中央暦1639年11月25日 12時08分
パーパルディア皇国 エストシラント
皇都エストシラントは燃えに燃えていた。
富嶽改による爆撃以来、市民や軍が協力して消火活動に励んでいるが、残念ながらすべての行動が焼け石に水であり、あまり効果があるようには見えなかった。
重点的に爆撃された都市区画を中心に燃え広がっていく炎は、第三文明圏最強の列強として世界に冠たる皇国の首都だろうが関係なく、平等に燃やし尽くさん勢いでいた。
人々は次第に生気を失い、心が絶望と恐怖に支配されていく。
攻撃は極めて激しかった。
日本海軍では念には念をということで、第二波では通常の航空爆弾の他、焼夷弾による空襲が行われていた。
陸海軍では、アフガン出兵以来、焼夷弾による攻撃は国際的な目があったため中々できず、大量の在庫を抱えていた。これを機に在庫処分としてあるだけ投下していったのだ。
その異常なまでの親油性ゆえ、消化することが難しい焼夷弾により、爆撃により半壊していたエストシラントは阿鼻叫喚の嵐となった。
いたるところで火災旋風が立ち上り、逃げ遅れた人々や消火活動に果敢に挑んでいた消防団、軍人たちを呑み込んでいった。
爆風と火炎で多数の死傷者を出していたエストシラントは、人口7000万人の皇都であるため人口もかなり多い。一夜明け、死傷者は20万人に至ると概算が出ている。避難民は100万を超えた。
「……」
パーパルディア皇国海軍本部の掃除夫として働いていたシルガイアは、炎上して焼け落ちる海軍本部を見つめながら座り込んでいた。いや、腰が抜けてしまい、へたり込んでいたといった方が正確であろう。
かつては海軍士官学校同期で、現皇国海軍提督であるバルスとためを張った仲であったが、今や差は広がり続け、彼らとってバルスは天の上の存在だった。だがそのバルスも、今や海軍本部の中で黒焦げバーベキューとなった。
皮肉にも、出世コースから外れた挙句、海軍本部からも追い出され、こうやって外で掃き掃除をしていたシルガイアが生き残っている。人生なにがあるか分かったもんじゃないな、と、彼の心に強く刻みつけることとなった。
そんな時、ふと気配を感じ海の方に顔を向けた。
「……ん?」
巨大な船舶群が見える。パーパルディアの本国艦隊だろうか? まさか生き残っていたのか……と、シルガイアが思った矢先、巨大な船の一隻が、突然爆炎を上げた。
いや、爆炎ではない。あれは――
「ッ!!??」
咄嗟にその場に伏せ、頭を抱えた。
十数秒後、とてつもない衝撃と爆風、鼓膜が破けるほどの爆裂音が彼を襲う。
「うわあああ!!!」
シルガイアはそのままコロコロ転がり、岸壁のボラード(係柱)に頭をぶつけ息を失ってしまった。
次にシルガイアの意識が戻ったのは、効き慣れない発砲音が聞こえた時のことだった。
ぐわんぐわんする脳内を落ち着かせながら、目を開けると、彼の目に入ってきたのは、見慣れない軍服と銃らしき武器を持つ兵士の姿だった。
明らかにパーパルディア軍のものではない。
「手を上げてうつぶせになれ! おい! 早くしろ!!」
そんな兵士の一人が、上半身だけを起き上がらせていたシルガイアに気付く。
すぐに命令に従い、シルガイアは手を上げながら顔を地面にこすりつけんばかりに下げる。兵士らは彼の下に向かうと、彼の両手を縛りあげてどこかに向かっていった。
シルガイアは幸運だった。上陸してきた兵士たち……大日本帝国海軍第一陸戦総隊には、事前命令において、武器を持つ者はもとより、反抗的な態度を示す者や、怪しい行動を行う者についても問答無用で射殺せよという命令が下っていたためである。
これは、魔法という非科学的存在がある異世界において、銃を持たずとも軍に危害を加えられるということがロウリア戦で発覚したため、大本営では過敏なまでに“異世界人”に対する警戒心があったことによる。
現に先のロウリア戦では、民間人だと思って接触した老人が、実は高位魔導師で魔法による攻撃で装甲車が何輌か破壊されたという実例がある。
そのため陸海軍では、今回のパーパルディア戦においても、武器を持たない者についても怪しい動きをすれば戦闘員とみなして撃ってよしとしたわけである。
「どうなっちまうんだよ……」
その場で放置されていたシルガイアだったが、数時間後には近場で頻発していた連続した発砲音が聞こえなくなっていくのが分かる。どうやら謎の武装勢力が皇国軍によって鎮圧されたか、それとも……
などと妄想を膨らませている中、先ほどの兵士たちが戻ってきた。
兵士の一人がシルガイアに近づくと、無理やり立たせる。彼はよく分からない文字とパーパルディア語で“特警”と書かれた腕章をつける兵士に預けられると、そのまま国籍不明軍のものと思われる揚陸艇に乗せられた。
彼の他にも、掃除夫や民間人らが揚陸艇に詰め込まれており、その後彼らは謎の勢力の輸送艦に収容され、俘虜収容所に送られた。
そこで彼らは、パーパルディアの敗戦と、滅亡を知ることになる。
中央暦1639年11月25日 13時58分
パーパルディア皇国 エストシラント パラディス城
帝国海軍第一陸戦総隊及び第二陸戦総隊(第六陸戦隊は転移時消失、再編成中)による上陸から1時間も経てば、浜辺には百数十輌の戦車や装甲車、自動貨車が揚陸され、陸戦隊員を乗せてエストシラント市内に浸透していた。
上空には空対地誘導弾をフル装備した無人攻撃機や、艦上戦闘機猛風といった殺意マシマシの航空戦力が、エストシラント各地で抵抗を続けるパーパルディア兵に止めを刺しに飛来してきている。
それを横目に、緑を基調とする迷彩色の多数の輸送機群が郊外に向かっていった。
エストシラントから数キロほど離れた広い平野部に到達すると、上空に白い花が咲き誇っていく。陸軍挺進軍である。
彼らはエストシラントを起点とする主要な幹線道路を封鎖した後、市内に侵入して海軍陸戦隊とともに掃蕩作戦を実施することとなっている。
空挺降下からわずか30分で、すべてのエストシラントに続く幹線道路を封鎖して見せると、一部の空輸挺進連隊を残して挺進隊員たちも市内になだれ込んでいった。
こちらもこちらで、挺進戦車や挺進砲戦車といった装甲戦力を前面に押し出し、バリケードを構築し市内への侵入を防ごうとするパーパルディア軍を粉砕していく。
「上級士官、全員“自爆鳥”により戦死! 指揮を継承した下士官も、自爆攻撃を受けております!!」
「自警団司令部が敵飛竜からの攻撃を受け壊滅! 自警団各隊が指示を求めてきております」
パラディス城に移設された軍令部において、およそ希望のある報告は一切入ってこなかった。
敵軍の上陸を許した挙句、主要幹線道路を封鎖され、“彼ら”はとんでもないスピードでエストシラント市内に浸透し、今や過半を制圧、もしくは制圧中にあった。
当初、伝令から入った「敵軍の進撃が停止した」という報告は、軍令部を活気づかせた。
どうやら敵軍は首都目前に上陸したはいいが、補給切れを起こしたらしい。今こそ皇国に牙を剥いた無法者を撃破すべく、軍令部は皇都防衛司令官のメイガに命じて攻勢作戦に打って出ようとした。
これが成功すれば、敵軍を殲滅し、そのままの勢いで皇都の安全を再び確保できる。
しかし、それこそ奴らの……大日本帝国陸軍の狙いであった。
皇都の広場に防衛隊各隊が集結する。そこでメイガが簡潔に、とはいいながらも途中で熱が入りかなりの長舌っぷりを発揮し演説を行っていた。
もちろん、先の爆撃により士気の低下していた将兵を元気づけるための、必死の策であったことは言うまでもない。
「……で、あるからして、我が皇都エストシラント防衛隊は無敵を誇る! 各人、それを胸によぉく刻み、我らの大地を土足で踏み荒らす敵軍を撃破するので……えぇ?」
――ドパァァァン!!
メイガに徘徊型自律式無人機……八六式特殊攻撃機「剣」が突入し、彼の身体を引き裂いたのは、防衛隊出陣の予定時間である数分前のことだった。
以降、陸軍の輸送機から投下された数千機もの対人自爆ドローンが上空を舞い、派手な軍服を着る将校や、兵卒に指示を送ろうと身振り手振りしている将校、下士官連中を爆殺していく。
地球世界、異世界で蓄積された経験から、「キラキラした奴」だけでなく、「身振り手振りの大きい奴」=将校も高価値目標として学習した陸海軍の徘徊型無人機が、殺気を放って地上を舐めるように見つめる。
防衛隊は攻勢作戦に打って出るどころではなくなり、一目散に建物内に隠れてしまった。
ある部隊は降伏しようと、自分の部隊指揮官の上着を掲げて降参の合図を行った。
いやはや、しかし、悲しいかな、その意図は伝わることなく
将兵は恐慌状態に陥った。敵は降伏してもなお攻撃を仕掛けてくるのである。
そんな兵卒でいっぱいになった建物を、無人偵察機が捕捉。陸軍の司令部偵察機を通じて三八式襲撃機や海軍の攻撃型螺旋翼機に指示が送られ、対地誘導弾や誘導爆弾を叩きこんでいった。
建物は崩壊し、数十名から百数十名……時には200名近い兵員がいる建物もあった……の将兵が一挙に圧死する。
パーパルディア軍は、外に出れば無人機が、中に逃げれば襲撃機や旋機が襲い掛かってくる戦場に、一同絶望することとなる。
そんな皇国軍も、最後の自爆機が突入もしくは電池切れで墜落したのを最後に、ようやく外に出られる機会となった。
しかしそれは、自爆無人機による誤爆を防ぐために停止していた日本陸海軍地上部隊の進撃再開を意味するため、どのみち絶望的状況であることには変わりはなかった。
「もう逃げ場はありません。皇帝陛下……」
一介の下士官が恐れ多くも皇帝に報告するという、普段ではおよそ信じられない光景がそこにあった。高級将校や参謀といった士官連中は、のきなみ上空で目を光らせていた自爆鳥や大型飛竜からの火炎弾による攻撃を受け戦死しているため、致し方ないことではあった。
報告してくる兵卒の顔色は尋常ではないほどに生気がなく、悪かった。その顔を見て、皇帝ルディアスもつられて険しい顔になる。
「長距離魔導通信が先ほど入りましたが、アルタラス駐留軍も日本軍の攻撃を受け、玉砕したようです。最後の決別魔信が先ほど、通信室に入りました」
「それほどまでに、強いのか。 ……大日本帝国は」
これまでの戦闘を踏まえ、ルディアスは現在進行形でパラディス城内に浸透している敵軍の正体が大日本帝国であると知った。
城下を練り歩く鉄製の地竜に、白地に赤丸が描かれていたのを兵士が発見。それを外務局職員が、日本であることを見抜いたのである。まあ、見抜いたところで今更なにかができるというわけでもなかったが。
「カイオス……これは一体……どういうことなのだ」
ルディアスは脇に控えるカイオスに問う。第3外務局長として日本を含む文明圏外の国家との外交を担当していた彼は、頭を下げたまま何も言えなかった。
大日本帝国。かつて、国家戦略局が必死に懇願レベルに主張していた「フェン王国は大日本帝国の影響圏にあるから、手を出しては決してならない」という言葉が今、彼の脳内を無限ループしていた。
あの時は頭に血が上り、息のかかった当局の知人を通じて彼らを左遷してもらったが、今思えば極めて悪手だったことに気付く。
「大日本帝国、お前は知っていたはずだ」
「……」
「おい、何か言わぬか」
「……め、面目次第も……ございません……」
カイオスは目頭が熱くなるのを感じる。また同時に、他の業務を投げ出してまで自分らを止めにかかっていた国家戦略局の彼らに対し、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
こんなことになるなら、言われた通り懲罰権の行使を取りやめ、大日本帝国との交渉を行うべきだった。しかし、今さら後悔してももう遅い。
「発破!!」
ルディアスがさらにカイオスに問おうとしたその刹那、扉が爆散する。
数秒後には青褐色を基調とする迷彩服を着た兵士たちが侵入し、手当たり次第に部屋の中にいた者たちを射殺していった。
近衛兵がマスケット銃を構え応戦しようとするが、何一つ反撃できないまま制圧されてしまう。
カイオスはせめてもの償いで、ルディアスの前に出て皇帝を庇った。むしろ自ら死にに行ったとも見える。
本来は捕縛対象に入っていたはずのカイオスだったが、“怪しい動き”を取ったせいで日本兵らの銃撃を受け、即死する。
「カ――」
最後の最後に、自身への忠誠を見せつけた彼の名前を呼ぼうとした矢先、日本兵の一人が乱暴に玉座に近づくと、ルディアスにワンパン食らわした。
鼻血を垂れ流して顔を抑えるルディアスに構わず、日本兵たちは乱暴にずだ袋を被せると、彼を王城から放り出した。そこで待機している螺旋翼機に乗り込ませ、沖合で停泊していた日本海軍の軍艦に収容される。
ロウリア戦では陸軍が、今回のパーパルディア戦では海軍が敵の親玉を捕えた。
室内掃蕩を行った帝国海軍陸戦隊は、パラディス城の最上階で万歳三唱して軍艦旗を掲げた。遠目で悔しそうな顔をする陸軍空挺隊員らを横目に、陸戦隊は祝う一方で
彼らが乗ってきた水陸両用装甲車には、日の丸の中に髑髏マークが描かれた軍艦旗が掲げられ、車体上部に汎用機関銃を装備した陸戦隊員が乗り込んでいく。
陸軍も含め全員の防毒面装着が確認されると、洋上で待機していた螺旋翼機が飛来、エストシラント各地に「あか剤(嘔吐剤)」の撒布が開始された。
ガスは建物の隙間を通じて室内に進入すると、未だ息をひそめていたパーパルディア兵や市民を外へ導いた。
たちまち瓦礫の隙間から、穴という穴から液体を垂れ流しせき込む市民や残存兵が出てくる。
陸戦隊員や空挺隊員は、それらを見つけ出していっては銃撃を加えていった。
もちろん対象は武器を持ったパーパルディア兵を第一とするが、先述した通り“何かこちらに危害を加えようとするそぶりを見せる”者についても、例外なく射殺されていった。
ある若者はただガスに苦しみ、目の前があまり見えないので手を前に出していただけだったが、手を前に突き出している段階で、魔法を発射してくるかもしれないという可能性もあるため、射殺された。
またある女性は、赤ん坊の顔をハンカチで覆うと、崩れた住まいから外に飛び出したが、抱えているのは爆弾の可能性もあるため、アフガン出兵で自爆兵の恐ろしさを知っていた空挺隊員によって射殺されている。
“多少の事故”はあったものの、大方ほぼ全ての敵兵の掃蕩に成功している。
海軍陸戦隊と陸軍挺進軍は、一日かけた掃蕩後、エストシラント制圧宣言を発表した。
中央暦1639年11月25日 19時48分
パーパルディア皇国 属領クーズ どこかの洞窟
銀髪の美女、レミールは洞窟の奥で泣きじゃくっていた。
洞窟の外を見てみると、遠方に燃え広がる町の姿がある。つい数日前まで、反乱の予兆があるということで視察に行っていた場所である。
今ではよくわからないバカでかい飛竜によって火炙りにされ、万単位の死者を出し続けている。
レミールは激高していた。
第三文明圏唯一の列強であるパーパルディア皇国に、このような仕打ちをした無礼者を、今すぐにでも“教育”してやりたかった。
外務局監査室の監査官であるレミールは、皇族の中でもエリートが配属される監査室で頭角を現していた若き職員であった。皇帝に見初められたこともあり、直々に各地を回って反乱の芽を摘むよう命じられていた。
本来、現在進行形で燃えている町は、レミール自身が燃やすはずの町だった。
慌ててエストシラントに使いを出したが、一向に戻ってくる気配はない。他の監査室の職員は、先の空襲に巻き込まれてレミール以外は死亡している。
通信用魔道具を用いても、エストシラントにある外務局監査室はもとより、レミール私邸の執事からも返事はなかった。
どうやら、皇都もここと同じようなことになっているのであろうと、彼女は悟っていた。そうは思いたくないが、そうとしか考えられない。
「どうして……どうして……」
列強パーパルディアが、今、正体不明の圧倒的な何かによる攻撃を受けている。
自尊心が人一倍強く、常時おごり高ぶる高飛車な性格だった彼女であったが、この時ばかりは皇国の、自分自身の無力さというものを痛いほど実感するに至っている。
そして、名状しがたい恐怖に襲われ、ただ肉食獣に狙われている小動物のように、ただ縮こまるほかなかった。
西暦2030年11月26日 8時23分
大日本帝国占領下 エストシラント パラディス城
二日ぶりに、銃声が聞こえない瞬間が訪れた。
先日からパラディス城に日本国旗がはためく中、日本陸軍・パーパルディア派遣軍司令官、参謀長、日本海軍陸戦総隊司令、艦隊司令長官らは、目の前に毅然とした態度で座る女性に対応していた。
「では、貴女は皇国政府の代表としてこられたと?」
参謀長の問いに、整えられた黒く長い髪の女性……パーパルディア皇国第1外務局長のエルトは首肯した。
「皇帝陛下は捕らえられ、閣僚連は全員消息不明です」
第1外務局、すなわち同じ列強を相手に外交交渉を行う名誉ある組織の長たるエルトは、淡々と確認できている事実を述べていった。
「宰相及び閣僚が行方不明のため、パーパルディア皇国では政府を代表するものがおりません。そこで本職が来た次第です」
「……なるほど。それで、政府代表者である貴女が来た理由について、お教えいただきませんか?」
軍司令官が口を開く。それに応え、エルトは持って来た鞄から数枚の書類を取り出す。
パーパルディア語であるため読めなかったが、通訳担当のアルタラス王国軍将校に書類を渡し、内容を読み上げてもらう。
エルトはアルタラスの将校がなぜここにいるのか勘繰ったが、結局のところ、彼の国も日本の勢力圏に入っていたのであろう。それ以上のことはいくら考えても分からないため、思考を放棄した。
「……以上、パーパルディア皇国臨時政府は、貴国軍に対し停戦を要請するものである。停戦後、72時間以内の講和会議の開催、及びそれらに関連する諸会議の交渉に皇国代表団は応ずるつもりである」
エルトが持って来たのは、講和の要請書であった。つまり、列強のパーパルディアが、よくわからない文明圏外国家である大日本帝国に、頭を下げたことを意味する。
読み上げる中、アルタラス軍将校の言葉の端々に興奮した様子が感じ取れる。彼ら文明圏外国にとって、初めて列強が、それもあのパーパルディア皇国が頭を下げに来たのである。
興奮するなというのも無理な話である。
対して、日本軍側は無表情のまま内容を聞いていた。最後にエルトの署名が読み上げられ、書類は参謀長に手渡される。
列強であるパーパルディアが、講和会議を要請したのである。こうなってはいくつかの属領を引渡すことになるだろう。それは致し方ない。
そんなその後の交渉で何を話すか考えていたエルトだったが、参謀長は書類を投げ捨てるようにエルトの方に投げやった。「話になりませんな」
目を見開くエルト。
「話にならない……とは、どういうことでしょうか」
「我々は既にエストシラントの大部分を制圧し、目下パーパルディア皇国全土に進駐中です。侵攻ではありません。“進駐”です。つまり、パーパルディア皇国は既に存在しないということです。そのため外交交渉などというものは存在しえません」
「ッ……!?」
11月24日に始まったパーパルディア侵攻作戦は、丸一日行われた各地への空爆作戦、そしてエストシラント攻防戦をピークに、残す所は日本陸海軍による残敵掃蕩のみとなっていた。
エストシラント攻防戦と同時進行で行われた属領、属国に対する侵攻作戦も、25日午後にはほぼ完了している。これらは初動の空襲により皇国軍は四分五裂し、現在日本軍地上部隊が都市部に進出していた。
人々は空襲で家が焼け落ちた絶望、怒りと同時に、皇国軍がいなくなり解放者の入場への喜びという複雑な感情の最中、ともかくパーパルディア皇国軍の残敵掃討を手伝っている。
参謀長の言った“進駐”というのは、あながち嘘ではなかった。
「貴女の祖国は滅びたのです。もはやこの星に存在しません。 ……仮に、もし、まだ国があり、“外交”が可能だったとして、貴女が我々の立場だったら、この提案を受け入れますか?」
「……」
エルトは何も言い返せず、机の下で両手に力が入る。
「……もういいですかな?」
脳内で次の一手を模索するうちに、だんまりしていたエルトに軍司令官が話しかける。はっと顔を上げると、そこには自信に向けられた大勢の哀れみの顔があった。
途端、目頭が熱くなってくる。泣いた姿を見せるようでは、外交官失格である。
無理やり泣きたくなる気持ちを抑えつけ、エルトは立ち上がった。
「分かりました。であれば、私がここにいる理由はありません。失礼いたします」
一礼して、部屋を出る。
戦場の後が未だに根強く残るパラディス城の廊下をカツカツと進んでいく。
今でこそ血痕や死体といった血生臭いものこそ掃除されていたが、崩壊している壁や破壊された家具などはそのままにされているものも多い。
昨日まで数百名、数千名の兵士が祖国のために戦い、そして死んでいった……そんな空間に、政府代表として乗り込んだ際は微塵も感じなかった重たい空気に、エルトは泣き崩れそうになる。
「(こうなることだったら、皆と一緒に死んでおくべきだった)」
エルトは自身の幸運さを呪った。
フェン王国懲罰に対する、国家戦略局の異常なまでの干渉に端を発し、監査軍東洋艦隊の壊滅……第3外務局で起きたことであるため、第1外務局の自分がかかわることはあまりなかったとはいえ、彼女自身の心のモヤモヤが晴れることがなかった。
そして彼女は5日前、エストシラントから離れたとある精神病院に向かっていた。そこに収容されている、元国家戦略局職員のヴァルハルという人物に会うためだった。
ヴァルハルと面会し、エルトは確信した。彼は精神疾患により世迷いごとを叫んでいるのではなく、きちんとした分析に基づき大日本帝国の危険性を訴えている、と。
エルトは彼から三日三晩、日本の技術力に関する説明を受けた。彼女は些細なことでも持ってきていたメモ帳に書き起こし、目の前の男が、一体何を見てきたのかを聞き取った。結果的に、それがエルトの命運を分けることとなったわけである。
エルトがエストシラント侵攻を聞いたのは、ヴァルハルと別れて帰路に着いた時のことであった。慌てて帰還した頃には、外務局庁舎は焼け落ち、城にはヴァルハルの言っていた大日本帝国の旗が掲げられていた。
そして今、最後の望みをかけ残った外務局職員らを集めて結成した“皇国臨時政府”の代表として向かったわけであるが、一蹴されてしまった。もはや万策尽きた。
「待ってください」
ふらふらと廊下を歩く中、自分を呼び止める声が一つ。振り向けば、ついこの間まで自分が会っていたヴァルハルその人が、自分の前に立っていた。
「……なぜ、あなたが」
「パーパルディア皇国は確かになくなりました。しかしエルトさん、貴女はこれからのパーパルディアに必要な人です」
服は日本製であろうか。パーパルディアのものではない。
もしやこの男、日本に寝返ったというのだろうか? そんなエルトの勘繰りにお構いなしに、ヴァルハルは話を続ける。
「戦後、日本は派遣軍を基に総督府を設置します。その際は、もちろん日本人の役人が多数出向してくることになります。ですが、それだけではこの広大なパーパルディアの領地を統治することはままなりません。つまり、エルトさんのように現地官僚も登用されることになります」
「つまり……つまり、なんでしょう。私に統治政府の役人になれと? 祖国を滅ぼした国の役人に?」
「はい」と、ヴァルハルは即答した。
「……ふ、ふふふ……」
エルトは可笑しくなり、力なく笑ってしまう。自分はパーパルディア皇国代表としてやってきた。それがたった数分の会談で否定された挙句、今度は日本の飼い犬になれと言われている。
これほどおかしな話は聞いたこともなかった。
「それに応じるとでも? この私が?」
「……それは、分かりません。ですがエルトさんのように優秀な外交官は、きっと――」
「ごめんなさい。私は皇国に忠誠を誓った身なので。それ以外の国の下で働くつもりはないわ」
断りつつも、エルトはヴァルハルの目を真っすぐ見つめる。
ヴァルハルもヴァルハルで、エルトを見つめ続ける。両者一歩も引かずに、数分が経過した頃……
「……はぁ、分かったわ。とりあえず、話だけでも聞いてみようかしら」
ヴァルハルの粘り勝ちだった。だが、エルトとしては働く気は毛頭ない。話だけ聞くだけ聞いて、適当にあしらって帰るつもりだ。
彼は笑みを浮かべると、いつの間にか二人の近くにいた日本軍将校にバトンタッチし、部屋に案内させられた。ヴァルハルはそれきりで、彼女は暗い部屋に入れられる。
「ここで合ってるの? ……ムグッ」
不安になり、将校の方を振り返った次の瞬間、数名の男たちが暗闇から現れると、エルトを取り押さえる。
慌てて抵抗しようとするが、首に注射器が刺され何かを注入されると、エルトは次第に意識が遠のいていく。
十数秒もすれば、エルトは完全に意識を失っていた。
事後、意識を失ったエルトを黒い袋に入れた男たちは、確認のための打ち合わせをする。
「“マルタ”はこれで合ってるな?」
「はい、間違いありません。訓練生第1号から提供された訓練生候補第44号です」
訓練生第1号。パーパルディア皇国元国家戦略局職員にして、ロウリア王国観戦武官であったヴァルハルという男につけられた名前。
パーパルディア開戦時には閑静な田舎の精神病院に収容されていたが、体内に埋め込んだ発信機により居場所が特定され、特務機関と挺進軍合同の特殊作戦により救出していた。今では総督府の前身となるパーパルディア派遣軍軍政部顧問として働いている。
ロウリア特務機関に属する男たちがセ号訓練によって洗脳した彼からの情報提供により、訓練生候補者に浮上していたのが、たった今運ばれていったエルトという女性であった。第1外務局長を務め、その秀才さは戦後の統治にぜひ欲しい逸材だった。
しかし、並々ならぬ皇国に対する忠誠心を持つ彼女を、ただ勧誘して軍政監部の文官役人にすることは難しい。だがそれが、逆に彼女をセ号訓練の候補者にすることになった。
セ号訓練は、愛国心が高い人物の意識にある“隙”に付け入り、潜在意識に日本に有利な行動を行わせるよう仕向ける洗脳操作である。
そのため愛国心や組織への忠誠心が高ければ高いほど効果は高く、反対に忠誠心やプライドがそこまで高くない者に対する洗脳効果は薄かった。
ドイツ国の親衛隊幹部がのきなみセ号訓練の被害を受けていたのは、その異常なまでに高い党への忠誠心ゆえだったのである。
「では、後を頼んだ。私は他のマルタ候補に接触してくる」
「ハッ。特高が既に動いていると聞きます。お気をつけて、大山大佐殿」
部下たちが将校に敬礼すると、大山と呼ばれた軍人は返礼し部屋を後にする。
パーパルディアが滅亡する前から、大日本帝国陸軍情報機関の暗躍は既に始まっていた。