人喰花に転生しまして 作:オジギソウ(外界種)
このゲームに転生したお話の主人公の軌跡
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主人公はスラムに流れて来た他国の少年。
そして、スラムでさえ攻撃されて行き倒れていたところを、少女に発見される。
少女は癒しの力で少年の怪我を治し、少年は何時か御礼をしたいと思っていたが、少女の家は町中では割と裕福な商家であった。
少女の家の中でコツコツという音が聴こえてきたと思っていたら突如穴があいて、そこから現れた野盗達が少女を攫ってしまった。
野盗から少女を取り返した少年は、その過程で地下に眠る何かの封印を解こうとする市長に、その鍵となる少女を寄越せと云われるが拒否。
その後、囚人に襲われた少女の一家は上手く逃げ切れた少女を除き皆殺しにされるが、それらの囚人達は市長の手先であると知る。
市長も少女の家族を殺すつもりは無かったが、使った囚人達がマトモな理性も無く手段を選ぶ事が無かったのは不幸だったと話し、後で囚人達は処分すると告げる。
そして、主人公の国が内紛で荒れた原因の一つとして、武器商人でもある戦争を仕掛けた事も発覚して、世界を良くする為にも武器商人である市長と戦って倒したところ、市長は処分するハズだった囚人に襲われて命を落とす事になる。
主人公は少女と旅を続ける内に、少女が聖女である事が発覚したり、世界は民衆の犠牲の上に成り立っていると判明していき、自国の王族や他国の帝国を倒して全世界市民が平等である国を目指す事になる。
少年が目指した世界は、基本的には多くの税金を取り、特に富裕層には重税を課して、それを平等になる様に全世界へ給付するという考え方であり、結婚出来ない人がいないようにランダムで強制的に夫婦を作らせて、それでいて汎ゆる差別や不満を持つことを許さないという世界であった。
何故なら、それは正しい世界であるのだから、そこに不満を持つことは赦されない。
税金は多くなくてはならない。
それは資産家が発生するのを絶対に防がなければならないからだ。
そして、自由競争では敗者となる人々に税金を分け与えないといけないからだ。
強者には弱者と共にある事を強制する仕組みを作る為だ。
何よりも、回収した莫大な税金を国民たちに給付することで、国民達から感謝されなければならないからだ。
何故なら自由に所属する者たちが生み出すものの総和は、正義に所属する者たちの総和を必ず上回る。
これは三十人が走った時の平均タイムと、三十人三十一脚のタイムの差と似たようなものだ。
必ず自由の側が生み出す利益の方が魅力が大きくなる。
だからこそ正義の側は、正義そのものが魅力がある事にしなければならない。
その実感のためにも、減税ではなく給付金である必要があるのだ。
給付金という遠回りの道を選択することで、経済効果を大きく計上する事も出来る。
…例え其処に実が無くとも。
人間は放っておけば、皆の為ではなく自分達の為に動こうとする。
人間の自由意志に任せていては、自然と“より良いものになろう”“より良いものを選ぼう”“より良いものに選ばれよう”となるので、自然発生する競争とその結果による格差を無くす為には、自由意志を認めてはならない。
理想の共産主義を達成する為には、絶対に
絶対に
そして、ディストピアをユートピアと呼ばせなければならない。
管理される自由を、民衆が
そして、競争や差別が生物の本能によるものである以上、それを縛る事に抵抗感が生まれるのは必至。
故に力でその体制を作り、故に力でその後も抑え付ける事も必至。
共産主義における武力とは、黎明期は今ある体制を作り替える為に自国に向けて必然となるものであり、中興期には世界に思想を広める為に他国に向けて必然となるものであり、完成期には今ある体制を維持する為に自国に向けて必然となるものである。
共産主義はその全期間において、武力が無くては成り立たない。
だが、主人公自身が(国規模の戦闘力を持つ)世界最強にして(主人公の意思を最も正確に再現する意味において)最高の武力である事で、このディストピアが完成する。
この思想における理想は通貨そのものを無くす、若しくは無限に通貨を発行し続けて貧富の差を無くす事だ。
しかし、そうやって通貨の価値が無に近くなれば、他国との競争に負ける。
故に、その理想は最初から他国との勝負に負ける事を望むのでなければ、全ての他国を併合してからでなければならない。
そうやって、
共産主義には絶対たるリーダーが前提として必要であり、絶対的な権力が当然として存在して、逆らう者には絶死が齎され、そこに多くの人々による話し合いは提言としても存在しない。
少なくとも表立っては、存在させてはならない。
こう言ったイデオロギーを流しながらも、国王や皇帝と同じ様な流れで、異界支配や異種族支配を望む魔王を倒す。
厳密には魔王を倒す為に、人類が他の人類へ向ける戦力や警戒力が弱めざるを得ず、勇者である主人公への忖度をしなければならないチャンスを最大限に利用して、様々な国の血統主義や資本主義を武力で打倒して、共産主義を創り上げるという物語となる。
それが主人公の造り上げた社会だった。
管理者は他者に役割を求める。
管理者は他者に価値を見出す。
自ら創り出した価値を被支配者に認めさせ、既存として存在する価値観において有用性を発揮しないものが内容に役割を与える。そして必ず報酬を受け取らせる。
劣った者の為の社会を作る為には、汎ゆる柵を作らなくてはならない。
優れた者が勝ち上がれない汎ゆる柵を、勝利する事で得られる利益を台無しにする汎ゆる柵を。
そしてそれを守らせる為の絶対唯一の暴力を。
この世界に弱者は存在しない。
この世界には選ぶ者が一人いるのみ。
それは、とてもとても残酷なことだ。
このようなストーリーなので幾ら綺麗に取り繕ったとしても、幾ら右翼思想を批判する時代であったとしても、プレイヤーに好かれるハズもないのだが、そこは当時における圧倒的な女性キャラクターのビジュアルだけで押し切った。
押し切れてしまった。
その結果、AIによる成人向け二次画像が全盛期となる時代においても、内容も知られないこのゲームの女性キャラクター達の名前だけはそれなりに見掛ける事になる。
■
最初はその見目麗しさから目を惹かれる者が多かっただろう。
しかしその政治家は調べれば調べる程に、余りにも優秀過ぎた。
スポーツ選手として幾つもの種目で国際大会で優勝していたし、模試も常に頂点であり、学歴は国内最高のもので、論文も幾つも発表されていた。
そして一代で莫大な財産さえ築いていた。
嘗て他国がこの国の国民性を、「下士官は優秀で将官は無能」と言った。
これは、国民性として殆ど全ての国民に将官としての才能がないという意味である。
その様な民族性であると、格差が無いことを是とする国民性となる。
しかし、この政治家は下士官としても将官としても飛び抜けて優秀であった。
優秀という言葉すら烏滸がましさがあった。
その政治家は学生時代から異質だった。
スポーツで当時トップにいた他の選手達がいた。
しかし、それらの選手がトップであった時よりも、圧倒的にビジュアルが良い存在がトップになった時の方が、遥かにマスコミもネットメディアも取り上げた。
他の選手は、仮にスポーツで勝てたとしても自分達のビジュアルではそれ程まで取り上げられる事がない。
つまりは他者の自由意志に選ばれる事がないと、折れ続けていった。
実際にある選手はこう言った。
「私達が優勝しても、この業界があそこまで取り上げられる事はない。まあ、そもそも勝てない、か」と。
スポーツに限った話ではなかった。
何をやっても華がある。
故に、華が無い人々と同じ事をやってもその分野への注目という点における貢献度が違った。
そして、能力さえも高かった。
そうやって汎ゆる能力が高いまま、政治家としても登りつめていった。
そして、遂に首相となった。
首相の公約は、長期目標の『80年後の国民の80%を世界の富裕層上位20%に入れる』事と、短期目標の『少子化問題と移民問題の解決』であった。
短期目標は、最もレベルが高い国立大学の学生の遺伝子を使って、人工子宮によって子供を生産し続けるという手法で解決された。
簡単に、解決されてしまった。
しかし、人口が増える事で自国民にやらせれば外国人を呼ばなくても良いではないかという流れになった。
別に職業選択の自由を破棄させた訳では無い。
働きたい仕事に就けない場合には働かないで済むという
強者が弱者を引き受けて共にあらなければならない仕組みを排しただけだ。
これらは大減税と引き換えに許された。
福祉は目に見えて減った。
それは大減税との表裏一体に他ならない。
減税であれば、それ以上に支出を抑えなければならない。
支出は変えずに減税していては、通貨の価値そのものが下がる。
中世までは人々の生活を支える麦や米で支払われていた税が紙幣になってから、税収は財源ではないと主張する学者という名の活動家もいたが、それは理想論として正しくて現実論として誤りだ。
通貨を回収する税金を上回る量で、通貨や国債等の借財が発生すれば、市場に流れる通貨が溢れかえって、その価値が下がる。
所謂
これまで十の通貨で買えたものが、千や万の通貨で買わなければならなくなる。
誰もが億や兆の単位の資産を持つ社会では、一や十単位での商売は成り立たない。
また、自分が納める税金の使い道さえも、ある程度国民が決められる様になった。
結果、税金の大部分が輸出企業に充てられる事となった。
これは、国民の自由意志によるものだ。
輸出により外貨を得られれば得られる程、それを担保という一種の人質として自国の通貨の価値が保証される。
それにより、自国の通貨の価値が高まり輸入品の物価が下がる。
増税を伴わない国債の発行は、過去の遺産を食い潰す事と同義であり、確保した財源を使わない事は未来への原資となる。
そういった直接的な恩恵を得られる事を国民達が理解したというのが理由の一つ。
もう一つは、高額納税者に対して、企業が返礼をするようになった事だ。
当然、これに関する規制はない。
何故なら君臨者が、そして君臨者を支持する国民が自由を尊ぶからだ。
何の宗教もイデオロギーも無ければ、人々は己にとって最も利益を得る選択肢を選ぶ。
これは自由を与える限り、絶対に変わらない。
そしてこれは、税金となった時点で誰のものでもない政府の金という考え方から、税金になっても未だ支払った国民個人の金という考えに変わった事による。
「私が納めたお金がどう使われるかを私が決める権利は、半分位はあって良い」という国民の意見を聞いた結果だった。
政府もまた、国家に利益を生むものに、国家が利益を与えるという理念となった。
人々はより自由になり、人々はより解放されて、そして人々はより先へと進む。
例え人間には、────重力のない世界を歩く事が出来ないとしても。
優秀な国民達には悪い影響は何も無かった。
しかし、そうでない国民には少しずつ影響が出て来た。
国民は気が付き始めた。
明らかに良くなって来ているのだ。
明らかに増えて来ているのだ。
自分達の若い頃には雑誌やメディアの中でしか見なかった様な美しい人々が、町中で少しずつ増えて来ていた。
自分達の若い頃には教授や経営者にしか感じなかった知性の輝きが新入社員から感じられるようになって来ているのだ。
そして彼ら彼女らは、成功している可能性が極めて高かった。
優秀で美しい若者達が社会に増えて来て、かつてホワイトだと言われた職に増えて満ち始めて来た。
そして彼らは独立して、起業して経営者となり、優秀な若者達を選んで雇用する。
選ばれなかった人達は選ばれなかったなりの職に就く事でピラミッドの底辺ではない人生を送ろうとするものの、優れた人々の集まった
結局は、かつては就きたくなかった
自由故に残酷で、歯止めを利かせる者もいない。
全体で見れば優秀な人々の方が多く、現状を望む人々による多数決によって、民主主義的に現状が維持、更に先鋭化していく。
税金も減ったし、規制も減ったが、刑罰だけは厳罰化した事でテロリズムによる法の外からの現状の変更は中々行われなかったし、普通に反撃されて現行犯逮捕されるだけという事も多かった。
実際に首相は少なくともテレビ中継中に二十回以上は暗殺されかけて、そしてカメラの前で相手を可能な限り鮮やかに、相手が無様に見えるように倒していた。
麗しい首相が華麗に醜い敵を倒し、その敵は無様極まりない醜態を晒すということが幾度となく流される。
時には首相に当たらなかったヒットマンの弾が、その時のイベントに参加していた特別養護学校の生徒に当たった事もあった。
そして国民達の自由意志の声として、早く犯人を死刑にしろという世論が生み出される。
嘗ては不自由である代わりに、不満を言う権利と不自由の代償としての補償があった。
しかし、今では何もかもが自由であり、何もかもが自分の
汎ゆる自由を選ぶ事が出来る。
しかし、自分が相手に選ばれる保証はない。
競争相手は常に増え続ける。
挙句、その競争相手は二十年前の最上位層と同程度の能力。
これが常に試行され続ける。
これほど残酷な事はない。
優れた者にとっても、劣った者にとっても、違うことなき
これが国規模で行われる事で、他国というピラミッドを圧倒出来るようになった。
結果として、他国を経済的に搾取出来る立場となり、益々人々の支持を首相は集める事となった。
例え首相が他国の首相がいる場において、「フェアトレードというのは、格下相手に舐められてぼったくられた者の言い訳です。私はフェアトレードなんてさせませんよ」と喧嘩を吹っかけた事による開戦があったとしても、敵国を消滅寸前まで追い込んで、毎年国家予算の九割を寄越せという余りにも非道な要求を呑ませたとしても、それにより自国が更に栄えたのなら問題ないとする国民は多かった。
何度でも圧倒出来るのなら、多く交戦した方が利益が大きいという、何処までも自分達に自由な国民性となった。
自分が勝者になりたい。
自分が勝者に選ばれたい。
そう思う自由を無制限に祝福する世界。
それが首相の造り上げた社会だった。
君臨者は他者に役割を求めない。
君臨者は他者に価値を見出さない。
自ら創り出した価値を他者に認められるか、既存として存在する価値観において有用性を発揮しないものは、何の役割も得られず、何の報酬をも受け取れない。
この世界の弱者は、君臨者個人ではなく、あらゆる人々にとって自らの金銭を支払う対象としては無価値と思われる事で誕生する。
絶対強者一人に愛されなかったからではなく、誰にも必要とされなかったから無価値とされるということだ。
国が弱者を傷付ける必要はない。
人々を弱者を守る義務から解放するだけで、弱者を守らない自由を与えるだけで、人々が弱者を切り捨てる。
それだけで弱者は自然に枯れる。
優れた者の為の世界を作るのなら、汎ゆる柵を壊すだけで良い。
そうすれば勝手に優れた者が勝ち上がる。
この世界には選ばれる者と選ばれない者しかいない。
それは、とてもとても残酷なことでしょう。
□■
彼の世界も、彼女の世界も、互いの世界にとって最悪だ。
しかしどちらも最も愚かではない。
最も愚かなのは両者のせめぎ合いの結果としての間に落ち着く結果ではなく、
どちらも極端だから程々が良いよねと分かったような事を言う己が賢い側だと勘違いした者だ。
アクセルとブレーキを使い分けて時代の波を渡るのではなく、アクセルとブレーキを同時に使う己を賢いと勘違いした者の事だ。
しかし最適なバランスを
程々が良いと
世界の中で自国が強ければ手綱を緩めて自由を与え、自国民が他国を好きに食い散らかすのを眺めるだけで良いし、世界の中で自国が弱ければ手綱を強めて大きな塊として、相手の顎に入らないようにすれば良い。
常に変化を恐れるのではなく、常に変化に対応し続ける事を、人は進化と呼ぶ。