ある少年と少女と出会い、過ごした時間は本当に僅かな時間だったが、心地よいものだった。
あんなに心安らぐ時間は本当に久方ぶりだ。一体どれだけ昔に消えて散った日常だっただろうか。そんな日常を思い出させてくれた少年、少女のことは未だに忘れられない。同時に深い憧憬も抱いた。
楽しそうに笑いあう親子、兄弟。遥か昔に家族を失った少女はそれを羨望した。けれども、それ以上に憎悪した。
―――何故、笑っているのだろう。
あらゆる国や組織というものは犠牲の上で成り立っている。それはこの日本帝国においても言えることで、長い乱世を経て、ようやく成り立った国である。
以来、四百年も続くこの国は暴動やテロ、世界大戦と戦は続いたが、それでも滅びることはなかった。
けれども、誰も知らなかった。一体どれほどの犠牲でこの国が存在しているのか。知らないのも無理はない。
だが、知る必要があった。犠牲の上で成り立つということはその犠牲となった人間を踏みつけて一つの国を形作るということ。
太平な世をつくるためには、安寧な日々を送るためにはやむを得ないことだったのかもしれない。それでも、殺されたのだ。殺された命がある。その命に対して振り返りも悲しむこともない。
―――私はそれがどうしても許せなかった。
分かっている。
いちいち、後世の人間が過去の人間に対して気配りをするとも到底思えない。立場が逆なら自分もそうしただろう。
それでも、知られず、理解されずに時が過ぎていくことに対し、許すことは出来なかった。
☆
魔具とは日本帝国が武具に魔術を付与し、強化された兵器であり、下級クラスだと精々普通の武器が多少強化された程度のものなのだが、最上位、伝説級の武器は一大勢力と拮抗するほどの力を有していた。
それは過去の英雄が使っていた武器であり、神や悪魔を武器化させたものなどと多数存在する。
その中でも唯が扱う
ジャックザリッパーは霧の夜に娼婦を殺した史実を顕現させた魔具である。さらには「霧」、「夜」、「女性」といった条件を満たした時はより力を発揮することが出来る。
生憎、今はその条件は満たされてはいないので本来の力を十分には引きだせてはいないが、この条件を満たすもう一つの魔具が存在する。
「
この魔具は霧そのもので、産業革命後の一八五〇年代、ロンドンを襲った煙幕を顕現化させたものである。
当然、人体には有害な物であるために、これに対抗する手段がなければ、死を招くこととなる。
警務隊、憲兵隊共に劣勢に立つことになる。そしてこの魔具を展開することによって、唯には二つのメリットがある。
まず、一つは
このことにより、相手側は唯を視認することは出来ない。またこの霧の毒で動くことも困難となる。
だから、この刃が弾かれるなんて少しも予測できなかった。
「え?」
警務隊の一員に降りかかった刃は切断されることなく、弾かれる。
弾いたのは、日本刀。まだ発動していないためか分からないが、その日本刀も魔具の一種なのだろう。
「誰?」
干渉されたことへの憎悪が膨らむ。干渉してきたその人影を睥睨する。
何のことはない。殺せば済む話。殺せばいい。
けれど、それが出来ず、ただただ凝視してしまう。
わずかな時間ではあったけれど、一緒に過ごし、喋り、笑った。
その人物は―――。
「お前が殺人鬼だったのか、唯ちゃん。」
少年は唯を睨んだ。
けれど、そこには憎悪だけでなく悲痛そうな表情も垣間見ることができた。そして隣にいる少女もまた同じ表情を浮かべていた。
「貴方は……。」
こうして三人は再会を果たす。
☆
楽と千棘は警務隊、憲兵隊が奮闘してる戦場に少しでも早く着けるようにと駆けだしていた。
だが、近づくにつれ、空気が濁っている気がした。
「何か空気が濁ってるような?」
「多分、此処一帯の空気には有害物質が含まれてるわね。おそらく敵の魔術かなんかだろうけど。待ってて。今、無効化させるから。」
「無効化?」
「正確には私たちの体に影響を与えないようにするって言う方が正しいかな。免疫を作るみたいな。それなら戦場でも毒に困ることなく戦うことは出来るわ。」
楽は成程と頷き、
「じゃあ、早くやってくれ。」
「うるさいわね。やってるわよ!アンタも少しは真面な魔術使えるようにしなさいよ。」
「………グッ…」
確かに偉そうに命令できる立場ではなかった。
ともかくこれで霧の中でも戦闘には困らないだろうが、多少動きが鈍ることも弁えておかなくてはならない。
そうして、ようやく戦場に着く。が、そこは悲惨な光景で埋め尽くされていた。生存してる戦士が少ないのではないかと思うほどに戦士の死体が転がっており、住民の方も大抵は非難で来たということらしいが、中には逃げ遅れて斬り刻まれたものもいた。
「どうなってんだよ、コレ」
「………警務隊どころか憲兵隊までやられるなんて…」
警務隊も憲兵隊も個人の力は然程大したことないのだが、集団、組織としての戦闘であれば、国内でも有力な方だろう。
圧倒的な統率力と上手い連携力が彼らに力を与えている。
だが、この惨状はなんだろう。彼らの集団力を持ってしても、殺人鬼には手も足も出ないのか。
さらに悪いことに彼らは既に戦意喪失している。殺人鬼に抗うだけの力がないのだ。にも拘らず、殺人鬼はそんな戦士に対しても平気で手を掛ける。
当然のことではある。敵というのは戦意があろうとなかろうと殺して死を迎えるまではその概念は消えない。
だが、一条楽はそれを決して認めようとはしなかった。
「ォオオオオオオオオオオォッ」
学院長から貰った小瓶により、僅かながらではあるが、魔力は回復した。
だが、その力は嘗ての一条楽の力には到底及ばないものだった。割合で言うならば二割行くか行かないか。
けれど、鶫戦のように無様な真似もしないだろう。今の一条楽には魔力がある。そして嘗ての戦闘から得た経験が豊富にある。
腰を低くしながら、加速する。そして素早く抜刀して敵の攻撃を弾く。だが、そこで楽は見てはいけないものを見てしまった気がした。
目の前にいる少女を知っている。彼女と過ごした期間は短かったけれど、良く覚えていた。それ故に認めたくなかった。
―――彼女が殺人鬼なんてことを。
それでもこう言うしかなかった。
「唯ちゃんが殺人鬼だったんだな。」
そう言われた時の彼女の表情は何とも悲しそうだった。
「出来れば、貴方たちにこの姿を見せたくはなかった。」
唯は泣き笑いのような表情で言った。
「どうして貴女が……。」
千棘は信じられないという風に首を振った
それもその筈だ。目の前の殺人鬼は殺人鬼というには余りにも可憐で、幼かった。
「言っておきますが、姿形は幼くても生きた期間は、貴方たちより遥かに長い。………いや、その表現もあまり正しくありませんね。人間としての私の命はとうに尽きている。」
彼女が言わんとすることを理解できなかった。
「どういうことだ?」
すると、彼女は薄く笑って、
「私はもうとっくに死んでいるんですよ。にも拘らず、この世をさまよい続ける亡霊です。」
「………な…………………っ………」
「………嘘……でしょ」
亡霊と彼女は言った。
そもそも霊が何なのかは科学的にも魔術的にも解明できていない。
それでも、最小限の知識を述べるのであれば、こう答える。霊には実体がなく、不可視な存在であり、物体に触れることは不可能。
唯はその法則性を思いっきり崩壊させているではないか。
「フフフ。貴方達の考えを当ててあげましょうか。霊体が物に触れられるはずがない、視えるはずがない。馬鹿ですね。そんなの人間が勝手に創りだした妄言ですよ。証拠もないものを『これはこういう物なんだ』って言いふらして信じ込ませる。そして人々もそれを疑いもせず信じてしまう。そうやって形成されたのが今の世の中ですか。泣けますね。己を誇示したいが故にでてくる傲慢さには反吐が出ます。」
生きとし生けるもの全てを蔑むようにして言う。
「君は人間が嫌いなのか?」
「嫌いですよ」
逡巡も困惑もない即答だった。
「私はニュースや新聞記事じゃ殺人鬼と呼ばれてるらしいじゃないですか。恐らく人々は私に対して『何でこんな酷いことするんだろう?』ってきっと思っている人がいますよね?いえ、大半の人がそうだと思います。ですが、何で気づかないんでしょうね。一時の感情で人間は人を殺すし、それを続けて取り返しのつかない事態になれば、私みたいな殺人鬼誕生じゃないですか。平気で殺す生き物のくせして『私は殺しません』って言うんですよ?どんだけ学習能力低いんですか?人を殺さないことが善で殺すこと悪と誰が決めたのでしょうね。下らない。」
そこには隠しきれない抑えきれないほどの憎悪が込み上げていた。
何をどうしたらこんな幼い少女が此処まで世界を憎めるのだろうか。子供の象徴である無邪気さなど何処にもない。
「そんなの、違う……。」
千棘が弱々しく反論する。
「違う?何が違うんでしょうか。人間は善悪に縛られた堅物ではないと証明できるものでもあるんですか?」
「……それは……」
そんなものは何処にもなかった。
唯の言う通り人間とは善と悪に強く縛られ善人は悪を弾圧しようとし、悪は善を怨嗟する。
「なるほど。唯ちゃんの言う通りかもしれないな。」
「楽?」
楽はそれに賛意を表する。
結局、固定観念に縛られた人間の善とはただの偽善でしかなく、人間が言う悪とはもしかしたら見方によれば善なのかもしれない。
その部分に関しては認めよう。
「だけど、君の言うことは同意見でもあるが、全てを賛同したわけじゃない。」
「……………どういうことですか」
この世界はどうしようもなく醜かった。
偽善と混沌が渦巻く世界には黒と白の区別がなく、黒でも白でもない灰色がある。そんな世界に希望なんてなかった。光もなかった。あったとしてもそれは永遠に続くものではない。一瞬で潰えてしまうような儚いものだった。
誰もがこの世界を醜いと言うのに、ある一人の少女はそれを否定した。
『確かに、この世界は一見、醜悪で腐敗したものに見えるかもしれない。この世界はきっと奈落の底よりも深い闇が漂う世界かも知れない。けれど、けれど……。』
楽はその少女が口にした言葉を重ねるようにして言う。
「…………それでも、この世界は美しい………。」
その少女は知ってる筈だった。闇とは身近にに存在するものであり、この世界が醜悪でしかないことを理解してる筈だった。
にも拘らず美しいと言った。ひたむきな努力に笑顔、誰かの為に流す涙は尊いものであると。
楽自身、この言葉は半信半疑であった。そんな筈がない。唯の言う通り醜悪な世界でしかないと思っていた。
けれど、この世界を愛した少女の言葉を踏みにじりたくはなかった。彼女の想いをないものにしたくはなかった。
「成程、ならば、その戯言。どこまで貫けるのか楽しみです。」
唯が動き出す。霧が濃くなり姿が見えなくなる。