この世界が最も必要とするのは純粋に力である。
力がない者は弱者である。
力を所有しつつも弱者を護ろうとする愚者もまた弱者である。
そう結論付けた筈なのに、どうしてあの人の瞳は揺るがないのだろう―――?
☆
鶫誠士郎はクロードから、一条楽を殺すよう命じられていたが、しばらく監視することにした。
正直、すぐに処理した方が、ビーハイブの為でもあると考えていたが、少し気が変わった。
千棘が、何故弱者である楽を庇うのかを知りたかったという私的なものだったが、興味があった。
強者である者は弱者を顧みないという考えと強者でありながらも弱者を思うという気持ちにはどれほどの違いがあるのかを知りたかった。
無論、任務は遂行するが、千棘の言葉の全てを否定できない自分がいた。嘗て、捨てた感情の筈なのに。
「おい、コラ待て。何で俺が鞄持つこと決定してんだ、オイ」
「あら。私はレディーなんだから尊ばれるべき存在よ。対してアンタは下僕。そこんとこ分かって欲しいわね。」
「あ?いつから主従関係できたよ?つーか、相変わらず高圧的な物言いだな、ゴリラのくせして。」
「モヤシのくせにゴチャゴチャうるさいわね。脛骨折れば黙ってくれるかしら?」
「それは黙るどころか死ぬぞ………。」
通学する彼らの姿を陰から見ていた。
関係は良好という訳でもないらしい。
互いを罵り合ってばかりで真面な会話をしていない。
けれど、少なくともそれが彼らの関係であり、仲である。おそらく、楽を殺せば千棘は憤怒するだろう、という予測がついた。本人もあまり意識はしてないだろうが、おそらくそうなるだろう。
―――しまった………。
気づけば鶫は迷っていた。
一条楽を殺すのが本当に正しいのかどうか。
嘗て弱者を護ろうとした自分を思い出してしまった。その所業は酷く愚直なものだった筈なのに、憧憬を抱くのは何故だろう。
今すぐ捨てなければならない。けれど捨てることが出来ない。
そんな心の矛盾に煩悶する。
☆
時計の針は午後四時半を指していた。
帰り道はいつも途中までは友人である集と帰り、交差点で別れるというのが楽の下校だった。
常に決まった時間で特に何も変わらない平凡な帰り道だと思っていたが、この日は違った。
異変があった。背後から殺気を感じ陰に誰かいることを察知した。
「………一条楽。」
その正体は鶫誠士郎だった。
そう言えば、彼女とこうしてちゃんと面と向かい合うのは性別を間違えて殴られた時以来か。
「ああ、お前か。」
普段から彼女は楽をあまり良い目では見ていない。
だが、今日背後から感じたのは殺気。良い目で見ていないとかそういうレベルではない。
「何、今日は話があって来たんだ。すぐに終わる」
「話?」
そう言いながら、楽はすぐに抜刀できる態勢をとる。
「実はクロード様から任務を言い渡されていてな。その任務は―――。」
楽は刀の柄を掴む。
「お前を速やかに殺すことだ―――!」
鶫は以前のように44マグナムをとりだして、呪式弾を放つ。
魔力が僅かながら回復したせいか、分かったことがある。彼女の銃弾はただ単に呪術を付与してるだけでなく、加速術式も付与されている。
その為か、銃弾は数秒で数発発射する。
以前ならば、見抜くことが出来なかっただろう。
けれど、今ならば―――。
「見える……!」
抜刀。同時に鬼の力も解放。数発の銃弾を全て弾く。
以前は一発でもギリギリで躱すことしか出来なかった凡庸な兵士が今や銃弾を弾き返せる程の兵士となっている。
「………………!」
これにはさすがの鶫も瞠目する。
「なるほど。やはり剣豪一族を名乗るだけはある。」
「いいや、そんな世辞はいらねえぞ」
「世辞でも何でもない。素直に褒めているのだよ。貴様は封印のせいで本来のステータスよりはるかに劣るのだろう?それで、この実力だ。称賛する他ないだろう。」
どうやら鶫の口ぶりからして、楽について調べたらしい。
「それでも世辞はいらねーぞ。オレはお前からしたら弱者でしかねーんだからよ。」
「それは否定しない。結局、強者も堕落すれば弱者となり、強者としての称号は過去形になる。」
そう。彼女は一条楽を弱者と判断している。
強者とは常なるものであり、その場しのぎのものは強者とは言わない。少なくとも鶫はそう思ってる。
一条楽は弱者であり鶫征士郎は強者であることには変わらない。
しかし、常に強者であることを強要されてる彼女は弱者を知らない。
だから強者の世界しか知らず、弱者は彼女の世界には一切含まれていない。
「フン。ビーハイブと関わらなければ死ぬこともなかっただろうにな。」
憐れむというより蔑むかのように言う。
だが、楽には理解出来ない言葉だった。
一条楽は桐崎千棘の全てを知ってるわけではない。知ってるのは酷く口が悪いのとすぐ暴力を振るという短所しか思いつかない。
けれど彼女と会わなければ彼女を知ることはできなかった。
だから、ビーハイブと出会ったことを後悔はしない。
だからこう言う。
「笑わせるなよ。お前が思うほど俺は後悔はしていない。」
それは真実であり、嘘などではない。
楽の真紅の瞳は鶫を正視する。あまりにも真っ直ぐな瞳だったのか、鶫も気圧される。
「オオオオオオォッ!」
楽は鶫の腹部を狙い、刀を振りかざす。
刀の振りはそれなりに速いが恐れるほどでもない。あまりにも直進的すぎる為に、簡単に見切ることが出来る。鶫からすれば躱すことも受け止めることも可能だった。
しかし、その余裕もつかの間、不意に楽の口から笑みが零れる。
それが何を意味するのかを悟った時は少し遅かった。
楽は刀を右手で振っていたのだが、その右手に掴んでるのは虚空で刀の姿は何処にもなかった。だが、斬る態勢は変わらない。
では、その刀は何処に行ったのか。
答えは左手で握られていた。
右手で刀を持っているように思わせ、それを素早く左手に移し替えるというフェイント技だったのだ。
だが、鶫もやはり一流の戦士であり、不意を突かれたとはいえ、その一撃を真に喰らわずに柔軟性を生かして上手く躱してみせる。
しかし、それはダメージを軽減したという方が正しかった。致命傷にまでは至らないが傷は負った。
そして、何より楽の持つ刀、『鬼切』は妖刀だ。そこには妖気から生まれる毒も含まれている。鶫からすれば、これは躱したことにはならなかった。
―――少し、甘く見ていたか。
甘く見ていたためにこんな無様な姿を晒しているのだろう。
けれど、それだけでもなかった。一条楽の力を読めずにいるというのもまた事実だった。
彼はこの前戦った時よりも戦闘能力が上がっている。そして、その実力がどの程度のものかが全く分からない。それに、魔力が完全回復する場合だって有り得るわけである。だが、その場合は恐らく鶫の力では凌駕出来ないだろう。
力のバランスが余りにも不安定過ぎてそれが鶫の能力を鈍らせている。
このまま呪式弾を扱って戦うのも良いが、能力の図れない相手にこの戦闘スタイルを保っていいものかどうか。それに、楽は間違いなく接近戦型の戦士。ならば、相応の武器で戦うべきではないのか。
黙考の末、銃をホルスターにしまう。
「………?お前、何やってんだ。何で銃しまってんだ?」
楽は困惑な表情を浮かべる。
「桐崎家は基本、銃を主な武器とする一族であるから、貴様が困惑するのも無理はないな。だが、お前の身近にいるお嬢はどうだ?銃を使ってる姿を見たことがあるか?」
楽は千棘の魔具を思い出す。
あれは不可視で実体も掴めないものだったが、間違いなく剣だった。
「別に、桐崎家だからと言って銃を使ってはいけない法則はない。事実、私も銃よりは剣術の方に心得があるからな。」
そこで召喚したのは言葉の通り剣だった。
当然、ただの剣ではない。魔力を帯びた武器、魔具である。
恐らく千棘の魔具と同じく伝説級の武器であることには違いない。
「では、始めるか。」
鶫は動きだし、楽も前進する。
やがて鋼が軋みあう音が響き合い、その反動で地面のアスファルトは抉れる。
幸いにも此処は一通りも少ないため、被害が及ぶことはない。
「ぐ………っ」
だが、鍔迫り合いで楽が圧されていた。とても女性とは思えないほどの筋力、そして剣圧に苦悶する。
「くそっ」
耐えられず、一度距離を置こうとするが、すぐに鶫は距離を詰め、袈裟懸けに斬ろうとする。
「フン。先程のフェイントには驚かされたのだがな。さっきのような芸当はないのか?それともする余地がないのか?」
答えは後者だった。鶫の基本ステータスは今の楽より上回る。
この状態では攻撃に回ることも出来なかった。
―――どうする?
少しでもこの状況を打破する方法がないかを考える。だが良案はない。だが、愚作とも思える策ならばある。
この策を行ったのは遥か昔であり、一度しか使ったことのない手だった。あまり期待も出来ないが、この考案を実行することにする。
楽のもう片方の手には新たに刀が召喚される。
「『蜘蛛切』……!」
『鬼切』と同じく源氏の宝刀且つ妖刀である。
『鬼切』は鬼を斬ったのに対し、『蜘蛛切』は『土蜘蛛』という大妖怪を斬ったことでつけられた名前である。
今の楽は二刀を携えている。
「フン。浅知恵を働かせたのかもしれないが、二刀を携えて戦える戦士など稀だ。日本ならば、佐々木小次郎の好敵手である宮本武蔵くらいだろう。」
確かに彼女の言う通り、稀なことである。
けれども、楽は過去にこんな経験をしたことがあった。
楽が本来得意とするのは、刀ではなく、剣の方だった。しかし、一条家のほとんどの者が刀を扱うということで、無理やり刀を持たされたことがあった。
刀と剣には決定的な違いがある。剣とは両刃で片手でも持てるのに対し、刀とは片刃で両手で持つのが主流で、長らく剣の感覚に慣れてしまった楽は刀を持つことで感覚にズレが生じた。
その為、刀では苦戦を強いられることになり惨敗という戦績を繰り返していたが、ある日、ふとした思いつきで二刀で戦うという戦法を試したことがあった。
すると、意外なことに今まで倒せなかった相手を倒すことが出来たのだ。
その戦法が鶫に通用するかどうかは分からないが試す価値はある。
魔力を筋力増加の為、両腕の上腕部分に集中。そして加速をつける為に足の裏側にも魔力を集中。
そして、一歩踏み出す。
鶫の剣と楽の刀は再び交差する。
だが、今度は圧されるでもなくがっちりと受け止める。そして弾く。
「………!」
先程は剣圧で圧し潰されそうになっていた筈の楽が今度は剣を弾き返したという異変に鶫は瞠目する。
「―――やはり貴様は侮れないな。」
僅かながら焦燥が走る。
そこで鶫は勝利を獲得する為に、剣を解放するかどうかと迷いが生まれる。
一方楽の方は二刀を携え、再び加速していく。
―――二刀による連続剣技が始まる。