灰煙の使徒   作:vananana

2 / 5
【第一話】煙のはじまり

 

十数年前、東京郊外で“それ”は起きた。

晴れた日の午後、何の前触れもなく空が割れた。

ひととき現れた裂け目から、黒い煙が音もなく流れ出し、都市の一部を覆った。

 

視界は奪われ、空気は沈黙し、そして数分後にはすべてが消えた。

人も、街も、物理的な被害はなかった。

だがそのとき、確かに「何か」が、この世界に混ざった。

 

――それが後に「黒煙災害」と呼ばれる異常現象だった。

 

当時、誰も正体を知らず、証明もできなかった。

しかし、それを境に一部の人間の“何か”が変わり始めた。

 

 

七星煙司。

27歳、ブラック企業勤め。

長時間労働、サービス残業、壊れかけた人間関係。

そんな日々の中で、唯一の支えとなっていたのがタバコだった。

 

「吸ってる間だけが、生きてるって感じする」

 

その日も、終電間際の帰り道。

ヨレたスーツのまま自販機で缶コーヒーを買い、

人通りのない高架下の喫煙所へと向かった。

 

灰皿の横に腰掛け、火を点ける。

一口吸って、煙を肺に流し込むと、ようやく呼吸が落ち着く。

 

「……はぁ。やっと、呼吸できる」

 

だがそのときだった。

肺の奥に、いつもとは違う感覚が走った。

 

チリッとした熱。

そして、心臓の鼓動と共鳴するような圧。

目の奥に、ぼんやりと“何かの姿”が浮かぶ。

 

(……なんだ、これ)

 

次の瞬間、全身を貫くような眩暈と息苦しさ。

煙司はそのまま地面に手をつき、苦悶の表情でうずくまる。

肺の奥に、“何か”が蠢いていた。

 

(あの日……?)

 

黒煙災害の記憶が、脳裏にフラッシュバックする。

あの漆黒の空。目も耳も奪われた、異常な数分間。

自分は確かに、あの場にいた。

 

そして今――

 

彼の中に、その黒煙の“因子”が目覚めた。

 

 

「出ろ――灰ノ壱・イグニス・ウルフ」

 

無意識に、言葉が口を突いて出る。

そして、吐き出した煙が形を持ち始めた。

 

赤く揺らめく焔。

その中に現れたのは、狼の影――

だがそれは幻ではない。煙でできた“何か”が、こちらを見つめている。

 

「……嘘、だろ」

 

恐怖と興奮が同時に胸を打つ。

その狼は、しばらく煙司のそばを静かにうろついた後、ふっと風に乗って消えていった。

 

 

それからの数日間。煙司は、自分の変化を隠しつつも、

喫煙のたびに“その存在”を呼び出しては観察を繰り返した。

 

彼は知った。

これは病気ではない。異常でも、妄想でもない。

“力”だ――煙を媒体として発現する、異質な力。

 

そして、こうも思った。

 

(俺だけじゃない。あのとき、同じように巻き込まれた人間がいたはずだ)

 

もしこれが自分だけのことではないなら――

世界のどこかで、同じように煙を纏っている者がいるはずだ。

それは、友か、敵か、それとも――もっと異質な“何か”か。

 

煙司は知らなかった。

これが始まりにすぎないことを。

そして、いずれ“選ばれた十二人”と呼ばれる存在に、

自分が深く関わっていくことになることも。

 

 

この世界には、“煙を纏う者”が、他にも存在している。

その中でも、特別な十二人。

 

彼らは密かに、こう呼ばれている。

 

――「灰煙の使徒(はいえんのしと)」と。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。