レッドヴァンウルフは、視界の端で淡い光が揺らめいていることに気がついた。
そちらへ視線を向けてみれば、先ほど一撃で仕留めたはずの獲物が動いている。
「……う」
そう、鏡次は生きていた。あれ程の一撃を受けたにも関わらず、生きていたのである。
しかも、千切れ飛んだはずの右腕も再生していた。
「う……くっ」
気がついた鏡次は、体を起こすと自分を見据えている怪物に気付いた。
その怪物━━レッドヴァンウルフの口角が吊り上がる。
まるで、欲しかったオモチャが手に入ったかのような笑顔。
ただし、無邪気ではない邪悪そのものといった笑顔だったが。
「う、あぁ……」
意識が戻って早々、自分が絶体絶命な状況にあることを鏡次はすぐに理解した。
レッドヴァンウルフが距離を詰め、右前足で踏み潰さんとする。
━━避けろッ!!
心の中で叫ぶと同時、鏡次の体は動いた。バッと横へ大きく飛び退いて回避する。
かわされると思っていなかったレッドヴァンウルフは、面を食らった表情で驚いた。
だが、すぐに追いかけて踏み潰さんと攻撃を仕掛ける。
それに反応した鏡次は、攻撃をかわすべく全力で飛び退いた。
「うぉ……ッ!?」
その結果、鏡次は八メートルほどの距離を一っ飛びで移動した。
明らかに異常な脚力である。サークル等級程度の冒険者に、これほどの身体能力はない。
鏡次自身も驚いているほどだ。
「くっ……!」
慌てて両足で制動を掛け、なんとか着地に成功。
しかし、レッドヴァンウルフが待ってくれるはずもなく。
更に踏み潰そうと攻撃を連続で仕掛ける。それを鏡次は次々と避けてゆく。
まぐれでも何でもなく、鏡次にはレッドヴァンウルフの攻撃が見えていた。
決して攻撃が遅いわけではない。フレーム等級の国重が、強力なスキルを使ってなんとか対応できるレベルなのだ。
スクエア以下の等級なら、一瞬のうちに殺されるだろう。
だが、サークル等級という最弱のクラスでありながら、鏡次は完全に攻撃をギリギリで見切っていた。
……逆にいえば、ギリギリで避けているのであって、余裕があるわけではない。
鏡次の戦闘経験の少なさが命取りとなった。
レッドヴァンウルフが突然、踏み潰し攻撃を鏡次に避けられた直後に、前足を鏡次の飛んだ方向へ薙ぎ払うように振ったのだ。
足が直撃するようなことはなかったが、抉られた地面の破片が鏡次に殺到する。
「ぐがあぁぁ……ッ!!」
ダンジョンの地面や壁は、石などとは比べ物にならないほど硬い。
それこそコンクリートが石炭程度だとしたら、ダンジョンの地面や壁はダイヤモンドぐらいには違う。
そんな強度のものを踏み砕く脚力で、破片を石つぶてのように飛ばしたのだ。
その威力は計り知れないものがあり、実際に鏡次の片腕と片足が千切れ飛んで脇腹には穴が空いた。
「がはっ! ゴボッ……!」
吐血しながらもなんとか生きている。頭に直撃して即死しなかったのは幸運だった。
……いや、むしろ一撃で楽になれなかったのは不幸だったというべきか。
狂いそうな激痛から逃れる一心で鏡次はヒールを使う。
すると、手足はあっという間に再生して、脇腹の傷も塞がった。
時間にして二秒も掛かっていない。五芒星〈ペンタグラム〉や六芒星〈ヘキサグラム〉のヒーラーでも、ここまで早く回復させることはできないだろう。
異常な回復の早さに鏡次の顔にも疑問符が浮かぶが、そんなことを気にしている状況ではない。
虫ケラが復活したのが気に入らないのか、レッドヴァンウルフは怒りの形相でさらに襲い掛かった。
「あっちち……!」
今度は炎を吐いての攻撃だ。それなりに距離があったので、鏡次は飛び退いてかわす。
直撃していれば、骨も残らず燃え尽きるだろう。
ただ炎を吐いても当たらないと察したのか、レッドヴァンウルフは再び近接攻撃に打って出る。
先ほどまでと同じように踏み潰そうとするだけでなく、噛み砕こうとしたり、その場で回転して尻尾を振り回してみたりと、攻撃にバリエーションが増えた。
しかし、そのことごとくを鏡次はギリギリで回避してゆく。
先ほどの石つぶて攻撃も警戒しており、避け方にも工夫が見える。
だが、鏡次の戦闘経験の浅さが再び露呈し、またしても追い詰められてしまう。
「なっ……!?」
ドンッ、という衝撃が背中に走る。避けるのに夢中で周りが見えておらず、壁に追い詰められたのだ。
レッドヴァンウルフが狡猾に追い込んだのである。
鏡次が見せる一瞬の隙。それを逃すことなく、前足での一撃。
横から繰り出されるそれに直撃して、鏡次は数メートル先まで吹き飛ばされた。
地面をゴロゴロと転がり、激痛に苛まれる。
再びヒールで回復する鏡次だったが、完治する前にすぐ横で爆発が起こり、またしても吹き飛ばされる。
「うっ……ぐ……」
何が起こったのかも分からず、うめくしかない鏡次。
それでも激痛から逃れるべくヒールを使う鏡次だが、再び爆発が起こって吹き飛ばされてしまう。
地べたを這いつくばりながら鏡次が目にしたのは、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるレッドヴァンウルフの顔だった。
そもそもにして、殴り飛ばされた時に鏡次が即死しなかったのはおかしかったのだ。
レッドヴァンウルフが本気で攻撃していたのなら、鏡次の肉体はトマトのようにグチャグチャになっていたことだろう。
そうならなかったのは、攻撃が本気ではなかったから。
攻撃が本気ではなかったのは、あの嫌らしい表情から分かるだろう。
鏡次を痛ぶって遊んでいるのだ。国重たちに逃げられた怒りやストレスを、鏡次にぶつけて発散しているのだ。
だから死なない程度の攻撃しかせず、生かさず殺さず弄んでいる。
そんなことまでは分からない鏡次は、死にたくない一心でヒールを使う。
それを見たレッドヴァンウルフは、口から火炎球を吐き出した。
鏡次の目の前で着弾したそれは、爆発を起こして鏡次を吹き飛ばす。
先ほどからの爆発攻撃の正体はコレだった。
直撃させず、あえて近くに着弾させることで痛ぶっているのだ。
ボロボロで体のあちこちが焼けただれ、満身創痍となった鏡次は、仰向けに倒れたまま動く気力もなくなった。
絶望的な戦力差の前に、心が折れてしまったのだ。
大の字に倒れたまま真っ暗な天井を見上げていると、レッドヴァンウルフの下卑た顔が現れた。
そして、右前足で鏡次を踏み潰す。
「うぎゃああああぁぁぁ━━━ッ!!!」
殺してしまわぬよう、絶妙な加減で体重を掛ける。
ミシミシと体が悲鳴をあげる音を聞きながら、鏡次の意識はもうろうとし始めた。
もうどうすることもできず、ここで死ぬのだと鏡次は思った。
痛みも徐々に感じなくなってきて、確実に死に近付いている。
そんな中、鏡次はふとレッドヴァンウルフの顔を見た。
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて、虫ケラを見下すような顔だ。
痛みも恐怖ももはや感じない鏡次だったが、別の感情がふつふつと湧き上がるのを感じた。
腹の底から込み上がってくるような、ドス黒い感情━━怒りだ。
その怒りはどんどんと膨れ上がっていき、やがて爆発した。