ただ、力が欲しい。
何も奪われない、失わない……果てのない強さが欲しい。
それがかつて、俺が抱いていた願いだった。
長い夢でも見ていたような感覚だった。他人に話しても信じてもらえるか怪しいくらいの、ぶっ飛んだ夢。不思議な指輪を手に入れて、その力で変身して色んな場所にカチコミをかけていた。にわかには信じられないだろう。俺自身、あれはなんだったのかとしばらく経った今もそう思っている。
ある日、「願いを言え」と誰かの声が直接頭に響いてきて、そいつの言う通りに願いを言ったら、何もないところから急に変な指輪と手の形をした武器が出てきた。ナックルと言うには些か違う気がするし、かと言って剣と形容するのもなんだか違うように思った。これ程持ちづらく振りにくい形状のものを果たして剣と呼んで良いのだろうか。
そんな所感は、俺の身体の中から湧き出る不思議な力でかき消された。どうやらその指輪を持っていれば俺の身体能力……腕力、脚力、握力、走力など、持っている膂力全般が跳ね上がるようだった。数えきれない程の瓦を1度に叩き割れたり、鉄パイプを膝でへし折れたり、正拳突きで走行中のトラックを止めることだってできた。
既に、俺の願いは叶ったも同然だった。それ程の力があれば、もう誰にも負けない。世界の誰よりも強くなった。どんなものも奪われない力を手にした。そうして、俺は改めて思った。
弱者には、存在する価値がないのだと。
弱い奴が嫌いだ。すぐに泣くし、根性がない。
弱い奴は無能だ。何もできない、愚かな人種。
弱い奴は卑劣だ。弱いから、すぐに群れを作る。1人じゃ何もできない卑怯者。
弱い奴は惨めだ。力を示されれば、情けない声を上げて命乞いをする。
そんな奴等に今まで散々奪われてきたんだと思うと反吐が出る。虫唾が走る。俺に挑んできた奴、俺が挑んだ奴はどいつもこいつも口ほどにもなかった。地面を舐め、転がる土くれでしかなかった。
そんな有象無象が列を成したところで、俺の飢えは満たされない。もっと強い奴と戦いたい。何人もの弱者を潰したところで嬉しくもなんともない。俺は強い奴とやり合いたい。それで証明するんだ、俺が世界で1番強い人間なのだと。
親父の無念を晴らす為に、金融業者にカチコミに行ってたところに、とある奴が現れた。人相の悪い若造で、そいつは俺とは違う金色に輝く武器を手にはめていた。
こいつなら、対等にやり合えそうな気がした。俺は早々に決闘を求め、戦いを始めた。だが、そいつは思っていたより大したことなかった。
腕力がある訳ではないし、素早く動けるようだがずば抜けたものはない。俺はそいつを何度も地に転がした。指輪の力があろうが所詮俺の強さには敵わない。そう思ったのに。
そいつは、しつこく立ち上がってきた。
何度吹っ飛ばしても、何度地に這いつくばらせようと、何度も、何度も。何度も何度も立ち上がった。その姿が、いやにかつての俺と重なった。瞬間、猛烈な怒りが湧き上がってきた。
「いい加減にしろよ……お前の負けだ! とっくのとうに勝負はついてるんだよ! 何で倒れない!? 何で立ち上がる!? 殴られるのも、斬られるのも苦痛だろう! 怖くないのか!?」
「負け? 違ぇな。俺が『負け』だと思わねぇ限り……負けてねぇ。痛み? 苦しみ? 笑わせんな! そんなもん昔っから慣れてんだよ! オラァッ!」
「っ……!なんなんだ、お前は……!」
「はっ。負け犬上等。俺こそが、負け犬ナンバーワンだ!」
「ふざ……けるなァァァァァァァッ!!」
俺は、そいつを何度も右手の剣で斬った。力いっぱいに殴った。それでも、倒れない。何度攻撃を受けてもしつこく立ち上がってきた。
「……たしかにてめぇは強ぇ。だが、何にも背負ってねぇぬりぃ拳だ!」
「なんだと……?」
「てめぇ、何でそんなに強くなりてぇんだ?」
その問いに、俺は全てを見透かされたような怖気が走った。
「何を……言っているッ……!?」
「自分以外の誰かを見下して、独りで強さを追い求めた先に何があるんだよ。そんなもんほんとに楽しいのか? 嬉しいのか!?」
「お前に……なにがわかる!?」
「てめぇがこれだけの強さを持てたのは、自分じゃない誰かが居たからじゃねぇのか? 自分1人で強くなった気になってる奴に、俺は負けねぇ!!」
「お前は俺の……獲物だ!!」
そいつがそう叫んでから、形成が逆転した。俺の動きを全て見切り、防いで受け流す。次にどう動くかを完全に読んできた。こいつは、その為にわざと俺の攻撃を受け続けたのだと悟った。
そして、一瞬の隙を突いて俺の腹に強烈な正拳突きを喰らわせた。見事な一撃だった。一切の無駄のない、拳1つで繰り出されるそれは、今まで喰らったどの攻撃よりも重く、それでいて……清々しいものだった。変身が解け、地面に転がった指輪を、変身を解いたそいつが拾い上げる。
「約束通り、ゲキレンジャーのリングは俺がもらう」
「……好きにしろ。さっさとトドメを刺せ。お前に負けた俺に、もはや存在価値なんてありはしない」
俺は負けた。自分より年下の人間に負かされた。これほど惨めで情けないことが他にあるか。でも、そいつは俺の言葉を鼻で笑った。
「ふっ。刺さねーよ。俺がやりてー指輪争奪戦は、そんなんじゃねぇ」
「なに……?」
そう言って、黒い上着に首輪のようなシルバーネックレスをした男は俺の隣にどかっとあぐらをかいた。
「話してみろよ。何であんなことになったのか。指輪を手に入れた理由も知りてーしな」
隣でぎこちない微笑みを浮かべるそいつを見て、決闘の後で頭がおかしくなっていたのか、俺はそいつに今までのことを打ち明けた。
俺の実家は町工場で、お袋は俺が小さい頃に病気で死に、幼い俺の為に親父が毎日休みなく働いてた。
職人気質で口の悪い親父だったが、俺のやることに関して何も言わず、「お前の好きにすりゃ良い」と常に俺を尊重してくれた。そういう人柄もあってか、他の社員からも慕われてたし、良い社長だったんだと思う。
俺が高校生になった頃、工場が経営不振になって、毎日のように黒光りした車をフカしてスーツを着た連中が工場に足を踏み入れるようになった。そいつらは金貸しで、事業を続ける為に借金を重ねた親父に時に手荒な方法で取り立てを行った。
工場に響く、物を蹴り飛ばす激しい物音、罵詈雑言、侮辱。その全てに親父は耐え、「金は必ず返す。だから工場には手を出すな」と金貸しに立ち向かった。それが気に入らなかったのか、その連中はある日実力行使に出やがったんだ。
差し押さえ。借金返済に充てる為に工場にある機材や商品を強制的に売り、あろうことか工場そのものを跡形もなくぶっ壊しやがった。
「あいつらは晴れの日に傘を貸して、雨の日に取り上げる」。どっかで聞いたこの言葉は、本当なんだって思い知らされた。
工場にあった全てのものと預金を全額掻っ攫われ、借金がチャラになったのを証明する紙切れを置いて行ってそいつらは笑いながら帰っていった。周りに誰も居なくなっても尚、土下座の姿勢を続ける親父の側に置かれた紙切れが風に煽られて俺の元に飛んできた。
こんなビラ1枚の紙にハンコを押す為に、親父は全てを失わなきゃならなかったのか。
言わずもがな、事業を立て直す金もない為工場は廃業。社員に給料を払えなくなり、全員を路頭に迷わせることになったショックと絶望に耐えられなくなった親父は、斜めに真っ二つにして刃物のように研いだクレジットカードで首を切って自殺した。
遺書には、社員に対しての謝罪と、俺へのメッセージが遺されていた。「強く生きろ」と。
ぐしゃりと潰した遺書を握りしめて三日三晩泣き続けていた俺の前に、親父の古き友人を名乗る男がやって来た。
その男は中国武術……カンフーの教室を営んでおり、師範代を務めていると言った。師範代は、孤独になった俺を教室に住むように誘い、ずっと身の回りの世話を焼いてくれた。
そこで俺は武術を習い、力を身に付けた。強くなりたい。親父の遺言を守りたい。力を付けて、誰にも何も奪わせない圧倒的な力を得る。その一心で俺は鍛錬を続けていたことを、隣に居るそいつに話した。俺の話を何も言わずに聞いていたそいつは、一言こう言った。
「少なくとも、お前の拳は誰かを傷付ける為に得たもんじゃねぇってことがわかった。安心したよ」
「どういう意味だ?」
「もう二度と、親父さんみてぇな人を見たくないと思ったから、「守りたい」と思ったから努力してたんじゃねぇのか?」
守れるのなら、守りたかったさ。けれど、それ以上に俺は強さを求めていた。強くなることばかりを考えてしまっていた。
「俺はただ、強くなりたいと思って……親父の遺言の通りに生きたかっただけで……」
「どうりで、てめぇの拳はまっすぐだった訳だ。親父さんが死んでも、てめぇは真っ当に生きてきたんじゃねぇか。それ以上、そのせっかくの拳を汚すなよ」
そいつは、包帯を巻いている俺の右手を指差した。そいつの言葉で、俺はハッと気が付いた。
弱い奴が嫌いだ。すぐに泣くし、根性がない。
弱い奴は無能だ。何もできない、愚かな人種。
そう心に言い聞かせて生きてきたのは、かつての俺がそうだったからだ。
親父が死んでから、ずっと泣いていた。師範代に拾われた後も思い出すだけで悲しくて、寂しくて泣いた。
稽古も苦しくて、涙と鼻水を垂れ流して地に伏していた。そんな自分が、嫌だった。
そうだ。俺が嫌って、憎んでいたのは……弱い俺自身だった。
だから強くなりたかった。強くなって、弱きを助けられ、強きを挫く力が欲しかった。誰かに踏み躙られることなく、何も奪われない強さを。何もできない自分から脱却して、苦しんでる人を助けられる強さを。俺はひたすらに欲した。
それがいつの間にか、形を変えてしまった。強くなることに固執して、挙句指輪の力に溺れて、本当の願いを見失っていた。なんて、情けない。俺は取り返しのつかない過ちを犯してしまった。たくさんの人を傷付けて、物を壊して。指輪を手にしてからの記憶が走馬灯のように一気に脳内を駆け巡り、気付いたらとめどなく涙が流れていた。
「俺は……なんて……ことをっ……!」
「まぁ……なんだ。たしかにてめぇがしたことは良いこととは言えねぇ。街のもの壊しまくって、病院送りにされた奴だってゴロゴロ居る。けど、「やり直したい」って気持ちがありゃ、誰かに伝わるんじゃねぇのか?」
「俺は……これからどうすれば……」
「てめぇの道はてめぇで決めな。大事なのは、自分がどうしたいかだ」
男は立ち上がり、俺に手を差し伸べた。
「色々カタがついたら、また相手してやるよ。お前は俺の……喧嘩友達ナンバーツーだ!」
「ツー……? ナンバーワンは、他にいるのか?」
「ああ。何回負けても、性懲りもなく俺に喧嘩をふっかけてきやがる……熱い奴が居んだ。ソイツに負けないくらい、お前も強くなりな!」
男はそう返し、笑った。その笑顔を受けて、俺は涙を拭ってからそいつの手を握り、立ち上がった。
「今回は俺の完敗だ。でも次は負けない。もっと強くなって、お前に勝つ。今は……罪を償おうと思う」
「良いんじゃねぇか? 知り合いが言ってたぜ、「願いがあるから、人は生きていけるんだ」って。お前の中にある願いを忘れなけりゃ、あとはどうにでもなるさ。その拳、これからは誰かを守る為に使いな」
男は右の拳を俺に突き出し、それに応えて拳を軽く合わせる。学生の頃に師範代とよくやっていたグータッチも、久しくやっていないことを思い出した。帰ったら師範代に頭を下げて、警察に自首することを伝えることを決めた。
男は俺と合わせた拳に握られていた、「ゲキレンジャー」という名の付いた指輪を麻袋に入れてからそれを背負い、「じゃあな」と一言告げたそいつを、俺は思わず引き留めた。
「待ってくれ! お前……名前は?」
「……
「遠野、吠……」
「そーいや、俺も名前知らなかったな。聞いても良いか?」
「俺は、
「十拳か。またいつか会おうな」
「……ああ。また会える日までに、誰よりも……今よりも強くなってみせる」
「ははっ。楽しみにしてるよ」
吠と名乗った青年は、ひらひらと手を振って歩き去っていった。オレンジの光が眩しい夕空の下、麻袋から金属がぶつかり合うようなチャリ、という音を微かに響かせながら真っ直ぐ前へ進んでいくその背を、俺は静かに見送った。
かれこれ、あの夢みたいな日々から半年が過ぎようとしている。
あの後、師範代に事の顛末を全て話した。不思議な力を手に入れて、それで強くなったと勘違いした結果、たくさんの人やものを傷付けてしまったこと、罪を償う為に警察に自首することを告げた。そうしたら師範代はそれを止め、自首するより先にやることがあるだろうと俺に言った。
そうして、俺は師範代と共に街中の人達や、俺のせいで怪我をして入院中の人達に謝罪して回った。この件とは無関係且つ何も悪くない筈の師範代も一緒に頭を下げてくれた。壊した物の弁償費や入院した人全員の医療費も師範代が全額賄ってくれた。物品の弁償と入院治療費を負担したことで全員から許してもらい、事は丸く収まった。だから警察に自首する必要もないと、師範代は笑っていた。
本当に、頭が上がらない。何故俺の為にそこまでしてくれるのかと聞いたら、師範代はこう答えた。「アイツに遺ったたった1人の息子だから」と。
最愛の妻も、大事にしていた工場も、地位も金も全て失った親父に唯一残ったのは俺という存在だった。それでも、親父は自死を選んだ。俺がもっと、親父にとって大事な奴だったら。俺の為に生きたいと思わせられる奴だったら……親父は死ななかったかもしれないと思うことがある。甘い幻想だとしても、それを想像してしまう自分がいる。
死人に口なしとはよく言ったものだ。親父はもう、この世には居ない。どれだけ願い望もうが、その声も言葉も二度と聞くことができない。
だからこそ、これからは親父や師範代に恥じない生き方をしたい。師範代が負担してくれた金を少しずつ返し、俺なりのやり方で本当の強さとは何かを探したい。たとえ牛歩でも、昨日の自分よりも強い自分で在りたい。その為にも、今できることに全力で励んでいる。
「
教室の生徒が、椅子に座って稽古を見守っていた俺に声を掛けてきた。
「ああ。喜んで!」
1ヶ月前から師範代が腰を悪くして武術を教えられなくなり、その空いた席に二代目師範として俺が直々に選ばれ、武術教室を継ぐこととなった。
散々人様に迷惑を掛けた俺が、他者を導く立場になって良いのかと聞いたのだが、師範代は俺に任せたいとの一点張りだった。「誰かの為に強くなりたいと願う誰かを、今度はお前が導いてやれ」と強く俺に言い続けた。その師範代の願いを叶えたいと思い、俺は二代目師範の襲名を受け入れた。
毎日やることは山積みだが、今は師範代の門下生だった頃よりも充実している。その日々の中で、俺は新たな術を考えている途中だった。
「そういえば二代目、『
「今ちょうど10個目を考えてるところだから、もうすぐ皆にお披露目できるかもしれない。少し待っててもらえるか?」
「やったぁ!!楽しみにしてますね!」
生徒は上機嫌に走っていき、周りの生徒に「もうすぐお披露目らしいぞ!」と言って回っている。
激十拳。その名の通り10個の技で構成される、俺独自の技だ。
師範代から教わった技術と、あの日戦った青年……遠野吠が繰り出した獣のように激しく、それでいて素早い動きを参考に、自分も他人も守れるような技を作りたくて考案した。師範代からの提案で、名前もまんま俺のフルネームを漢字を変えて付けさせてもらっている。激十拳が完成する頃には、吠もきっと指輪争奪戦の旅から帰って来るだろうと俺は信じている。
かつて俺が願った『果てのない強さ』がなんなのかは、正直まだわからない。確実に言えるのは、それは力が強いだけじゃ成り立たないということ。心の強さも、立派な強さになり得るんだと、吠と戦って気付けた。
俺はもっと強くなりたい。そして強い仲間を育てたい。今度こそ本当に、大切な人やものをこの手で守る為に。自分が導いた生徒が、今度は誰かを守れるように。願いを忘れずに持ち続けていれば、きっと叶う日が来ると信じている。たとえ指輪がなくたって、願いがあればまた立ち上がれる。吠のように何度倒れても、何度転んでも起き上がれる。その力は、世の中に居る誰もが持っているんだ。
心、技、体。その全てを極め抜き、いつかまた、あいつと戦う。その日が来るのを信じて、今日も俺は精一杯生きている。
「よーし、それじゃあやろうか!」
生徒の前に立ち、これから手合わせをしようとした瞬間、教室の戸がガラガラと開いた。
「よぉ十拳!望み通り、またお前と戦いに来たぜ」
ポカーンと、口をあんぐりと開けて驚く生徒達に構わず、肩に背負った麻袋を床に置いてそいつは楽しげに笑った。床が僅かにずしっと軋み、その麻袋の重さが、彼に起きた出来事の全てを物語っていた。
「……ははっ。はえーよ」
まだ激十拳も完成してないってのに、そいつは予想よりもだいぶ早く帰ってきやがった。
なぁ、見てるか親父。俺が夢見ていたいつかの日は、今日になりそうだよ。