登校時間−−−。
「えーと、千棘さん?」
千棘の様子は普段とは異なっていた。あまりの変容に思わず戦慄する。
「なに?何か用?忙しいんだけど。」
確かに見方によっては忙しくも見える。けど、それ以上に異様だった。
彼女は数十キロはあるだろうダンベルを持ち上げながら登校しているのだ。どう考えても変だ。
わざわざ登校中にダンベル持ち上げる必要はないのではないのか?
「おまえ、どうしちゃったんだ?」
やはり常識人としてその光景を見るならば、誰もが奇異と思うだろう。
「どうもしないわよ。いつもと同じよ。」
ダンベルを毎日上げるような少女などいるはずがない。
そもそも、数十キロもあるダンベルを軽々持ち上げる者を少女と呼ぶには抵抗がある。
一体どうしてしまったのか。
ただ一つ言えるのは、何かに対して怒りを滲ませているのは確かだ。
しかし、昨日の彼女はこんな様子を見せなかった。いつも通り、罵詈荘厳を浴びさせられることはあったものの、不機嫌ではなかった筈。
では、いつから彼女の機嫌を損ねてしまったのか。デート中ではあるまいと思いたいが、昨日今日の豹変ぶりを見ると、デート中が原因なのか。
「ん?」
―――いや、待て。
そういえば昨日、楽の父は許嫁の話を持ってきた。
千棘はその話に介入することもなかったが、話し終えた後、明らかにムスッとした表情を見せていた。
―――となると………。
「お前、もしかして昨日の話を気にしてんのか?」
すると、今まで持ち上げていたダンベルを落として狼狽する。どうやら図星らしい。
しかし千棘は、キッと睨み、こう言う。
「別に。気にしてないんだけど。私には関係ない話だし。」
そう言ってさっさと行ってしまう。
彼女の言う通り、千棘にはあまり関係ない話である。
「じゃあ、何でアイツは怒ってんだ?」
それがよく分からなかった。
☆
教室に着いても不機嫌な態度は変わらず、こちらが話しかけようとすると、ギロリと睨んでくる。
もう、どうしようもないので放っておくことにした。
それにしても妙に教室がざわついていた。こういう時の教室というのは大抵が何かあるときだ。
「ふ。お前も察したか。楽よ。」
「うおっ!」
背後から唐突に話しかけられ、ビクリと肩を震わす。
振り返ってみると、友人の舞子集だった。普段よりも低い声で話しかけられた所為で誰か判別出来なかった。
「音もなく俺の背後に立つな。あと低い声で喋るな。びっくりすんだろーが。」
「おいおい。気配立つのは戦士として必要なスキルだぞ。」
「………今使う必要はないだろ」
確かに気配を断つ力は隠密行動、暗殺には適しているが、日常生活で扱われるとウザいだけである。
「それより何でこんなにざわついてんだ?」
「アレだよ、転入生?」
「は?帝国院に?」
不思議な話だった。
この学校に、それもこの時期に転入とは珍しい。ここに来るということはそれなりの実力者なのは確かなのだろうが。
しかし、実力者と言えども日本一の魔術校に途中で入ってくるという行為には、かなりの度胸が必要だったはずだ。
ふと視線を友人に戻すと、興奮気味だった。
「どうやら、その転入生美人なんだってよ!うひゃー!」
「うひゃー!じゃねぇよ。少し落ち着け。てか、黙れ」
この友人は女子の話になると面倒な相手である。男子は皆、女子が好きなので分からないわけではない。ただ、彼の欲望は常人以上だ。彼の話についていけるとしたら無類の女好きとかだろう。
そんな二人の会話を学校のチャイムが無遠慮に阻んでく。それとタイミングを同じくしてキョーコ先生が教壇に立つ。
そして簡単な出欠確認を終えた後だった。
「えー、恐らくお前たちは既に知っているとは思うが、転入生が入る。紹介するぞ。」
キョーコ先生が「入りな」と言ってその人物は慇懃にお辞宜しながら入ってくる。
その容貌を見た瞬間、「おお」とどよめきが走る。それもその筈だ。他者を魅了させるだけの美貌があったのだから。
入室した瞬間、花畑に世界が塗り替えあられたような感触だった。
「初めまして。橘万里花と申します。何卒、よろしくお願いします。」
再び、丁寧なお辞宜を交えつつ、自己紹介を始める。
あの慎ましやかな態度、淑女らしさというのだろうか。そうそう出来るものではない。両親から「淑女たるように」と訓練を受けたに違いない。
是非、桐崎千棘にも知ってもらいたい。
一通りの自己紹介を終えて、橘万里花と呼ばれる少女は物でも探すように周りを見まわし始めた。
すると、いろんな人との視線を交差する中、楽の視線にピタリと止まる。楽を凝視してからパァっと華やかな笑顔を見せる。
そしてとんでもない行動に走る。
「楽様ーーーーーーーーーーッッ!」
転入生が来たということで、お祭り状態だった教室はしんと静まり返る。
楽に至っては何が起きたかさっぱり理解できず「は?」と間抜けな声を出してしまう。
「会いたかったです!楽様!」
楽様?
自分は様を付けられるほどの偉人だっただろうか?そうでなくとも、様を付けられるほど尊敬されるじんぶつだっただろうか?
そして、ようやく我に返ったクラスメイトたちはパニック状態に陥る。特に男子メンバーが。
「ど、どういうことだ。どうなってやがる!?」
「あの冴えない顔の何処にモテ要素があるというのだ!?」
「それだけではない!ちょっと家庭スキルが高い以外何も取柄のない男の何処に惚れたんだ!?」
「くっ、桐崎さんという人がありながら………!」
「の、呪ってやる!」
ひどい言われようである。
どういう状況下自分が説明してもらいたいくらいなのに、数々の罵倒を浴びせられるとは心外である。
思えば、このクラスメイト達には辛辣な言葉しか言われたことないような気がする。もう少し優しさというものがあってもいいのではないか?
すると、クラス全員が抱く疑問を解決すべく、集が万里花に質問する。
「あのー橘さんもしかして楽の知り合い?」
すると、万里花はニコリと微笑み答える。
「はい。許嫁です」
すると、今まで黙っていた千棘が物凄い形相でこちらを見てくる。
クラスメイト達に関しては女子が「キャーキャー」騒いでるのに対し、男子は「うおおおおおおおおおっ」と雄叫びを上げていた。
そして、昨日父親が言っていた「こっちに来る」という言葉の意味を理解した。
「ちょ、ちょっと君。こっちに。」
楽は疑問が一つ二つと出てきたのでそれを問い質すべく、少々強引に少女の手を引いた。
☆
「楽様、お話なら屋上でなくとも教室で出来たのでは?」
「そういうわけにもいかない」
何せ、あの状況で会話が進めば、さらなる混乱を招くことになる。
「なるほど、気を使ってくださったのですね。」
「うん、まあ」
間違ってはいない。しかし、この子の場合、誤った解釈しているかもしれない。視線から「私と二人きりになりたかったのですね」と語っているからだ。
「十年前と変わらず、貴方はお優しいのですね。」
―――十年前?
この少女は知っているのだろうか。あの『約束』を。
それを聞く前に少女が『ある物』を出す。
「………な…」
驚愕。それは『鍵』だった。
「お前、それ……!」
「はい、十年前の約束を解明する『鍵』です。」
それはつまり---。
この少女こそ十年前に約束した女の子ということになる。
「楽様もこの時をずっと待ちわびていたのでしょう?私の再会を。」
「え?」
非常に言い辛いことではあるのだが、楽は彼女を知らない。或いは忘れているのかもしれないが、初対面の感覚が拭いきれない。
「あの、済まない。十年前、誰かと約束したのは覚えてるんだけど、顔も名前も思い出せないんだ。」
向こうが覚えていて自分は何一つ覚えていないというのは、申し訳ないことだ。
しかし、万里花は微笑みを絶やさず、「そうですか」と言う。
「怒らないのか?」
ここは文句を言われても仕方なかったはずだが、彼女にはそうした様子はない。
むしろ、それが正しいとさえ言ってるようにも思えた。
「十年も昔の話です。覚えていないのも仕方のないことです。」
「え……」
言われてみればそうなのかもしれない。けれど一方が思い続け、もう一方は忘却する。どうしても罪悪感を抱かずにはいられない。
「それよりも楽様。私達の会話を盗み聞きしている輩がいるようなのですが」
「……一応、気づいてるよ」
物陰から髪ゴム代わりにつけてるリボンが物陰から思いっきり見えていた。恐らく楽の知人の中で髪をリボンで結う者など一人しかいない。
「何してんだ?千棘。」
物陰から「ヤバッ」と声が上がる。その焦り方から陰に隠れているのが千棘であることを確信する。
これ以上隠れても無駄と悟ったのか、物陰から溜め息交じりに出てくる。
「これは、その……。浮気調査よ、浮気調査!」
「それって本人がすることか?」
楽と千棘はあくまで偽の恋人である。千棘が浮気調査に躍起になることもないはずだが、千棘は恨みがましく、万里花の方を向き、
「橘さん、人の恋人を取るのはどうかと思うんですけど。」
繰り返しになるが、楽と千棘は偽の恋人である。取るも取られるもない。
「お………おい、千棘。落ち着け」
どう言えば彼女が冷静になるか必死になって考えるが見当もつかない。何故なら彼女は怒ると見境ない。理性が吹っ飛んでるとも言っていい。
「楽様。あの方は誰ですか?恋人ですか?」
万里花は真摯な表情で聞いてくる。
これでは楽が女の子を弄んでいるようにしか見えない。全部家の事情、主に父親の不甲斐ない所為な筈なのに。
「あ、ああ。一応、な。」
ぎこちなく頷いて見せる。
認めたくはないが、ここで偽の恋人と露呈するわけにもいかない。
それを聞いた万里花は「なるほど」と言って千棘に視線を送る。そして人差し指をだし、とんでもないことを言う。
「こんなゴリラみたいな女の子よりも私の方が楽様を幸せにできます。」
―――なんて恐れ多いことを!
確かに楽自身も千棘にゴリラ女などと嫌味を言うが、それはあくまで楽本人しかいないと思っていた。他の子がそんな毒舌を口走るとは思ってもみなかった。
ピキッと何かが吹っ切れたような音。それは千棘の血管が浮き出た音だった。
「う~ん?ゴメン。よく聞こえなかったわ~。もっかい言ってくれる?」
間違えなく噴火寸前だった。
「おおおおお、落ち着け!千棘!こ、こここここんどラーメン驕るからそれでチャラで良いだろ、なっ。」
内心、物でつる自分が情けないと思った。何が「なっ。」だ。しかし、千棘は高級食を好むものの、庶民食であるラーメンは好んで食べるので、一応喜ぶのではと思ったのだ。
しかし、それで怒りが治まる彼女ではなかった。
「楽様。何故あのような野蛮な方を選んだのですか。」
「いや、そう言われても」
別に好んで選んだわけではない。決められただけなのだから。
それにしてもゴリラに重ね、野蛮とまで言うとは。流石の楽もそこまで口にしたことはない。一応、心の何処かには乙女があるんじゃないか?と淡い期待を抱いていたから。
すると橘万里花は千棘の方にスタスタと歩み寄っていく。そして何かを告げ、手渡しているように見えた。
「楽様、先に教室に戻りますね。」
「あ、ああ。」
別に気にするようなことではないのかもしれないが、万里花は千棘に何を伝えたのだろう。
☆
それは驚愕に足るものだった。
万里花は去り際、千棘にこう言ってきた。
「あなたも『例の物』を持っているのでしょう?」
「…………え」
『例の物』が何を意味するのか千棘は想像がついた。だが、気になるのは「あなたも」と言ってきたことだ。
つまり、彼女も『例の物』を持っているのだろうか。
「どうやら知らないようなのでお話ししましょう。放課後、この喫茶店でお待ちしております。」
手渡されたのは喫茶店の簡単な地図だった。
橘万里花は一体何を知っているのだろう。