『代打に入った大村さんが川口さんに代わってレフトの守備に入ります』
最終回。中田が抑えられた動揺が収まる間もないまま新越の攻撃が始まろうとしていた
『...』
梁幽館ベンチには無言の空間が広がっていた。選手達は気を落としているだろう中田にかける言葉が見つからなかったのだ
「無様ですね」
『ッ!』
そんな空間を断ち切るように口を開いたのは、これまで不動だった栗田監督だった
「試合はもう終わりですか?たかだか4番が抑えられてくらいで試合放棄しますか?」
「いや...」
「ならば顔を上げ守備につきなさい。あなた達が今していることは相手校に失礼な行為なことを思い知りなさい」
『ッ!』
慰めの言葉。少しは期待した。しかし監督から告げられた言葉は叱責。しかし逆にそれが全員の気を引き戻した
「すまない!私としたことが1打席抑えられたくらいでみなに心配をかけてしまった!ここを抑えて次の回で逆転するぞ!」
『おう!』
気持ちを持ち直した中田に続いて守備位置につく梁幽館ナイン。そして位置につくと全員が帽子をとり一斉に新越ベンチに向かって頭を下げた。そしてそれは栗田監督も同様で、待たせてしまったことの謝罪として藤井先生に向かって軽く頭を下げた
「すぅー、しまっていくぞー!」
『おー!』
先ほどまでの気落ちが嘘のように気迫の声を上げる中田に続く選手達。完全に息を吹き返した模様だった
(もしかしたらと思ったけどそうはいかなかったね。でも!)
(私達だって負けるつもりはないよ!)
中田と勝負するメリットは何個かあった。まず1つは詠深の自信とチームの活気。絶対的4番を打ち取ることができればこれからの詠深の自信にもなるしチームにも勢いづく
そしてその反対に相手を凹ませることができる可能性がある。どのスポーツでも精神的支柱、エースを抑えれば崩壊するなんてことはよくある話。あわよくばそれも期待していたがそうはならんかった
「お願いします!」
「プレイ!」
(奈緒さんだって悔しいはずだ!それなのに勝手に諦めかけてた私は何様だって話だよ!)
(私も同じ気持ちよ。ここ抑えてするわよ!)
(あぁ!)
カーン
(なっ!)
逆転へ向けて気合を入れた吉川・小林バッテリーとは裏腹に珠姫が初球のスライダーをセンター前に運んだ
「ナイバッチー珠姫ちゃん!」
「すごい!猛打賞!」
(気迫は戻ったみたいだけど葵ちゃんの見立て通り疲れてるのか球威もキレも詠深ちゃんより数段劣る。これも球数投げさせてくれた息吹ちゃんと茄子ちゃんのおかげかな)
(クソッ...絶対に先頭打者は出したくなったのに...)
(ここにきて1番...)
もう1点でも与えたくないバッテリーはそもそも茄子を抑え込めるビジョンが見えなかった挙句その前にランナーを出してしまった
(息巻いて和美に続投させてはいるけど、これはさすがに...)
小林が栗田監督に目を向けると敬遠のサインが出た
(まさかこのままいくんですか!?)
(上等!ゲッツーでもとれば一気に有利だ!)
パシッ
「ボールフォア」
監督の指示通り茄子を歩かせると栗田監督がベンチから出てきた
「タイム!」
「え...」
そしてタイムを要求。これが何を意味するのかは吉川を含めた梁幽館の全員が理解した。ピッチャー交代。しかも打者を歩かせてからの交代という屈辱的な交代指示だった
「お!中田か!?」
「待ってました!」
逆転へ向けて反撃と踏み出した直後の吉川の心情を知らず応援席からは中田がマウンドに上がる待望の声が上がる
「よくやった。あとは任せろ」
「すみ、ません...頼みます...」
吉川は俯いたまま持っていたボールを中田に預けマウンドを降りた
「対策された中よく投げ抜いてくれました。今日の経験はいつか必ずあなたの力になるでしょう」
「...」
ベンチに戻った吉川は栗田監督の言葉に返事すらせず奥へ入っていった
(ちくしょう...ちくしょう!)
吉川は悔し涙を流しながら3点も失った自分の弱さを嘆いた
パシンッ!
パシンッ!
マウンドでは中田の投球練習が始まっていた
「さすがは中田さん。速いですね」
「はい。もし何も対策をしないまま対戦してたらどうなってたか、想像するだけで鳥肌が立ちます...」
わかってたとはいえいざそれを目の当たりにする冷や汗が出てしまう藤井先生や芳乃
「じゃあそんな芳乃ちゃんの不安も一緒に飛ばしてくるね」
「葵ちゃん...うん!頑張ってね!」
「期待してるわ」
「頼んだぞ葵!」
「任せて」
そんな芳乃の肩をポンと叩いて葵はベンチから出た
『3番、川﨑さんに代わりまして、代打、10番、大庭さん』
(姿を現さないと思ったがここで出てくるのか。白井が言っていたもう1人の要注意人物)
(葵ちゃん...)
ゆっくりと打席に近づく葵を真剣な眼差しで見つめる中田と莉子
「はぁ?ピッチャー中田に代わってんだぞ」
「どういう作戦なんだ?」
「わからん」
「でもこれだけ苦しめられてるのに何の考えもなしってわけじゃないだろ」
梁幽館の応援席はこのタイミングでの葵の代打起用が理解できなかった
(お兄ちゃん...)
『頑張れよ葵。期待してる』
(ぐへへ〜)
打席に入る前に一度蓮を確認した葵は初回の莉子と同じように試合前に蓮が言ってくれた一言を思い出し顔が歪みそうなのをぐっと堪えた
(ここにきてまったくのノーデータの子...初球は様子を見ましょう)
(あぁ)
「プレイ!」
((ッ!?))
葵がバッターボックスに入りバットを構え主審が合図した瞬間中田と小林のとてつもない威圧が飛んできた
(何...これ...)
(とてつもないプレッシャーだ...)
そんな威圧を受けつつも中田は小林の指示通り1球外に外れるストレートを投げた
パシンッ!
「ボール」
(微動だにしない...もう1球、今度は変化球も試すか...)
(いや、カウントが悪くなれば相手の思うツボだ。それに、吉川があれだけ投げ抜いたんだ。私が逃げるわけにはいかない!)
(わかりました!)
小林の次のサインに首を振った中田の意志を汲み取り、今度は内角低めへのストレートを要求すると中田は首を縦に振った
(大庭 葵。君も相当な実力者なのだろう。だからこそ小細工なし。正々堂々とねじ伏せる!)
(お生憎様)
カーッン
(なっ!)
(うそっ!)
中田の渾身のストレートを葵は打ちレフト方向へ高く上がった
(お兄ちゃんが見てるところで真剣勝負。そんなの葵が負けるわけないじゃん)
センターの陽が打球の落下点を探しながらバックするも、そのうち背中がフェンスに当たり打球がそのフェンスを越え電光掲示板に直撃した
「ス、スリーランホームラン!」
「おー!」
「さすがホームラン製造ガール!」
(葵ちゃんすごっ...)
(あれにはさすがの茄子も敵わないな〜)
(ふふーん。これでお兄ちゃんに褒めてもらえる〜)
大盛況なベンチ、ダイヤモンドを回りながら中田の豪速球を初球からホームランにした葵に驚愕する珠姫
(あら〜。完全に心折れちゃったかな?)
(まぁ絶対的エースがいきなり出てきた代打に初球ホームラン打たれちゃあね)
葵が打った瞬間から打球を目で追うことすらせず顔を地面に向けている中田。そしてホームではマスクを取り口が開きっぱなしでホームランの打球が入ったスタンドを見つめている小林。そんな姿を見て茄子も葵もここまでかと感じ取った
「何下向いてんの奈緒!」
「ッ!?」
(ん?)
(お?)
下を向く中田に対して大声を上げたのは莉子だった
「監督も言ってたでしょ!もう試合は終わったの!?」
「いや、だが...」
「点取られたことを嘆いても仕方ないって言ったのは奈緒でしょ!」
「...」
「私はまだ勝ちを諦めてない!ここ抑えて次の回で6点取ればいいことでしょ!」
「そうだよ!今までも1回で6点取ることなんてたくさんあったでしょ!」
「大代...」
「絶対奈緒にまで回すから!ここしっかり抑えよう!」
「笠原...ッ!」
パチンッ!!
中田は同級生達からの言葉を受け思い切り自分の両頬を叩いた
「すまない!もう大丈夫だ!」
(それでこそ奈緒でしょ!)
「依織!」
「は、はい!」
「今のはあなたのせいじゃない!気を取り直してここ3人で抑えるわよ!」
「...」
小林はこれだけ失点を招いている自分に今更できるのかと不安にかられる
(ここを抑えるためにはお前の力が必要だ、小林!)
(先輩...ッ!)
パチンッ!!
しかし中田の顔を見てそんな心配すら今は必要ないことを悟り、中田と同じように自分の両頬を思い切り叩いた
(持ち直した!?)
(へー)
(まぁさすがは強豪ってとこ?)
二度心を折る行為をしてその傾向はあった。しかし二度持ち直した。そのことに芳乃は驚き茄子と葵は感心した
(詠深ちゃんに完璧に抑えられて葵ちゃんに完璧なホームランを打たれて立ち直ってくるなんてさすが中田さん...)
(気迫がすごいな...)
(怖気づいちゃダメだよ!当たらなくてもいいから初球から振っていこう!)
(わかった!)
「プレイ!」
勝負する前からひよっていてはそもそも勝負にすらならない。そう思った芳乃は積極的に振っていくように稜にサインを出した
パシンッ
「ストライク!」
(マジか...)
サイン通りバットを振った稜だったが完全な振り遅れ。さらにその球威に驚愕した
パシンッ
「ストライクツー!」
パシンッ
「ストライーク!バッターアウト!」
「くっそ!」
中田は小細工なしの直球三本勝負。稜は成すすべなく打ち取られてしまった
(さすがは全国区ピッチャー...でも大量リードでこっちが優勢には変わらない!いつも通りにやれば打てるよ希ちゃん!)
(うん!)
続く4番の希。芳乃から受けたサインはただ自由に打つこと。それだけだった
(全国レベルの投手。私も勝負してみたかった!)
「プレイ!」
パシンッ
「ストライク!」
パシンッ
「ボール」
カンッ
「ファール!」
3球で追い込まれるものの1球目で自分のイメージしていたものと比較し、3球目でタイミングを合わせた。そして狙った4球目...
カーン
「ショート!」
「クッ!」
外角低めの球を打った希の打球は三遊間のショート寄りへ。しかし打球速度が速かったため高代は追いつけずレフト前へ転がった
「希ー!」
「ナイバッチー!」
立ち直った中田と勝負して普通にシングルヒットを出した希。その事実にベンチは大喜びだったのだが希は険しい顔で左手を見ていた
(痺れてる...コースがよかっただけに抜けよったけど、少しでも当てる箇所がズレてたら打ち取られてたけん、これで勝ったとは思わんよ...)
今のヒットは自分の力だけではない。そう感じた希は満足はしていなかった
「続けー!キャップー!」
「キャプテーン!」
「1打点で満足できるわけないよねー!」
(もう決して点はやらん!ここを抑えてチームに勢いを加えるのもエースの仕事だ!)
カンッ
パシッ
「アウト!」
パシッ
「アウトー!」
「やった!」
「ゲッツー!」
「ナイピ奈緒!」
また打たれそうな雰囲気を断ち切るかの如く放たれた中田の豪速球に手が出てしまった怜。打球はセカンドゴロとなり4-6-3のゲッツーとなり、これ以上の失点は防ぎ最後の攻撃に移ろうとしていた