(下位打線相手にフォアボールからの出塁を許し、バント失敗をカバーする好走塁。それにさっきのバックホームも際どい判定でたまたまアウトになった可能性も...さらには...)
ランナーを出すも蓋を開ければ3人で終わらせたメンバーがベンチへ戻る中、そのベンチでは高橋が険しい表情を浮かべていた
(最後の盗塁。おそらく意図的にアウトになったもの。相手は昔は強豪だったものの初心者もいる新設校。戦力的にはこちらが圧倒的に上なはずなのに主導権が取れない。普通に強いじゃないですか...!)
高橋は静かに新越の評価を改めていた
『2回の裏、梁幽館高校の攻撃は、4番、ファースト、中田さん』
「中田ー!」
「今日も頼むぞー!」
「でかいの打ってくれー!」
中田がバッターボックスに入ると応援席からは大きな期待の声が上がる。しかし...
「おい!あれ!」
「はぁ!?」
「まだ2回だぞ!?」
全員の視線の先には定位置から大きくずれた位置に立っている珠姫の姿。芳乃と珠姫が行った敬遠策に大ブーイングが起こった
パシッ
「ボールフォア」
「おいおい弱気じゃんかよー」
「そんなんでいいのかよ新越ー」
「卑怯だとは思わないのか」
(まぁこういう声が出るのは仕方ないよね。でも私達だって勝つためだから!)
(なんだろ、そんなに響かないな)
(ブーイングに慣れてないはずなのに落ち着いてるな詠深ちゃん)
芳乃や詠深だってホントは勝負したいに決まっている。しかしこれも作戦の内ととうに割り切っていた
(中田さんを送っても次に打たれちゃったら意味がない。丁寧に投げていくよ)
(わかってるよ珠ちゃん!)
「プレイ!」
5番の笠原に対しての初級は内角低めへのストレートから入った
パシッ
「ストライク!」
(次は外に)
(うん!)
2球目は外角低めへ同じくストレート
パシッ
「ボール」
これは惜しくも枠から外れボールになった
(大丈夫、いいコースに来てるよ。じゃあ次は)
(うん!)
詠深は3球目にさっきと同じコースへチェンジアップを投げた
カンッ
「サード!」
パシッ
「アウト!」
パシッ
「アウト!」
「よっしゃ!」
「ナイスゲッツー!」
「ツーアウト!」
笠原はチェンジアップに手が出てしまいサードゴロ。そのままゲッツーで一気に2アウトとなってしまった
(ここから下位打線。でも下位打線と言っても他の高校ではばりばり4番を打てるような選手ばっかり。気を抜かず丁寧にやろうね)
(そうだね)
敬遠があったものの5番をたった3球で仕留め2アウトにした詠深はノリノリ。6番の大田は初級のストレートに狙いを定めたのだが、実際に投げてきたツーシームを引っ掛けさせられショートゴロに終わりあっさりチェンジとなった
「いい流れだね!この回1番から!追加点取ろう!」
『おー!』
「ナイピ詠深ちゃん!」
「ありがとー!珠ちゃんが機嫌いいから球走ってるのかもー」
「またそういうこと...ほら!茄子ちゃんの応援するよ!」
「おー!」
詠深の言葉に少し照れながら話を変える珠姫
(さて、改めてお手柔らかに)
(この1番を歩かせても盗塁がある以上意味がない。なら勝負一択!)
(もちろん!リベンジさせてもらうんだから!)
先ほど新越が中田を歩かせたように茄子を歩かせることも視野なのだが1回に三塁まで進まれたことを考えると敬遠はまったく意味がないため勝負を選ぶ小林。そして吉川もそもそも敬遠など考えてもなく勝負にやる気をみなぎらせた
(どうするどうする〜?)
(あれやっちゃえば?)
(お、いいね〜。やりますか)
茄子と葵がアイコンタクで会話をし何かを決意した茄子はバットを構えた
(絶対抑える!)
カンッ
「ファール!」
パシッ
「ボール」
カンッ
「ファール!」
カンッ
「ファール!」
パシッ
「ボール」
(こいつもか!)
カンッ
「ファール!」
カンッ
「ファール!」
パシッ
「ボール」
カンッ
「ファール!」
その後も茄子のカットは続いた
(クソッ!さっきの子といい選球眼がバケモノか!)
(おそらく今ので15球は超えた。これ以上は次に響く可能性が...)
小林は吉川の体力面を考えボールにして歩かせるサインを出すが吉川これに首を振った
(ちょっ!)
(私はまだやれる!ここで逃げたらこの後も優位に立てれる!)
(ふっ。あいつらしいな)
バッテリーのやり取りについ笑ってしまう中田。しかしすぐに真剣な眼差しで茄子に視線を戻した
カンッ
「ファール!」
カンッ
「ファール!」
(あー!なんなのよもう!)
その後も笑顔でカットを続ける茄子に苛立ちを隠せなくなってきた吉川
(こんのっ!)
(ちょっ!)
(うーわ。あんまっ)
カーン
「なっ!」
苛立ちからきたど真ん中への真っ直ぐ。さすがにこれまで球数を増やすべくカットを続けたきた茄子もこれを見過ごすわけにもいかずライト方向のライン際すれすれに打ち返した
(やり〜)
「ッ!3つ!」
セカンドで返球を待っていた莉子が走るスピードを緩めず二塁に迫る茄子を見て大声で叫んだ
(へへーん)
「セーフ!」
莉子の危険視通り茄子は三塁を狙い返球間に合わずセーフとなった
「おー!」
「ナイバッチ茄子ちゃん!」
「ナイバッチー!」
(クッソ!)
(球数投げさせられた挙句スリーベースヒット...これはさすがに...)
小林は今の打席が吉川のメンタルに相当影響したと思いベンチを見るが監督は特に動く素振りはない。その後ファーストにいる中田に目をやるとタイムを取るサインを受けた
「タイムお願いします」
「タイム」
その指示通りタイムを取り内野陣が吉川の周りに集まった
「ムキになるな吉川」
「そんなこと...」
「投げる球ことごとくカットされた挙句スリーベース打たれてるのに意固地にならないの」
「ちょっと白井...」
「...」
「1回で打たれてやり返したい気持ちは痛いほどわかる。でもその前に戦ってるのは和美だけじゃない、私達全員で勝利を目指してるの。わかってるでしょ?」
「ッ!」
莉子に言われて吉川は茄子に対してただ自分のリベンジしたいだけでピッチングしていたことに気づいた
「この回1点取られることは覚悟しておこう。しかしそれ以上点を取られないよう全員でしっかり抑えるんだ」
『はい!』
中田の声かけで立ち直った吉川はその後2番菫、3番稜を打ち取り、4番の希で1点取られるも5番の怜をしっかり抑えて最小限の失点で切り抜けた
「追加点は取れたけどまだまだ2点!しっかり守っていこうね!」
『おー!』
追加点はたった1点とは言いつつも芳乃にとってもチームにとっても大きな1点だった。これで1回で取れた1点がまぐれでも相手が実力を十分に発揮していなかったわけでもなく、自分達の実力で取ったものだとさらに自信に繋がった
『3回の裏、稜幽館の攻撃は、7番、ピッチャー、吉川さん』
(ここまでウチの打線を抑えてきた武田さんのピッチング、見せてもらおうじゃない)
「プレイ!」
(和美さん。ビデオで観た限りじゃバッティングも上手くなってた。あの球から入ろう)
(うん!)
吉川に対し1球目からあの球を要求した珠姫。その要望通り詠深は外角低めに入るあの球を放った
パシッ
「ストライク!」
(陽さんを三振に打ち取った例の球...この落差とかホントに1年かよ...!)
(もう1球!)
(うん!)
パシッ
「ストライクツー!」
2球続けてあの球を投げたにもかかわらず吉川はバットを振らなかった。それを見た珠姫は次の球を要求した
(うわっ!)
パシッ
「ストライク!バッターアウト!」
(ツーシーム...入ってたのか...)
体をのけぞらせるほど自分に当たると思った投球。それでもストライク判定となった詠深のツーシームに驚きを隠せなかった
(当たると思うほどの気迫。さすがは珠姫が見込んだだけはあるな。でも次は打つ!)
吉川を3球で打ち取ってまだまだ好調が続く詠深。次の8番小林もストレートを2球続け最後のあの球を空振らせまたも3球で打ち取った
(よし、ここまで順調。ただ上手くいきすぎてちょっと怖いな)
球数も少なくこれまで8者連続凡退。梁幽館相手にスイスイいきすぎて少し不安にある珠姫だったが詠深が好調なのもまた事実だった
『9番、ライト、西浦さん』
「プレイ!」
(2アウトとはいえ次から2巡目だし、ここできっちり抑えたい)
パシッ
「ストライーク!」
珠姫は吉川と同様あの球から入った
(これが言われてた球。なるほど、1年の投球を遥かに超えてる。この投手はこの大会以降も必ずウチの前に立ちはだかる。ここで叩いておかないと!)
カーン
「はっ!」
続けて内角高めを狙った球を完璧に打たれ、球は右中間若干ライト側へ上がった
「茄子ちゃん!」
(任せて〜)
パシッ
「アウト!」
抜ければ長打となる打球だったが茄子の足が勝りアウトとなった
「クッ!」
「やったー!」
「ナイスキャッチ茄子!」
「へへーん。茄子にとっちゃあんなフライ朝飯前よ」
茄子のファインプレーに助けられ梁幽館をまたも三者凡退に抑えることができた新越はテンションマックスだった。しかしその中で珠姫と詠深だけは単純に喜ぶことができなかった
(茄子ちゃんのおかげでアウトにできたけど詠ちゃんのあの球を完璧に打たれた。次の回は警戒しないと)
(あの球あれだけちゃんと打たれたのキャプテン以来か。あ、茄子ちゃんと葵ちゃんにばんばん打たれてたっけ...)
決め球としていたあの球を日常から茄子と葵に打たれまくっていたのを思い出した詠深にそこまでダメージはなかった
カンッ
「セカン!」
パシッ
「アウト!」
(当たりは悪くなかったんだけど...もっと見た方がよかったかしら...)
4回表、理沙からの攻撃は初球のストレートを打ったもののセカンドゴロに倒れた
パシッ
「ストライク!」
(ちょっ...)
パシッ
「ストライーク!」
(あちゃー...)
「っしゃー!」
続く7番息吹、8番詠深も前の回の中田の言葉で立ち直り、気迫迫る吉川からヒットを打つことは叶わずチェンジとなってしまった
4回裏。梁幽館の攻撃が始まる前、キャプテンの中田はナインを集めた
「全員、既に相手を見くびるものはいないだろう」
中田の言葉に全員の視線は鋭かった
「相手ピッチャーの実力はそんじょそこらの1年の実力を遥に凌駕している。しかし次からの2巡目、目は慣れてきただろう。2点失点してウチは未だ無失点。打ちに行くぞ!」
『おう!』
さすがは強豪校のキャプテン。自分達の状況と詠深の実力を再確認させ高橋達が抱えていた不安も一蹴した
(ここから2巡目。まだ手の内を全部晒してないとはいえ現段階の詠深ちゃんの球には慣れてくるはず。1巡目よりもさらに慎重にいかないと)
「プレイ!」
(まずは最初に三振取ったあの球らから)
(わかった!)
珠姫はまずあの球を選択した
カンッ
「ファール!」
(タイミングドンピシャ。これは打たれるのも時間の問題だな。なら!)
最初の打席では空振りに終わっていたあの球を今度はきちんとアジャストしてきた陽。ファールになったもののタイミングは合っていた
そんな陽に対して今度はツーシームを要求した
(ツーシーム!もうあの球は投げてこないか!)
カンッ
陽があの球を狙っていたのは事実。しかし2球目にきたのはツーシームで狙いとは違ったが上手く打ち返し三遊間を割った
(簡単な球じゃないのにあっさりと打たれた...これが陽さんの本来の実力...)
「珠姫ちゃん!」
これから梁幽館の本領が発揮されると思うとこの後のプランを慎重に選ぶ必要があると頭を悩ませる珠姫にベンチから芳乃の声が聞こえた
(ここは8割方バント。バスターも警戒しつつ落ち着いていこう)
(うん)
コンッ
「1つ!」
パシッ
「アウト!」
芳乃の言う通りバスターも警戒していたが目論見通りバントをしてきた2番の莉子。これで1アウト二塁
「1アウトー!」
『おー!』
(詠深ちゃんは大丈夫そう。問題は...)
珠姫は一度観覧席にいる蓮に目を向けた。するとその視線に気づいたのか蓮は笑顔を向けた
(私、ですよね...ふぅ...)
(はっ!お兄ちゃんと珠姫ちゃんがアイコンタクト!?)
(後でどういうことか説明してもらわないと...)
珠姫と蓮がアイコンタクトを取って何か意思疎通をしたことに嫉妬した茄子と葵。2人とも頬をぷっくりと膨らましていた
(3番高代さんを抑えて中田さんを敬遠。5番笠原さんを新兵器で勝負かな。ともかくここは絶対抑える!)
珠姫は得点圏にランナーを出してしまい失点のピンチを迎えるも、さすが全国経験者というべきかまだ落ち着いており今後のプランを練った
カンッ
「ファール!」
(ストレートで空振りを取れないことはわかってた。なら次はこれで)
(うん!)
パシッ
「ストライーク!」
(やっぱりあの球には手を出してこなかった。それにこれで追い込んだ。でもアウトを急いじゃダメ。1球釣り球で)
パシッ
「ボール」
3球目に釣り球として高めにストレートのボール球。しかし高代はこれに手を出さなかった
(さすがに読まれたかな。でも1球高めを見せてから低めの内角に!)
(ツーシーム!)
カンッ
「よしっ!」
狙いはゴロを打たせることだったがセンター方向へフライが上がりアウトを確信した珠姫
「えっ...」
しかしそんな珠姫の考えとは裏腹に打った打球はセンターの前にぽとりと落ちた
(そんな...)
(なんて不運...今のは完全に打ち取った打球だったのに...)
珠姫に加えてベンチでも芳乃が気を落としていた
「タイム!」
「ッ!」
「行ってきてください芳乃さん」
「先生...」
「運も実力のうち。流れを切るためにも一旦時間を使って落ち着きましょう」
「はい!ありがとうございます!」
悪い流れを断ち切るため藤井先生がタイムをとり芳乃を伝令として走らせた
「ごめんね詠深ちゃん...」
「え?何が?」
「え?だって打たれちゃって」
「いや今のはしょうがないでしょ。私も打ち取れたと思っちゃったし」
「詠深ちゃんの言う通りよ珠姫ちゃん。今のはしょうがないわ」
「ぶっちゃけこれまでの回が完璧すぎたからな」
「そうね。詠深の球はまだまだ走ってるし運が悪かったと思って切り替えましょ」
「そうやよ。それにここで1点取られたとしてもまた点取ればいいけん。自分だけで抱え込まんといて」
「みんな...」
みんなから慰めの言葉をもらった珠姫は少し気が楽になった
「でもごめんね詠深ちゃん。次の中田さんは」
「また敬遠でしょ?大丈夫、私でもそうするから」
「へ?」
詠深からまさかの言葉を聞いた芳乃は素っ頓狂な声が出てしまった
「勝負したくないの?」
「そりゃできるなら勝負したいよ。でも今の状況で中田さんに一気に大量得点取られるのが最悪だからね」
「詠深が...そんなこと考えてたなんて...」
「ちょっとー!私だって大庭さんに言われていろいろ考えてただからね!」
「ふふっ」
詠深のいつも通りの振る舞いに珠姫や芳乃にもいつもの雰囲気が戻った
「中田さん敬遠したら満塁で大ピンチ。1点は覚悟して1球ずつ丁寧にいこう!」
『おー!』
全員が次の作戦に賛同し今一度切り替えて藤井先生がかけたタイムはひとまず成功した