灰煙の使徒   作:vananana

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【第三話】牙を隠した者たち

 

東京、朝。

澄みきった空気に、遠くで始業チャイムが重なる。

だが七星煙司にとっては、昨日から今日に変わっただけの日常だった。

 

「……いつも通り、か」

 

ネクタイを締め、コンビニでタバコと缶コーヒーを買う。

何も変わらないはずの朝。だが、どこか微かに違和感があった。

 

人の視線が妙に気になる。

電車の中でも、エレベーターでも、すれ違う人の目が引っかかる。

ビルの窓に映る自分の後ろ姿が、いつもより不自然に見える。

 

(……気にしすぎ、か?)

 

あの夜、赤いジャケットの男――烈牙と交戦してから数日が経っていた。

サイレンで中断されたあの戦いは、まるで夢のようだったが、確かな現実でもあった。

彼の灰煙ギア『ルガル・ファング』。

あの獣に、次は打ち勝たなければならない。

 

だが、それよりも先に、自分の周囲に漂う妙な空気が気にかかる。

 

社内の喫煙室でふと目を逸らす同僚。

机の上に置かれていた、自分が使っていないはずのメモ用紙。

スマートフォンの履歴には、知らない番号からの不在着信が残っていた。

 

「妙に落ち着かないな……」

 

終業後、煙司はビルを出ていつもの喫煙所へ向かう。

誰もいない時間を狙って来たはずだったが、灰皿の上に新しい吸い殻が残っていた。

 

銘柄は見覚えのないもの。

煙司の知るどのタバコとも違う――ラベルすら剥がされ、灰は濃く黒かった。

 

(こんな銘柄……あったか?)

 

妙に整った吸い殻。均等に折られたフィルター。

タバコ一本で、使い手の性格すら見える気がする。

 

「……わざと置いたか、これ」

 

誰かが自分の“存在”を確認するように痕跡を残した。

そうとしか思えなかった。

 

そのとき、遠くから視線のような気配が過った。

誰かが、こちらを見ている。

 

だが振り返っても、通勤途中のサラリーマンしかいない。

 

「気のせい……ならいいが」

 

煙司はタバコを咥え、火を灯す。

白い煙が、ゆるやかに空へと溶けていく。

イグニス・ウルフは呼ばない。ただ煙を、意図的に強く吹き出す。

 

(……見ているなら、煙の匂いを覚えとけ)

 

 

 

そのころ、街の別の場所――

薄暗いビルの屋上に、一人の男が立っていた。

 

黒いコートに、無表情の顔。

手にはデータパッドのような端末。

その足元にも、一本のタバコの吸い殻が転がっている。

 

「コードNo.077、行動パターン解析完了。対象、潜在脅威度Bランクに暫定指定。能力属性:炎系、具現型」

 

無機質な声でつぶやくと、男は背後に立つ人物に報告を送る。

 

「七星煙司。……牙を隠したまま、燃えようとしている」

 

その後ろにはもう一人、サングラスの女がいた。

彼女は短く返す。

 

「継続監視。手を出すのは、次の“起動”を待て」

 

彼らは『燐煙(りんえん)』。

裏社会に潜む情報組織。

灰煙適合者を探し、時に支配し、時に潰すために動く者たちだった。

 

「コードNo.049……次の監視対象の痕跡が、市内の第三区域で確認された。――接触準備を」

 

「了解」

 

男はタバコの吸い殻を踏み潰すと、背中を向けて闇の中へと姿を消した。

 

 

 

そして、同じ時間。

 

繁華街の裏通り、古びた喫茶店の入り口に、もう一人の影がいた。

 

「…………」

 

その人物は、表情を持たないままタバコに火をつける。

吸い込んだ煙は、淡く青白い光を帯び、ゆらゆらと蛇のように宙を這っていく。

 

誰の味方でもない。だが、明確な意思を持ってそこにいる。

目を閉じ、煙を吐く。

 

> 「この世界には……牙を隠したやつが多すぎる」

 

その言葉が、夜の空気に溶けて消えた。

 

物語は、静かに熱を帯び始めていた。

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