放課後、橘万里花の誘いで、千棘は喫茶店に寄る。
『帝国院』から近接したところにある店で人気もそれなりにはあるらしいのだが、それは裕福な家庭を持つ人限定である。
壁と天井は金一色。シャンデリアに豪奢なテーブルにイス。
メニュー表を見ても普通の喫茶店の数倍はあるだろう金額だった。
「た………高っ」
確かに一般人が来れるような場所ではない。金持ちしか入れないような店だ。
それだけじゃない。十代の少年少女が簡単に入れる店でもない。幸い、千棘も金銭的には恵まれた家庭なので注文はできるだろうが、普段より自制することにした。
おそらく、この店を選ぶということは万里花は裕福な家庭に生まれた娘だろう。でなければ、こんな店を選ぶはずがない。
「桐崎さん。お待たせしました。」
すると、にこやかな笑顔で万里花が千棘の方に寄ってくる。
どうもこの笑顔は作り笑いのようできな臭い。この笑顔の裏で何を考えているのか、と思わず想像してしまう。
「それよりもアンタ随分豪華な店選んだわね。」
率直な感想を口にしてみる。
「ああ、野蛮な貴女にはこの店は眩しすぎましたか。次はもう少し凡庸な店を選ぶよう心がけます。」
―――コイツ。
メラッと怒りが込み上げてくる。
丁寧な口調で分かりづらいが明らかに揶揄している。
「フン。まあ、そうね。次はもう少し普通の店でお願いするわ。」
こんな店に連れてこられてお金を使い尽くすよりは良いだろう。普通の店で好きなものを好きなだけ注文する方が有意義なはずだ。
「貴女と次にお店を回る機会は来世でお願いします。今生は楽様に捧げるつもりなので。」
「あーそう。」
千棘が今まで会話した中でムカつく女ベストスリーにランクインするほど腹立たしかった。
まだ出会って間もないが、楽の接し方とは雲泥の差である。
「さて。こんな話をしに来たわけじゃありません。」
万里花は注文した紅茶を手にしながら言う。
「貴女が知りたいのはこの『鍵』についてでしょう?」
「…………………………。」
千棘はその『鍵』を凝視する。
「貴女はどれくらい知っているんです?」
「ほとんど何も。」
「………そうですか。なら、全ては語りません。この『鍵』についてだけ説明しましょう。」
☆
―――この『ペンダント』は十年前、ある女の子との別離の際に貰った物なんだ。
以前、楽は千棘に十年前の約束について語ってくれた。語るとはいっても本人も忘れてる部分があるので、大まかなことしか知らない。
そんな彼を夢見がちなロマンチストと心の中で揶揄した。当然自分には関係ない他人事だとその時は思っていた。
けれど、数日後。クローゼットから思い出の品が出てきた。
それは絵日記と『鍵』だった。
このとき絵日記を捲るか捲らないか逡巡した。
しかし、何か大切なことを忘却しているようで、それを思い出さなければならない義務を感じた。
この絵日記に書かれているのが何なのかを知るべく恐る恐るページを捲る。
7がつ30にち
あしたもかれとあそぶやくそくをした。
あしたもたのしみ。
8がつ2か
きょうはたいへんなことがあった。
おおきなやまいぬにおそわれて、かれがかばってくれた。
うれしかった。
けど、かれがけがをしてしまったのはかなしかった。
8がつ5か
かれはげんきになった。
きずがのこってしまった。けど、かれは「だいじょうぶ」だといった。
きょうからまた、かれとあそぶことができる。
綴られているのは全て男の子についてだった。
そしてページを捲るごとに分かったことがある。
―――私、この男の子のことが好きだったんだ。
今まで彼女は恋をしたことがないと勝手に思っていた。
しかし、そうでないことを過去の自分が教えてくれる。
そしてさらにページを捲る。
8がつ22にち
きょうはかれとおわかれ。
もうあえないのがかなしい。
でもまたあえる。
だってかれにはぺんだんとがあって、わたしにはかぎがある。
『鍵』と『ペンダント』について書かれていた。
「これって………。」
不意に一条楽の言葉を思い出す。彼は確かに『ペンダント』を持っており相手の女の子は『鍵』を持っていると言った。
つまり、桐崎千棘は『十年前の約束』の関係者になるわけである。
「………うそ………」
単なる偶然なのか、それとも必然だったのか分からない。
けれど、この約束が大切なものであることは間違いなかった。
☆
「アンタは『十年前の約束』を知っているの?」
「勿論。一つ残らず憶えていますよ。」
万里花は当然のように言う。
「ただ、私の口から語るのは『鍵』と『ペンダント』に限定します。」
「む。何で全部は教えてくれないの?」
すると、先程の尊大な態度とは打って変わって表情を曇らせる。
「………ちゃんと理由はあります。ですが、それを言えば必ず『記憶の混乱』が生じます。全て語れないことをどうかお許しください。」
どういう理由かは知らないが、彼女の口からは言えないことらしい。気になるが、ここはそういうことなのだと了承するしかない。
「分かったわ。じゃあ、早速説明を。」
「はい。そうですね………。何から話しましょう。まずは貴女がどの程度『十年前の約束』の記憶があるか話してくださいませんか?」
「え?えっと、確か十年前の男の子と女の子はそれぞれ『ペンダント』と『鍵』を交換して再開する約束をした………かな?」
すると、万里花は「ハァ」とため息をついた。
よくは分からないが「この程度の知識しかないのですか。」と馬鹿にされてるようだった。
「間違ってはいませんが、あまりにも説明が不足しています。確かに再会の約束をして『ペンダント』と『鍵』をお互い交換しました。しかし、その説明だけでは『ペンダント』と『鍵』は交換されただけのお飾りにしかなりません。」
「………あ。」
言われてみればその通りだ。
思えば、『鍵』と『ペンダント』を何に扱うかなんて全く考えていなかった。
「正確に言うならば、再会した際に『ペンダント』の中にあるものを取り出し結婚する、というのが約束の内容です。」
「え………?」
一瞬、頭が空白になる。
「け、けけけけけけ結婚!?」
「何を驚いているんですか?というより、いちいちそんなことでリアクションされるようでは話が先に進みません。黙って聞いてください。」
これが黙っていられるはずがない。
結婚とは男女の将来を決める一大行事である。それを軽視するわけにはいかない。
「え、でもどうやって『ペンダント』の中身を取り出すの?」
「『ペンダント』には錠がついていて『鍵』を通すことが出来ます。」
そういえば楽の『ペンダント』には錠がついていた。そんな大事なことを忘れる自分が馬鹿に思えた。
万里花はまたしても呆れたような表情を見せる。
「と、ここまでなら楽様も知っていることなのでしょうが、ここからは楽様本人も忘れているであろう内容です。」
「つまり本題ってことね。」
「ええ。」
万里花は視線を『鍵』に移した。
「約束の女の子は合わせて四人います。その四人全員が『鍵』を持っています。」
「へ……………」
何を馬鹿なと思ったが、万里花の真剣な眼差しからそれが冗談ではないと悟る。
「で、でも何で!?『約束の女の子』が四人!?『鍵』も四つあることになるじゃん!」
「だからそう言ってるではありませんか。」
やりきれないと言った表情で万里花は本日三度目の溜め息をつく。
「しかし、その点は楽様も勘違いしていることです。楽様は約束の相手が一人しかいないと思ってる筈ですから。」
「けど、普通に考えたらそうじゃないの?」
「確かに私も記憶が残っていなければ貴女や楽様と同じことを考えていたでしょう。しかし実際には女の子が四人いて、その内の一人が真の『約束の女の子』というわけです。」
約束の女の子は一人ではなく正確には四人存在し、その内の一人が『本物』というわけである。
つまり、この約束とそこに至るまでの全容は『約束の女の子』四人全員に出会わなければならない。
☆
同時刻―――。
閑散とした通学路に僅かながら人の気配を感知する。
しかし、その気配は限りなく無に近い。そこから感じる気配には殺気はない。いや、それどころか喜怒哀楽が一切ない。
大抵、敵である場合は殺気を感じ取ることが多いのだが、殺気がないことから敵ではないのだろう。しかし、どうも感情に乏しいのか冷徹なのかよく分からないが、存在性を全く認識できない。
そのため不気味ではあった。得体の知れないものが自分に付きまとってくるような感覚だ。正直、お祓いをお願いしたいくらいだった。
「……………そろそろ隠れるのはやめにしねーか?」
これで何もなかったら自分は霊感があります、という話になる。霊とかお化けの類は苦手なのでそういうのは避けたい。
「驚きました。私の気配に気づく人がいるとは」
すると、近くの電柱からひょいと顔をだす。スーツを身に纏った女性だった。
―――電柱?
特殊な場所に隠れていたわけではない。寧ろ見つかりやすい場所であるにも拘らず、その存在を容易には認識できなかった。
それだけではない。特殊な魔術で迷彩を扱ったわけでもない。
「えーと………。何してるんです?」
容貌と雰囲気から年上なのだろうと思い、敬語で質問する。
「何、と問われる程のことではありません。ただ貴方の後を付けていただけです。気にしないで下さい。」
気にしないで下さいと言うがそれは世間で言うストーカーという行為ではないか?そんなの当然気にするに決まっている。
「いや、えーと……………。なんでストーカーみたいなことをしてんですか?」
まさか趣味じゃないだろうと恐る恐る質問する。
「いえ、貴方に話があります。一条楽さん。」
「え………?」
何故か名前を知られている。不安なせいなのか心臓の鼓動が強くなる。
「自己紹介が遅れました。私は橘万里花お嬢様の傍付きを務めています、本田と申します。以後お見知りおきを。」
丁寧にお辞儀をしながら簡単な自己紹介をする。
ストーカーじゃなかったことに心の底から安堵する。
「えーと、話って何ですか?」
橘万里花の傍付きと言うからには万里花関係の話なのだろう。
「率直にお尋ねしますが、一条さん。貴方は万里花お嬢様のことをどう思ってますか?」
「………べッ!?そ、それはどういう………!?」
「勿論異性としてどうか、ということです。」
確かに外見で言うならば美しいの一言に尽きる。
だが、裏では何を考えているのか理解できない部分がある。
しかし、それを正直に吐露するのもどうなのかという逡巡が走り、「ま、まあ可愛いんじゃないですか。うん。」と答える。
「その反応を見る限り、正直あんまりという解釈でよろしいのでしょうか?」
「え、いや、その………!」
どうやら本音が顔に出てしまったようだ。
しかし、彼女は自分で許嫁と名乗ってはいるが、出会って間もない相手に結婚の話に進めるのもどうかと思う。どうやら十年前に彼女と出会ってはいたようだが、『約束の女の子』が思い出せないのと同様で彼女のことも全く思い出せない。
実質、彼女とは初対面となるわけである。
「しかし、無理もないことです。普通、どんな人でも幼少の記憶を鮮明に憶えていられるなんて稀です。十年前の記憶を欠けることなく憶えられるのはお嬢様くらいです。同時にそれがお嬢様に課せられた『呪い』でもあるのです。」
「『呪い』?何のことですか。」
「『呪い』は『呪い』ですよ。一条楽さん。貴方がお嬢様を憶えていないのは仕方ありません。ですが、少しだけ彼女の話をさせて欲しい。そして貴方にはそれを知る義務がある。」
本田の真っ直ぐな視線を楽は逸らすことができなかった。