西暦2030年1月27日 10時56分
大日本帝国 セイロン島沖合
大日本帝国が”異世界に転移した“という怪異現象から、早くも1か月が経とうとしていた。
内地と外地以外の地域……即ち、大東亜共栄圏加盟諸国やその他第三世界国家群、そして日本の仮想敵国である超大国である大ドイツ国とアメリカ合衆国といったすべての国・勢力が消失したことにより、日本は大混乱に陥った。
あの1990年代から2000年代にかけて世界中を襲った恐慌から回復を見せ、「もはや経済不況から脱した(ドヤ)」などと経済白書にわざわざ書かれるほどにまで経済復活を遂げた大日本帝国だったが、100兆円を超す対外投資も、上向きだった経済市場も、すべてがこの異世界転移という特異事象により吹き飛んでしまったのである。
特に死活問題だったのが、”帝国の食糧庫“として機能していた大満洲帝国、日本の産業基盤として多大な貢献を成して来た中華民国といった同盟国、地域が消失したことは、日本を最大限に焦らす要因となった。
現状確認できる範囲では、大日本帝国は直轄領……本国、樺太、朝鮮、台湾、東印度(馬来半島及びインドネシア、ニューギニア)、南洋諸島、セイロン島を抱えて異世界に転移した、ということである。それ以外の領土は前述した通り消失している。
日本政府は混乱を鎮めるために緊急勅令として戒厳令を布告。夜間外出禁止令、食料品との消費財は配給制度とし、石油等の戦略物資の使用制限をかけ、帝国陸海軍は戒厳司令部を設置し、それまでの対立関係の態度をいったん棚上げにして懸命に情報収集を図った。
軍事のドイツ、科学の米国、そして金融の日本と呼ばれ、地球では80年以上続く三つ巴の冷戦に勤しんでいたわけであるが、金融は特に相手があるからこそ成り立つものであった。それがすべて焼失したということは、即ち超大国としての落日を意味する。
せっかく20年来の軍部独裁から民主化を遂げた日本であるが、史上最大の、これまでに経験したことのない未曽有の大事件に再び国軍蹶起が噂される中、不安定な時の立憲政友会・相愛党連立内閣は事態の収拾に終始した。
『自分たちは異世界に転移した』
という、未だに信じられない臣民の方が多い事実に対し、日本政府は一つの希望を見出した。
その希望とは、「水も空気もある惑星なのであれば、この世界にも他に国が存在するかもしれない」というものである。
現にそれは、それはすぐに、セイロン島にある海軍所属の陸上哨戒機が答えとして持ってきてくれた。
そこで最初に見つけたのが、ロデニウス大陸であった。
「前方より帆船群接近。
大陸とも島とも呼ぶのに微妙な陸地……後にロデニウス大陸と呼ばれていることが判明したため、日本でも大陸と呼称することを閣議決定している……の沖合に、帝国海軍第四艦隊の面々が停泊していた。
艦隊旗艦である尾張型原子力航空母艦『伊予』の艦橋から、第四艦隊司令長官は遠方よりゆっくりと近づいてくる帆船群を眺めていた。
「あれが我々を攻撃しようとした国の海軍か」
長官の問いかけに、参謀長が頷いた。「そのようです」
帝国海軍がこの大陸を発見したのは、実は今から2週間前のことだった。
セイロン島のトリンコマリー軍港を母港とする第四艦隊は、大東亜共栄圏加盟国であり、中近東のドイツ陣営、そして近年イスラム革命の結果、イスラム化が進む中東諸国の影響から南インド、インド洋地域を防衛するための最前線基地として整備されてきた。
そのため、比較的最新型の兵器が配備されている。
そんな第四艦隊所属の陸上哨戒機「南海」が、大陸を発見した……というのが、ことの顛末である。
その後、海軍は大陸に対する航空偵察を頻繁に行っていった。それ以外にも島や大陸は見つけたが、とりあえず最も近い大陸と呼んでもいいほどの大きさを誇るこの地域に優先順位をつけている。
残念なことに、海軍がせっせと打ち上げていた偵察衛星はそのすべてが異世界転移の影響で消失しており、当面の間、頼みの綱となるのは航続距離1万キロを誇る南海ぐらいしかなかった。
艦艇の派遣も議論されたが、海図もない中で軍艦を派遣することは危険が伴うということで、一旦は近海の測量が終わってから実施されることになっている。
そして1月も半ばを過ぎ、遂に南海が現地勢力である飛竜に発見されてしまう。南海の操縦員はこの際、発覚してしまえば事は動き出すと考え、そのまま異世界の町まで突き進み、それまで隠れながらやっていた偵察活動を、正々堂々と情報収集して帰って見せたのである。
むろんその操縦員はこっぴどく叱られた後、地上勤務になったのであるが、ともあれ発覚してしまったもの仕方がない。
件の海域の測量も大方が終わったため、満を持して日本政府は異世界勢力との接触を開始することを決めた。
接触するにあたり、初動をどうするかという議論がされたが、相手方が中世レベルの技術水準の国家と分析されたため、ここは幕末の砲艦外交よろしく国力を見せつけ強気に交渉するが吉という意見が散見された。
そのため外務省特使を民間船に載せるのではなく、海軍の輸送艦に乗せ、護衛に第四艦隊総出撃の下に行うことが命じられた。
かくして、8万トン級原子力空母の『伊予』と、それを護衛するための巡洋艦、駆逐艦合わせて50隻を超す艦隊が、勇躍トンコマリーを出撃する。
外交団と第四艦隊は新大陸……クワ・トイネ公国貿易港マイハークに向かったわけである。
ちなみに、これとは別に“もしも”の事態に備え、艦隊後方には戦略爆撃機「富嶽改」や、陸軍からも戦略爆撃機「巨龍」が派遣されており、機内にはメガトン級の熱核兵器を搭載して飛行待機している。
これらは、万が一新大陸の住民が好戦的であり、日本にとって脅威と判断された場合には、熱核兵器を投下して屈服させようという戒厳司令部の一部参謀によって独断で指示されたものである。
とはいえ、これらはあくまで最終手段であることを忘れてはならない。
その前に、まずは『伊予』空母飛行隊による航空攻撃、巡洋艦、駆逐艦による艦対地誘導弾による精密攻撃の後、洋上待機中の海軍陸戦隊が橋頭保を確保するために上陸を開始する手はずだった。
「臨検隊、出発!」
クワ・トイネ公国海軍第2艦隊に属する帆船から、手漕ぎボートが出立していく。数は十数隻で、各ボートには3名から4名の臨検隊員が乗り込んでいた。
いやはや、しかし、いかんせん数が多い。
国籍不明艦隊はその大きさもさることながら、50隻以上いる。これらすべてを回るには限界があるため、特に一番大きな330メートルクラスの艦艇に臨検隊は向かっていた。これが国籍不明艦隊の旗艦と踏んだのだ。
果たして、その予想は正しかったようだ。
圧巻だった。
これまで数々の不審船に乗り込んでは、時に交戦し、時に船員を取り押さえていった歴戦のつわものであっても、目の前に停泊する艦艇を前にしては、震えが止まらなかった。
「何なんだこれは……これが本当に船なのか……? まるで要塞ではないか!」
臨検隊が臆する中、出迎えはあちら側からやって来た。舷側から船員らしき男たちが降りてくると、臨検隊を中に招き入れたのだ。
臨検隊はまず甲板に案内された。300メートルを超す広大な飛行甲板に降り立つと、純白の軍服に身を包んだ者とは違う、黒い服を着た男たちが近寄ってくる。臨検隊長らは一瞬身構えるが、どうやら敵対する意思はないようだった。
両者が、互いを牽制するような目つきで見合う中、口を開いたのはきりがないと思った臨検隊長の方からだった。
「こほん……我々は、クワ・トイネ公国海軍第2艦隊だ。現在、クワ・トイネ軍は厳戒態勢にある。貴船団は現在、我が国土に近い海域にいる。貴船団の所属、及び航海目的をしらされたし」
隊長が不安を胸にしまいながら、いつものように問いただすように訊いた。
男たちはびっくりしたような顔をすると、すぐに応答した。
「言葉が通じるのですね。それは良かった。はじめまして、私は大日本帝国特命全権大使の田中と申します」
「大日本帝国ぅ?」
「聞いたことがないのも無理はありません。我が国は1か月ほど前、この世界に転移してきたのです」
「……は? 転移?」
ぽかんとする隊長に、田中は詳しく説明した。隊長は半分も理解してないようだったが、とにかく日本という国がクワ・トイネに最接近していることは事実なので、改めて航海目的を問うた。
田中は「そうでした」と手をポンと叩き、言葉を続ける。
「我が国は貴国……クワ・トイネ公国との外交交渉に参った次第です」
「外交……すると貴国、大日本帝国は我が国に対する交戦の意思はないと考えてよいのか?」
田中は強く頷いた。「はい、まったくありません」
これは半分が本当で、半分は嘘である。
確かに日本としては異世界の勢力と一戦交えないに越したことはないが、いざとなれば目の前にいる異世界人を海に叩き落し、隊長がいう“まいはーく”なる港湾都市を焼き払って新世界に植民地をおったてるつもりであった。
応答次第では、今にでも帝国海軍第四艦隊はクワ・トイネとかいう国を石器時代に戻せる戦力がある。後方には件の戦略爆撃機群も用意されている。
クワ・トイネ人の見えないところには、攻撃合図を今か今かと待ちわびている編隊がいるとも知らずに、隊長は何度か頷いた後、「そうか、分かった」とだけ言った。
結果として、日本とクワ・トイネとの間で戦争に発展することはなかった。
臨検隊の隊長は直ちに船に戻り提督に事の始終を報告すると、提督は遠距離用通信魔法具で陸上の艦隊司令部に連絡。その連絡は絶賛議論中だった政治部会に届けられた。
数時間後、第四艦隊はクワ・トイネ第2艦隊の案内により、マイハーク港に寄港することが許可された。もっとも、湾内に入ってもいいとされたのは特使の乗る船一隻……それも空母では大きすぎて入らないというので、玉波型駆逐艦に移乗している。
もっとも、その比較的小型とされる玉波型でさえ全長175メートルに至るため、この世界の港湾にはどうにも狭く感じざるを得ない。
会談場所に設定されたクワ・トイネの港湾都市にして経済都市マイハークは、日本艦隊の来航により大混乱に陥っていた。
さながら幕末日本の黒船来航である。
イーネ団長率いるマイハーク防衛騎士団が各所を奔走し混乱を収束させているため、次第に落ち着きは取り戻しつつあった。
が、先遣隊として上陸してきた“大日本帝国人”を名乗る軍人が商魂たくましく接触してきたクワ・トイネ商人に「異世界からやって来た」という話をぶっちゃけてしまったため、商人を通じて再び市井は騒ぎになりつつあった。
「宰相閣下、到着いたしました」
「ありがとう。では、行こうか」
首都から出発したカナタたちがマイハークに到着したのは、翌日の夜遅くのことだった。
イーネが出迎える中、カナタはそこで一泊し、翌日の朝になってから面会すると先方と約した。
すると先方は闇討ちを警戒してか、なんと飛行機械を埠頭まで呼び寄せ、湾内に停泊する竜母……彼らがいうには“航空母艦”なる艦種の船らしい……に戻っていってしまった。
飛行物体からはなんら魔力が感じ取れず、高度な科学技術によってのみ使われていることが発覚し、カナタはとんでもない国と出くわしてしまったと不安を隠せないでいた。
彼の眼には、港湾内と、沖合に停泊する巨大な艦艇群がくっきりと写っていた。
会談は1月29日の10時頃から始まった。
場所に設定された地元の商工会議所には、カナタの他にも外務省の実務担当者もおり、万全の状態で交渉に臨んだ。
対して、大日本帝国を名乗った使節団は見たこともない品質の服を着た者たちであり、こちらも外務省系の担当者が主として参加していた。
「会談に先立って、日本外交団にお聞きしたい点があるのですが」
会議冒頭、クワ・トイネ公国の代表者であるカナタが手を上げる。一方、日本使節団の代表者である田中がどうぞと言うと、カナタは立ち上がり話を続ける。
「先般、未確認騎がここマイハーク上空に侵入しました。そのことについて、日本にお聞きしたいのです。まず第一に、その未確認騎は羽ばたいておらず、我が国の分析によれば、飛行機械である可能性が高いということですが、こちらは日本の所属騎であるかどうか、第二に、その未確認騎はこのマイハークを周回した上、どこかに消え去りました。もしこれは日本の所属のものであったとするならば、その周回した目的についてお聞きしたいです」
カナタが話し終えると、田中は座ったまま答えた。
「お答え致します。まず一点目の未確認機についてですが、そちらは我が国の陸上哨戒機であることに間違いありません。続いて二点目については、我が国の軍機であるため明確に説明することは適いませんが……端的に、決して貴国に危害を加えるつもりではないことだけは、保証いたします」
「なるほど、ありがとうございます」
「(やはり……! 未確認騎というのは日本のものだったか)」
カナタは笑顔で感謝を述べると、改めて会談の内容に入ることにした。
会議は終始、日本側に圧倒される形で終わった。
冒頭、配布された日本語資料が読めないことが分かると、日本代表団は投影機(プロジェクター)により大日本帝国に関する紹介映像を流した。
映像は30分ほどにまとまっており、前近代から明治維新、日清・義和団・日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵……そして第二次世界大戦という華やかな歴史を語る。
その後は2030年時点における大日本帝国の政治、経済、軍事状況などを説明し、クワ・トネ側の度肝を抜かせた。
それもそうで、面積は島嶼部含めて355万平方キロ、人口は7億人、陸海軍の二軍制で、常備軍は150万名を超し、現在は戦時体制に移行しつつあるため250万を数えるという。
どうあがいても勝てる相手ではない……少なくとも、今の説明は本当だとするならばの話であるが。
あるクワ・トイネの外務官僚が、信じられないと声を漏らしたのを、田中は見逃さなかった。
「では御覧に入れて差し上げましょう」
会談はいったん中断され、カナタ含むクワ・トイネ側交渉団は外に出された。
田中が何やら板のようなものを耳に当て、何かを吹き込んでいる。
後に聞くと、“携帯電話”と呼ばれる通信具のようだ。魔法がないとのことで、日本はどうやらムーのようにすべてが機械で構成される文明だと推察された。
しばらくして、海上を高速で移動する小さな艦艇が現れる。
あれは何だとクワ・トイネの外務卿が尋ねると、白色の軍服に身を包んだ男が答えた。
「あれは気泡型揚陸艇と言いまして、下部から空気を噴射して浮きながら進む揚陸艇です。帝国海軍では輸送艦に数隻搭載されており、浮いているため多少の障害物を乗り越えながら、浜辺への上陸が可能となります」
気泡型(エアクッション)揚陸艇が浜辺に到着すると、前の扉が開き、一輌の巨大な地竜が現れた。どうやら日本側の説明によれば、“戦車”と呼ばれる機械兵器らしい。
白色の軍服に変わって、青褐色の軍服を着た軍人が性能を読み上げるように言う。
「今降りてきたのは、帝国海軍陸戦隊及び帝国陸軍で使用される新型の六八式戦車です。十二
『……』
クワ・トイネ側は、降りて来る「戦車」、そして戦車よりも比較的軽武装ながら、機動性の優れている「装甲車」、車輪により駆動し、背中に十何名の兵員を積載する「自動貨車」などを眺めながら本能的に悟った。
この国と争ってはいけない、と。
また同時に、カナタはこの国が、ロウリアやパーパルディア皇国のような覇権国家でないことを祈ることを止まなかった。
しかし、現実はそう甘くなかった。
「……それでは、会談を続けましょうか」
充分国力(という名の軍事力)を見せつけたことを確認するや、田中特使は微笑みながらカナタに向き直る。
カナタは引き攣る顔を抑えながら、小刻みに何度も頷いた。