目が眩む程の高い階段を上がっていると、中途半端な高さで行き止まりに阻まれた。
「おかしい……階段はまだあったはずだ」
と前を行くケルシーが言った。ロドスだった時に形は変わったものの、そのあとの情報はブルーグラスやゼロから聞いてトイフェル内部の地図は頭に叩き込んだはずだった。
「まさか、私たちが襲撃する情報を漏らした誰かがいる……?」
と私が口にすると、ツルギの背中にいるセネトが不安そうに俯いた。
「ここからなら入れそうです」
周りを調べていたマッドグリーンが鍵のかかった扉を指してそう言った。私たちが向かいたいフロアより下の階になるが、今はその扉からの方が最短ルートになりそうだ。
「もし俺たちを倒す気があるなら、ここに閉じ込めて罠でもありそうだけど……」
とレオンハルトが周りを見回しながら言うと、そこにいるロゴスが言葉を返した。
「ほとんど奇襲だったとはいえ、兵士の数が少ないように見える。罠があってもおかしくはないだろう」
私は足元にいるマホガニーとツルギの手を握った。不安になっているのは私の方かもしれないが、手を握ると幾分か落ち着ける気がした。マホガニーとツルギが、力強く握り返してくれる。
「行こう」
私が言うと、マッドグリーンが皆に少し下がって下さいと言い、扉を蹴破った。
扉を蹴破った先は、ガランとした広間になっていた。見る限り宿舎か何かだったのだろうが、今や戦闘の跡地となって散らかっている。ゼロの軍隊たちが先に乗り込んで、今頃パラレルのいる中枢制御室か執務室に向かっているのだろう。
だが、敵どころか味方すらいないこの空間が妙に不気味だった。皆、外の別動隊と戦いに出たのか、ゼロの軍隊が敵を捕虜として連行したのだとしても、人気が全くないのはおかしい……。
「ドクター」
「え」
ロゴスの声が聞こえた瞬間、私の視界が大きく傾いた。周りが既に認識の出来ない白い闇だと気づいた時、私は敵の呪術に掛かってしまっていたのだということだけが分かった。あの洞窟が呪術で封じられていた時から、敵も呪術を使う可能性があったというのに、迂闊だった……。
私はどこかへと落下していった。ロゴスだけが視認出来たが、伸ばしてくれた手を掴み損ねて、私は……。
「ちょっと、起きなさいよ!」
誰かの声が聞こえる。
目を開けると、そこにはよく知った女性の顔が見えて私は安心した。
「イネス……」
私は上体を起こし、ここはどこなのだろうと辺りを見回す。頑丈そうな壁にズラリと並ぶロッカーを見、ここはこじんまりとした部屋なのだと分かり始めた。
「ここは……」
「トイフェルの更衣室よ。狭いけど、安全そうなところがここしかなかったのよ」とイネスが説明する。「あなたがいた中層エリアが真っ二つに斬られたの。まさかとは思ったけど……あなたが落ちていくのが見えて」
「他のみんなは?」
「分からないわ」
そんなことより、今はここを出ましょう、とイネスは適当なロッカーを開けた。そこには男性用のトイフェルの制服があった。
「これに着替えて頂戴。その格好じゃ目立つわ」
とイネスから制服を渡される。見るとイネスも、トイフェルの制服を着ていた。
「……ムースとサンドレコナーは?」
私はある疑問がずっと浮かんでいて、イネスにそう訊ねた。イネスは落ち着いていた。
「先に行ったわ。早く合流するわよ」
とイネスは急ぎ足で部屋を出ていこうとする。私はそんなイネスの手首を掴んだ。
「……首の後ろを見せてくれるか」
私が言ったことに、イネスはとうとう動揺を見せた。私の中では、嫌な予感が浮かんでいた。
「今更何を……そんなことしている場合じゃないわよ」
とイネスが言う。
「今だからこそ確認したいんだよ」私の意思は揺らぎがなかった。「今私の前に立っている君は、本当にイネスかい?」
「当たり前じゃ……」
ドガーン!
すぐそこの扉が唐突に吹き飛び、真横にいた彼女が大きく吹き飛んだ。私はびっくりして頭を腕で覆う。
顔を上げた時にはロッカーはいくつも倒れ、やや凹んだ床にイネスが倒れていたが、扉を破壊したであろう人物もイネスの顔をしていて私はぎょっとした。
「イネス……?」
私が声を絞ると、扉を破壊した方のイネスがはっきりとこう言った。
「ソイツはゼロよ! 惑わされないで、ドクター」
扉を壊した方のイネスは、いつもの格好にいつもの姿をしていた。制服を着たイネスがよろよろと立ち上がる。
「それはこっちのセリフよ、ゼロ! 私こそ本物のイネスよ!」
と向かい合う二人は、どちらも同じ顔と声をしていて、このままだとどっちが本物か分からなくなりそうだと思った。
「あ、イネスさんがいます!」
「ムース、それ以上近づくな……」
そこにパタパタと二つの足音が近づいてきた。ムースとサンドレコナーだった。
「ムース、サンドレコナー!」私は破壊された扉の横から抜けて、通路だったところに出る。「こっちが本物のイネスなのかい?」
「はい! そこにいるのはイネスさんで……ってえ、そちらにいるのは、ゼロさんですかっ?!」
私の問いにムースは真っ先に答えたが、どちらかがイネスでどちらかがゼロが向かい合っているこの状況を見て困惑した。隣のサンドレコナーが言葉を続ける。
「私たちと共にいたのはそのトイフェルの格好をしていないイネスだ」とサンドレコナーが言った。「項のマークは確認したのか」
「いや、まだ……」
私が言いかけた時、トイフェルの格好をしている方のイネスが動き出した。
「甘いわね!」もう一人のイネスが迎撃する。「あなたたちは早く行きなさい! 目的地は上よ!」
だが、敵はそうはさせてくれないらしい。
「行かせないわ! 私の任務は、ドクターの首を取ること!」と向こうのイネスが言った。「私の存在意義はそれしかないのよ!!」
やはりトイフェルの格好をしている方が、ゼロのようだ。
だがイネスは迷いなく、ゼロの攻撃を受け止め、流し、反撃をしている。見ているだけだとどっちがイネスか分からなくなるくらいだ。
「行こう」
私はゼロをイネスに任せて歩き出した。ムースははい、とついて来たが、サンドレコナーはやや疑わしげな表情を浮かべていた。
「いいのか、どちらが味方か判断しなくても」
とサンドレコナーは聞いてきた。だが、私はもうどっちがイネスか分かっていたのだ。
「私が本物のイネスよ!」
後ろの方でゼロと思しき人物がイネスに攻撃を仕掛けた。あのナイフのような武器もイネスに似せたものだろうが、私にはどっちが本物の彼女か分かり切っていたのだ。
「あなたは舐め過ぎたのよ」
本物のイネスが流れるように相手の攻撃をかわした。次には攻撃の手を瞬く間に掴んで相手の動きも封じる。
「この作戦にはいくつものパターンが用意してあった。あなたには、Bまでしか伝えていなかったわね」イネスはそう言いながら相手を地面に叩き落とした。「あなたが裏切った場合の作戦も考えていたのよ。あそこにいる、ドクターと呼ばれる指揮官がね」
「待て」
私は、イネスがゼロにトドメを刺そうとしたのを止めた。ゼロはすでにイネスの踵に押さえつけられたまま動けない状態だったが、イネス自身は不服そうだった。
「あなたは裏切り者さえも庇うというの?」
とイネスは私に言う。
「私たちはロドスを取り返しに来ただけだ」私はイネスに言葉を返した。「人殺しをするために戦っているのではない。それに、君の手を汚す必要はない」
それ以上は、とまでは言わなくても、イネスには伝わっているんだと思う。
イネスから戦意がなくなったところで、私はサンドレコナーを振り向いた。
「サンドレコナー」
「分かっている」
サンドレコナーは身につけている上着の内ポケットから拘束バンドを取り出した。サンドレコナーにはイネス、ムースと共に敵の拘束任務を頼んであった。特にサンドレコナーはこういった後方支援の活動を多くしていただろうから、自分が何をしたらいいか分かっていたのだと思う。
「確かに舐めていたのかもしれないわ……」すっかり反逆の意思を弱めたゼロが拘束されながら呟いた。「だけど私たちは所詮コピー人間。他に従うべきものがなかったのよ」
それは、悲しいことだった。
私が一歩彼女に近づくとムースが止めに入ろうか悩んだ気配はあったが、もうゼロには抵抗の意思がないと分かっていた。
「これから探せばいいんだよ」私はゼロの前でしゃがんだ。「でも今は、君の部下たちの道標になって欲しい」
ゼロはイネスと全く同じ黄色い眼差しを瞼で覆った。そして観念したように、一言。
「この制服の下よ」
私はイネスへ目を向けた。イネスも同じ目をしてため息をついた。それから膝をついてゼロの制服の下にある物を取り出した。通信機だった。
「番号はそこに書いてあるわ」ゼロはこちらを見ずに話し続けた。「あなたたちと過ごしたわずかな時間は、今までのことが嫌になるくらい居心地が良かった。それは本当のことよ……」
俯いたままそう話してくれたゼロに、私は掛ける言葉を失った。トイフェルがどんなところか分からない。だが、あの時ゼロが何気なく手伝ってくれたことは、本当なのだと私は今でも思っていて。
イネスは通信機の裏に書かれた暗号化された番号を読み解き、通信機を繋げた……。
「こちらゼロ。今からラズハのドクターをサポートする動きへ作戦を変更する……」
ゼロとイネスの声を見抜くのは相当苦労するだろう。イネスが発した言葉は、ゼロの指示だと認識するはず。
それからイネスは通信機をゼロに返して立ち上がった。どこに行くんだと聞かなくても分かった。私も立ち上がる。
「ここを任せてもいいかな」
私はサンドレコナーにゼロのことを任せた。サンドレコナーは頷くだけだった。
「ムース、皆と分かれてしまったから、合流するまで護衛を頼みたい。合流したら、サンドレコナーとの同行する作戦に戻っていいから」
「分かりました!」
と私がムースに指示を出した時にはイネスはもう先に向かっていた。私たちも追いかけよう。今どうなっているのか、改めて状況を確認しなくては。