西暦2032年6月15日 9時24分
大日本帝国 タルクリス島セキトメイ 来栖軍司令部
予想外の熱核戦争後、大本営は日本を除く大東洋共栄圏軍を帰還させ、厳重な情報統制を強かせた。しかし噂は瞬く間に全世界に広がり、箝口令は意味がないということですぐに解かれている。
戦後も、旧クルセイリース大聖王国を、軍政部から発展せず来栖軍が統治しているのも、陸軍による完全な統制下に置くため、共栄圏諸国はおろか、自国の文官僚にも漏らさないように徹底するためだった。
現在クルセイリース本土は、残留放射能の関係から立ち入りを禁じられている……と、いうのは建前であり、実態は来栖軍憲兵隊による“住民狩り”が行われているのを、外部に見せないための方便であった。
一部は本当に放射能が残っており、放射線障害で悩まされるクルセイリース人がいるにはいるため、完全な嘘とはいえないのが、なおさらたちが悪い。
高坂軍司令官はそんな彼らに治療を施さず、むしろ五体満足なクルセイリース人を収容し、タルクリス島内に設置した“病院”に入院させていた。
病院は、来栖軍防疫給水部……通称9314部隊が管理運営するその施設は、3500名という軍医、研究員、衛生部員によって構成される巨大な研究実験施設である。
日々憲兵隊が収容してきたクルセイリース人を検査し、クルセイリース大聖王国と古の魔法帝国との関係性、そして魔導文明そのものの解明に当たっていた。
研究施設では人体解剖や人体実験といった、およそ倫理的に筆舌しがたい研究が行われているが、そこまで非情な処置を取るには理由があった。それは、クルセイリースが古の魔法帝国・ラヴァーナル帝国の用いたとされる兵器……コア魔法を使用してきたためである。
なお、実際は、むしろ魔帝を倒すために作られたとされるキル・ラヴァーナルだったのであるが、それを知る当事者たちはのきなみ核で吹き飛んでしまったため、大本営は致命的な勘違いを犯していた。
すなわち、
『クルセイリース大聖王国は、古の魔法帝国と関係のある国家である』
と。
そう結論づけてからは、尋常ではない速度で物事は進んだ。
表立っては、タルクリス島に「魔導文明研究所」の支所が置かれている形となったが、実態は各地から集めた優秀な学者や軍衣を集結させた「魔帝対策研究所」であった。
そして、そのさらに裏側に、9413部隊の実験棟が存在する。
タルクリス島では、憲兵隊による情け容赦ない住民狩りが行われ、老若男女問わず捕縛されると、健康なものはタルクリス島に送られ、付き従った軍医に衰弱者と診断された者は、周辺の労働キャンプに収容されるか、その場で処分された。
当初は1万人から5万人ほどの実験体の確保を予定していた9413部隊も、本国から「魔帝との関係性を探るべし」という指令を受けた高坂からの指示により、今では30万人以上の確保・収容が行われている。
『少しよろしいでしょうか』
高坂中将が、9413部隊長の春道軍医中将から呼び出されるのは、いつも唐突なことだった。一応上司であるのだが、自身の事件のことになると、上下関係なく自分勝手さを前面に押し出してくるのは、彼の悪い癖である。
セキトメイ基地近郊にある実験棟まで移動した高坂は、憲兵に案内され春道のもとまで向かう。
「来ましたね、高坂さん」
白衣姿の春道は、実験室の窓越しに高坂の姿を認めると、口角を吊り上げ、ゆっくりと近づいてきた。
室内では、彼が手を下していた実験体がまだ解剖台の上に横たわっている。血と薬液の匂いが漂う中、春道は一切気にする様子もなく席を離れる。
助手たちが慌ただしく駆け寄り、残された作業を引き継いで手を動かす姿だけが、異様な空気をさらに際立たせていた。
血まみれのゴム手袋とマスクを脱ぎ捨てると、彼は高坂の手を引っ張り会議室に入った。
席に座らせ、助手を呼んで大きな板を運び入れさせる。見た瞬間、高坂は目を丸くした。
「やっとできました。人体内の……我々は、仮称で“魔素神経”と呼んでいますが、その全貌です」
板に張り付けられていたのは、アジの開きならぬ“人間の開き”だった。
各所に名称が書かれた紙がピン止めされており、一目でどのような流れになっているのかが分かる。強調されていた管は、その血管のような細い管は、赤くもなく、白くもなく、禍々しく濃い紫色に染まっていた。
「これまでの研究で、我々は“魔素”と呼ばれる未知の物質を分析しようと試みていました。しかし、そのことごとくが失敗に終わっていました。理由としてはいたって簡単です。魔素という物質が、我々の最新機器をもってしても観測できなかった点にあります。ですが、今回、大量の実験体を解剖することにより、ある共通点を見出したのです」
「……それが、この“魔素神経”と?」
高坂の言葉に、春道は大きく頷いた。「おっしゃる通り」
「我々はこれまでに1万体ほどの実験体を解剖してきましたが、ある共通点に気付きました。実験体は我々と同じヒト族で、臓器や骨の数などほぼすべてが一致していました。しかし、我々にはない“余分な神経”があることを発見しました。それは実験体によって、太かったり細かったりしていて、次第に法則性を見つけました」
「法則性?」
「はい。実験体の職業や職階、地位によって、この“線”の太さが異なるのです。たとえば、こちらの開きになっている個体は元軍人でした。ご覧いただければわかるように、紫色の管――“魔素神経”がはっきりと確認できます。
一方、隣に並んでいるのは八百屋で働いていた女性です。こちらは明らかに細い。つまり、生前に地位や役職を持っていた者は太く、平凡な庶民ほど細い傾向があるとわかりました。
当初は、肉体労働や激しい運動を行う者に比例するのかと考えていました。しかし、先日入手した元宮廷魔術師の男を解剖したことで、この線の本質が判明したのです。いわゆる“魔法”を扱える者に限って、魔素神経が太くなる。
これまで我々は、地球世界には存在しないワイバーンやゴブリンといった非知的生物ばかりを解剖していたため、気づきませんでした。だが、この世界の生物には例外なく、この“魔素神経”が存在する。そして、この神経を通じて魔法を行使しているのです。しばしばこの世界で使われる『魔力が大きい、小さい』という表現も、この魔素神経の太さを指しているものと考えられます」
「……なるほど」
春道の熱弁が落ち着いたところで、高坂は質問する。
「我々が魔法を使えないのは、つまり、この魔素神経が体内に存在しないからということだな?」
「はい、おっしゃる通り。そこで私は考えました。この魔素神経を使えば、我々でも魔法が使えるのではないか? と」
春道は再び興奮し始め、控えていた助手を呼び出し、「例のものを」という。
助手らが慌ただしく部屋を後にすると、事前に用意していたのか、数分後には何かを持って部屋に戻ってきた。
春道はそれを受け取ると、高坂に手渡した。「丁重に扱ってくださいね」
“それ”は、無数のひもによって構成されており、鉄兜から延びたひもは、手袋に繋がっていた。
これから何をされるのか、いまいちピンとこない高坂は、首を傾げた。
「こちらは私の方で開発した疑似魔法体験装置です。ひもは実験体から摘出された魔素神経を、合成樹脂で保護してあり、鉄兜から魔素を流して手から魔法を出す体験ができます。もっとも、体内で魔素が流れる体験はできませんが」
「なるほど、それでどうやって魔素を流すんだ?」
「はい。まず、鉄兜に取り付けた箱に魔石を入れます。魔石はアルタラス王国産のものを使用しております。高純度の魔石の方が、非常に良好な結果を残したためです。続けて魔石を尖らせ、木で挟んだ筆……というよりも、原始的な鉛筆ですね。それで鉄兜に魔法陣を描きます。そうすれば魔法陣と魔石が反応を起こし、魔素神経を通じて手袋から魔法が射出されます」
とりあえずやってみましょう、と、春道は助手から受け取った“魔石ペン”を手に取る。
先端には削られた魔石が取り付けられており、彼は鉄兜に何かを描き始める。同時に助手が鉄兜の上部にある箱に小さな魔石を数個入れる。
魔法陣が描き終わると、春道は高坂の前に移動し笑みを浮かべた。
「残念ながら、魔素神経を持たぬ者が描いた魔法陣は威力が弱く、また発動までに時間がかかります。ですが少し待てば、低威力ながら射出されますので、少々お待ちあれ」
「ああ、分かった」
返事をしてから数分後、ふと鉄兜が生暖かくなるのを感じる。
春道は腕時計をチラ見して何かを確認すると呟いた。「そろそろですね」
「高坂さん、手を前に突き出してください」
「ん、こうか?」
高坂は指示された通り両手を前に出す。すると次の瞬間、鉄兜から手袋を繋いでいる合成樹脂が少し膨らみ、手袋から火の粉が飛び散った。
初めての感覚に驚く高坂。
「……」
「……」
しばしの間、二人の間に微妙な空気が流れる。
「……これで終わりか?」
「はい、終わりです」
思っていたのより呆気なかったものの、春道ら軍医たちは満足げな顔を見せている。どうやら体験は成功したようだ。
鉄兜と手袋を慎重に脱ぎ、軍服に着替えると高坂は少し思案した後、感想を述べた。
「正直もっとこう、火球を生み出したり、風呂一杯分ぐらいの水を出したりするのを想像していたが」
「ハハハ、冗談がお上手のようで。これが、我々魔素神経がない者の限界ということでしょう。より効率の良い疑似体験装置の制作は、余暇活動として取り組んでおりますが、本題はここではありません」
「本題?」
「今回、疑似魔法体験装置は、“ナマモノ”です。人体解剖によって摘出した元軍人の魔素神経を使用しております。そのため神経の太さはある程度ありますが、それでも限りがあります。太さに比例して魔力、そして撃ち出せる魔法の程度も大きくなります。そこで想像していただきたいのですが……」
一呼吸おいて、春道は言う。
「もし人工的に、極太の魔素神経が作れたとすれば、どうなると思いますか?」
「人工……魔素神経か」
「残念ながら、そこら辺の水道管を持ってきても魔素は流れません。まだ分析中ですが、魔素神経は特殊な成分によって構成されております。ですがもしこれが解明されれば、人工的に魔素神経を製造することも可能でしょう。現状発見されている魔素神経の中で、最も太いものでも1ミリも満たない。もしそれが1センチの魔素神経が作られれば? 100センチでは? ……程度は低いですが、魔素神経を持たぬ者でも魔法陣を描けば何等か反応します。それを魔素神経の太さで補えば……純粋水爆だって不可能ではありません」
「大きく出たな」
水素爆弾には、核融合の際に巨大なエネルギーが必要となる。そこで原爆を用いて補うのであるが、これにより大量の放射線をばらまくこととなる。
しかしその原爆を用いない水爆、即ち純粋水爆であれば通常の水爆よりも残留放射能も格段に少なくなり、“クリーンな爆弾”としての運用も可能となる。
また、現在国内で数か所でしか運用されていない核融合炉も、人工魔素神経を応用することにより新たな発電方法も開発可能……かも、しれないわけだった。
視察時間が終わり、高坂は春道に見送られ軍用車に乗り込む。
窓を開き、春道に別れの挨拶をする。
「楽しかった。今後も精進してくれ」
「ええ、もちろんです。高坂さんもお元気で」
車が走り出す。春道は大手を振って高坂を見送り、車が見えなくなるとポケットに手を突っ込み実験室に戻っていった。
春道久雄。東京帝国大学医学部を首席で卒業し、一般研究所を経て陸軍省医務局に招請、そのまま医務局に勤務し、軍事研究に没頭した。
底なしの探求心のせいか、アウト寄りのアウトな実験を日々繰り返していた結果、2010年代中頃に羊や牛、豚のクローンの生成に成功する。そして2026年、自身の娘「タキ」、そして息子の「五郎」のクローンを生成してしまった男である。
今の今まで内地の医務局で働いていた彼であったが、それに目をつけた高坂の誘いから来栖軍防疫給水部長に任じられ、今に至る。
魔素、魔力、魔法の関係は大方分かった。
しかし、課題は山積みである。むしろ増えたといってよい。
先述した人工魔素神経の生成の他にも、地球人と新世界人を掛け合わせると魔素神経はどうなるのか、地球でやったように、新世界人も体外受精及び体外培養可能なのか……などなど。
およそ倫理的にどうかと思われる実験の数々を、これまでやってきた。それは今後も続くであろう。
「次は何しようかな~」
次はどんな実験をするのか実験ノートに書き綴りながら、春道はひとり笑みを浮かべるのであった。