「主将!」
「あら、どうかしたのかしら?」
女子部員が主将である矢場弓子に声を掛けると以前とは異なり自然体で言葉を返した。
幾つか言葉のやり取りをした後、その部員は彼女の下を去って行った。彼女は新二年生でも期待を掛けられている部員で京も腕が良いと褒めている程だ。
弓子と同期の者は一人になったのを見計らって近付いた。
「弓子!」
「んっ、何かしら?」
部活動は終わっていた為に今の関係は友人同士であり言葉は掛け易かった。
「いや、ただ弓子の姿を見つけたからね。それにしても随分と物腰が柔らかくなったわよね」
「そ、そうかしら…」
その指摘に思わず赤面し下を向いた弓子に、友人はさらに言葉を掛ける。
「そうよ。やっぱり百代の弟君と付き合う様になったからよね。前は『候』なんて気持ち悪いったらなかったわ」
目の前の友人は歯に衣着せぬ物言いで弓子の言動を振りかえった。その事で当人は思いのほかダメージを追っているのだが気にする事は無かった。
「そう言われると辛いわね…」
本人も仮面を被り、気を張っていた。その事であの様な語尾になっていた事を振りかえると少々恥ずかしさを覚えてしまう。
「でしょ。でもいい傾向だと思うわよ。部も結構雰囲気が良くなったと思うしさ」
以前の弓道部の雰囲気は常にピリピリとした様なものであった。息苦しさとまでは行かないが少なくとも弓子に話し掛ける後輩が少なかった。新二年の部員も一年時に話し掛けることなどそうそう在りはしなかった部類である。
「そんなに悪かったの?」
「悪いという感じじゃないわ。ただ常に緊張していたような?ああやって声掛けられた事って在った?」
「そ、そう言えば無かったかもしれないわね…」
色々と思い当たる節が在り弓子は少し落ち込んだ。
「ま、まあ今はそうじゃないんだから落ち込まないで!でもいいわよねー」
「何が?」
「彼氏よ!か・れ・し!徹君の様な彼氏私も欲しいわー」
とは言うがこの友人も大学生の彼氏がいる事を以前弓子に自慢していた。
「いや、貴方もいるでしょ彼氏…」
「隣の田んぼはって言うでしょ。それに、これはこれ、あれはあれよ!」
そう自信たっぷりに言い放って其々別れたる。
「あっ、そろそろ行くわ。彼氏と待ち合わせしているから。それじゃあね、弓子!お疲れー」
嵐の様な騒がしさを残しながら彼女は弓子の前を去って行った。
そうやって学園を出た弓子は家には帰らず川神駅の方を目指して歩いていた。目的地は駅前にオープンしていたファミレスであった。嘗て彼女と徹が仲良く食事している写真をネットに上げられた場所は、程無くして経営に行き詰まり買収される形で新たにオープンする事となった。信じられない速さでの再出発が行えたのはやはり九鬼の系列であったからだった。
「いらっしゃいませ!」
弓子が入店すると元気よく女性店員が彼女を出迎えた。此処からしても以前の雰囲気は残っていなかった。社員教育なくしてサービス業など生き残れる筈はないからだ。
「あっ、待ち合わせしているのですが…」
そう言うと徹が告げていたのか店員は『畏まりました』と言って案内を始めた。
案内された席には徹が待っていた。
「御注文がお決まりましたらお呼びください」
そう言って店員はメニューを残して去って行った。
「お疲れ様、弓子」
「ええ、待たせたかしら?」
大きめのバッグを席に置くと彼女は徹の向かいに座った。
「いや、時間が判っていたから少し前に来たんだ」
そう言う通り、徹の前には飲み物が置かれているだけであった。
昼時を少しだけ過ぎた店内は未だにオープンの余韻を残し盛況であった。至る所で店員が忙しなく動き、各席では談笑する声が聞えるなど賑わいを見せる。
「俺もお腹空かせて来たけど弓子もそうだろ?」
「そうね。早速注文しちゃいましょ」
そう言ってテーブルに在る呼び出しボタンを押して店員を呼ぶと意外な人物が現れる。
「はーい、お待たせ致しましたーって川神君!?」
「あれ、甘粕さん。ここでバイトしているんだ」
「そうなんです。私も二年生になり余裕が出来ましたからこうしてバイトをしてお金を稼ごうと決めたんです。ってそうだった。申し訳ありません。御注文を承ります!」
甘粕真与は気持ちを切り替えるとそうして仕事へとシフトチェンジした。これ以上は邪魔も出来ないと徹は注文を始めた。
「ドリンクバーはあちらになります!それでは暫くお待ち下さい」
そう言うと真与はお辞儀をして去って行った。
「彼女は同級生の?」
「そ、同じクラスの女子。名前は甘粕真与って言うんだ。結構頑張り屋なんだって、それじゃあ俺が飲み物取って来るよ。何が良い?」
そう言って徹が立ち上がると弓子は少し考える仕草を見せてから答える。
「それじゃあ、徹に任せてみるわ。今私が飲みたいものを持ってきて」
少し悪戯じみた表情で徹に注文した弓子だった。
「ああ、分かったよ。待っていろよ、弓子」
そう言った時の仕草と表情は百代を彷彿とさせるもので、やっぱり血の繋がっている二人であると改めて認識した。
弓子は少なからず嫉妬していた。デート中、同級生であろうとも笑顔で会話する光景を見せられて良い思いはしないだろう。そこで敢えて徹に今飲みたい物なんて注文をしたのだ。
加えて去り際、百代を思い起こさせる雰囲気である。彼女は自他共に認める美少女である。こう言うと何を言っていると総好かんを受けるが百代は違った。見た目において男性を魅了し、気風の良さで女性をも虜にしてしまう。それが徹にもダブってしまった。
一つ違いのカップルは自ずと時期が来れば通う場所が変わってしまう。互いを信頼するしかないが、それでも不安に陥る者は少なからずいる筈だ。特に相手がモテるなら尚の事である。
「今度あの子に相談してみようかしら…」
弓子は学園で別れた友人に大学生の彼氏との関係を尋ねる事を決意したのであった。
「はい、お待たせ。何を呟いていたんだ?」
徹は弓子の目の前にコーラの入ったグラスを置いた。自分には先程と同じくアイスティーであった。
「別に何でもないわ。それよりも良く分かったわね?」
「俺は弓子の彼氏だぞ。当たり前だろ」
徹はさり気なくこう言った言葉を弓子に掛けた。当然彼の言葉は周囲にも聞こえる。弓子の向かいの席では、女子大学生たちが徹の言葉を受けた弓子を羨ましそうに見ている事に気が付いて赤面してしまった。
二人は食事を摂り終え、店を後にした。こうしてデート出来る時間を合わせるのはそれほど無かったからだ。
二人はぶらりと駅周辺を見て回る。
「そう言えば春休み中の遠出は出来そうかな?」
「ごめんなさい。部活は最終日が休みになるだけなのよ」
弓子はそう言って本当に済まなそうな顔で徹に謝った。
「まあ仕方がないだろ。夏に計画して何処か行こう」
恐らくゴールデンウィークも潰れる事は間違いないと徹は思っていた。
「そうね。でも私はこうやっているだけでも楽しいわよ」
弓子はそう言って抱き締めている徹の腕に力を込めて自分の気持ちを知らせる。
「俺も弓子と一緒にいるのは楽しいよ。でも、やっぱり二人の思いでは欲しいよな。特別なさ」
その後もゲームセンターなど高校生が低予算で回れるような場所をデートコースにしていた。
そして最後は観光地にもなっている大扇島へと足を向けた。海が一望出来、夕日が綺麗なこの場所は日中から多くの観光客が訪れ、特にカップルが多く見受けられる。
「此処が九鬼の本部かでかいな」
「本当にね。やっぱり九鬼って凄いのね」
二人は九鬼財閥極東本部を通り過ぎ潮風デッキへと移動した。海風を全面に浴び気持ちよさを二人が体感していたその時、突然強風が二人を襲う。
「キャッ!?」
「ほう、受け止めたか。恋人が出来たと話しを聞いたが不抜けてはいないようだな。だが、それでも赤子は赤子だ」
「少し無粋ではありませんか、ヒュームさん?」
徹は筋骨隆々の執事服を着込んだ男の足首を確りと掴んでいた。
「そうか?俺はただ赤子が気を抜いていないか確かめただけだ。これでやられてはその程度の男と言う事だな」
そう言葉を発したヒュームの足に、徹は力を入れて握り始める。
「グッ!?」
徹は本気で怒っていた。まさか良いムードで来ていたところを見事に壊されたのだ。幾ら敬う心を持つ徹でも彼の行動は許容しがたい物があった。
「別に試合であれば何時でも受けましょう。しかし、この様な場所で突然攻撃するのは九鬼家の本心なのでしょうか?九鬼財閥は一般人を突然襲う様な企業体であると言う事でよろしいのですね?」
ヒューム・ヘルシングは九鬼家従者部隊、序列零位の男である。基本的に自由な行動が許されるが、だからと言って九鬼家の指針に逆らう事は出来ない。徹の言い分は最な話しであり、反論の余地がなかった。既に何が起こったのかと人だかりが出来ていて、言い逃れが出来ない環境が出来上がっていた。
「申し訳御座いません。今日の稽古はその辺りで終了に致しましょう」
群衆の後ろからそう声が上がる。すると人を掻きわけるように三人の下へと老執事がやって来た。
「ヒューム。中々の演技でした。それにお二人も迫真の演技でしたよ」
そう言うと人だかりは理由を知って散った。
しかし、徹の怒りは収まっていなかった。それを見越した彼は直ぐに場所を移すよう願い出る。
「申し訳御座いません。此処ではお互い目立ってしまいますので、場所を移して頂きたく存じます」
ヒュームと同じ執事服を来た老執事、クラウディオ・ネエロはそう言って後ろに仕えているメイド二人と共に頭を下げた。
すると徹もこうされては一度矛を納めなければとヒュームの足首を離す。
「分かりました。クラウディオさんがそう仰るなら従いましょう」
その後二人は彼の先導のもと先程見入っていた極東本部へと入る事となった。二人が案内された部屋は中々に豪華な造りだった。
「おい、クラウディオ。何故俺が拘束されなければならない?」
「何を仰います、ヒューム。貴方は一般人に手を出した罪人です。こうするのは当然のことで御座います」
ヒュームは両腕を後ろに回され手錠で拘束されていた。この程度彼の力であればどうというものではないが、何故か破壊出来なかった。
「ぐっ、それにこれは何を仕込んだ?」
「申し上げられません。それよりもヒュームは先ず、川神徹様と矢場弓子様に謝罪為さることから始めなければなりません」
クラウディオは有無を言わさぬ目でヒュームを見つめる。彼も従者部隊序列三位を占める男である。忠誠心はヒューム以上に高く、九鬼家の損失になる事は絶対に許さなかった。
「俺はだな。ただあの赤子の力を為そうと」
しかし、ヒュームは謝罪などせず悪くは無いと良い訳を繰り返す。そこへ扉が開き、人が入って来た。
「揚羽様」
クラウディオと二人のメイドが頭を下げる。
「うむ、楽にせよ。残念なことに父上と母上が居らぬのでな、我が行う。そして久しぶりであるな、徹」
強烈なカリスマを纏った女性、九鬼揚羽が入室すると雰囲気は一気に緊張し始める。
「お久しぶりです。この様な形で会うとは思いませんでした」
「であるな。我もそうだ。確か百代と我との仕合の時以来であったな?」
「そうですね。揚羽さんはそれ以来髪を伸ばされたのですね」
「うむ。もう武道は辞め九鬼家の仕事に専念することに決めたからな、決意の表れよ」
そう言って彼女は用意された席へと着いた。
「さて、話しはクラウディオから聞いた。ヒューム、申し開きは有るか?」
揚羽はそう言ってヒュームを睨みつけた。
対してヒュームも冷静に考えれば迂闊であったと反省していた。あれで徹が受け止めきれなければ弓子が被害を受けていたのだ。徹ならば相当な防御力の御蔭で軽微で済むが、最悪死者が出かねない物だった。
「いえ、御座いません。揚羽様」
「よろしい。徹、何か言っておきたい事は有るか?」
満足そうに頷いた揚羽は徹へと視線を向けた。
「謝罪をお願いします。俺はともかく防がなければ弓子が怪我をしていました。はっきり言ってこれだけは許せません!」
九鬼家も川神院との関係を壊す訳にはいかない。ヒュームは確かに従者部隊で零を任され九鬼家総帥、九鬼帝から絶大な信頼を得ている。しかし、それとこれとは話しが異なる。
徹は川神百代の実弟で、総代を補佐する現時点で師範代に成る資格を持つ男だ。つまり次代の人間である。揚羽も九鬼を背負う人間の一人であるが、彼女もまた次代の人間であった。つまり次の中心人物同士で関係を崩す訳にはいかないのだ。
今回はどう転んでもヒュームが、そして九鬼家が悪い。だからこそ徹の想いは全部受け入れる必要があった。
「なるほど。ヒューム?」
揚羽がそう言うとクラウディオはヒュームに着けてあった拘束を解いた。
「はっ!」
ヒュームはそう言うと少し腕の感触を確かめると立ち上がり、徹たちの下へとやって来た。そして両膝を折って地面に額を着ける。
「此の度、ヒューム・ヘルシングが行った事は決して許されるべき事では御座いません。何卒この事で以って謝罪として頂けますようお願い申し上げます」
そう言って土下座を彼は行った。口には出さなかったが二人のメイドは目を見開いていた。プライドの塊であるヒュームが頭を下げるだけではなく、土下座までするとは思いもよらなかったのだ。
それは徹も同様である。弓子に至っては住む世界の違いに思考を止め、只管徹の手を握るだけであった。
「分かりました。その謝罪を受け入れましょう。それで良いか弓子?」
「……え、ええ…私はそれで……」
半ば放心している彼女には唯々諾々と受け入れるだけであった。
「よし。ではヒュームの事はこれまでとする。以後話す事、蒸し返す事が無い様、互いが注意せよ。それとヒュームは暫くの間謹慎せよ。これは九鬼帝からの命である!!」
揚羽が高らかに宣言すると彼等執事とメイドが頭を下げた。そしてヒュームは去り、この場には緊張した空気が取り払われた。
「さて、本当にすまなかったな、徹。それに彼女にも申し訳なかった」
そう言って対面で座る揚羽はもう一度頭を下げた。
「いえ、もう謝罪は受けました。それに揚羽さんが謝る事ではありません。これは俺とヒュームさんの問題ですから」
暗に九鬼財閥と川神院は関係ない事を匂わせていた。それを知る揚羽はただ口元に笑みを作るだけであった。
「それにしても驚いた。まさか徹に恋人が出来ていたなんてな。英雄から聞かされたときは驚いたわ」
「そうですか?結構お似合いでしょ?」
徹はそう言うと弓子を抱き寄せた。流石に先輩である揚羽も色恋沙汰には免疫は無かった。
「お、おい。その様に仲睦まじい姿を見せなくてもよいわ!」
その姿にはクラウディオ達も微笑んだ。
「おほん!ではこれよりは我からの謝罪を受けて貰おう。流石にヒュームが謝っただけでは決まりが悪い」
「いや、ですからそれは…」
「いいから貰っておけ。何なら付き合い始めた二人の祝いの品としてでも良い」
そう言って揚羽は一枚のチケットを二人の前に差し出した。
「これは…九鬼リゾート」
「招待券?」
徹と弓子はそう分けて文字を読んだ。
「うむ。もしよかったら使ってくれ。これは全てが無料になるチケットでな我の番号が入っている」
そう言うと幾つかの場所に番号が入っているがどれが彼女の物かは分からない。
「今は春休みであろう。どうせならばここで二人の思い出を作って来ると良い」
揚羽は最高のプレゼントだと思ったが、二人の顔色を見て何かを思った。
「若しかして都合が付かぬのか?」
そう尋ねると徹が素直に答える。しかし、瞬時に対応出来るのが九鬼家であった。こうして、春休みの最終日は二人の思いで作りにと前日の午後から一泊二日での旅行が計画されるのであった。
御一読、有難うございます。
今回は九鬼家を絡ませてみました。出来れば多くのキャラを登場させたいと考えております。