「全く、風間お前はもう少し落ち着いて行動しろ。ほら成績表だ」
小島梅子は目の前で反省の素振りを見せない風間翔一に大きく溜め息を吐いた。
「悪いな、梅先生。でも俺の成績は最低で良いからよ」
「そうか。風間も高校生なのだから自分の事は自分でな。ほら、宿題などは直江たちがどうにかするだろう。取り敢えず四月からは落ちついてな」
翔一に対しては暖簾に腕押しになる言葉だが、一教師として希望を述べた。その後、翔一は軽い足取りで一緒に来ていた大和の下へと向かって行った。
梅子はその姿を見てもう一度大きく溜め息を吐く。
「はぁー」
そこを見計らっていた宇佐美が再び彼女を気に掛ける様に接近する。
「お疲れ様です小島先生」
「お疲れ様です宇佐美先生」
梅子はどうにも宇佐美の言葉と雰囲気が馴染めなかった。色々誘って貰う事は悪い気持ちにならなかったが、どうにも二人で何処かに行こうと言う気持ちにはならなかった。
「いやー大変ですね。風間も自由奔放な奴ですからね」
「ええ、それは十分に分かっています。それでは私はこれ」
『で、失礼します』と席を立とうとした梅子に宇佐美は声を掛ける。
「どうですかこの後?部活動もお休みでしょう?」
時間的にまだ昼を過ぎたばかりでありお酒を含めた場所へ出向くには適していなかった。
「お断りします」
こう断れば宇佐美はしつこく言い寄ってはこなかったがこの日は違った。
「まあそう言わず。ほら学校の近くにあるケーキやで川神徹がバイトしているじゃないですか」
「ええ、あそこは結構繁盛していますね。それが何か?」
宇佐美は梅子のその言葉を待っていた様懐から一枚の紙を取り出した。
「実はその者からクーポン券を頂きましてね。是非とも一緒に行ってくれないかなと思いまして。ほら、あのお店は男一人で出向くにはどうも敷居が高くて、お願いします」
休み期間中と言う事もあり職員室には同僚の教員たちは居なかった。宇佐美巨人はこれを狙っていたのかと言えばそうではないと言い張るだろう。しかし、正しく罠である事は明白である。
だからと言って男一人で入店するにもこれまた敷居が高い事は言うまでもない。客層の大半は女性である。
時々カップルで訪れる男性客もいるが稀である。なぜならば徹と言うイケメンが店員である為に彼氏とのギャップによって破局へと向かってしまう事が度々起こるのだそうだ。
そう言った者たちからすれば正しく鬼門となるデートスポットとしても有名な店であった。
「宇佐美先生は甘いのがお好きなのですか?」
「え、ええ特に洋菓子に目がなくて。時折、川神徹が副業時に差し入れしてくれて味の虜になっているのですよ。折角これを貰ったのに使わないのは勿体無くてね」
この時宇佐美は純粋に一緒に行って欲しいと言う雰囲気であった。それを梅子は敏感に感じ取っていた。
「そうですか。分かりました、行きましょう」
「え?本当ですか!?あ、有難う御座います。いやー良かった。これでこの券も無駄に為らずに済む。それじゃあ、早速向かいましょう!」
そう言うと軽い足取りで職員室を出て行こうとする宇佐美を梅子は追う様に鞄を持って後を追うのであった。
「いらっしゃいませ、二名様で御座いますね。此方の席へどうぞ」
宇佐美と梅子を席へ案内したのは幸か不幸か話題に上っていた徹であった。そして、来店時間が良かったのか、学校の関係者に出くわす事も無かった。
特に言葉を交わす事無く淡々とした動きを見せる徹に二人は有り難くも感じていた。そして、徹の配慮からか死角の多い奥まった席を案内された。
「川神、これって使えるんだよな?」
席へ着くと、早速宇佐美は徹が渡した券を取り出して彼に見せる。
「はい。問題無く使えます。ご注文された品全てが半額となりますので存分に御堪能下さい」
「わかった。有難う川神」
そう言うと徹は一言述べてから二人の前から去って行った。
「さて、何を注文しようか…」
宇佐美は梅子そっちの気でメニューに没頭する。そのいつもとは違う扱われ方に意外にもモヤモヤした彼女ではあったが、正面に出す事も無く彼女もメニューを見て品を選ぶことに決めた。
それから程無くして店員を呼び注文すると此処で一息つけた。
「それにしても小島先生がこうして一緒に来て下さって感謝の言葉も有りません」
「そうですか。私こそ此処は何度も通っていますから味を知っています。この様なチャンス中々有りませんからね、宇佐美先生には感謝していますよ」
そして、通っていると言う梅子の言葉から二人の会話はスイーツへ絞られていった。基本この店の何がイケるか、と言う程度の物から話しを膨らませ、洋菓子が好きだと言い張る宇佐美の知識を梅子に聞かせ言葉のキャッチボールが何度も行われていた。
「本当に洋菓子がお好きなのですね」
梅子は宇佐美の意外性に驚かされていた。そしてもっと驚いたのは自身の事である。以前までの宇佐美に対する認識が変わりつつある事に気が付いたのだ。恋だのと言う物ではないが、少なくとも得体の知れない拒否感と言う物はこの会話によって取り払われている様に感じた。
「ええ、だから言ったでしょ。私は甘い物が大好きなのですよ。それに此処のお店にやって来たのは初めてでしたから小島先生の経験が本当に役に立ちました」
それからも注文した品が届き食べながらも会話が続いた事は言うまでもない。二回、三回と追加注文しながら、最後はテイクアウトまでして二人は店を後にした。
「それでは、今日は付き合って貰って本当に有難う御座いました」
「こちらこそ、こうした機会に誘っていただき有難う御座います。それでは私の家はこちらですので此処で失礼いたします。それではまた」
梅子はそう言って宇佐美の下から別れ颯爽と帰宅の途に着く。
「ええ、さようなら。小島先生」
その声が聞えたのかもう一度梅子は宇佐美に頭を軽く下げて歩いて行った。
宇佐美はこの事を何気なく大和、忠勝に話すと大きな溜息を吐かれた。そしてどうしてと尋ねるとどう見てもデートではないのかと問われたのだ。そして漸くその時の事を思い出し悔しがる一人の中年が居たのである。
尚、この時購入したテイクアウトの品は忠勝から風間ファミリーの胃袋へと吸い込まれたのである。
そして梅子と宇佐美が徹のバイト先で楽しんでいる頃、大和と翔一は島津寮へと帰っていた。
「あっ、お帰り大和、キャップ!」
玄関を潜れば出迎えたのは一子であった。丁度食堂になっているリビングから姿を見せた処であった。
「おう、ただいまワン子。みんなは集まっているのか?」
「集まっているわよ。まゆっちも到着しているわ。さあ、早く来てよ」
一子は待ちどうしいと言わんばかりに二人の腕を引っ張った。
「おい、ちょっと待てよ、ワン子。待て!!」
調教師大和は見事に『待て』を覚えさせた一子にそう命じると直ぐに彼女は動きを止めた。
「おお、すげえな大和!」
「もお、何よ大和。みんな待ってるんだからね」
そう言って不満顔であるが二人は帰ったばかりである。いきなり出向く訳にもいかなかった。
「あのな、ワン子。俺たちは帰ったばかりなんだ。手を洗ったりしなきゃいけないだろ?直ぐに行くから食堂で待ってろ」
そう理詰めで話すと瞬時に彼女は納得した。
「あ、そうだったわね。ごめんね、大和。気が付かなくて。それじゃあ待っているから早く来てね!」
それだけ言うと彼女はあっと言う間に戻って行った。
二人はそう言った手前急いで準備をし、通い慣れた食堂に顔を出した。
「ただいま、待たせたなみんな!」
翔一が元気良く入るとそこにはぎっしりと人が入り込んでいた。
「お帰りキャップ」
「早く席に着けよ。キャップに大和」
卓也と
岳人が二人を出迎えると翔一と大和は自分の席へと腰掛ける。
「そうだぞ。まゆまゆがお待ちかねだ」
「えええーそんな私ごときがお二人をお待ちするなど…」
(全くだぜ。オイラを待たせるなんて随分と偉くなったな、キャップに大和坊)
「こ、これ松風その様な事を言ってはなりませんよ!」
百代の振りに見事に答えたのは新人寮生の黛由紀江であった。
「前も驚いたけど上手よね、まゆっちの腹話術」
「か、一子さんこれは腹話術では有りませんよ。九十九神が宿りましたですね…」
一子は純粋な心で由紀江に尋ねると慌てた様に松風と名の付いたストラップの由来、設定を話し始めた。
「ほら、食事が出来たよ!今日は特別だ」
寮母の麗子は珍しく昼食に食事を作りみんなへと振舞った。
「おお、待ってました!」
翔一の言葉に合わせる様に大盛り上がりを見せる一同である。加えて料理を手伝っていた忠勝も料理をテーブルへと並べ始めた。
「ゲンさんも料理を作っていたんだ!?」
大和憧れの忠勝の手料理を考えただけで喜びが溢れ出ていた。
「ああ、勘違いするんじゃねーぞ、直江。今日は新入生が来るって話しだから手伝った。それだけだ」
そう言って忠勝はそっぽを向いてしまった。
「はいはい。それじゃあ後はみんなに任せるよ。後片付けは確りやっておくんだよ」
麗子はそう言い残すと家の方へと戻って行った。
「よし、それじゃあこれより新寮生黛由紀江の歓迎会を始める!」
翔一はそう高らかに宣言すると一斉に拍手が巻き起こる。
「では、挨拶から!」
そう言って翔一が席へと着くとみんなの視線が由紀江に集中する。
「ふぇ、わ、私ですか!?」
「そうだぜ、まゆっち。新人は先輩に確りと挨拶を行わないと」
「そうよ。挨拶は大事よ、まゆっち。頑張って!」
驚き困惑する由紀江に大和と一子が応援する。そして珍しい行動を京が執った。
「自分の口で挨拶できるようにこれは没収ね」
そう言って取り上げたのは腹話術で使用する松風であった。
(あれーまゆっちー)
「ああ、松風!?」
離れ離れになる光景を演出するには余りにも出来過ぎた腹話術に場の空気は盛り上がる。
「さあ、自己紹介行ってみようか、まゆまゆ!」
「は、はい…初めまして、黛由紀江です。今度川神学園に通うことになります……」
(ガンバレーまゆっち!ファイトだー!!)
京の手に有るにも拘わらず由紀江は腹話術を止めようとしない辺り相当肝の据わった人間であった。むしろこれだけでも十分な自己紹介と為ってしまう。
「なんか、凄いわよね、まゆっち」
「え、そんな事は有りませんよ、一子さん」
「そんな事無いぞ、まゆまゆ。なんたって剣聖十一段の娘なんだからな」
百代はそう言って彼女の出自を話してしまった。これはある意味由紀江にとっては良くないことであった。地元ではその事と彼女自身の強さゆえに松風と言うお供が出来上がったのだから…
しかし、此処は武の総本山川神院が存在し、川神学園もそれに倣った教育方法を採用している手前、今現在由紀江が想像する様な事には為らなかった。
「へーそれじゃ結構強いんだ。モモ先輩とどの程度なのかな?」
「ま、また武士娘が増えるのか…男の威厳が…」
卓也は基準を百代と比べて尋ね出し、徹が居るとは言え百代と相殺される。それでも京と一子と言う戦力によって男女に差が生じている事態に、より開きが生まれると言う危惧を岳人は憂いていた。
由紀江は不思議であった。彼女強さは地元でも知らぬ者は居ないほどであった。故に周囲の者は異怖し、距離を取り、孤独であったのだ。
それが目の前の先輩たちは自分を恐れる事は無かった。
「不思議そうな顔をしているな、まゆまゆ?」
「へ?は、はい…」
百代はそういう心境を少なからず理解出来る人物である。但し彼女には徹と言う力が拮抗した者と川神院と言う存在によって幾分緩和されていた。由紀江の実家も道場が在るとはいえ、彼女と同等の強さと同年代の者が居ないと言う差は非常に大きなものであった。
「此処は川神だぞ。強い者は大歓迎だ。それに強い者なんて幾らでも居る。周囲の恐れなんて気にする必要が無いほどにな」
そう言って百代は隣に座る由紀江を抱きしめた。
「まあ、姉さんがいるしね…」
「大和の言う通りね。お姉さまに徹、まゆっちでも敵うかどうかわからないわね」
大和と一子の言葉からも由紀江の頭は混乱していた。地元の対応と百八十度違う事で妙に受け入れられている様な雰囲気になっていたからだ。
「妙に青春しているな、まゆっち!よし、もう自己紹介は終わりだ。折角麗子さんとゲンさんが作ってくれた料理が冷めてしまう。ここは食べよう!一緒に食べれば仲良くなれるさ!と言う訳で此処はまゆっちに音頭を取って貰おう!さあ、コップを持て!!」
翔一が誰よりも大きな声でそう言葉を発すると動き出す。一様にコップに飲み物を注ぎ入れると手に持って由紀江の言葉を待つ。
「あ、っと…それじゃあ、これからお願いいたします。乾杯っ!!」
由紀江の精一杯の言葉と声で始まった少し早い歓迎会は大きく彼女らとの距離を縮め、川神を選んだ事は正しかったと思えた。
この日の夜、由紀江は早速父親の大成に手紙を認めていた。
『…以上の事からも新天地川神では新たな出会いと経験が予想されます。由紀江は頑張って高校生活を送りますので父上もお元気で……かしこ』
ふう、これで良いですね。それにしましても皆さん良い方々でしたね、松風?
(だな、まゆっち。若しかしたらオイラの出番も此処で終わるかも知れねえぜ)
な、何を言うのです松風!?私と松風は何時までも一緒ですよ。
(ありがとな、まゆっち。でも何時までも一緒には居られねえんだぜ…)
そう言って何時しか二人の意識はまどろんでいくのであった。
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