「お前は………。」
目の前に立つ少女を見て楽は目を見開く。
黒い漆黒の髪に黒目がちの瞳、その容姿は嘗ての少女を
「お久しぶりですね。一条先輩。」
「ああ。二年ぶりくらいか。春ちゃん」
互いの会話から二人が知人であることが窺える。
しかし、二人の距離には確かな境界線が引かれ、その線を越えようとはしなかった。
二人の視線の衝突には火花のようなものを感じさせる。
「えと、楽?この子とは知り合いなの?」
千棘は二人の対峙に
しかし、楽の返答は簡潔で、冷徹さを滲ませていた。
「お前には関係ない。」
楽の瞳は刃物のように鋭く、見た者をぞっとさせるものがあった。
「桐崎先輩、知りたいですか?私と一条先輩の関係を。いえ、貴女が知らない一条楽の本当の姿を。」
「楽の本当の姿?」
唐突に話しかけられた千棘はたじろぐが、自分の知らない一条楽を純粋に知りたい気持ちがあった。
しかし、春から見た一条楽と千棘の知る一条楽は異なっていた。
「その男は嘗て私の姉を殺した男です。」
告げられた事実は衝撃的だった。
周りの雑音は消え、時間さえも停止した感覚に苛まれる。心の中で殺したという言葉が反芻される。
「……楽が殺した?」
一条楽という人間をある程度理解している人間ならば、その事実に対して疑問を抱くのも無理はなかった。
多少の頼りなさがありながらも優しい性格を持ち、人を傷つけるなど考えられない。
「………嘘……でしょ?」
しかし、楽は答えない。
唇を噛み、握った拳は小刻みに震えている。
「何とか……言いなさいよ。」
千棘の中では一条楽という人間像が崩壊しつつあった。
あの頼りなくも優しい姿は偽りだったのだろうか―――?
「………お前が俺に何を期待していたのかは知らないが……。勝手に期待して勝手に絶望するのはやめろ。」
消え入りそうな声で楽は告げる。
「ふふっ。そうですよね。その優しさはあくまで表面的な物であって、実際は最愛の人を殺める非道な男なんですから。」
憎悪と嘲笑が入り混じった声音で春は言う。
「ああ、そうだ」
吹き抜ける風は隙間風のように冷たかった。
徐々に春が纏う気が憎悪から殺意へと変容する。
「一条先輩………。」
春の右手には長槍が握られていた。
「死んでください。」
瞬間―――。
視界から春が消える。
「………なっ………」
楽の視界に映るのは屋上から見えるビル群の景色だけだ。
だが、何かがくる予感はする。胃がキシキシと痛む。
「楽ッ」
千棘の叫ぶ声。それが合図となり後方に視線を向ける。自身に向かってくる鋭利な「ソレ」が、先程春が握っていた長槍だろ理解するのに二秒の時間を要した。
しかし、春の槍は一瞬で楽の肩口を抉る。理解することができても躱すことは不可能だ。
「ぐ………っ」
抉られた肩からは鮮血が滴る。楽の表情が苦痛に歪む。
その様子を見た春はつまらなそうに楽を睥睨する。
「嘗て『神童』と呼ばれた貴方の実力がこんなものだとは……。随分と堕ちたものですね」
「………『神童』は買被りすぎだ。」
楽は素早く妖刀『鬼切』を抜刀し、構える。それを見た春も同じように腰をやや低くして槍を構えた。
また今の一撃から楽が不利と見たのか千棘も不可視の剣を構える。
「桐崎先輩。何をしているんですか?」
千棘が武器を構えることが理解できなかったのか春は怪訝そうな表情を浮かべる。
「貴女が何者かは知らないけど、今の状況は見過ごせない。」
「いえ、ですから何故一条先輩の味方をするのかが理解しかねます。その男は最愛の人を手にかけた殺人鬼です。貴女はそんな殺人鬼を許せるのですか?」
「それは………」
千棘が春の立場に立っていたならば、許すことはないだろう。そうでなくとも人を殺めたという罪は、咎からは永遠に避けられない。
千棘は構えを解き、顔を俯かせる。
「ふふふ。一条先輩。貴方の過去を暴露すれば貴方の信頼度はだだ下がりですね。」
千棘の表情を見た春は嘲るように言う。
それを楽は歯噛みすることしか出来なかった。
「けど、いいんですか?『本気』で戦わなくて。」
「? どういう意味だ?」
春の言葉の真意が理解できず、楽は首を傾げた。
「そろそろ始まると思うんですよね。」
「何の話だ?」
すると、春は西の方角を眺めた。
この屋上から見える西とは楽の帰路そのものだった。そして帰路の先にあるものは……。
「もう、分かりましたか?」
ドン!と爆発音が響く。
楽と千棘はその音に反応し、絶句する。
西の方角。それは楽の帰路。その先にあるもの―――それは一条家の屋敷である。
「まだ、ちゃんとした自己紹介をしていませんでしたね。私の名は小野寺春。所属はビーハイブの武断派です。」
ビーハイブの武断派。それは一条家を敵視する派閥そのものである。
「今の攻撃は………。」
「奇襲ですよ。見て分かりませんか。一条家と桐崎家の対立は今に始まったことではない。いつ戦争になっても。いつ襲われても、おかしくはないと思いますが。」
この事態を当然であるかのように言う。
「罪滅ぼしなのか知りませんが、さっきまでアナタは私相手に手を抜いてましたよね?でも、本気出さないと、身内が死んじゃいますよ?」
楽はギロリと春を睨んだ。
「……貴様……!」
楽は妖刀『鬼切』に続き、『蜘蛛切』も抜刀する。
「ようやく本気になりましたか。ふふっ。ただ殺すだけじゃ気が晴れません。安心しました。」
春は嬉々とした表情で言う。
しかし、此処で千棘が待ったを掛ける。
「楽!」
千棘の剣を握る腕が震えていた。
それを黙視した楽は端的にこう告げる。
「じゃあな。」
それきり千棘には目を向けなかった。
千棘は楽の背中を呆然と見ることしか出来なかった。
吹き抜ける風は徐々に強さを増し、嵐のような荒々しさを想像させる。
直立する二者の間には確かな境界線があり、お互いに踏み入れようとはしなかった。
しかし、ただ一つだけ踏み入る方法があった。
それは干渉だ。
その意味合いを持つときのみ、その境界線は消失することが可能だ。
互いに許せないものがある。だから干渉することができる。
故に。
数秒後、二人の距離は零となる。
刀と槍は激しい轟音を撒き散らし、交差する。
「オオオオオオオオオオオオォッッ!」
「ハァァアアアアアアアアアアッッ!」
体躯では楽の方が勝っているが、力量は互いに拮抗している。その為、鍔迫り合いに時間を取られては拮抗状態が続き、優劣をつけることができない。
それをいち早く悟った楽がもう一本の刀を春の胸元に目がけて斬撃を放つ。春はその一撃を飛のけるようにして躱す。
「………!?」
すると、視認していた筈の春の姿が視界から消える。
素早く前後左右を見るがいない。
「どこに……」
さらに辺りの気配を感知しようとしたその時―――。急に足を蹴られ、バランスが崩れる。気づけば槍の穂先と眼球の距離は一センチあるかないかだった。
眼球が抉られると思い、その恐怖から逃れたい一心で体をねじらせる。
結果、眼球はは抉られなかったが額に深い傷を負う。
「くそ………」
力では恐らく楽と春は拮抗している。
しかし今の躱し方と言い、先程の肩口を抉った時といい、敏捷度に関しては春の方が上回る。
いや、それ以前に問題なのが気配を感知できないということである。急に視界から消えたり、気がつけば目の前にいる―――。敏捷度の高さだけではない。気配を殺す、即ち高い暗殺スキルも兼ね備えている。
ただ純粋に力が強大ならば、上回ればいい。
だが、力技で勝てる相手ではない。いかに巧みな技で仕掛けるかで勝敗が決する。
「一条先輩。ボーッとしてると死にますよー。」
すると、またも気配を察知できず予想外の方向から攻撃を受けることとなる。
春の蹴りが腹部に炸裂する。
「……が……ぁ」
体の内部から鈍い音が響く。
今の一撃で内臓の各部が損傷したのだと悟るのにしばしの時間を必要とした。
「楽!」
流石に見兼ねたのか千棘が悲痛そうに叫ぶ。
しかし、楽は「手を出すな」と睨むだけだった。
「桐崎先輩に助けを求めれば勝機はあったかもしれないのに……。愚かですね」
「………ああ。そうだな。」
確かに戦闘力では千棘の方が上回る。単純に勝敗を求めるならば春の言うように千棘を頼れば良い。
だが、楽はそれを拒んだ。
―――アイツはこの件に何も関係ない。巻き込むわけにはいかない。
愚かな選択だと思う。
けれど、彼女を巻き込むことを楽は許そうとは思わなかった。
「………もう、勝敗は決したも同然。戦う意味もない。」
槍の穂先から魔力と殺意が
「もう少し抵抗する貴方を殺したかったんですけど、つまらないです。だから……死んでください。」
瞬間―――。
世界が静寂に包まれる。
車の走行音も小鳥の
「……
槍は静かに楽へと向けられる。
「……
ザクリと響く鈍い音。
痛みよりも先に喪失感を感じた。
「が………ぁッッ」
飛散する鮮血。
胸部を見ると、ぽっかり空洞が出来ていた。
楽の世界は暗転する。