地球に降り立つと、俺はつぶやいた。
「確か……ニューメキシコだったかな。初めての海外旅行が、まさかこんな形になるとはね」
「ほう。ここが、お前の言っていた“ニホン”ではないのか?」
「違うよ。ここはアメリカ。日本の地理ならまだなんとかなるけど……って、うわっ!なんでついてきてるんだ、"ユノ"!」
気づけば、俺の肩に一羽の黒いカラスがとまっていた。
このカラス、ただの鳥じゃない。言葉を話し、魔法を使い、政治にも精通した“スーパーカラス”。たぶん女性で、妙に品があり、知性を感じさせる雰囲気をまとっている。
アスガルドで出会った友人(鳥?)。そして、俺の秘密を唯一知る存在だ。いや、うっかり口を滑らせてしまっただけなんだけど……。
カラスなら、まぁ……セーフだよな?
最初に話しかけられたときは、マジで心臓が止まるかと思った。でも、しゃべるアライグマが存在する世界だ。カラスが話しても、驚くことじゃない……って自分に言い聞かせた。
それに、彼女がいたからこそ、この“憑依生活”の一年をなんとかやってこれた。……恥ずかしくて口には出せないけどさ。
「独り言はやめろと言っただろう。誰かに聞かれたらどうする。恥ずかしいぞ」
「一人のつもりだったんだよ……。で、今の王座はどうなってる? 君が魔法でカバーしてくれてるって言ってたけど」
「安心しろ。フリッガには話してある。問題はない」
「ならいい。ついてくるのはいいけど、少なくともミッドガルドのことなら俺のほうが詳しいんだから、勝手な行動は控えてくれよ」
「心配するな。それよりも――ソーを見に行こう。あの自分勝手で傲慢な男が、今どうしているか……楽しみだ」
楽しげに言うなよ、カラスのくせに……。
「あー、もう……」
俺は探知魔術を発動。魔力の反応は、それほど遠くない。あの街の中、か。
変装の魔術で自分の姿を変える。選んだのは英国紳士風のスーツ。クラシックながらも洗練されたデザイン。
「ほう、見慣れぬ格好だが、なかなか似合っているではないか。……ツノはどうした?」
「いらない。あんなの目立つだけだし、正直ダサい」
「なにぃ!? ダサいだと……これが、ジェネレーションギャップというやつか……!」
なぜショックを受けているんだ、お前……。
「ここでは、カラスを肩に乗せてるやつなんて見かけないんだ。町に入ったら、あの電線の上にでもいてくれ」
俺が電線を指さすと、ユノは羽をバサッと広げ、不満げに鳴いた。
「……私を、ミッドガルドのただのカラスと同じに扱うとは。前にも言ったが、私はカラスはカラスでも――偉大なるカラスなのだぞ? だいたい、そもそも……」
文句を並べる彼女の声を背に、俺は街へと足を踏み入れた。
――あいつと出会ったのは、ただの偶然だった。
私は、――。
かつて、アスガルドの“最初の剣”として、幾千の命を刈った存在。
戦の女神。恐怖の化身。
そして、オーディンによって歴史から消された女。
私が封じられる以前――アスガルドは、征服の時代にあった。
オーディンと共に、私は九つの世界を力でねじ伏せた。
「秩序」の名のもとに行われた侵略。
世界を焼き、王を屈服させ、民を服従させた。
その先頭にいたのが、私だった。
私は命令に従い、ただ機械のように殺した。
剣を握れば、心は無になる。
炎の匂い、折れた骨の音、叫び声――
それらが私の「日常」だった。
何も望んでなどいなかった。ただ、そう生きるよう育てられただけだ。
「戦うこと」が、私の存在理由だった。
ある戦では、街ごと一夜にして灰に変えた。
その中心に立っていたのは、私だ。
泣き叫ぶ子供を、私は見た。
逃げ惑う者たちを、私は踏み越えた。
オーディンは、いつしか私を恐れるようになった。
そして、私を封印した。
「時代にそぐわぬ存在」――それが私への評価だった。
誇りも、忠誠も、名誉も、すべてが切り捨てられた。
年々封印が弱まりつつあった。
私はオーディンに封じられたこの身を、わずかな隙間を縫って解き放とうとしていた。
目立たずアスガルドに潜むには、小さな存在――カラスの姿が都合がよかった。
その中で、私は“あいつ”を見つけた。
外見こそ魔法で変えられていたが、わかった。
あれはアスガルドの者ではない、哀れなフロストジャイアントの子。
アスガルドの民に混じり、嘘をつきながら生きる者。
ロキ。
私は彼に近づいた。利用するため。情報を引き出すために。
だが、彼の語る「未来の話」は、私の常識を打ち砕いた。
「なあ、信じられるか? この国、いずれ消えるんだ。ていうか宇宙の半分が、指パッチン一つで消えるんだ」
「神の国だぞ? そんなこと……」
「オーディンが許さないって?それが、本来の“私”が、オーディンを地球の施設に預けてて――」
「……」
「……」
「お前?」
「私だ」
「('Д')!?」
あの時の驚いた顔、今でも忘れられない。
その後も、私は彼の話を聞き続けた。
ミッドガルドでの、ただの人間としての記憶。
魔法も力もなかった、平凡な日々。
そして、この世界でこれから起こる出来事――
彼の言葉は決して夢物語ではなかった。
筋の通った知識に裏打ちされていた。
だからこそ、信じられなかった。
別の世界の記憶を持つ存在が、こんなところに現れたことも――話された内容も。
最初は情報収集のために会話を重ねた。
けれど、気がつけばその時間が、私にとっても心地よいものになっていた。
そして、ある日ふと彼がこう言った。
「なあ、ユノ。女神ヘラについて、知ってることがあれば教えてほしい」
「……アスガルドには、その名を持つ神は存在しないとされている。それが“公式”の答えだ。だが……なぜ彼女に興味を?」
「かつてオーディンは、九つの世界を力で支配した。彼女は、その激動の時代を生き抜いた。
日本では、子供の頃に戦争の教育を受けるんだ。映像を見たり、本を読んだり。
私は戦争を経験したことはないが……少なくとも、良い時代ではなかったと思う。
仲間が灰になり、味方の屍を踏み越えて敵を殺す。
そして、殺さなければ自分が――誰かが死ぬ。
そんな時代を彼女は生きたんだろう?」
――ああ、そうだ。
私は望んで戦場に立ったわけではなかった。
ただ“役割”としてそう在ることを強いられた。
愛されることも、認められることもないまま――
“恐れ”と“神の道具”として生きてきた。
戦いが終わっても、誰も私の名を呼ばなかった。
私の剣が守った者たちに、記憶されることさえなかった。
1人は、嫌だった。
「…いずれこの国に破滅をもたらすという彼女に、お前は一体何を望む?」
「何も望まない。ただ、話したいんだ」
「話だと……?」
「彼女は、きっと――あまりにも多くを失いすぎた。
愛したものを、信じたものを。その結果、孤独になってしまったんだ。
彼女には、隣にいてくれる誰かが必要だった。それだけなんだ。
今は生きているが、オーディンも、フリッガも――本来の歴史では死んでしまう。
でも、今ならまだ間に合う。話すことが出来るんだ。
彼女はまだ……きっと戦いが終わっていないし救われていない。
だから、伝えたい。伝えなきゃいけないんだ。
ありがとう、と。
そしてもう、剣を置いてもいいんだと。
誰かのためじゃない、自分のために」
そうか。私は、もう戦わなくていいのか。
そうか。
彼の言葉は、どこまでも優しかった。
「それに私は、前は一人っ子だったから……姉がいるっていうのにはちょっと憧れてたんだ。
今の私はオーディンの末っ子、家族だから。
弟の言葉なら、もしかしたら届くかもしれない……なんてね」
「お前のような只人が、私に救いを差し出すとはな」
「何か言ったか?」
「…いや、何でもないさ」
長年にわたり持っていたこの憎悪は消えたわけではない。
そうか、私が“姉”か。
子供の頃、英雄譚を読むのが好きだった。
戦士が巨悪を倒し、姫と結ばれる――そんな話が。
未来に困難が待ち受けていると知っていても、
それでも必死にもがき、抗い、生きようとするおまえの姿が、眩しかった。
そして、心優しき只人よ。
私を救おうとしてくれたお前なら――
きっとこの世界すら、変えることができるかもしれない。
これから始まるのは、ロキ……いや、“お前”の英雄譚だ。
私はこれから紡がれるその物語を、楽しみに待つとしよう。
そして必要とあらば、力を貸そう。
私はお前の――姉だからな。