クロードは人気のない森を一人歩いていた。
この森は普段ならば草木の匂いで充満されているのだが、クロードが歩くことで所々死臭を漂わせている。森という自然空間を干渉する異次元空間が存在してるようだった。
森をしばらく歩くと、彼の従者と思しき男性が
「クロード様。ご苦労様です。」
「ああ。ギルバートか。ボスの監視の方はどうだ?」
「今のところ不穏な動きは見受けられません。おそらくこちらの行動を伺っているのかと。」
「………そうか。」
クロードはふむと頷く。
「やはり穏健派とはいえ、当主様の目は誤魔化せないな。」
「そうですね。一族を統率するということは、それだけの器を持っているということなのでしょうね。」
「ああ。だが、彼は堕ちた。嘗て程の力はない。」
「そうですね。嘗て私も貴方も彼に憧れたから彼の跡に続いてきた。強者の代名詞に相応しい方でした。」
「―――ああ。」
憧れを抱いたことがあった。
その瞳を見たら誰もが委縮し、畏怖を抱かせる。それは王たる者の特権であり、事実、昔のアーデルトにはその資質があった。
だが、今の彼にそんな強さなど微塵もない。まるで弱さに陶酔してしまったかのように堕落していった。
「一体、いつから百獣の王は小動物に成り下がったのでしょう。」
ギルバートは嘗ての王を嘲笑した。
それにクロードも共感するところがあったのか頷きを返す。
「下克上といこうじゃないか。王に相応しいのはヤツではなく、この俺だ。」
その言葉は獣すらも震いあがらせるほどに強く響いていた。
☆
謎の強襲を受けた楽はその現場に佇んでいた。
襲い掛かってきた敵の実力は然程大したことなく、苦戦を強いられることはなかった。戦況的に有利だったのは間違いなく楽だ。だが、問題は何故襲ってきたかにある。
彼とは初対面であり恨みを持たれるような理由はない。それに戦場を駆けめぐったことのある楽は憎悪のような人間の負の感情には敏感である。先程の敵にはそういった臭いはない。
ならば、何故彼は強襲を仕掛けたのか。誰かの命令だろうか。
「………命令?」
そこで楽は何かに引っかかる。
思えば、彼の行動は不審な点がある。弔い合戦の為に強襲を仕掛けたなら命を賭してでも戦うであろうが、彼は不利になりだした途端に逃亡した。
つまり、楽に対して恨みを抱いていたから襲撃した訳ではないのだろう。となると、誰かの命令で動いたという可能性が高くなる。
もし、そうならば命令を指揮した人物は楽の存在を快く思っていない人物ということになる。
そして楽はその人物に心当たりがあった。
「………アイツか」
夏が近づいているというのに腕からは鳥肌が立っていた。
☆
学校に着くと、学校中がざわついていた。暑苦しい教室の中で皆が密集している光景を楽は息苦しく感じた。
彼らがこのような態度をとるときは大抵がイベントごとであったり、編入生が入ってくる場合に限る。
しかし、もうじき夏季休業が訪れることを考えると学校のイベント行事の可能性は極めて低い。そうなると、答えは自然と絞られる。
彼らの話に混ざろうとは思わないので自分の席にまっすぐ向かい着席する。教材一式を机の中に放り込みボーッとしようとしたその時―――。
「………あ……」
「………?」
千棘と視線が合う。千棘はすぐに視線を逸らし、顔を俯かせる。
「………?」
登校中もそうだったのだが、どうも様子がおかしい。挙動不審というのか、とにかく落ち着きがない。
疑問は解消されないまま、HRの時間を迎える。いつも通りキョーコ先生が教卓の前に立ち、出席の確認を始め、簡単な連絡事項を伝える。
いつも通り―――しかし、キョーコ先生の笑顔はいつもと比べて引きつってるように見えた。普段の笑みが自然なのに対し、現在の浮かべている笑みは胸中の苦悩を隠蔽させるための作り笑いにのように感じる。
普段、ありのままの姿を見せる彼女にしては珍しいことかもしれない。
簡単な連絡事項の説明が終わり、クラス中が何かを期待するようにざわつき始める。その期待に応えるかのようにキョーコ先生は説明を始める。
「もう耳にしていると思うが、今日はこの学校に転入生が来た。紹介しよう。」
瞬間、ゾクリと悪寒に震える。
敵の気配がある訳ではないにも拘らず、冷や汗を流す。
―――何だ今のは……。
楽以外、その気配を感じ取ったものはいない。
教室の扉が開く。入室したのはやや小柄な少女だった。
教卓の前まで歩き、お辞儀をする。
お辞儀から姿勢を戻し、顔を上げると、少女の表情をようやく窺うことができる。
すると楽の瞳はカッと見開かれる。
「………あれは……」
思わず拳を握りしめていた。
「初めまして。小野寺春とといいます。宜しくお願いします。」
教室内、特に男子は「ヒューッ」などと言いながら騒ぎ出す。
「………小野寺………」
小声でその名を口にした。
あの少女が此処に来た理由。言われずとも楽は理解していた。
☆
昼休憩の時間。
多くの学生が校舎の外をうろついているが、校舎裏は人気が全くなかった。
舞子集とキョーコは揃って深い溜め息をつく。
「にしても、今のところは何もありませんね。」
「流石に編入初日で何かあるとも思えん。」
とはいえ、キョーコの表情はさえない。
キョーコは手に持ったブラックコーヒーを口に含める。舌にじわりじわり苦みが染み込んでくる。
「流石に、あれだけ似た容姿をしている。楽のヤツも気づいたかもしれませんね。」
「ああ。」
そこで二人の会話はピタリと止まり静寂が訪れる。
その静寂を干渉するかのように足音がコツコツと響き渡る。
「こんにちは」
微笑み交じりで少女は挨拶をする。
集の表情が険しくなる。対してキョーコは毅然なふるまいで「おや、こんにちは」と教師らしい挨拶を返す。
「何かようかい?小野寺春」
すると、少女は笑顔を浮かべつつも笑顔と非なる雰囲気を纏わせる。
「ここは教室内ではないので、そのような小芝居は不要ですよ。」
「………。」
穏やかだったキョーコの雰囲気が一変する。
「……それもそうだな。すまないな。こちらもお前のことは大体は調べているんだ。」
「………そうでしょうね。」
しかし、春は焦燥に駆られるでもなく平然とした様子だった。
「ただ、こうして貴方達の前に姿を見せようと思ったのは…。そうですね、どんなネズミが詮索してるくらいは把握した方が良いと思いまして。」
「なるほどな。つまり、君にとっては私達は重要視されていないわけだ。君のターゲットはあくまでも………。」
「そう、あの男です」
絶対零度のような声の響き。
ある程度の憎悪を通過して臨界点をも突破すると、凍結へと変わる。
今の彼女はまさにそういった類に含まれる。
「では、失礼しました。」
春は会釈をして去って行く。彼女が去ることで場の空気は徐々に弛緩されていく。
しかし、集もキョーコも可憐な容姿の裏に潜む鬼を見た。あの姿を記憶に刻んだ以上、容易に払拭することは出来ない。
☆
午後の講義―――。
千棘は講義に集中できず窓の外を見ていた。
楽と見知らぬ少女が写る一枚の写真。そして小野寺春と呼ばれる転入生。
気のせいかと思ったが写真に写る見知らぬ少女と小野寺春の容姿は瓜二つである。
HRの時間、少女と楽を交互に視察した。
二人の関係性を理解しているわけではないが、何か摩擦が生じているのは見て取れた。
過去に何かがあった。
しかし、千棘は過去に二人と関わっていたわけではないので知る理由も知る必要性もない。
けれど、知りたいか否かを問われれば、間違いなく知りたいと答える。
自分が立ち入って良い領域ではないかもしれない。それでも、一条楽という人間を知らないままでいるのは、悲しくもあった。
☆
放課後―――。
ビルの屋上で楽は街の光景を見渡していた。行き詰った時に此処に来ることが習慣となっていた。
「ん……?」
自分を追跡する魔力を探知する。これは恐らく―――。
「楽………。」
「ん、千棘か。」
振り返ると、何やら陰鬱な表情で千棘が話しかける。
「お前、大丈夫か。風邪でも引いてんじゃないか。」
普段、快活な彼女にしては妙に静まり返っているので不安になる。朝の挙動不審な行動もそうなのだが、一体どうしてしまったのか。
「ん。大丈夫。それよりも………。」
千棘はポケットを探り、一枚の写真を楽に手渡した。
「はい、これ。」
「ん、これは……。」
それは楽と一人の少女が写った写真だった。
「ああ、これ。どこにいったかと思えばお前が持ってたのか。」
「あ、いや、私は拾っただけだけど。」
すると、楽はじっと千棘を見つめていたが、すぐに「まあ、いいや。サンキューな」と言う。
平然とした反応に千棘はポカンとしていたが、逡巡の末に自身の疑問を打ち明ける。
「そこに写ってる女の子は誰?」
すると、楽の肩がピクリと反応する。
「別に、何でもない。お前には関係ない。」
普段に比べ低い声で答える。声音には少し棘があった。
「知りたいですか?その写真の少女について。」
不意に声が響く。
「……お前は……。」