ガシャンガシャンという足音が鏡次の耳に届いた。
その音はまるで、重厚な鎧を身につけた人間が走っているかのような足音で。
振り返ってみれば、国重哲治が走ってくるところだった。
彼は鏡次たちの元へ駆け寄ると、声を荒げた。
「お前ら、こんなところで何をしているんだ!?」
「彼女が足を怪我してしまって……! 今は治療をしているところで」
「そんなことをしている場合ではない! 足止めはしておいたが、奴がいつここへやってくるか分からんのだ! お前はその子を抱えて走れ! 急げ!」
「は、はい!」
言われるまま、鏡次は愛を抱きかかえて走り出した。その少し後を国重が続く。
身体能力的に考えれば国重が抱えて走るべきだと思うだろうが、もしもレッドヴァンウルフに追いつかれた場合、再び国重が足止めをすることになる。
だから鏡次に運ばせて、自分はいつでもレッドヴァンウルフの相手ができるようにフリーな状態でいるのだ。
「……まずいな、追いつかれた!」
もうすぐ二階層への階段に差し掛かるというところで国重が叫ぶ。
まだ姿は見えないが、彼の敏感な察知能力がレッドヴァンウルフの気配を感じ取ったのだ。
「お前は階段を上がってそのまま地上を目指せ! 俺は後から行くが、次に追いついた場合は助けてやれんぞ!」
「っ! はい!」
国重とて無限に戦えるわけではないし、自己犠牲の精神があるわけでもない。
彼は自身の力量を正確に見極めており、できる限りの範囲で仲間を守ろうと行動しているが、何しろ敵の実力が違いすぎる。
国重の見立てでは、あのレッドヴァンウルフの強さは少なくとも五芒星〈ペンタグラム〉、下手をすれば六芒星〈ヘキサグラム〉に匹敵しかねないと見ている。
対する彼の等級はフレームであり、等級が一つ上、もしくは二つ上の怪物が相手だ。
ここまで実力が離れると、もはや相手にはならない。
それでも国重がまるで対等であるかのように足止めできるのは、タンカーの強力な防御スキルのおかげだった。
もしも彼がタンカーではなく、アタッカーやヒーラーのフレーム等級だったとしたら、演習メンバーは全滅していただろう。
「……来やがったな、犬っころ! シールドオブウォール!」
走ってきたレッドヴァンウルフを前に、再び光の壁を展開した。
しかし、レッドヴァンウルフは止まるどころか更に加速し、頭から光の壁に突っ込んだ。
ゴシャアッ、と前よりも凄まじい音が鳴り響き、光の壁はバキバキにひび割れた。
「うおぉ、マジかよ……!」
先ほどよりも明らかにパワーが上がっており、光の壁はすぐに壊れるだろう。
国重は盾の持ち方を変えることにした。
通常、盾の裏側にはベルトが二つ付いており、一つ目に腕を通して二つ目をしっかりと握ることで装着している。
彼の盾もそうなっているが、それだけでなく中心部分にも掴むことのできる持ち手が付いており、それをガッチリと掴んで持つ。
その間にレッドヴァンウルフは光の壁を破壊し、国重に牙を剥いた。
「スモールフォートレス!」
スキルを発動すると、今度は盾が光り輝く。
そして、殴りつけるかのように盾を突き出し、全力のシールドバッシュで応戦した。
「グギャアッ!」
弾き返されたのは、レッドヴァンウルフの方だった。
質量の差から考えてあり得ない光景だが、当然ながらスキルのおかげである。
スモールフォートレス━━小さな要塞という名の通り、自らの防御力を大きく高めて要塞の如く攻撃を防ぐスキルだ。
圧倒的な防御力を誇るものの、二秒と保たずに効果が切れるので、今のように相手の攻撃タイミングで使う必要がある。
まぁ、彼のように殴りつけて使う者はあまりいないが。カウンターアタックを得意とする彼ならではの芸当だ。
「……チッ」
舌打ちをしながら、国重は盾の持ち方を戻した。
シールドバッシュをする時は大抵ああやって持つのだが、相手の規格外な攻撃力を前に腕が僅かに痺れたのだ。
力が入らないほどではないが、同じことはしばらくできない。
「アダマンタインボディコート!」
レッドヴァンウルフが完全に起き上がる直前、国重は次なるスキルを使う。
自分の防御力を上げたうえで、オーラをまとって受けるダメージをオーラが吸収するスキルだ。
ゲーム的に言えば、防御力が上がって最大HPが増えるような感じである。
「グオオォォォォォォォッ!!」
レッドヴァンウルフが咆哮をあげながら、怒りに任せて突っ込んできた。
「クソが、掛かってこいや! ダメージカウンター!」
新たなスキルを使うが、特になにか起きた様子はない。
そして、レッドヴァンウルフの頭突きを盾で受けた。
「グウゥゥッ!!」
トラックに轢かれる以上の凄まじい衝撃に、国重は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
そこへダメ押しの頭突きが更に入り、滅多なことでは壊せないダンジョンの壁にヒビが入る。
さらに犬パンチが飛んできて、壁に押しやられたまま身動きが取れなくなった。
頭突きに引けをとらない衝撃に、国重はうめき声をあげながら耐えるしかない。
しかも、それが何度も何度も繰り返される。
いくら頑強な国重とて、このままだと遠からず殺されてしまう。
それでも、彼にこの状況を覆す手札はない━━今はまだ。
ふと、執拗に繰り返されていた犬パンチが止まった。
盾の影から覗いてみれば、レッドヴァンウルフは口に炎を蓄えていた。
「なっ……!? くっ、アイスエンチャント!!」
盾に冷気をまとわせるスキルを使い、吐き出された炎に対抗する。
「ぐうぅぅ……ッ!!」
国重の周囲は炎によって包まれた。
盾の冷気で防いでいるので直接焼かれることはないが、それでも焦がれるような熱気は襲い掛かってくるし、完全に防ぎ切れるわけではない。
火炎放射のように吐き出され続ける炎の中で、国重は揺らめく炎の隙間からなにかが動いたのを見た。
「ぐうおぉっ!?」
次の瞬間、凄まじい衝撃が横から襲い掛かり、国重は十数メートル先まで吹き飛ばされた。
レッドヴァンウルフは、炎を吐きながら前足で殴りつけたのだ。
辛うじて視界のはしで捉えたからよかったものの、気付かぬまま直撃していれば間違いなく意識を刈り取られていただろう。
とはいえ、大きなダメージを受けたことに変わりはない。
左腕は骨折し、脳にも衝撃が走ったのか視界もわずかに歪む。
だからといって、ポーションを飲んでいる暇などない。レッドヴァンウルフが弱った獲物を見過ごすハズがないからだ。
「グオオォォォォォッ!!」
咆哮をあげながら右前足を振り下ろす。
その瞬間、国重はこの状況を唯一覆すことのできるスキルを放った。
「リベンジャーブロウ!!」
何も持たない左拳を振り上げ、レッドヴァンウルフの振り下ろしを迎撃したのだ。
結果━━レッドヴァンウルフの右前足は粉々に弾け飛んだ。
「グギャオオォォォォォォォッ!!!」
弱者の予期せぬ一撃に、悲鳴をあげてのたうち回る。
が、国重の方もただでは済まなかった。
彼の拳もグチャグチャに砕け散り、肘から先が曲がってはいけない方向へと曲がっている。
尋常ではない痛みを堪えながら、捨てゼリフを吐いてアイテムを取り出す。
「あばよクソ犬! 二度と会うこたーねぇだろうがな!!」
青いクリスタルのようなものを握りつぶすと、国重の足元に赤い魔法陣が展開された。
次の瞬間、彼と足元の魔法陣が一瞬で消え去る。
こうして、国重はレッドヴァンウルフから辛くも逃げ出した。