セカイのごはん   作:千里のみち

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寒さから暖かさへ変わる、少しだけ暑い日のこと。
両親から離れて二人で暮らしていた頃に、まふゆがお昼ごはんを作るお話です。



味のなくなった冷やし中華

 

コツ、コツコツとマウスの音が部屋に響く。

 

日曜日の午前。

私たち4人は、ナイトコードをつなぎながら作業を進めていた。

奏は曲を作り、絵名はペンを走らせ、瑞樹はPVのエフェクトを構成する。

私は僅かに聞こえるデモの音を聞きながら、歌詞を書き、あるいは消す。

いつもの様に。

 

ただ、以前と違うのは。

 

 

「……」

 

 

デモの音を聞く距離が近くなったこと。

奏が私の傍にいることだった。

 

 

 

 ――― ◇ ―――

 

 

 

あの日。ひどく雨が降っていたあの日、奏のところへ走った日からしばらく経つ。

あの後お父さんと話しあって、当面の間は奏の家で暮らすようになった。

奏たちと一緒に曲を作る前から、住む場所が変わることを想像していなかったわけじゃない。

でも、いざそれが現実のものになると気づくことが沢山あった。

 

奏の部屋が思ったよりも散らかっていたから、説き伏せてそれを片付けた。

一向に寝ようとしない奏がふらつくのを支えると驚くほど軽かった。

お手伝いの望月さんが作った料理を、奏が食べ忘れそうになったことも一度や二度じゃない。

 

そして今。

どれも奏が折れるか、私が慣れるかのどちらかに収まっている。

毎日一緒に暮らしていたはずのお母さんやお父さんとは、顔を合わせる時間が減った。

ナイトコード越しに話すことが殆どだった奏とは、向かい合って話す時間が増えた。

 

 

「奏、Aパートの歌詞。転調する部分を少し変えたから、乗せておくね」

 

「うん。ちょうどいいし、すぐに見るね」

 

 

私を取り巻く世界は大きく変わっている。それでもサークルでの役割は変わらない。

奏は曲を、絵名はイラストを、瑞希は動画編集を、私は歌詞を。

一緒に住んでいるからと言って、互いに妥協はしない。違和感があれば伝えるし、指摘を受けたらそれに応える。

奏には直接話す機会が増えたけど、学校の子たちが言っていたような喧嘩というものには至っていない。言い方と受け取り方の影響なのかもしれない。

けれど喧嘩するほど仲がいい、という言葉もあるし、それがいいことなのか、それとも悪いことなのか。

 

 

「それで新しいケーキが……なのよ!……」

 

「あはは、えななんも……苦手なん……」

 

 

チャットをONにするとデモをかき消すように聞こえてくるのは、絵名と瑞希の声だ。

私と奏は必要なければ黙って作業に集中するけれど、絵名と瑞希はよく喋る。

流行のファッション、宿題の悪口、街に出かけた時のこと。

おそらく楽しいであろう会話もあれば、時には小さな口論に発展することもある。

 

聞こえてくる音声の大半はこの二人だ。

逆に二人が集中している時は、流れてくるのは通知音とチャット音だけ。

最近は集中したい時以外はミュートにしていないし、二人が無言になるとほんの少し冷たく感じることも増えた。

 

 

「まふゆ、ここの部分なんだけど」

 

 

考えているうちに奏は歌詞に目を通したらしい。

相変わらずカフェの話を続ける二人を余所に、私の意識は奏とのすり合わせに集中した。

 

 

 

 ――― ◇ ―――

 

 

 

『じゃあ、私落ちるね。言われたところは直してあるから』

 

11時を過ぎた頃、絵名からのチャットが届いた。修正されたイラストのファイルも添付されている。

絵名にしては早く抜けたのは、友達と喫茶店に行くためだろう。

新作を食べに行くんだと、昨日は妙に自慢気だったことを思い出しながら、修正されたイラストを開く。

 

前に指摘した部分の構図は変わっていた。同時にそれ以外の場所も構図の変わった場所がある。

……どうして、この部分は色を変えたんだろう。単に修正した部分に合わせるためか、それとも別の意図があるのか。

メンバーのアイコンを見ると、既にオフラインになっている。おそらく準備に勤しんでいるに違いない。伝えるのは次の作業にしよう。

 

 

『そろそろ12時だし、ボクも休憩しようかな、ちょっと暑いし、お昼のついでにアイスでも食べよっと』

『今日は夏みたいになるらしいから、二人とも気をつけてね』

 

 

作業を再開して少し経った頃、瑞希からのチャットが来た。

言われてみれば、確かに今日は少し暖かい。天気予報を確認すると、7月中旬並みの温度になるらしい。

昨日まではむしろ例年より低い気温だった分、その差でより暑さを感じやすいのかもしれない。

……空調のリモコンはどこにあっただろうか。

ファイルを保存して探そうとした時、視界の端にぐったりと項垂れる姿が映った。

 

 

「……奏?」

 

「うっ……大丈夫、まふゆ。すぐ起きるから」

 

 

床にうずくまっていたのは奏だった。

よろよろと椅子に戻ろうとする奏の顔には、明らかに疲労の色が濃い。

連日の作業と寝不足、そこに暑さが重なった結果だということは容易に想像がついた。

 

 

「奏、冷房のリモコンはどこだったっけ」

 

「……これ、かな」

 

 

手渡されたリモコンで設定温度を下げると、冷風が流れてきた。

これで少し、楽になるだろう。

 

 

「リモコン、戻しておくね」

 

 

声をかけると、奏はコクリと頷いて画面に目を走らせている。

作業に集中すると声は届かなくなるのはいつも変わらない。もしくは、少し休んでいた分を取り戻そうとしているのかもしれない。

時刻はもうすぐ正午。昼食の準備をした方が良さそうだ。

 

部屋を出て冷蔵庫を確認する。今日は望月さんが来ない日だと以前から聞いていた。

中には惣菜もあったけれど、温めて食べるタイプのもの。

少し熱そうに額を拭っていた姿を思い出す。これは温度の下がる晩に残しておいて、この時間は冷たいものを用意したい。できればすぐに作れて味の薄くないもの。

 

ほんの少し候補を選んで考えた後、メニューを決める。これなら買うものも少なく、調理に時間はかからない。

軽く身だしなみを整えて鞄を手に取る。この時期でもスーパーで売っているはずだ。

 

 

「お昼ご飯の材料、買いに行ってくるね」

 

 

返事は返ってこないけれど、前に渡された鍵をしっかり閉めた。

 

 

 

 ――― ◇ ―――

 

 

 

「ただいま」

 

 

家に帰ってから声をかけるが、返事はない。部屋を覗くと画面をじっと見つめていた。

冷風で温度が下がり少し余裕が生まれたのか、まだ作業を続けているようだ。

もう少し時間がかかるなら先に準備を進めよう。

 

台所に戻って買ってきたものを並べる。

薄切りハム、トマト、きゅうり。

 

 

(冷やし中華……なぜか久しぶりに感じる)

 

 

セールの情報を調べ、特集されていたことで思いついたのが冷やし中華だった。手順は書いてあるし体を冷やすこともできる。私でもきっと失敗することはないと思う。

商品には特にこだわりがないから、最初からタレが入っている商品を買ってきた。他の材料も表面に傷はないから、おそらく味も問題ないはずだ。

 

冷やし中華の袋を裏返すと絵と一緒に作り方が書いてある。下手にアレンジするよりもこれに合わせて作る。

準備として包丁とまな板、鍋とざるを取り出す。お湯を用意するのは時間がかかるから、先に鍋に水を取って火のスイッチを入れておく。

 

火が付いたのを確認してから食材を切り始める。

きゅうりは細切り、トマトとハムは薄切り。

 

 

(家庭科の実習時に聞いたとおりなら、この切り方でこの形になる)

 

 

袋の写真通りの形になるように切れば、見栄えはいいはず。トマトは丸い形で動きやすいけれど、コツを掴めばすんなりと切れた。

 

1人前ずつ分けたところで鍋の水が沸騰した。熱気がこもらないよう換気扇は既に回している。袋から中華麺を取り出して熱湯の中に。鍋底に麺はくっついていないし、水を足す必要もないだろう。

このまま3分間、鍋に麺がくっつかないよう菜箸でかき混ぜながら様子を見る。

火から目を離せない中でも、微かに作業音が聞こえてくる。奏はまだ、昼を過ぎていることに気づいていないのだろうか。

 

タイマーが鳴ったら麺を一本取り、事前に用意しておいたざるで水にくぐらせる。

一口食べて固さを確かめる。固すぎても柔らかすぎても良くないと聞いたのはどこだっただろうか。

 

 

(……噛んでも硬さはなくて、やわらかい。問題はなさそう)

 

 

火を止め、茹でた中華麺をざるの上で冷水にさらす。湯気が立ち込めるけれど、少し離れていれば問題はない。

 

二人分の皿を用意してから麺に触れると、すっかり冷たくなっていた。水を止め、ざるを使って水分をしっかり切る。

麺を目測で1人前ずつ取り分けたら次はトッピング。切っておいたきゅうり、トマト、ハムをのせる。無作為に散らさず幾つかの塊に分けて円形に並べたから、見栄えは良くなるはずだ。

 

最後に付属のタレを全体にかけ、冷蔵庫にあったゴマを振りかける。

箸も用意して完成。そろそろ奏を呼びに行こう。

 

 

 

 ――― ◇ ―――

 

 

 

「奏、お昼ご飯できたよ」

 

「……え?もう、そんな時間?」

 

 

再び部屋を覗いて声をかけると、私の呼びかけに奏はゆっくり振り向いた。

目の焦点が揺れて少しかすれた声になっている。

 

 

「冷やし中華を作ってみたけど、どうする?今食べる?」

 

「……うん。私も食べる、まふゆ」

 

 

パソコンの電源を落とし、そっと椅子から降りてきた。

私がご飯の話をすると、どんな時でも最後は一緒に食べている。

自分のお腹を見て頷いているところを見ると、お腹に正直だったのかもしれない。

 

 

 

空気の入れ替えと冷房の準備は既に終えていた。いつもの席に座っても暑さを感じない。

 

 

「これは、冷やし中華?」

 

「今日はちょっと暑いって聞いたから。体が冷える食事もいいと思ったの」

 

「……そっか。もう、そんな時期になるんだ」

 

「今日だけ夏のように熱いんだって。明日からはまた冷え込むみたい」

 

「明日からは下がるの?よかった」

 

 

ニュースで知った天気予報の表現をそのまま使うと、少し安心した顔になる。外にあまり出ない奏だけど、やはり暑いのは苦手らしい。

ただ、冷え込むとは言ったけど、もう3月のような寒さには戻らない。1週間もすれば、どんどん暑さは増すそうだ。

……望月さんに会ったら、この時期の備えについて聞いた方がいいのかもしれない。

 

でも今は、目の前の冷やし中華だ。

麺類は早く食べないと美味しくない、というのは誰の言葉だっただろうか。

 

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

 

私も奏も、揃って箸を手に取る。挨拶をしてから食べるようにするのは、奏も同じ。

望月さんが来るようになってからは、再びテーブルで挨拶をするようになったと聞いた。

 

きゅうりと麺をつまんで一口。

冷たい感触が広がり、麺の柔らかさを感じる。きゅうりは薄く切ったから表皮の固さは殆どない。

トマトとハムを口に含んでみる。やはり変わらず、味はしない。

幼い頃に食べた記憶が正しければ、酢としょうゆの味がするのだろうけれど。

 

奏の家に来てから料理をする機会は増えた。家庭科の授業では何も思わないのに、今はもし失敗したら、という思いが心の片隅にある。

次の一口を噛みながら密かに奏の顔を見ると、ほくほくとした顔でタレの滴る麺を食べている。つるつるの麺がこぼれそうになって、必死に拾おうとしていた。

……どうやら調理は成功したらしい。

そう思うと自分の口に入れた冷たい麺も、少しだけ暖かいような気がした。

 

 

 

 ――― ◇ ―――

 

 

 

「ごちそうさま。まふゆ、ありがとう」

 

「ごちそうさま。……奏が美味しいなら良かった」

 

ゆっくりと食べる奏を待ってから箸を置く。

奏の目が心なしか心配しているように見えた。

 

何も感じない私の味覚。暖かさや冷たさは分かるけれど、今も味の良し悪しは分からない。

今日選んだものも、スーパーで最も広いフロアを占めている大手メーカーの商品だ。小さい頃の感覚を信じるなら美味しいはずだから、選んだだけ。

 

解決策がはっきりと掴めてはいない問題。もしかしたら一生続くのかもしれない。

けれど今は、私のことよりも気になることがある。

 

 

「……奏」

 

「なに、まふゆ?」

 

「少し、休んだ方がいい」

 

「……え?でも作業の続きをしないと」

 

「昨日からずっと続けているよね?集中できてないのは分かってる」

 

「う……」

 

 

一緒に食べていても顔色が悪くなったのがはっきりと分かった。

土曜日、日曜日と休日が続く中で、奏は殆ど寝ていない。ここ最近は、私が寝る間際も起きた時もパソコンに向かっていた気がする。

私が学校の課題と作詞の作業に集中していたこと、望月さんも来られない日だから、止める人がいなかった。

 

真っすぐ見つめると奏は僅かに頷く。

瑞希がそれとなく休むようチャットで話していたことを思い出す。当の奏も返す気力が尽きているのか、静かに項垂れていた。

 

 

 

 

「ここでいい?」

 

「……うん」

 

 

午後1時を少し過ぎた頃。

早い時間だけれど、壁代わりの雑貨にもたれかかって休むことにした。二人で作ったスペースに冷房の風が直接当たらないよう、設定を調整する。

奏は床に散らかっていた譜面や資料の片付け。少しふらついているのが心配だったけれど、何とか無事に座ることができた。

 

二人並んでブランケットを被ると、さらさらとした感触が伝わってくる。奏曰く、このメーカーの商品は肌ざわりが良くて心地いいそうだ。

準備が終わる頃には瞼が落ちそうになっていた奏。数分もすると、すぐに隣から寝息が聞こえてきた。

よく見ると長い髪が雑貨にもたれかかっている。何だか気になってほつれを整えた。

 

 

「お休み、奏」

 

 

つられて瞼を閉じると、私も疲れが出てきたのだろう。

いつの間にか力がふっと抜けて、何も考えられなくなっていった。

 

 

「お休み、まふゆ」

 

 

小さな手で頭をなでる誰かの声。

寝ぼけた頭で聞こえたのは、私の気のせいだったのかもしれない。

 

 




おまけ

とあるドラマーのお手伝いさんが来た時のこと。

(宵崎さん、昨日の分も残してない。忙しいって聞いてたけれど、ちゃんとご飯を食べてるみたい。これも朝比奈先輩のおかげなのかな。あら?何か貼ってある)

『冷やし中華のつくりかた』

(何だろう、このメモ。チャーシュー、ゆで卵にかまぼこ、色んなレシピが箇条書きで書いてある。この文字はもしかして……)

(っていけないいけない!早く掃除に取り掛からないと)
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