長が様々な案を進言する中、総督は思考を巡らせるが、一向に答えはある種の、最悪な、暴力的な方向へ向かっていた。
日本軍への応援要請……
総督着任直後、高木はかつて父の統治方法に反発していた。特に1980年、父が朝鮮軍司令官時代に起きた光州市における反軍デモに対する武力鎮圧事件のような、野蛮な手法は決してやらないと誓っていた。
しかし今や、2万近い島嶼部を抱える東印度全域を警察権力で抑えることは適わず、他島では陸海軍が既に出動している。
今回の東印度事案において、昭南特別市では他の地域とは違い、唯一警察権力だけでなんとか抑えてきていた。
この昭南だけは軍の介入を招かずに鎮圧してみせたかったが、どうにもそうはいかないようだ。
高木は執務室に戻ると、ほこりを被っていた赤い電話を手に取った。
非常事態用もので、緊急事態の際にしか使われない、昭南駐留部隊……2年に一度交代となり今年は第一師団……に繋がるホットラインである。
数度の呼び出し音の後、通話状態となる。
「……総督の高木です。師団長閣下ですか?」
東印度、昭南島で渦巻く大いなる混沌、それに終止符を打つべく、高木の電話の相手に“お願い”をすることとなった。
その日、昭南陸軍基地から出動した第一師団は戦車を盾に官庁街に浸透し、暴徒を鎮圧するため痛烈な一撃を加えた。これに対抗し、暴徒もドイツ陣営内のベトナムやカンボジア、アメリカ陣営のフィリピンから密輸していた対戦車ロケット弾などで反撃を開始する。
それはつまり、一時的に昭南島が内戦状態に突入することを意味した。
西暦2030年11月3日 13時21分
大日本帝国 東京都 内務省庁舎
「警察予備隊……?」
昼下がり、秋となり少し寒くなってきた風が吹く中、昼食を済ませたばかりの内務大臣は、内務省警保局長が涼しい顔で提案してきた構想に口をポカンとさせる。
「はい、警察予備隊です。現在の警備隊を拡大発展させ、重武装・高機動の部隊にいたします」
「……いやいや、もう充分警備隊も重武装・高機動のような気がするが……? 装甲車があるではないか」
「いえ、それでは足りません。証拠に東印度暴動は抑えきれませんでした」
内相は東印度の話を出されて苦い顔をする。痛いところを突かれた。
内務省から多数出向者を出している東印度総督府、特に警務局では騒擾事件を抑えきれず、やむを得ず総督が陸軍に支援要請を出した。
それは、それまで“陛下の治安維持機構”を自負してきた内務省の威信を大きく傷づけることとなり、同時に戒厳令下における陸軍憲兵隊との権力抗争で相手に“借り”を作ってしまったことを意味した。
内相の嫌そうな顔を見て、全警察権力の元締めにして絶大な権力基盤を持つ警保局長はさらにプッシュする。
「東印度暴動鎮圧の失敗は、ただ一点。警察権力、特に警備隊の実力不足にあります。この実力というのは体力や精神面といったものではなく武装、火力、機動性という意味になります。これらが不足していたため、初動における鎮圧に失敗したのです」
「それを補うための、警察予備隊……」
「はい、こちらが編制案と主な装備品になります」
警保局長は部下に目線をやり、大臣の前の『警察予備隊構想案(仮)』と書かれた一枚の紙を広げる。
そこには各管区とそこに配備される部隊、そして主な装備品の一覧表が掲載されていた。
大臣はその内容を余すことなく見て、苦笑する。
「戦車に……攻撃型螺旋翼機まであるのか……」
「いえ、“特車”と“支援型螺旋翼機”です」
「……なるほど。で、人員は20万に至ると」
はい、と局長は頷き、説明した。
「大きく分けて内地を担当する東日本管区、西日本管区、北朝鮮管区、南朝鮮管区、台湾管区、南洋諸島管区の6個と、外地を担当する馬来管区、ボルネオ管区、スマトラ管区、ジャワ管区、スラウェシ管区、ニューギニア管区の6個で構成されます。
1管区辺り3個警察連隊と1個航空警察連隊及び特車警察連隊を配備いたします。また、これとは別に即応部隊として警保局直轄の中央即応警察隊を編成します。それらを輸送するための輸送航空警察連隊や、海上警備のために海上保安隊も別途編成する予定です」
「……陸海軍と一戦交えるつもりか?」
「彼らにその気があるなら」
警保局長の圧に押され、大臣は委縮する。こんなことをすれば、陸海軍から何を言われるかたまったものではない。
しかし警保局長の言う、「警備隊の実力不足」というのは間違ってはいない。
実際、1万名も動員して鎮圧しようとした昭南島では、今や軍の介入によりカオスその一言で表せる惨状と化していた。
銃砲店から掠奪してきた猟銃や、ドイツ陣営のインドシナ半島諸国から密輸した武器で武装した暴徒……というよりもはやゲリラ……と各所で銃撃戦を繰り広げている。もはや“内戦”といってよい状況になってよい。
またニューギニア島では、1960年代からアメリカの援助を受けて重武装化していたパプア民族解放戦線、パプア独立民主軍といったゲリラが横行しているような現状で、警察権力だけで抑えること自体、そもそも無理な段階に来ていたという話も警保局内で上がってはいたのだ。
軍が介入したことにより、話はここまで大きくなってしまった。
もし警察権力がより巨大で力強い存在であれば……このようなことは起こらなかったかもしれない。
「大臣、いかがされましたか」
想像を膨らませていた内相を、警保局長が現実に引き戻させる。
顔をハッとさせると、内相は姿勢を正した。「分かった、警察予備隊構想を進めてみようではないか」
今回の転移により、陸海軍と同様に内務省でも臨時予算を獲得している。それを流用すれば、全てではないが管区制と、ある程度の重武装・高機動化はできるだろうと考えた内相は、後日閣議において警察予備隊設立の旨を打診することとなった。
むろん、陸海軍大臣から激しい反発を受けるが、東印度事変以来の騒擾状況を沈めるためにも、警察権力の拡充が不可欠であるという内相の強硬な姿勢により、最終的に黙認されることになった。
これが後に、特に陸軍と内務省との間の溝を深めていくこととなる。