中央暦1639年12月25日 10時45分
アルタラス王国 ル・ブリアス 軍事裁判所
「……以上の理由から、フィルアデス国際軍事法廷は被告人に死刑を宣告するものとする」
また一人、些細な罪でパーパルディア官吏の運命が終わることが決まった。
彼女は元パーパルディア皇国第3外務局の職員で、ただの受付嬢だった。特にこれといった罪を犯したつもりはない。ただ、文明圏外の蛮族国家からの使者が無礼な言動をしたため、罵声を浴びせただけだ。
顔を引きつらせ、言葉にならない言葉を必死に絞り出そうとする中、アルタラス王国近衛兵が彼女の両肩を乱暴に掴む。
傍聴席からは無数の罵声が彼女に浴びせられており、法廷の裏にある絞首台に連れていかれた。
「続いて、被告人第691号……」
元受付嬢の悲鳴が裏手から聞こえつつも、裁判長は平然とした顔で「次」と言った。
待機室の扉が開かれ、手錠を掛けられた太った男が現れる。次の瞬間、傍聴席の盛り上がりは絶頂に達した。先ほどまで静かに見守っていた傍聴人でさえ思わず席を立ちあがり、これ見よがしに罵詈雑言の限りを男に浴びせ続ける。
裁判長が近衛兵に命じ、傍聴人らを静かにするよう命じなければならないほど、法廷における雰囲気は被告人への憎悪で溢れかえらんばかりだった。
ある程度静かになったのを確認し、裁判長は判決文が書かれた紙を読み上げる。気持ちか、裁判長も目の前の男に対する怒りで声が震えていた。
「主文、被告人第691号ブリガスを死刑に処す」
その刹那、法廷内が再び喧噪に包まれた。
元パーパルディア皇国大使のブリガスは、最初こそ呆然としていたが、すぐにふざけるなと喚き散らす。被告人席から立ち上がると、裁判長に向かって走り始めた。
慌てて近衛兵がブリガスを抑え、彼は床とキスをする羽目になる。
そんな姿を見て、傍聴人たちは「殺せ」のシュプレヒコールを浴びせる。
『殺せ! 殺せ!! 殺せ!!!』
「静粛に!! 静粛に願います!!!」
木槌を叩く裁判長。しかし傍聴人の一部が傍聴席と法廷を区切る柵を飛び出しそうになったため、裁判は一時中断となり、さっさとブリガスを裏の絞首台に連れて行かせた。
かつて、アルタラス王国を一時的に亡国に陥れようとし、広く国民に愛されていた王室の処刑を扇動し、あろうことかルミエス王女を奴隷以下の慰み者にしようとした大罪人ブリガス。
アルタラス王国内に設置されたフィルアデス国際軍事法廷は、彼に問答無用の死刑を宣告した。
「嫌だ! 嫌だ離してくれぇぇぇぇ!!! ああああああああ!!!!!」
俯いたブリガスの顔を、近衛兵が後頭部の髪の毛を掴み引っ張り上げる。
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が傍聴人たちに晒され、彼に対する侮蔑の声や笑い声が裁判所内を包み込んだ。
絞首台に繋がる扉がバタンと閉まると、傍聴人だけでなく一部の陪審員まで勝鬨を上げる始末だった。
「これじゃあ中世の魔女裁判を見てるようだな」
ロウリア軍政監部司法部から派遣されてきた法務将校は、思わず苦笑した。隣にいた部下も、彼と同様にドン引きしていた。「まあ確かに、中世水準ですけどね」
パーパルディア皇国戦の後、大日本帝国はアルタラス王国及びフェン王国にフィルアデス国際軍事法廷を設置した。
軍政部から総督府に改組された後、総督府裁判所や司法省のほか、ある程度余裕が出てきたロウリア軍政監部司法部などから出向してきた検察官、裁判官、憲兵、法務将校、そして共栄圏諸国から招請された裁判官らによって開催されている。
フェン王国では主に軍人、アルタラスでは主に文官の戦争犯罪容疑者の裁判を行っていたが、アルタラスにおける熱意は凄まじかった。
それもそうで、フェンでは事前に日本軍によって上陸作戦を封殺していたため、大した犠牲は払っていない。しかしアルタラスでは、戦前に最重要資産であった魔鉱山と王女ルミエスの引渡しを要求し、さらに本土決戦の後、ルミエス除く王族を虐殺し、短い期間とはいえ皇国監査軍の将兵が乱暴狼藉の限りを尽くしていたのだ。
彼らのパーパルディアに対する憎悪の気持ちは、想像を絶するものとなっている。
裁判は苛烈なものとなった。
大日本帝国パルネウス総督府警務局から、次々送られてくる旧パーパルディア皇国文官ほとんどに、アルタラス法廷は死刑を宣告していった。
当初、死刑宣告後は王室が公開処刑された広場に設置された公開処刑場に連れていかれ、斬首刑に処されていた。
だが流石に非文明的だと日本から抗議がきたのと、余りにも処刑する人数が多いため広場が死体で埋め尽くされたこともあり、法廷の裏側を大改造し、宣告後に即処刑、さらにその裏にある焼却場で焼くことにより省スペース化が図られている。
とある法務将校は、この方式を「ベルトコンベア式」と形容した。
既に1000名以上の外務職員に死刑が宣告され、1500名以上の官吏に30年以上の懲役刑、もしくは終身刑が言い渡されている。特に第3外務局に至っては、死刑率が脅威の98%を記録している。
フェン王国で死刑に処されたのは、主に残虐行為を働いた皇国監査軍の将校らぐらいであり、そのほとんどは5年から10年の有期刑であることを考えてみると、異常な数値だった。
「これだけパーパルディアは恨まれていたということだ。これで清々してくれればいいのだが」
法務将校は、つい先日に処刑されたパーパルディア皇国皇帝ルディアスのことを思い出す。
もとより“皇国解体”を目指していた日本では、旧皇国勢力である皇帝以下、皇族は邪魔な存在でしかなかった。
戦後、様々な政治的利用が考えられていたが、アルタラスをはじめとし元属領、属国政府が相次いで皇帝の処刑を要求してきたため、ルディアスは絞首刑に処され、生き残りの皇族は全員が臣籍降下されていた。
皇帝処刑後、パーパルディア派遣軍は丁重にルディアスを火葬した後、エストシラント改め江州特別市に埋めている。とある属国から、ルディアスの死体を要求する一幕もあったが、渡せばどのように死体が凌辱されるか分かったものではないため、お断りしていた。
その代わりというわけではないが、第1、第2外務局のように列強や文明国相手に外交を司る職員については情報の宝庫であるため保護していたのを、第3外務局員の処遇は異世界人に任せることとしたのだ。
基本的に相手を見下してくるような奴らであるので、情報を履かせるだけ吐かした後は引き合わしている。それ以外の官吏については、司法取引を持ち掛けちゃっかり総督府職員として馬車馬のように働かせている。
「続いて、被告人第2913号……」
裁判ごっこは続くよ、どこまでも。
西暦2031年1月2日 8時02分
大日本帝国 パルネウス総督府 総督府庁舎
大日本帝国が異世界に転移してから、初めての年明け。一部の人々は年明けとともに元の世界に戻れると考えるものもいたが、良くも悪くも何もない年明けとなった。
終戦から1か月強が経った旧パーパルディア皇国・現パルネウス総督府では、正月三が日など関係なく、続々と舞い込んでくる仕事の処理に追われていた。
現地雇用の元皇国管理を総動員しても終わらない仕事量に、総督府では既に過労死するものも出ている。
「おはようございまーす……」
朝、総督府総督官房国勢調査課特別捜査室に出勤したエルトは、髪もぼさぼさで、見るからに元気がなかった。
給湯室に来ると、既に何度口をつけたのか分からないほどにまで使い込んだマグカップを手に取って、給湯器からお湯を注いだ。同時にザルの中に手を突っ込むと、無造作に紅茶の個包装を掴んで取り出す。
三丸紅茶が製造した、クワ・トイネ公国産のティーバックをマグカップにつけながら、エルトは席に戻った。
席に着くと、
最初こそ扱い方が分からず何度も泣きを見ていたが、この一か月の膨大な仕事を通じて慣れ切っていった。今では鍵盤を見なくとも……日本人官僚に比べれば大分ゆっくりだが……文字を打てるようになっていた。
「おはようございます、エルトさん」
今日の仕事のファイルを開こうとした時、隣で作業をしていた男がもぞもぞと動き出す。
エルトは手を止め、顔だけ男の方に向け挨拶を返した。男の目にはくっきりと大きなクマが出来ていた。
「おはようございます、ヴァルハルさん。昨日は結局帰れなかったんですか?」
ヴァルハルと呼ばれた男はあくびをしながら大きく背伸びをし、「その通り」と答えた。
「旧国家戦略局と情報局の財政状態、隠匿資産の有無、もろもろ調べていたら朝になってました……」
「そう、それは……大変ね」
紅茶をひと口すすったエルトは、ふうと息をつきながら机に向かい直し、仕事に手を伸ばした。彼女が今やっている仕事は、パーパルディアの属領統治組織である「臣民統治機構」が、属領に与えた影響に関する報告書であった。
残念ながら臣民統治機構の責任者は、のきなみ先の戦闘で死亡しており調査しようにもできなかったため、総督官房国勢調査室に置かれた特別捜査室に投げつけられたのである。
特別捜査室はエルトとヴァルハルの他に、大山と呼ばれる陸軍から出向してきた軍人、そして数人の彼の部下によって構成されていた。
この大山という男、どこかで見たことがあるような気がしたが、思い出せない。その話をヴァルハルにもしたが、同じような反応を示したことから疑問は尽きない。だがそんな思いも、数えきれないほどの仕事を前にするとどこかに吹き飛んでしまっていた。
特別捜査室は極めて小さなチームの割に、他部署から送られてくる仕事の量は半端がなかった。
近々新しい室員がやってくると室長の大山は言っているが、そういわれて早くも1か月経つ。流石にもう限界であった。
多種多様な仕事が舞い込む特捜室に休みはない。
「はい、エルトさん」
電計の画面と睨めっこしているうちに、気付けば昼時になっていたらしい。
大山が笑みを浮かべて即席麺を渡してくる。湯気と共に麺のいい香りが鼻を伝って脳内に刺激を与えてきた。
たちまち空腹感を感じたエルトは、感謝しながら即席麺をフォークで食べ始める。
対して大山は、総督府内の売店で購入してきたカレーパンを口に頬張っている。片手には紙パックの牛乳が握られている。
「大山さんって、本当にカレーパン好きですよね」
「ん? あ、ええ、好きですよ」
即席麺を啜りながら、エルトはふと思う。そういえば大山という男、いつもカレーパンばかりを口にしているが、それ以外の食事を見た覚えがない。どうやって健康を保っているのだろうか。
もっとも、エルト自身も最近は即席麺か売店の弁当ばかりで、人のことをとやかく言える立場ではないのだが――
それでも、大山には妙に掴みどころのないところが多かった。
麺を一気に平らげると、エルトは再び机に向かう。午前中いっぱい費やした仕事も、ようやく終わりが見えてきた。あとは報告書を仕上げ、大山の電計へ送信するだけだ。
13時過ぎ、やっとの思いで仕事を一つ終わらせたエルトは、一息つくために給湯器にお変わりの紅茶を取りに行こうとした。
その時だった。
「おーい、エルトくーん」
特捜室に、中年太りの眼鏡をかけた男が姿を現した。特捜室の上部組織であると同時に、他部署の厄介事を押しつけてくる忌々しい国勢調査課――その課長である。
エルトは怪訝な表情を抑え込み、きりっと顔を引き締めて課長のもとへ駆け寄った。
「はい、何でしょうか課長」
「エルト君、君は確か、元第1外務局の局長だったのよね?」
「あ、はい。そうですが」
「だったら外務局監査室という部署は知ってるね?」
「監査室……」
外務局監査室とは、各外務局で不正が行われたり、国益を損なうような事態が生じた際に介入する組織である。監査室は外務局に対する捜査権を持ち、ときには担当者の処分や、外交案件の取り上げさえ行う。
不正を許さぬため、エリート集団とされる外務局にあっても、監査室の構成員はすべて皇族、あるいは皇族に連なる者が任じられていた。
「その監査室の人間が、数日前に見つかったんだ」
「なるほど……生き残りということですか?」
当初、外務局監査室は外務局もろとも爆散したとされていた。しかしどうやら、その生き残りが一人見つかったようだ。
「ああ、それが確か……レミールって言ったかな、女性皇族らしいんだが、何か知ってるかね?」
「レミール……聞いたことはありますが、面識はないですね」
「そうか……」
課長は唇を噛みながら何やら思考する。
「監査室の人間だからね。戦後統治に必要な人材かと思って接触してみたんだが……心身ともにどうやら“抜けて”しまっていてね。そこで同じ外務局で、女性のエルト君にお話をお願いしたいんだ」
「は、はぁ」
この豚野郎、もとい中年野郎、また変な仕事押し付けられてきやがったなとエルトは心の中で悪態をつくが、愛想笑いして誤魔化す。
課長はエルトの肩をポンと叩き、「じゃ、よろしく」とだけ言って去っていった。
席に戻り、エルトは顔を両手で覆う。どうしよう、まだ仕事山ほどあるのに。
やがてエルトは、申し訳なさそうに自分の分の仕事をヴァルハルへ押し付けると、女性皇族が拘留されている部屋へと向かった。戦前の噂では、彼女は途方もなく自尊心が高く、傲慢な皇女だと囁かれていた。だが、目の前にいたのはその像からは程遠い――やせ細り、か弱く見える一人の女性だった。
かつて銀色に輝いていたはずの髪は煤にまみれ、衣服は装飾品の類が外れたり千切れたりして、もはやみすぼらしい。取調室に座す彼女は、俯いたまま、ただ沈黙を守っていた。
「失礼します……」
総督府警務局の警官に許可を取り、取調室に入室する。今この空間は、エルトと彼女の二人だけの空間だ。
レミールとかいう元皇族の対面に座りつつ、何から話そうかと悩んでいると、意外にもファースト・コンタクトはあちら側から取ってきた。
「……貴女、第1外務局長のエルトよね」
「ッ!?」
自分の顔を知っているのか、的確に役職まで当ててきた。
「ご存じなんですね」
思わずハハハと笑って見せると、レミールは顔を上げて彼女の目を見つめながら言う。
「貴女、祖国への忠誠心はどうしたのかしら。何故皇国を滅ぼした側に就いているの?」
「……」
エルトは答えに窮した。正直なところ、自分でもなぜこんな状況に至ったのか、はっきりとはわかっていなかった。気がつけば総督府の総督官房に身を置き、怒涛の一か月を過ごしていたのだ。
パーパルディア皇国への忠誠心が皆無というわけではない。だが今の彼にとっては、それよりも目の前の仕事に集中する方が大事だった。それまでの自分なら到底ありえない思考のはずなのに、どうしてこうなったのか、自分でも説明がつかない。
「貴女、それでも誇り高きパーパルディア皇国皇民なのかしら」
先ほどの弱々しい、まるで雨に濡れた野良猫の如く縮こまっていたレミールが、気付けば胸を張り、声を荒げていた。
しかし、そんなレミールもすぐに消沈してしまう。
「……そうだったわね。もう、皇国は滅んだのだったわ」
「……」
沈黙が、二人の間に訪れる。
「(気まず過ぎる……どうしよう……)」
もう帰りたいなどと思っていた矢先のこと、レミールの腹辺りから音が鳴り響く。
『……』
「あ、あの、何か食べます……?」
エルトの問いかけに、レミールは俯いたまま沈黙していた。だが、わずかに首が動いたのを見て取ると、エルトはすぐさま立ち上がり、記録係の警官に食事を用意するよう頼んだ。
やがて数十分後、レミールの前に湯気を立てる丼が置かれる。脇にはスプーンと、水の入ったコップも添えられていた。
「かつ丼っていうんですよ。こういう場では定番らしいです」
もっとも、それはエルトが見ている刑事ドラマでの話に過ぎないのだが――今はどうでもよかった。彼は「さあ」と促すように微笑み、レミールに食べるようすすめる。
久しぶりの温かな食事だったのだろう。レミールの瞳がぱっと輝きを帯びる。スプーンを握りしめ、恐る恐るひと口。
次の瞬間、その顔は嬉しさにほころんだ。
「美味しい……」
次の瞬間、レミールは丼を掴むと、夢中でかき込み始めた。若き皇族の女性が、取調室でかつ丼にがっつく――そんな光景を再び目にすることなど後にも先にも決してあるまい、とエルトは思いながら、その必死な食べぶりを黙って見守っていた。
やがて、米粒一粒残さず平らげたときには、彼女の頬には赤みが差し、顔色はすっかり生気を取り戻していた。
「……感謝するわ、ありがとう」
「それはどうも」
それからというもの、レミールの態度は少しだけ柔らかなものとなっていた。
エルトからの質問にはきはきと答えたと思えば、逆にエルトが今やっていることなどを興味津々に訊いてきたりもした。
「臣民統治機構なら、詳しいわ」
「……エッ」
思いがけない自身の仕事の突破口を見つけ、エルトは目を丸くする。
「私が……このような不潔な姿になる前、皇帝陛下直々に属領の調査を命じられていたのよ。あくまで主な任務は反乱の鎮圧であったが、他にも臣民統治機構の調査も行っていたの。臣民統治機構が陰で何かしているという情報はあったが、調査を予定していた国家戦略局の連中が他のことで騒いでしまってね。代わりに私が出向いてやったのよ」
「は、はぁ……それで、どうなったのでしょうか」
「真っ黒だった。どぶの如き汚さよ。臣民統治機構は確かに不正を働き、不当に臣民から搾取していた。その証拠のために報告する途中だったが……あいつらが攻めてきた。証人を町ごと焼き払ってしまったのよ」
「……なるほど」
「けれど、もう今はどうでもいいわ。臣民統治機構も、国家戦略局も、そして皇国そのものさえ、すでに過去のものなのだから」
レミールはひととき言葉を途切れさせ、沈んだ表情を見せた。
だがすぐに顔を上げ、気を取り直してエルトに問いかけた。
「私が総督府で働かないと言ったら、どうなる?」
「え、えっと、それは」
言えるわけがなかった。
事前に課長から、「もし働かないのであればアルタラス王国軍事法廷に突き出す」という文言を聞かされていたが、とても伝える気にはならない。
「処刑されるのね?」
「えっ、何故それを……あっ」
レミールは笑って見せる。「顔に出ていたわ」
「はぁ……」
度重なる疲労のせいか、もはやポーカーフェイスを保てなくなっていた。こんなことなら支給されたビタミン剤でも飲んでおけばよかった――そう悔やむエルトの前で、レミールは腕を組み、「死にたくはないわねぇ」と呟いた。
すでに見抜かれているのだ。隠しても無駄だと悟ったエルトは、腹を決めて説明を始めた。
「……上司によれば、もし総督府での勤務を断った場合、戦争犯罪人としてアルタラス王国にある国際軍事法廷に突き出すとのことです。軍事法廷では戦犯容疑者を審判するわけですが、アルタラスに送られて生きて帰った外務局職員はいないとの、もっぱらの噂です」
「そう……」
エルトの説明が終わり、数分の時を開いた後、レミールは意を決したように立ち上がる。
「私とて救いの手がある中、みすみす死ぬ選択肢を選びたくないわ。愛しの皇帝陛下も皇国も、今や存在しない。だけど、私はもっと生きたいの。死ぬぐらいだったら、多少の恥を選んだ方がいいわ」
「……と、言うと……?」
「私は……」
「……と、いうことで、本日付で特別捜査室に配属されたレミールさんです。はい拍手ー」
その日、総督官房特捜室に新たな仲間が加わった。
列強を相手に手腕を振るった外務局元局長、観戦武官として世界各地を訪れた経験のある国家戦略局元情報員、素性のよく分からない日本陸軍から出向してきた軍人たちに、元皇族……。
デコボコチームは今日も今日とて、舞い込んでくる仕事を処理し続けていくのであった。
「ふぅん、結局入ったんだな」
パルネウス総督府総督官房国勢調査課特別捜査室――通称「特捜室」。その室長である大山大佐は、部下からの報告に思わず眉を上げた。
女性皇族レミールが、セ号訓練(洗脳操作)を施されることなく自ら日本への協力を示したという。その事実は、大山のみならず特捜室に出向していた特務機関員たちをも驚かせた。部下が静かに分析結果を告げる。
「おそらく、この1か月に渡る逃亡生活で彼女の心情に変化が生じたのでしょう。事前の情報ではまずありえないことです」
大山はレミールの写真を見る。先ほど職員証を作成するために撮影された何枚かを頂戴したものであるが、気持ちか傲慢、高飛車な性格が顔に出ていることはなかった。
ただ何かに対する自信はあるようで、真っすぐな目をしている。
「そうかもしれないな。1か月か……よくそれだけ逃げられたもんだ。最後はどうやって捕まったんだ?」
「民家を訪れ、食糧を分けてくれと頭を下げて懇願してきたらしいのです。ちょうどそこがフィルアデス連合自治政府保安隊員の家で、そこに住むシルガイアという保安伍長が通報し、そのまま逮捕されました」
「そうか頭を下げたのか。大分丸くなったようだ」
「はい。それでいかがいたしますか? 訓練は実施しますか」
「いや、しばらく様子見しよう。反抗的なら教育だ」
「ハッ。了解しました」
特捜室……総督官房の「何でも屋」と呼ばれるその実態は、特務機関の隠れ蓑にほかならなかった。
当初の計画では、パーパルディア皇国の跡地全域を、陸軍主導の軍政監部による統治地域とするはずだった。しかし属領や属国から思いのほか早く独立宣言が上がったこと、加えて海軍や官僚勢力の強い反発もあり、その構想は頓挫する。
結果として、パーパルディア皇国の領土拡張以前の国号――パルネウス共和国時代の領域を切り出し、帝国直轄のパルネウス総督府とした。
一方、それ以外の地域には将来的独立を前提としたフィルアデス連合自治政府が設けられ、各国は戦後復興に取り組むこととなった。
そんなできるだけ陸軍勢力の干渉を防ごうとしていた総督府に、おいそれと表立って参加するのは難しい。
いくつかの特務機関や参謀本部情報部員らが出入りしようとしていたが、総督府警務局、特に特別高等警察を中心とする内務官僚に目を付けられ、断念することが何度かあった。
特捜室は、そんな陸軍の数少ない橋頭保の一つであった。陸軍軍人だけで構成されていてはいつか発覚する恐れが高まるため、偽装として特務機関に従順な訓練生を配属させていた。
レミールもそんな訓練生候補の一つであったが、自らの意思で特捜室に参加してしまったイレギュラーな存在になる。
大山は胸ポケットから煙草の箱を取り出す。煙草を口に咥え、特捜室に配属されている3名の現地人の顔写真を見つめるのであった。