ロキになった。どないせいっちゅうねん。   作:かねれお

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第5話

昼間の太陽は高く、雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。アスファルトを照らす陽射しは鋭く、街の喧騒が耳に馴染む。車のクラクション、交差点の信号音、人々のざわめき――そのすべてが、日本ではないものの懐かしく感じられた。

 

目的地が視界に入って、俺は足を止めた。視線の先にあるのは、どこにでもあるようなアパート。どうやらここらしい。

 

扉の前に立ち、指先で軽くノックする。数秒の沈黙の後、ギィ…と軋む音を立てて扉が開いた。

 

現れたのは、かつてのアスガルドの雷神――兄、ソー。だがその姿は、王子としての威厳に満ちていたあの頃とは大きく異なっていた。肩の力は抜け、アスガルドの派手な装いとは違う地球のTシャツを着こなしていた。部屋の奥には、無造作に積まれた書類や古文書が散乱していた。どうやら整理中だったようだ。

 

俺に気づいた瞬間、ソーは目を見開き、それから懐かしさを込めて微笑んだ。

 

「…ロキ」

 

「やあ、兄上。地球での生活はどうだ? まさかミッドガルドの食べ物に夢中になってはいないだろうな?」

 

皮肉を込めた挨拶に、ソーはかすかに笑い、頷いた。

 

「思っていたより…悪くない。酒精は弱いが、酒もあるしな」

 

「ふむ。アスガルドの王子にしては、ずいぶんと地に足のついた暮らしじゃないか。今日は何をしていたんだ?」

 

しばらく沈黙が流れ、それから彼はぽつりと答えた。

 

「少し前にジェーン――ここで出会った友が、空間に“何か”が観測されたと騒いでいてな。手伝っていたんだ。彼女はビフレストに気づいている。…非常に聡い女性だ。……また会えて嬉しいよ、ロキ」

 

その言葉に、俺は何も言わずに頷く。ソーは扉を広げ、俺を部屋の中へと招き入れた。

 

「ロキ。どうして来たんだ?」

 

真剣な眼差しで、俺は口を開く。

 

「父上が突然、王の眠りについた。いつ目覚めるのか、誰にもわからない。アスガルドは今、非常に不安定な状態だ。だから…追放された身ではあるが、連れ戻しに来た。帰ろう、兄上。一緒に」

 

俺の言葉に、ソーの表情が曇った。沈黙が部屋を満たし、彼はテーブルに視線を落とす。そして、絞り出すように呟いた。

 

「……ムジョルニアを、持てなくなった」

 

その声は、かつての雷神とは思えぬほどか細く、脆いものだった。

 

「父上は言っていた。『ふさわしき者のみが、このハンマーを手にする』と。だが俺は…持ち上げることができなかった。つまり、俺は……王にふさわしくないということだ」

 

いつも元気な人が落ち込んでいるのを見るのはつらいな。胸の奥に、鈍い痛みが走った。

 

「ロキ、不出来な兄で…すまない。今日、お前が来てくれて嬉しかった。だが、だからこそ……俺の代わりにアスガルドを頼みたい。お前なら、きっといい王になれる」

 

「兄上…」

 

そのとき、部屋の奥から足音が近づき、一人の女性が顔を覗かせた。

 

「ソー、この人…知り合い?」

 

ナタリー・ポートマン…じゃないジェーン・フォスターだ。俺は静かに一礼する。

 

「はじめまして、レディ」

 

彼女は少し戸惑いながらも微笑みを返した。自己紹介でもしようかと思ったが、やめた。代わりに、ソーに向き直る。

 

「私にも、そして今のアスガルドにも――ソー、あなたが必要だ。…今晩、もう一度来るよ」

 

そう言い残し、俺は扉を静かに閉めてアパートの外へ出た。乾いた風が頬を撫で、俺の黒髪を揺らす。

 

近くの公園まで歩き、ベンチに腰を下ろすと、まもなくして羽音と共に一羽の鴉が降り立った。ユノだ。

 

「帰る気がなさそうだな。いや、帰るべきではないという反応だったな。ロキ、どうするつもりだ」

 

俺は肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

 

「本来の流れなら、兄上を連れ帰って任務完了のはずだったんだが……うまくいかないな」

 

「奴はお前に王としての役割を託したのだ。もうお前が王でいいではないか」

 

「いやだね。あと一週間も続ければ、胃がストレスで沸騰する」

 

「そうだ、試しに持ってみればいいではないか」

 

「持ってみる? 何をだ?」

 

「ムジョルニアだ」

 

ムジョルニア――死にゆく星の心臓で作られた、雷神ソーの象徴ともいえるハンマー。中身が一般人の俺が持てるわけがないだろう。

 

「私が? 持てるわけないだろう。仮に持てたとしても、解釈違いというか――」

 

言い終えるより早く、胸の奥に嫌な予感が走った。空気が変わった。張り詰めたような空気が、肌を刺す。

 

「…ユノ」

 

「ああ、何かいるな」

 

空を仰いだその瞬間、空間が歪み、巨大な宇宙船が突如として姿を現した。ステルスを解除したその艦は、漆黒の金属で構成された異形の船体。忘れもしない、この姿――

 

「まさか…!」

 

船底が開き、黒と銀の装束を纏った、不気味な白い仮面の兵士たちが次々と降下、街へと攻撃を開始した。瞬く間に地上は戦場と化し、人々の悲鳴が空気を切り裂いた。爆音、崩れ落ちる建物、逃げ惑う群衆――地獄絵図だ。

 

「――あの姿、まさか…ダークエルフ!?」

 

俺の脳裏に疑問が走る。なぜ今、彼らがここに? 時系列も状況も……おかしい。

 

そして、そのとき。

 

背後から聞こえた静かな声に、背筋が凍った。

 

「素晴らしい景色だとは思わないか?」

 

反射的に振り返る。

 

「この場には、ただ闘争と恐怖が渦巻いている。なあ、そうだろう――偽りの王子よ」

 

そこに立っていたのは、青白い肌をした闇を纏う男。黒いローブを翻し、氷のような笑みを浮かべていた。

 

「お前は…!」

 

俺は知っていた。その姿を。

 

マレキス――かつて滅びたはずの、ダークエルフの王。

マイティ・ソー/ダーク・ワールドにおいて戦うはずの過去の亡霊が、俺の前に姿を現した。

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