彰人と冬弥はメインストーリーの数年前から二人で活動していました。
市井にあまり詳しくない冬弥と切磋琢磨する中で、こんな一幕もあったのかもしれません。
カランカラン、とベルの音を立てながらライブハウスのドアが閉まる。
ドアに遅れて再び響く音を背に、俺たちは表通りへと歩き出した。
「中盤からの反応はどうだったと思う、彰人。悪くなかったように思うが」
「ああ。見に来た連中の半数は俺たちを見ていたし、途中で席を立つやつも減ってきた。そういう意味じゃ、良くなっているのは確かだ」
自然と口に出たのは今日のイベントの反省だった。
俺と冬弥がチーム『BAD DOGS』を結成してから、もうすぐ1年になる。
初めてチームで参加した時の洗礼を受けてから練習を重ね、場数も踏んできた。
あの時のようなぬるい視線はまだ残っているが、俺たちの歌は少しずつだが認められつつある。
「だが、最後のチームには盛り上がりも及んでいなかったのは痛かった」
「トリの連中にまだ届いてねえのは事実だ。ラストパートも、しっかり合わせねえと」
だがまだまだ上の連中は山ほどいる。
今日の俺たちの扱いは、言ってみれば主賓の前座。一番観客を沸かせていたのは俺たちの後のチームだった。
この現状に満足するわけにはいかない。歌もパフォーマンスも、課題は山のようにある。
ヒヨッコだなんて言わせてたまるか。
『あの夜を超える』。かつて見た夢を憧れだけで終わらせない。二人で必ず、この手で掴んでみせる。
「よし、次のイベントは---っておい、どうした!?」
ふと振り返ると、冬弥が俯きながら腹を押さえて立ち止まっている。
まさか、体調を崩したのか。思わず駆け寄ると、俯いたまま冬弥が口を開く。
「……すまない、彰人。コンビニに寄っても、いいか?」
「分かった。すぐそこにあるし、トイレを借りれるはずだ。歩くのがきついくらい痛いなら、手を貸すぞ」
「いや、体調が悪いわけじゃない。その……お腹が空いたんだ」
「……は?」
顔を上げた冬弥は、苦しくもけろっとした表情を浮かべていた。
――― ◇ ―――
「誤解させてすまなかった、彰人。何も食べていなくて、どうしても空腹に耐えきれなくてな」
「その、まぁ、気にすんな。体調を崩す方がよっぽど大変だからな」
ベンチに座った相棒の右手にはツナマヨ巻き、左手にはコンビニの袋。
先程までの空気はどこへやら、呑気に頬張っている。
こっちとしては呆れる気も起きない。
結果から言えば、冬弥がコンビニに行こうと思ったのは食事を取りたかったからだった。
なんでも今日の調整に集中するあまり、昨日から食事が最低限になっていたらしい。
歌い終わって緊張が解け、疲れと反動が一気に来た。俺たちはラストの一組前だったし、店を出るのも遅かったから余計にだ。
「でも腹が減ってたなら、あのライブハウスで買っても良かったんじゃねえの?」
「昼食は彰人が紹介してくれた店に行く予定があっただろう?その前にお腹を満たすのはちょっとな」
それで店に着くまでは我慢しようと思ったが耐えきれなくなった、というわけか。
冬弥は少し照れくさそうに笑っていた。
……結果論ではあるが、悪いことをしたかもしれない。
「あぁ、そのことなんだけどよ」
「どうした、彰人?何かあったのか?」
「さっきその店のことを調べたら、今の状況がヤバイらしい」
「……この人だかりは、一体?」
コンビニに行った冬弥を待っている間に見つけた、SNSの映像を見せる。
店の前にいるのは長蛇の列をなす人の群れ。並んでいない通行人を除いても、十人は軽く超えている。
周りには記念なのか野次馬根性なのか、カメラを回している奴らもいる。
「確か抹茶ケーキの店だったと聞いていたが、普段からこんなに混む店だったとはな。彰人がオススメするわけだ」
「いや、俺が見た時は昼でもここまで並んでなかったはずだ。つい最近、何かの番組でアイドルグループがここに来て、その影響らしい」
「『Cheerful*Daysのメンバーも絶賛!』、とあるな。現在の待ち時間は、推定で1時間か?」
「ファンのおかげで商売繁盛するのは良いんだがな。普段の客からすると厄介な話だっての」
ここの抹茶ケーキは糖分が控えめで、甘いものを好まない冬弥でも食べやすいと思って誘ったんだ。それだけに、画面をじっと見つめて情報を探す姿が胸に刺さる。
「……冬弥、すまねぇ」
「いや、大丈夫だ。また今度、空いているときに行こう。それより、今日の昼はどうする?」
「そこだな。昼も一緒に食べようと思ってたから、他を探さねえと」
この店はスイーツも扱ってるが、本来はパスタで有名な店だ。両方味わえると思っていたが仕方ない。
この付近の店でいい所はないかどうか検索をかける。
この店は混雑しすぎる。この店は昼にしては少し高すぎる。
人気順に探しているとなかなかちょうど良い店が見つからない。
ファーストフードやファミレスは間違いなく混んでいるし、落ち着けそうにない。
「彰人、この店はどうだろう?」
「ん?これは……」
冬弥の見せる画面に表示されているのは、店名と「ジャンル:とんかつ」の文字。
検索をかけてみると、とんかつ主軸の昔ながらの食堂らしい。場所もここから歩いて数分と遠くない。
「近くの店で検索したら見つけたんだ。外観もメニューも気になる。ここから近いし、行ってみないか?」
「冬弥がいいなら俺は大丈夫だ。混まねえうちに行こうぜ」
「そこは問題ない。口コミでも空いている店と書いてあったからな」
それはそれで心配だ。妙な店じゃないといいんだが。
何にせよ、どうか混んでいないように。
心の中で祈りながら、焦燥感を振り払ってベンチから立ち上がった。
――― ◇ ―――
「……ここがその店か」
「何だか緊張するな」
「おいおい、別に特別な店じゃないだろ。早く入るぞ」
「分かってる。このドアはこう、動かすので合っているか?」
歩いて4分。俺たちは店の前に到着した。
どことなく古びた木の外観に、かすれた看板の文字。大通りから少し外れた場所にあるが、今も営業を続けている老舗らしい。
店の前で固まっている冬弥と共に、ガラス装飾の付いた扉に手を伸ばす。
「いらっしゃい」
「いらっしゃい!」
傷の残る引き戸がガラガラと音を立てると、野太い声と若い声が続けて聞こえる。
休日ということもあってか、席はまばらに空いている。店員に2名と伝えると、すぐに席へと案内された。
テーブルの端に立てかけてあるメニュー表を開くと、料理名だけが書いてあり写真はない。
らしいと言えばその通りだが。
冬弥は注文が既に決まっているらしい。俺も早々に決めて、さっそく店員を呼ぶ。
「はい、注文は?」
「大とんかつ定食2つで」
「あい、大とんかつ2丁!水はセルフでお願いします」
目にもとまらぬ速さで注文を書き取り、店員は調理場に戻っていく。
水はテーブルに置いてあるコップと、大きなウォーターピッチャーから汲むらしい。
隣にはとんかつソースに紙ナプキン、唐辛子と調味料もあった。
出来上がるまで時間もかかりそうだし、2人分の水を入れる。
冬弥に水を渡すと、何が面白いのかメニュー表を眺めていた。
「これ、冬弥の分な」
「ああ、ありがとう。ここのお店はどんなものを出すのか、写真では分からないんだな」
「名前だけしか書いてないのって、食堂じゃ結構多いぞ。更新サボってるのか、あるいは昔からの店が多いからかもしれねえけど」
「そうなのか?知らなかったな……」
「名前で判断しないと困るから、ストレートな名前になってる。ほら、エビフライ定食に、ハムカツ定食が」
「ジャンルも和洋問わず、だな。このページにはからあげ定食にオムライスか」
目を輝かせてメニュー表を順に読んでいく姿は何だか子供のようだ。
好きなもの食べていいって言われたら、片っ端から全部注文するんじゃないだろうか。いつになくテンションが上がっているのかもしれない。
「それにしても、なんだか新鮮な気分だ」
「そんなにか?食堂だろ」
「いや、『食堂』という場所に行ったことがなかったからな。自分の意思で足を運んだのも今回が初めてだ」
「……」
「家族と食事に行くことはあったが、多くは父さんのよく知るレストランだった。知らない店に自分で入ろうとすることはなかったんだ」
メニュー表越しに視線を落とす顔は、どこを見ているのか分からない。
今まで行ったことのない場所。自分の知らない領域に踏み出すことへの不安。
たかが食事と言えばそれまでだが、俺を誘ったのは何か思うところがあったのだろうか。
ぐぅ~。
「ん?」
「……」
突然聞こえた、お腹の鳴る音。
向かい側を見ると、メニュー表が表情を遮っていた。
「……すまない」
「いやいや、そんな」
ぐぅ~。
今度は俺の方から音が聞こえた。
「……すまねぇ、冬弥」
「……ふふっ」
微妙にタイミングのずれた合図に、相棒が可笑しそうに笑っている。
そんなに可笑しいか?
「いや、色々と考えていたことが急にちっぽけに思えてきてな。腹が減っては戦ができぬと言うが、考えることも戦いなのかもな」
「大げさだろ。ま、食べねえと何もできないのは確かなのか?」
思わぬ形で重なった空腹の合図。
相棒の理屈に乗って、俺も笑みがこぼれる。食事に行くのに考え込みすぎたかもしれない。もうすぐ来るであろうとんかつ定食を待つとしよう。
――― ◇ ―――
注文から8分ほど経った頃、俺たちの定食が運ばれてきた。
相棒と一緒に挨拶をして、念願のとんかつ定食を前にする。
「いただきます」
「いただきます」
俺がとんかつ定食を選んだのには特に深い理由はない。
単に一番人気っぽかったし、腹が減ったからサイズアップしたくなっただけだ。
その結果、目の前にあるのは大皿の半分に迫るほどの大とんかつ。キャベツやみそ汁も負けじとボリュームたっぷりだ。
調味料の場所においてあるソースを手に取り、一切れのとんかつに直接かける。
溢さないようソースを引き上げて整える。
戻す前に渡そうとすると、相棒が俺の皿をまじまじと見つめていた。
「ソース使うか、冬弥?」
「ああ。しかし、店のとんかつはソースを直接かけるものなのか?」
「俺はそうしてるが」
「いや、何も入ってない小皿があったんだ。てっきりここにソースを入れて、つけて食べると思ったんだが」
言われてみると確かに俺の方にもあった。
もしかすると、小皿に入れて味変しながら食べる想定はこっちだったのか。
「どっちでもいいんじゃねえの?俺は直接かけることが多いけど、小皿ならレモンやからしとの使い分けもできるしな」
「なるほど、別の味もあるのか。せっかくだから、小皿を使ってみよう」
そう言って受け取ったソースをいそいそと皿に注いでいる。
何だか鼻歌でも聞こえてきそうなくらい、楽しそうだ。
俺も箸を手に取り、冷たさが残るキャベツを先に一口。
(水っぽさはない、温くもねえのはありがたいな)
油を入れる前に口の中をさっぱり整えておく。
いよいよ本命のとんかつだ。
一切れ取って口の中へ運ぶ。
(ロース肉にしてはちょっと柔らかい、いや中心は引き締まってるな)
ロースかつの脂身の食感。ちょっと固めの肉が逆に噛み応えを生んでいる。最初のソースは少なめにしておいたが、これなら問題ない。
ご飯を挟んで二口目。今度はソースがしっかりかかった部分だ。
多少濃い味になっていたけど、サイズが大きい故に肉の味が凌駕する。
箸は止まらず、キャベツとみそ汁を交えながら食べ進めていく。
「そういえば味噌汁に人参が入っていたが、大丈夫か?」
「……問題ねえ、先に全部食べたからな」
味噌汁の人参だけはキュウリの漬物と抱き合わせにして、全て胃へ押し込んである。
これはキュウリだ、となるべく味を感じないように無心でかみ砕くのがコツだ。
少なくとも、とんかつを堪能した後に食べるよりはマシだろう。
「すみません、ライスお替りで」
「ご飯おかわり、量はどうします?」
「では、大盛りで」
茶碗のご飯だけ先になくなった頃、冬弥が店員を呼んでいた。
見ればやはりご飯だけ先に食べ切ったらしい。
何度か一緒に食事をとることはあったが、これ程早く食べ終えるのは見たことがなかった。
「ここってご飯のおかわりできるのか?」
「ああ。このメニュー表にあったんだが、ご飯のおかわりは無料らしい。しかもサイズも変えられるからありがたいな」
「マジかよ、見逃してた。あ、すいません!」
注文して1分と経たずに届いた大盛りのご飯は、その名に違わぬ大容量。
だが今の腹具合なら問題ない。余裕でいける。
向かいでは既に届いた茶碗にせわしなく箸が動いていた。
とんかつの後半戦は相棒にならって、小鉢にソースを入れて使ってみる。
(何だか、刺身やすしに醤油をつけるみたいだな)
少しだけつけて食べると、これがまた美味しい。
家でやると洗い物が増えちまうけど、店なら気軽だ。
相棒は皿に乗ってるレモンを絞ってかけている。慣れた手つきで扱っているのが意外だった。
「ムニエルのような白身魚のメニューだと、レモンを自分で付けることがあるんだ。小さい頃、果汁が父さんたちに飛ばないようになるまで大変だったな」
そう笑って絞り終えたレモンの果汁は、一滴もお互いの服についていなかった。
――― ◇ ―――
気づけばあっという間に大容量の食事外の中に消えていた。
俺も冬弥も、自分が思っている以上にお腹が空いていたのかもしれない。いつもより口数が少なかったのは、きっとそのせいだ。
お互いに水を飲んで一息ついている。
「どうだった、大とんかつ定食は?」
「本当に、美味しかった。これが、食堂というものなんだな」
「……そうか」
ソースが端に着いた口元は緩みきっている。
店に着く前もおにぎりをつまんでいたのに俺より早く食べ終わっている辺り、余程無我夢中だったのか。
ほんのりと幸福を噛みしめるような、皿を見つめる名残惜しそうな表情でわかる。
(食べすぎたか?腹一杯で動けねえ)
例の抹茶ケーキの店を見るとまだ列は残っているらしい。
こっちは並んでいる人もいないし、もう少し腹を休ませてから店を出よう。
空になった2つのコップに、ピッチャーから水を注いだ。
おまけ
「そういえば彰人は、食堂の経験があるのか?」
「なんだよ食堂の経験って。まあ何度か行ったことはあるな。メニューは生姜焼きとかハンバーグとか、そっちの方が多かったけど」
「生姜焼き、か。この辺りにも専門店があるんだろうか」
「おい、まさかとは思うが今度から全部食堂にする気じゃないよな?」
「……まさか。そんなことはない」
「(今、一瞬迷っただろ)」