沖田エミ、入部までの日   作:二重アゴ

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横須賀に行ったので書きました。


みんなの笑顔がずっと続きますように

 他校と同様に、オデュッセイア海洋高等学校も新入生を迎え入れる季節がやってきた。

 ここは、島々や複数の船団を自治区とする、オデュッセイア海洋高等学校だ。

 新入生の少女は、部活動の見学で船舶管理部の部室へ訪れていた。

 船舶管理部。自治区内の、ある島に浮かぶ"観光資源"も含めて、オデュッセイア海洋高等学校に所属する船舶の整備・保守点検を中心にメンテナンスを一手に担う部活だ。

 船舶管理部の部長である波野は、事務仕事の傍ら、1人の生徒を待っていた。

 

「こんにちはー!部活の見学に来ました!」

「君が沖田エミさんか。私は部長の波野だ。よろしくな!じゃあ早速、"これ"に着替えてくれ」

「よろしくお願いします!これは、ツナギ、ですか?」

「ああ、そうだよ。私たちの部活の名前は船舶管理部だ。だったら、何をするか分かるよな」

「はい、もちろんです!船舶の整備や保守点検です!」

「ああ、そうだ。間違いない。制服じゃあ、どうしても汚れるからな」

「まず着替えてきたら良いんですよね?」

「ああ、貴重品は自己管理、ロッカーの鍵は無くさないようにな」

 

 しばらくして、胸部に校章、背中にはオデュッセイア高等学校スタッフとかかれたツナギに着替えたエミが現れた。

 フロントファスナー式のツナギの胸ポケットからメモ帳とペンが覗いている。

 

「どうだ?変なところはないか?」

「ありません!」

「よし、今日は"あそこ"の掃除の日だったな」

「"あそこ"ですか?」

「ああ、うちの自慢の観光艦だよ」

「ええっ!?今はメンテナンスの時期じゃあ……」

「だからだよ、観光シーズンの夏までに全部終わらせるんだ。今日は、その下準備をするんだよ。車を回してきたから乗ってくれ」

「はいっ!」

 

 波野部長がハンドルを握る軽トラに乗り込み、部室棟を抜け、しばらく経って辿り着いたのは埠頭だった。 

 埠頭から見えたのは巨大な船。オデュッセイアの名物の内の1つで、観光資源の1つだ。

 この、"観光資源"というのが、推定"軍艦"。今は観光艦として一般公開されており、館内観光コースも完備されている。

 いつからあるのか分からない。艦名も分からない。艦としての経歴も分からない。

 だが、2基の連装砲と4基の副砲が、"本物"なのだと教えてくれる。

 

「さあ、着いたぞ」

「こ、これが……!」

「ああ、そうだ。今日は、これに乗ってもらう!」

「えっ、良いんですか?」

「ああ、いいさ。あそこの桟橋があるだろう?あそこから乗るんだ」

「はいっ!」

「おーい、走るなー!走っても船は逃げないぞー!」

「は~い!」

 

 巨大な船を見て、思わず駆け出したエミを、波野部長はゆっくりと追いかけていく。

 手には拡声器。部長として、部員に指示を出すために必要なものだ。

 

「あれ?なにこれ」

 

 エミは立ち止まり、看板を目にする。

 看板に踊る文字は、このようなものだった。

 

 

【重要なお知らせ】

 

当艦は、観光資源として一般公開を実施しておりますが、

災害その他の緊急事態発生時においては、指定避避難所としての機能を有しております。

 

緊急時には、生徒会役員の指示に従い、迅速かつ適切な避難行動をお願いいたします。

 

なお、避難所機能の詳細および運用手順については、安全管理上の理由により一部非公開としております。

あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。

 

「これは推定軍艦だが……今は観光艦だ。全長は約150メートル、全幅は最大約25メートル。このサイズだ、そういう使い道もあったかもしれないな」

「話しちゃっていいんですか?」

「構わんさ。隠すほどのもんでもない。誰でも見学できるんだからな」

 

 波野部長は艦を見つけた経緯と、ここに置くきっかけを話し始める。

 端的にまとめると、過去の先輩方が偶然見つけた艦であり、『観光資源にしようぜ!』っていうことで、曳航したらしい。

 

「……っていうのが、先輩から聞いた話だ。ちなみに先輩も、さらに上の先輩から聞いたらしくてな。まあ、信憑性は知らん」

「へぇ……」

 

 エミは埠頭から20m先の沖合に浮かぶ艦を見る。

 巨艦の威容に圧倒され、見入ってるエミ。波野部長は静かに見守っていた。

 戻ってきたエミが桟橋から覗くと、ツナギ姿の部員たちがしゃがみ込んだり、ビニール袋を手にして甲板を走り回っている。

 

「あの、波野部長、お掃除していますけど、入っても良いんですか?」

「ありゃ甲板掃除だな。どうだ、見るだけじゃあつまらんだろ、後でやってみるか?」

「はい!」

「この艦はうちの大事な観光資源だ。設備を壊したりしないでくれよ」

「は、はい」

 

 先に艦に乗り込んだ波野部長は、エミに手を差し出した。エミは波野部長の手を掴んで、恐る恐る乗り込む。

 自家用船舶とは違う、戦うための艦。観光用に、転落防止柵などの安全設備が整えられていたとしても、艦はとても冷たかった。

 

「じゃあ、簡単に中を案内するぞ。答えられることは答えるからな」

「はい!ありがとうございます!」

 

 波野部長は、エミを連れて艦内を案内した。

 昔の居住スペース。

 ハンモック式の寝台がずらりと並び、今は観光コースの一部として公開されている。

 エミは、それを見て触れた。

 

「狭っ!」

 

 次に案内されたのは、かつての食堂。

 今は売店に変わっている。今は売店に改装され、観光客向けの商品がずらりと並んでいる。

 波野部長はその中からレトルトカレーを1つ手に取り、レジへ。会計を済ませてからエミに手渡した。

 

「私のオススメだ。せっかくだから食べてみてくれ」

 

 そして最後にたどり着いたのは、艦橋の入り口。

 

「ここが艦橋。司令官が入る場所だ。……まあ、基本的にはずっと施錠されていて入れないけどな。この厚みだ。銃じゃ開かないさ」

 

 『毎年入ろうとするバカがいるからな。その分、より強固になった』と波野部長がそう説明すると、エミは爪先立ちで窓越しに中を覗き込み、少し残念そうにつぶやく。

 

「……見たかったなぁ」

「代わりといってはなんだが、甲板、掃除してみるか?」

「はい!」

「エミもオデュッセイアの子なら分かるだろう、デッキブラシは相棒だ」

 

 近くにいた部員に、余っているデッキブラシを持ってこさせた波野部長。

 水を流して濡れた甲板の上で部員が並び、部長の掛け声で掃除を始める。

 

「木目に沿って、引く時に力をいれるんだぞー!」

「必殺剣を喰らえ!」

「ククク……馬鹿め!見切っておるわ!」

「そこー!掃除をせんか掃除を!」

 

 拡声器で、チャンバラを初めた部員たちを叱る波野部長の声が響く中、エミはデッキブラシを片手に甲板を走り回り、次第に黙々とデッキブラシを動かし始めた。

 始めはゆっくりと。次第に集中していく。ブラシが木目をなぞるたび、少しずつ足跡が消え、甲板は艶を取り戻していった。

 確実に、しっかりと。

 髪が汗の玉に張り付いても、黙々と。周りで騒ぐ声が聞こえようが、エミはただ一心に甲板掃除を続けていた。

 

「(ああいうのを、職人気質っていうのだろうな)」

 

 一心不乱に掃除を続けるエミを見て、部員の誰かが、やるじゃん、と呟いた。

 夕日が地平線に近づいている。

 

「さあ、夕マズメの時間だ!皆、配置につけ!坊主のやつが最後の海水締めをやれ!」

「えっ、えっ」

 

 部員たちは、一斉にデッキブラシをその場に置き、観光客には見せないようにしている竿置き場へ走り出す。

 エミは何が始まるのだろうかと、キョロキョロと周囲を見回す。

 すると部員たちは、ペースト状の餌を小さなアミカゴへ詰め、海にそっと入れる。

 この艦上では、構造物の関係から投げる釣りは禁止されている。ルアー釣りなど、投げる釣りをしたいものは(おか)へと戻る決まりになっている。

 波野部長は、エミの肩を叩き、小さく囁いた。

 

「採れたての美味い魚、食べたいだろ?」

「「「「釣りの時間だー!」」」」

「サビキからの大物狙うよ」

「泳がせでしょ!」

 

 釣りを終え、それぞれの釣果を入れたクーラーボックスが、軽トラの荷台に収まる。

 部室の調理場で捌かれ、テーブルの上に広がるのは豪華海鮮尽くしの料理だ。

 小魚の唐揚げ、根魚の姿揚げ、骨せんべい。アラ汁につみれ汁。人数分の塩焼き。

 そしてドドン!舟盛りのお刺身。

 大量の釣果は豪華な夕食と代わり、しっかりと働いた部員達のお腹に渡る。

 

「ほら、エミ。遠慮せずに食え。一生懸命働いて、海の恵みに感謝して、しっかり食べる。これがうちの基本だ」

「そりゃそうよ!鮮度が違うもん鮮度が!」

「ご飯おかわりー!マンガ盛りで!」

「あいよー!こりゃダメだな、すぐ炊かなきゃ」

「おかずないよー!」

「うるせー!てめえで作れ!」

 

エミは湯気が立ちのぼるアラ汁を手に、しみじみとつぶやく。

 

「……こうやって、皆で食べるご飯、美味しいですね」

「ああ、そうだろう。食べたら送っていくよ」

「そんな、悪いです」

「構わんさ。今日は慣れない仕事を一生懸命頑張ってくれたからな」

「それに、コイツらも、まだエミと話したいようだからな」

 

 近くにいる子から、違うテーブルにいる子など。あちこちから話しかけられて、困惑気味のエミに、波野部長は笑みをこぼす。

 そんなこんなで約1時間、部員達と話し込んで、今日はそろそろ解散、という時。

 

「また来いよー」

「今度は竿握れよな」

「チャンバラやろうぜ、必殺剣考えてこいよー」

「あはは……考えておきます。では、皆さん、本日はありがとうございました。ご飯美味しかったです、ごちそうさまでした」

「じゃあ、私はエミを送ってくる。お前たちは片付けをして、歯磨きをして、風呂に入って、ゆっくり休むこと。いいな?」

「「「「はーい、部長おやすみなーい」」」」

「ああ、皆、おやすみ。エミ、行こうか」

「はい」

「来たくなったらまた来い。我々はいつでも歓迎だ」

「はい、ありがとうございます」

 

夜の道を走る軽トラのヘッドライトが消えたのは数時間後のこと、部室の照明が消えたのはもう少し先。

 

 

 エミは、自室で膝を抱えていた。

 思い出すのは今日の部活動に参加したことだった。

 

「楽しかったなぁ……」

 

 部屋には、帆船のポスターやボトルシップ。角には釣り竿専用のラックが設置されており、必要な道具が纏められていた。

 潮でボサボサ気味の髪を撫でつける。

 なんだか心がぽかぽかしている。浮かれているのかな。

 初めてだったのに、ずっと一緒にいた気分になって。久しぶりに誰かと食事を摂って、笑った気がした。

 たくさん話して、たくさん笑った。美味しいご飯もご馳走してもらった。

 でも、本当の私は、静かで、根暗なんだ。今日は1日だけだから、空元気で押し通せたけれど。

 でも、この空元気を続けるのは辛い。喉が痛むし、噛み合わせが悪いような違和感。顎も少し変な感じがする。

 

「でも、楽しかったんだ……。今日は、とっても。また、行ってみようかな」

 

 波野部長は、いつでも来いって言ってくれた。社交辞令かな?

 部長さんって立場だったら、そういうよね。迷惑じゃないかな。

 うわ、また来たよ、なんて思われないかな。でも部長さんだし、見学を受け入れるのは義務みたいなものだよね。

 やだ、ネガティブなところが出てきてる。今日、船舶管理部で過ごして、楽しかった。

 みんな笑顔で、一生懸命になって部活をしてた。

 

「みんなと一緒にいて、楽しかった……うん。この気持ちに間違いはないんだ」

 

 もしかしたら、自分が浮かれているからなのかもしれない。スマートフォンを操作して、体験入部が出来る部活を探し始めた。

 キヴォトスの生徒は、学校生活と部活を両立するのが当たり前だ。部活が休みの日にアルバイトをしている子もいると聞く。

 

 

 その後、エミは様々な部活の見学をした。

 部活の光景を眺めながら、部長さんや副部長さんが解説をしてくれたのが定番のスタイルなようで、遠くから眺めて、なんとなく部の雰囲気は分かった。

 だけど、既にグループが出来上がっていたり、キラキラとした子が多くて、何とも近寄りがたい部活だったり。既存のグループに混ざるような度胸はエミには無く、どこかぼんやりとしていた。エミの心にくる部活は見当たらなかった。

 "楽しそう"だとは思う。思うけれど、心の底では"ここには求めているものがない"と思ってしまう。

 私が求めているものってなんだろう。

 

「波野部長、再びよろしくお願いいたします」

「ああ、よろしくな。今日も見学だったな。エミは自家用船舶を持っているか?」

「学区内の移動用の小さなものでしたら」

「わかった、自分で簡単なメンテナンスはしているんだろ?」

「簡単なメンテナンスしか出来ませんが」

「じゃあ、今日は小型ボートの整備がたくさんある。私たちの普段の作業を見ていくと良い」

「ツナギに着替えてきます」

「ああ、よろしく頼む。洗濯済みだからな、安心して着ると良い。手袋も一応用意しているから持ってきてくれ」

「はい、ありがとうございます」

 

 工具ベルトを腰に巻いた波野部長に連れられてやって来たのは、小型ボートのヤードだ。

 週次点検。これからアクティビティが増える。オデュッセイアの生徒は毎日が海のアクティビティのようなものだが、メンテナンスは切っても切り離せない問題だ。

 寒い間に放置していた不良箇所を点検整備する。お気楽ノーテンキな気質のオデュッセイアの生徒がするはずない。

 寒い間は屋内でパーティーや音楽に興じる。これがオーソドックスな過ごし方。

 整備・点検していなければ、自治区内で使用の許可はおりない。潮会、いわゆる風紀委員会の巡回艇に捕まってしまえば、船舶没収の上、反省文だ。

 

「エミ、まずは緩んだボルトがないか、目視で確認してくれ」

「はい…………あっ、ありました」 

「エミ、自分用の船でも増し締めをやるだろう?」

「はい。でも、適当に力をかけているだけで……」

「よし、良い機会だ。覚えておいてくれ」

「次は発煙筒の使用期限を確認してくれ」

「はいっ!」

 

 ネジは振動や潮風で緩みやすい。点検で、緩んだネジを増し締めといったメンテナンスをして、船舶を安全に使用できるようにするのが船舶管理部の部活内容だ。

 エミは、船舶管理部式の増し締めのやり方を教えてもらったり、ライフジャケットや救命浮環といった、救命設備の確認をしたり。

 エミに声をかけようとして、顔を上げる波野部長だが、一心不乱にメモを取るエミの顔は真剣なものだった。

 

「あそこにうちの部所有の船がある。何か簡単な作業をやってみるか?」

「はい!」

「どうせ来週には本格的な点検をする。少し触るくらい問題ないさ。そうだな、エミには液体ガスケットを任せようか」

 

 波野部長は慣れた手つきでエンジンカバーを開け、オイルフィルターに手を触れる。

 

「コイツはオイルフィルターといって、エンジンオイルの汚れをろ過する部品だ」

 

 中から現れたのは、銀色の金属と黒いホースがぎっしり詰まった“心臓部”。

 縦長に、コンパクトに詰め込められエンジン。それぞれの部品の役割を端的に語る部長。

 

「うわ……思ったよりコンパクト……」

「車より小さい分、メンテはシビアだぞ」

 

 波野部長は笑っていた。焦げたようなオイル臭と、潮の匂いが混じって鼻を突く。

 ところどころ、ホースのつなぎ目に白く塩が吹いているのが見えた。

 

「防錆や塩害を防ぐための塗装だ。入部したら色々教えてやれるんだが、今は見るだけだな」

「ここを液体ガスケットで塞ぐんですよね?」

「ああ、そうだ。できそうか?」

「……出来るかわかりませんが、やってみます」

「ああ、頼む」

 

 液体ガスケットは、キャップで封をされたチューブだ。金属同士の面合わせ部分は、液体ガスケットで隙間を埋めることが必須。

 ヘラを片手に、意気込むエミを尻目に、波野部長は、ツナギのポケットから取り出したウエスで目立つゴミを落とし、ヘラで以前使った液体ガスケットを削ぎ落とし、オイルや細かいゴミを拭き取っていく。

 その後は脱脂を済ませる。それから、渡された手袋を嵌めたエミ。

 

「さあ、良いぞ」

「はい…………」

「先端は細めに切っておくと良い。チューブから一定量を取り出して、塗布する。この時に注意しないといけないのは、ネジ穴は避けることだ」

「はい……」

 

エミは、チューブから灰色のペーストを慎重にヘラに取った。

 

「厚くしすぎるなよ。薄く、均一にな」

 

部長の声が響く。

エミは震える手を抑えながら、金属のフチにそっと滑らせる。にゅるっと伸びる感触。じっと見つめながら、ゆっくりと塗り広げていく。

 

「(思ったよりむずかしい……でも、楽しいかも)」

「上出来だ。あとは締めるだけだな」

 

 ふぅ、と一息をつくエミ。それだけ集中していたのだと実感するのは、鼻をくすぐるカレーの匂いからだった。

 初めての作業。手にはまだヘラ越しのペーストの感触が残っている。

 緊張はした。したけれど、楽しかった。

 

「そういえば、今日は金曜日だったな。食べていくだろう?」

「はいっ!」

「今日は野菜ゴロゴロカレーだ。揚げ物が続いたからな。腹休めも必要だ。行こう」

「はいっ!」

 

 2人は部室へ行けば、寸胴で用意されたお鍋が2つ鎮座していた。

 部員達は自分でご飯とルーを盛っていき、中には丼2つにご飯とルーを入れている大喰らいもいる。

 

「それだけじゃ足りないだろー。ほら、お皿貸して」

 

 エミの皿には、大盛りご飯と大きなジャガイモやニンジンがゴロッと入ったカレーがよそわれた。

 テーブルに着く。

 

「「「「いただきまーす!!!!」」」」

 

 ワイワイガヤガヤ。毎日の馬鹿騒ぎにお喋りは止まらない。

 

 

 波野部長に送ってもらって、自室に戻ってきたエミ。

 マリンルックの白を基調とした制服を脱いで、ベッドの上で膝を抱く。

 

「……楽しかったなぁ。液体ガスケット、ちゃんと塗れた。今でも、ヘラでペーストを塗る感触が思い出せる」

 

 賑やかで、みんなで笑い合って。

 私は、あの部活の空気が好き……なんだと思う。顔についたオイルを拭き取っただけの子もいたし、いたずらで猫のヒゲを書かれていた子もいた。

 明るくって、賑やかで。先輩後輩の壁なんか存在しない。みんなが仲間で、みんなが友達のような。同じ釜の飯を食う仲間っていうのかな。

 ふざけてばかりの子もいるけど、1度工具を持てば、みんな真面目で。チャンバラはする気しないんだけど。

 

「なんだろう、他の部活とは違う、温かな気持ちなんだ。あの部活の空気が好きなのかな?」

 

 もし、これからも一緒に部活を続けるのなら、間違いなく船舶管理部の仲間と一緒に過ごしたい、のだと思う。

 良くも悪くも大らかな部活だから、私でもやっていけるんじゃないかな、なんて。

 

「……今度は仮入部、してみようかな?」

 

 膝を抱えたまま、エミはスマートフォンを操作すると、仮入部を受け入れしている部活が表示される。

 その中に、船舶管理部の名前がある。

 タップする。本当にこのまま進んで良いのかな?1度前の画面へ戻る。

 それから10秒ほど、ゆっくりと画面を見つめる。もう一度タップする。あともう一回タップすると、仮入部の申込みが完了する。

 

「…………楽しかった。部員の皆からすると、簡単な仕事なのかもしれないけど……手応えは、まだ手に残ってる」

 

 スマホを置いて、両手を広げて見つめる。

 今も、この間も液体ガスケットを塗った時の感触は残っている。金属面に擦らないように、慌てずに、ゆっくりとヘラを動かす。

 

「……………………薄すぎず、厚すぎず、均一に……」

 

 スマホを手に取る。仮入部を申し込むまであとは、タップするだけ。人差し指を立てて、指の先端をスマートフォンに近づけた。

 

 

 数日後。

 事前に公開されている仮入部が受け入れられるスケジュール。希望の日をタップして申し込み完了した。

 そして、当日。

 

「やあ、エミ。仮入部とは嬉しいものだな」

「はい、今日はよろしくお願いします」

「ああ、もちろんだ。では、仮入部について説明しようと思う」

「はい、お願いします」

「まずは、船舶管理部の仮入部に来てくれてありがとう。今まで2回見学に来てくれて、2度、簡単な作業を体験してもらったな」

「はい」

「では、今回の仮入部では、過去2回の見学から、少し踏み込んだ内容になる。エミ、前の手袋のサイズは合っていたか?」

「……いえ、実は……」

「そうか、済まなかった。言ってくれれば替えたのだが、今更だな。では、改めて手袋のサイズを教えてくれ」

「SSですね」

「分かった。この後用意しておく。つまり、今回は手袋が必要になる作業を任せる。また私と行動を共にしてもらう。いいな?」

「……はいっ!」

「あと、そこの段ボールからウエスも取っておくように」

「分かりました。どれくらい必要ですか?」

「一掴みでいい。ポケットに収まる量で良いさ。では、今回してもらう作業はオイルゲージの確認、救命設備の確認、それから塩害のチェックだ」

「はい、ひとつずつ、教えて下さい」

「ああ、勿論だ。後輩に技術を教えるのも、私たち上級生の努めだからな。では、着替えてきてくれ」

「はいっ、頑張ります」

「ああ、頑張るのは結構だが、慌てず、ゆっくり、確実に。怪我なく作業をしてほしい」

「分かりました」

 

 エミは今日の仕事をメモ帳に記入する。エミの記入速度に合わせて、実物のサンプルを交えて解説をする。

 エミが席を立って、更衣室に向かえば、既に着替え始めている部員たちがいた。

 彼女たちは、エミに気軽に話しかけてくる。

 

「あっエミだー入部するのかー?」

「おっすエミ!どっちが早く着替えられるか競争な!」

「あはは……そんなに慌てなくてもいいと思うよ」

 

 エミ、エミ、と声を掛けてくる様々な学年の部員たちにエミの顔は思わず綻ぶ。

 

「(まだ3回目なのに、こんなにも私の名前を呼んでくれるんだ……私を仲間だと思ってくれているのかな……嬉しいな……)」

 

 ツナギに着替えたエミを出迎えたのは、プラスチックのバインダーを手にした部長であった。

 その厚みは10センチほどあり、これらが全て整備記録として船舶に保管しなければいけない書類だ。

 

「では、まずオイルゲージの確認からだな。始めようか。よく見ていてくれ」

 

 以前見た小さなボートはボルトが抜かれていて、エンジンカバーが開けられていた。

 で、と説明を始める波野部長。

 エンジン横の小さなゲージを抜き出し、ウエスで拭き取る。

 

「まずは、オイルゲージを抜き取って、オイルを拭き取る。そして、もう一度奥まで入れる」

「どうして1度抜き出して、拭くんですか?」

「オイルゲージは常にオイルが付いた状態でエンジンに入っている。だから、飛び散ったエンジンオイルが付いている可能性がある」

「今、入っているオイルの量を正確に確認するためなんですね」

「ああ、そうだ」

 

 波野部長が、もう一度引き抜き、ウエスで拭き取ると、上限と下限のメモリが見えるようになった。

 オイルはこの量で大丈夫ですか?とエミが聞けば、ああ、と答える波野部長。

 

「あとは色を確認してくれ。慣れるまでは、新品のオイルの色と見比べると楽だ」

「あっ、ちょっと濃い色ですね……」 

「これくらいの色なら大丈夫だ。真っ黒なら交換だな。これが一連の流れだが、質問はあるか?」

「いえ、ありません」

 

 ちらりと見えたメモ帳の文字は、波野部長が話した一連の流れをきっちりと書き込んでいるのが見えた。

 波野部長が頷く。

 

「次だな。メモ帳を見ながらでも良い。初めは慌てずに、ゆっくりと、確実に進めてくれ」

「はい、分かりました」

 

 エミは、黙々と作業を開始する。メモ帳を開き、内容を指先で追い掛けて。

 初めは辿々しい手つきで、緊張から少し震えていたが、次第に作業の手は早くなっていく。

 

「いい調子だ。ただし、慌てないようにな。焦りはミスに繋がり、ミスは焦りに繋がる」

 

 エミは、エンジンオイルの確認を済ませた。

 最初だからか、それなりの時間が掛かったが、その間、エミは一切手を抜かずに、口を開いた時は判断に困った時だけ。

 それだけエミは、黙々と集中して作業を熟していた。

 

「よし、次は救命設備の確認を頼む。このリストの中の物は、絶対に積んでいなければいけないものだ。使用期限や解れ、破れがないかチェックしていってくれ」

「はい!」

「(いい顔をしているな)」

 

 エミは波野部長と一緒にボートに積んでいる救命設備をひとつひとつ広げていく。救命胴衣や救命浮環は太陽に透かして確認する。

 これはチェックリストに従って、設備が揃っていて、使用できる状態であるかどうかの確認だ。

 ホイッスルは、ひび割れがないかだけの確認に留まった。

 

「あの……波野部長、笛、実際に吹かなくても良いんですか?」

「衛生上の問題があるからな、今はひび割れがないかのチェックだけで良い。吹き口が詰まっていないかを見ておくと尚良いな」

「はい、分かりました」

「あの、波野部長。これなんですけど……弾痕があります」

「ああ、よくあるものだな。交換だ」

 

 中には弾痕があり、中身が飛び出した救命胴衣があった。そのようなものは、部活の保管庫から新品を用意して、交換する。

 これらの交換用のものも、保管庫でしっかりと保有されている。

 保管庫から新品を持ち出して、チェックリストに記入していく。今日の日付と、交換理由を書き込む。

 

「(こういうことを積み重ねて、ようやく船は海の上を動けるんだ……)」

 

 エミの心に浮かんだのは、「私でもできた」だった。この時点で小さな達成感を得ていた。

 このような小さなことを、いくつもいくつも積み重ねて、ようやくエンジンに火を灯せる。

 海の上を走る目的のために、裏で何人もの人が動いている。

 

「(楽しいな……こんな風に、船を守れるのって……)」

「エミ、アイツらを見てくれ。もう竿を握っている」

 

 フッ、と小さく笑った波野部長は、拡声器で、「お前らー!まだ早いぞー!」と一応注意するが、竿を握った部員たちは今更止まらない。

 部員たちは海に向かって竿を投げた後に「今日はもういいじゃーん!!」と返す。

 

「仕方がない、今日だけだぞー!」

「「「「はーい」」」」

「……もう、みんなったら……」

「ようやく笑ったな、エミ」

「あっ…………」

「まだ冷えるな。エミの仮入部記念を兼ねて鍋にすることになっている。急いで戻ろう」

「…………はいっ!」

 

 それから。

 今日の料理当番の生徒が用意したのは、魚のすり身とたっぷりの野菜を使った、生姜を効かせたホカホカのつみれ鍋だった。

 海の近くというのは、想像以上に冷える。気温よりも更に体感温度が低く、作業に集中していたエミの手は、手袋越しでも、すっかり冷たくなってしまっていた。

 

「今日のMVPは私。シーバスを4匹釣ったよ!」

「よっ次期部長!」

「デヘヘ、次期部長は照れるぜ」

 

 つみれ鍋が一通りテーブルに並ぶと、いつの間にか誰かが紙コップを配り始めた。部員の1人が立ち上がり、手元のコップを掲げる。

 

「皆、コップは持ったな!エミの入部を祝って」

「「「「かんぱーい!」」」」

「……まだ入部じゃないよう……」

「いいのいいの、もう半分くらい?もう7割くらい?もう、うちらの仲間っしょ!」

「そうだよー今更だよー」

「正式に入部したらまたやればいいんだよ~!」

「……みんな、ありがとう!」

「エミはさ、今日めっちゃ頑張ってたもん。仮とか関係ないよ!」

「部長だってさ、エミが入部してくれたら嬉しいって言ってたもんね!」

 

 皆の言葉が、エミの胸にじんわりと広がっていく。思わず笑顔になり、ぎゅっと紙コップを両手で握った。

 

「(私が……ここにいても、いいの、かな?)」

 

 エミの周囲には、笑顔で迎えくれている仲間がいる。

 エミの視線が、笑顔で迎えてくれている仲間たちの顔をひとりひとり映していく。

 思わず溢れ出そうになる涙をこらえて、エミは勇気を出して立ち上がる。

 

「今日は、私のためにありがとう……。えーと……まだ入部はこれからだけど……その、これからもよろしくお願いします!」

 

 部員たちは、しっかりとエミを見据え、次の言葉を待っている。

 静寂の中で、ある部員のお腹が鳴った。エミは紙コップを掲げて、出来るだけ大きな声を出そうと息を吸い込んだ。

 

「あはは……!いただきますっ!」

「「「「いただきまーす!!!」」」」

 

 

 後日、エミは入部届を胸に抱いて、船舶管理部の部室を訪れていた。

 今では、開けるのに躊躇しない引き戸のドア。

 

「こんにちはー」

「あっ、エミだ」

「どうしたのー?」

「やっと決心した?」

「皆、落ち着け。まずは座ってくれ。誰か、飲み物を」

「はーい」

 

 力が入って、少しシワが入った入部届。

 本当はオンラインでも出来るけど、これはエミなりの誠意の表し方。

 これから部活をするなら、どこの部活が"一番楽しいか"を考えた。エミは、本当は地味で根暗な少女だ。

 社交性が高いとは言えない。居心地が良いところに、つい依存しがちな、どこにでもいる少女。

 

「入部届を持ってきました」

「ああ、受理しよう。では、我々の部活、船舶管理部について説明をするから座ってくれないか?」

「はい!皆もこれからよろしくねっ!」

「「「「船舶管理部へようこそ!今夜もごちそうだー!!」」」」

 

 あはは、と力なく笑うエミに、波野部長は部活を紹介する冊子を手渡した。

 自然とタメ口になっていることにエミは気付いていない。

 

「改めて、これらかもよろしく頼む。入部した以上はビシバシ扱くからな。覚悟しておくように」

「そうだぞー!」

「わっはっはっは!私は先輩だ、崇め奉れよー!」

「無理だってー!」

「……あはは……」

 

 入部届を提出し、一通りの説明を受けたエミは、一旦、自室に戻るように言われた。また食事時に来い、とも。

 なんでも、生徒会へ提出する書類を作成する必要があるから、だとか。

 自室への帰路。エミは自分を奮起させるように、手を握った。

 

「(……頑張れ、私……)」

 




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