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洗礼詠唱は浄化作用を持つものだが、怨霊や悪霊に与えるのは魂を癒すのでも何でもない。詠唱の対象者は速やかに消滅するのである。
街中を取り巻いていた渦は消え、淀んだ空気は澄んだものへと変わる。
しかし、詠唱を終えた千棘には喜びなど微塵もなかった。
唯という幼い少女を殺した罪悪感があった。
唯は殺人鬼であるため、千棘はそれを倒した英雄にも拘らず、胸中は英雄らしい誇りなど少しもなかった。
堪えきれず、ただ涙が溢れるばかりだった。
―――泣いているの?
怨霊と化した少女は元の善良な少女に戻っていた。
けれど、数分、いや、数秒もしない内に自然と消滅するだろう。
「………唯ちゃん……。」
―――私をただの敵として殺せば悲しむこともなかったのに。
それは正論であるけれども、そうすることができなかった。敵ではなく、一人の少女として見ていた自分がいた。
―――馬鹿ですね。
ああ、本当にそうかもしれない。どうしようもなく愚かである。弱さだと分かっているけれども、見捨てられなかった。
少女の笑顔を見て、喋り、共に過ごした。
長い人生で見ればたった一日しかない出来事ではあったけれど、確かに記憶として存在している。
―――この国を未だに許すことは出来ない。
それでも貴方たちと過ごした一日は尊いものでした。
あんなに燥いだのはいつ以来だったか。久方ぶりに無邪気な子供で居れたひと時でした。
少女は瞼をつぶり、こう言う。
―――ありがとう。
そう言って少女は光となり消えていった。
楽は疑問に思った。
自分たちは彼女を殺しただけだ。なのに、何故彼女は最後に「ありがとう」と言ったのか。
楽にはそれが理解できなかった。
☆
日本帝国には王が存在する。と言っても、その座に座っているのは嘗て徳川と名乗る一族である。。
嘗ての天皇家も滅ぼし、徳川家自ら皇族となった。以来、四百年徳川の時代が続いている。
江戸城に入るには当然と言えば当然だが、昇殿を許されるのは一握りの人間であり、これを許可される騎士は
そんな江戸城内を桐崎千棘は悠然と歩いていた。
警備の騎士に度々出会うのだが、皆千棘に敬礼し、行く先を咎める者は誰一人として存在しなかった。
そのことから彼女が高位の騎士階級を持つことを伺える。
そして、たどり着いたのは陛下が居座る『王の間』だった。
「失礼します。」
桐崎千棘は片膝を突き、慇懃に頭を下げる。
普段の彼女では全くあり得ない行為である。だが、この国を統べる者が目の前に居れば、当然の行為と言えよう。
御簾で姿は朧げにしか見えないが、シルエットから美しい女性であることは間違いないだろう。
「七天第七位権天使、
「はい。」
七天とは
それも認証されるのはたった七人のみであり、さらにそこでも位階が与えられている。最上位を一位とするならば、最下位を七位としている。
七位でもその戦闘能力は畏敬に値するものである。一般騎士などが謁見できる立場ではない。というのも七天クラスは大抵が公には顔を出さない。
けれども、事実、千棘は一般社会に溶け込んでいる。
その際に与えられたのが二つ名の桐谷千という名と桐谷千と桐崎千棘を別人と確信させるための幻術を発動させている。
その為、千棘が普通に外で顔を出してても訝しむ人はいないというわけである。
「どうだ?一条楽は。奴を見て思うことはあるか?」
その質問に千棘は首肯する。
「最初は侮っていました。ろくに魔術も扱えない上に身体能力も乏しい。けれど、この前の事件では殺人鬼を凌駕するほどの力を発揮していました。」
その言葉に目の前の王は「ふむ」と黙考していたが、やがてくすくす笑い始める。
「成程。主はそう捉えたか。それも一興よな。」
「何が仰りたいんです?」
千棘は胡乱げに、笑う女王を見る。
「何、主は奴をよく知らんからな。まぁ無理もない。」
「はあ……?」
何か馬鹿にされてないだろうか?
それだけじゃない。女王は真実を知っているのではないだろうか?口ぶりからしてそう思わせる節がある。
もし、知ったうえでこの態度ならば揶揄してるとしか言いようがない。
「何、話したかったのはこれだけだ。任務を引き続き頼んだぞ。」
「………はい」
一体、何を聞きたかったのかさっぱり分からなかった。
けれど、女王は恐らく一条楽について何かしらの知識があるのではないだろうか。千棘の知らない、少年の姿を。
***
桐崎千棘が城を去り、女王は外の景色を眺めていた。眺めながら、一条楽という少年について考えた。
桐崎千棘の視点で言うならば、魔術の才もない人間が殺人鬼との闘いの最中、覚醒をしたとのことであるが、それは正確ではない。
正確には学院長が一条楽本来の力を封じる術式を解くための小瓶を手渡し、その効力により、五割ほどの回復を見せたというのが正しい実態である。
実を言うと、女王陛下は水晶を使って大体の事情は掴んでいる。その上で何故、桐崎千棘を彼の監視に付けたか。
理由は然程大したことはない。他者が訊けばもしかしたら呆れるかもしれない。
―――理由は本当に単純だった。
『同じ』七天に君臨する少年少女が互いを見て何を思うのか。それを見てみたいのである。
それはまるで物語を読んでいくような感覚に近い。
思ったものが喜劇になるのか悲劇になるのか。もしくは慕情に落ちるのか憎悪の対象となるのか。
何だっていい。ただ彼らが紡ぐ物語を読みたかったのである。
☆
「いや~。オレの親友ながら殺人鬼をやっちまうとは。中々やるなぁ」
舞子集は学院長室のソファをまるで自室同様にくつろいでいた。
そんな彼の姿を見た学院長はややしかめっ面である。
「どうだ?嘗ての彼の戦闘力と比較すると……。」
すると、舞子は「ん~」と唸りながら、
「どうでしょうね。そこんところの記憶がはっきりしてないんですよ。」
「やはり記憶が操作されているのか……。」
学院長は薄く溜め息をついた。
嘗ての一条楽を知る人物は本当に限られている。ある程度の知識を持つ者は多いが、魔術関連になると記憶が曖昧なものになるらしい。
必ずしも記憶が操作されるという訳でもないのだろう。現に学院長は高い魔力故に記憶操作をほとんど受けていない。同様に、記憶操作を受けていない人物も中にはいるかもしれない。
「………けど、基本的に国内は記憶操作の影響を受けていると思いますよ~。」
「それは国外だと影響はないということか?」
「まあ、あくまでも仮定です。日本帝国と西洋では魔術形式が異なります。ルーツは同じでも日本は輸入されてきた魔術を独自で発展させている。」
その良い例が『魔具』である。
魔術単体しか扱わない西洋に対し、日本帝国は武具との融合にも成功している。
また、それ以外でも日本古来からある霊術と魔術の融合など…。基本的に融合に長けているともいえるが、西洋にはそもそも融合という思想に至らない。
「ふむ。まあ、そうなると国外の者ならば支障ないという訳か。」
考え込むようにして学院長は言う。
「あれれ~?もしかして何か面白いこと考えてます?」
「いや、真面目に考えているよ。ただ、君にはどうも面白い風に見えるらしいな」
すると、舞子はニヤニヤとした表情で、
「まあ、多少何かある方が面白いじゃないですか。こう、ストーリー性があるっていえばいいんですか?ヌフフフフフ。」
「………君は『あの方』によく似てるな。」
学院長は「ハぁ」と溜め息をつきながら言う。
「まぁ、今日みたく急激に魔力が回復することだってあるわけだ。監視は怠らないように。」
「アイアイサー!」
快活な声で応える。
この快活さが少し不安である。
☆
事件から二日後、殺人鬼を討伐したことにより皆が歓喜した。
当然だろう。世を震撼させるほどの脅威などないに越したことはない。だから、歓喜という反応は正しい。けれど、彼らは知らない。その正体が幼い少女であるということを。
彼女は殺された者達からすれば、加害者でしかない。しかし、その根本を辿って行けば被害者なのだろう。そうでなければ、あれほど激しい憎悪など抱かない筈である。
だから、結果的に街を救えたかもしれないが、殺したという罪悪感が拭えない。
「まだ、気にしてんの?」
「………忘れられるわけねーだろ。」
忘れられるはずがない。
少女を救いたいと思う自分がいた。救えないことを分かっていたけれど、救いたかった。
しかし、自分には救うための言葉もなく、力もなかった。
「けど、唯ちゃんは最後に『ありがとう』って言った」
「…………………。」
何故そう言ったのだろう?礼を言われる立場などでは無い筈だ。
しかし、千棘はかぶりを振り、
「私達は確かにあの子を殺した。それでも、あの子の最後の言葉は本物だと信じたい。」
「………お前……」
桐崎千棘は救えたものがあると言う。
果たしてそれはどうなのだろうか、と考え込んでしまうが、最後の消える瞬間―――。
少女は慟哭するのでもなく、憤怒、憎悪するのでもなく、ただただ笑っていた。そして、「ありがとう」と言ったのである。
「アンタの言う通り、私はあの子を救えなかった。救いたいけど、救うことが出来なかった。だから、救えたものがあるっていうのは私がただそう思いたいだけなのかもしれない。」
ただ、殺しただけでなく、救えたものがある―――。
そんな筈はない。けれど、その言葉を信じたくなってしまった。
だから、楽はこう言う。
「そう……なのかもしれないな。」
そうして千棘は「うん」と言い、笑った。その笑顔に楽はしばし見惚れてしまった。
―――なんて綺麗な笑顔なのだろう。
まるで闇の中にある一筋の光のようだった。
夕日に照らされる彼女のその笑顔はあまりにも眩しすぎた。
***
帰るころには日は落ち、月が出ていた。
先程から千棘がチラチラとこちらを見てくる。
―――何、何なのコイツ。
どうもキョロキョロしていて不審に見える。
「何だよ、お前は。キョロキョロすんな。」
「べ、別にしてないわよ!キョロキョロなんて全然してないからね!」
―――ツンデレかよ。
正確に言えば、楽と千棘は互いを嫌悪しているので、ツンデレではなく、ただのツンと言って良い。つまり、デレという可愛げなものは一切なく、攻撃性しかない。
「ただ、アンタいつもペンダントつけてるじゃない?それ何かな~って。」
「何だよ欲しいのか?あげねーぞ。」
「うん、いらない。けど、何なの?」
「…………………」
いらないと即答されてしまった。まあ、大事な物なのであげるわけにもいかないが、それにしても拒絶するような断り方が気になった。
にも拘らず、このペンダントが気になるとか矛盾してないだろうか。
「これは十年前、ある女の子との別れ際に貰ったもんだ。んで、再開したら、この錠を開けようって約束したんだ。」
「ふ~ん。」
まるで興味のなさそうな返事だった。なら、訊くなよ。
「アンタ、ロマンチストなの?そうなの?てか、そうでしょ。モヤシのくせに気持ち悪い。」
「うるさい。ゴリラがいちいち口を開くな、ボケ。」
互いに辛辣な言葉をぶつけているが、何故か習慣になっているのは何故だろう。
習慣と言うのはすごいものである。毒舌をぶつけられても、それに耐えるだけの強靱な精神と言い返すだけの余力が生まれるのだから。
「私、家こっちだから。じゃあね馬鹿モヤシ。」
「ああ。じゃあな。ゴリラ姫。」
***
桐崎千棘は一条楽の持つペンダントが頭から離れなかった。
形は少し特徴的ではあったが、特に千棘が気にするようなことでもない。
でも、どこかで見たことがあるような気がした。だから、楽にペンダントについて訊いたのだ。
すると、十年前に在る少女との別れ際に貰った物らしい。
だが、千棘にはそんな記憶はない。十年前のことだから忘れているという可能性もあるが、そうではないと思う。
記憶を探っても、写真などを見ても一条楽と出会った形跡など何処にもない。
ならば、あのペンダントに何故見覚えがあると思ったのか、それが不思議でならなかった。