恋人の振りをすると聞かされ、一日過ぎる。
現在一条家の屋敷には桐崎家の家臣達がぞろぞろとうろついている。
彼らが此処に居るのは両家の当主から呼び出されたからなのだが、雰囲気は殺伐としていた。それは一条家の方にも言えることだが。
この雰囲気からして屋敷の中で乱闘が始まるのは時間の問題だろう。
「おい、親父。」
「なんだよ」
楽の父親であり、現当主である一条有楽斎は呑気にボリボリと頭を掻いている。
「これ、この雰囲気ヤバいだろ。向こうの当主はまだ、来ないのかよ?」
「いや、来てはいるがな~。向こうの娘さんも突然の話でテンパってるらしいな。」
「テンパってんのかよ」
無理もない話だ。楽はその話を昨日訊いたわけだが、昨日の今日で心情が変わるわけでもない。恋人、と言われても、そうですかと受け入れるようなものではない。
「まあ、でも向こうもそろそろ決心はついた頃だろ。行くぞ」
「………。」
確かにこのまま両家が争い続ける未来も好ましくない。何より争い続けた結果、誰かが血を流さなければならない。
それならば、恋人のふりで平和に保てるのであればそれに越したことはない。
「あの、パパ。他に良い方法は思いつかなかったの…?」
桐崎千棘は疑念を抱かずにはいられなかった。
ここ最近の部下たちのピリピリとした雰囲気からは並ならぬ憎悪が漂っていることは理解していた。そしてその原因に当るのが一条家なのだということも。その為に早急に対策が必要だったのは認めよう。
しかし、その対策が恋人のふりというのはどうなのだろうかという疑問が浮かばずにはいられない。
「君には済まないとは思っているが、これでも向こうの当主と導き出した良案なんだよ。」
「……それは…。」
「抗争に抗争を重ねてきた結果、店や町を問わず損害賠償の請求、被害者の慰謝料までも請求がかかってきてる。」
「………う…。」
話す一言一言に父の気苦労が伝わってくる。
言いたいことは山のようにあるが、これ以上の文句も言えない状況であった。だから、溜め息一つで了承することにした。
「分かったわ。これは期間限定の、偽の恋人を演じてればいいんでしょ?両家の講和を保つために。」
「ああ。その通りだよ。」
桐崎家現当主且つ千棘の父であるアーデルト・桐崎・ウォグナーは申し訳なさそうに頷いた。
しかし、すぐに表情を変え、
「だが、ある意味、これは君にとっても良い切っ掛けかもしれないよ。」
「良い……?」
アーデルトの言わんとすることを理解できない千棘は訝しげな表情を浮かべる。
「彼、中々イケメンらしいよ?」
「……え…」
無意識にゴクリと唾を飲み込む。
「い、イヤ、でもそんな心の準備が…。」
しかし、イケメンなどといわれて当惑しない女子はいない。不覚にも自分の胸が時めいているのが分かる。
その直後だった。扉の外から何やら物音が聞こえる。話声だろうか。
「どうやら来たみたいだね」
「来た?」
アーデルトが向ける視線を追い襖の方に目を向ける。
すると、一条家の当主であろう白髪の男性と、恋人を共に演じなければならないパートナーたる少年が部屋に入る。
そこで千棘は思わず「え?」と声を漏らした。その言葉には少し嫌悪が孕んでいる。嫌悪が孕んでいるということはそれを向けるべき相手がいるということだ。
その言葉の対象は誰か?
無論、父であるアーデルトではない。かといって一条家の当主でもない。答えは今後恋人の振りをしなければならないパートナーに対してだ。
楽は部屋に入ると何か肌を刺すようなチクリとした感覚に襲われる。
特に体に異常がある訳でもない。怪我をしたわけでもない。しかし、なにやら不快感があるのは間違いない。
その感覚を解明すべく楽は必死に黙考する。
―――殺気……か?
戦場に出たならば確かに誰もが体験する感覚だ。それに極めて近いが、殺気と呼ぶには些か微弱のように思える。それに今は戦場でなく自邸に居るのだから。
しかし、この感覚を仮に殺気と呼ぶのなら、その殺気を呼び出す源……即ち人物が居る筈だ。
―――一体誰が…?
まず、今、この部屋に居るのは自分と父親、そして向こう、桐崎家の当主と娘の計四人。
一番論外といえるのは父、有楽斎。状況を考えても自分を排除するような人物でないことは長年の親子経験からよく理解している。喧嘩、口論の類の争いは数えきれないほどしてるが。
そして桐崎家当主。名を確かアーデルトと言ったか。この人物について何かを知ってるわけでもないが、この穏やかな表情には殺伐とした空気を作る技能は皆無に思える。
だとすると―――。
そこで楽は桐崎家の娘の方に視線を向ける。そこで体が無意識に強張ると共に「ああ」と納得する。その表情は間違いなく自分に対する嫌悪が見える。
しかし、嫌悪を向けられる理由が分からない。此処で対面するのは初めてであり、嫌悪を持つ持たない以前の問題だ。
ならば何故、彼女は鋭い視線を向けてくるのだろうか。何処かで会ったのだろうか。
しかし、そうだとしても記憶の中にパッと浮かび上がらない。
―――クソ…ッ!
いくら考えても彼女が自分を睥睨する理由が分からないので此方も睨み返すことにする。
両家の当主が気付いているかどうかは知らないが今、楽と彼女の間には不可視の火花が散っていた。
だが、数秒間睨みあうことで「おや?」と疑問を抱く。彼女の顔を何処かで見たことがあるような気がしたからだ。
今度は睨むのではなく検分するかの如くじっと見つめる。
「………あ………」
思わず呆けたような声を出す。
じっくり見分し、ようやく彼女との対面が初であるという認識が誤りであるということが分かった。
そう、彼女と会うのは初めてではなかった。約一か月近く前に遡るが、彼女との面識はある。
それもかなり険悪な出会いだったと記憶している。
☆
四百年前の戦乱を経て、国の安寧を得ると共に身分関係なく教育を受けられる環境が出来た。
所謂、学校が日本帝国各地に出来上がったという訳だが、そこには単に学問を学ぶだけでなく、西欧諸国から普及した魔術を若い世代にも伝える為にカリキュラムの中には魔術を学ぶ分野も存在する。
そんな数ある魔術学校の中でも最も優秀な魔術師達が存在する学校、『帝国院』。そこで学ぶ者は年幼い若者から老人までという幅広い世帯に適応されている。ただし、優秀な者、見込みある者に限るのだが。
一条楽は補欠では在るものの、何とか『帝国院』の試験に合格し、入学を許可された。
どんな学校でも試験の後には必ず入学の手続き及び入学説明会が存在する。それを一通り終えた楽は親友の舞子集と広い校門を出ようとしていた。
「いや~。それにしてもまさか楽が帝国院に受かるなんてね~。てっきり落とされるもんだと思ってたんだけど」
「ああ、それに関しては俺も全く同感だよ。まさか受かるなんてな。」
「ありゃ、否定しないの?」
「何となく馬鹿にされてる感じがするが、否定はどうも出来ないな。」
二流ではまず受からない、一流でも超がつくほどの才能でなければ受かることが叶わない日本帝国最大規模の学校、帝国院。
日本で開発された魔術と武具を併用した武器、『魔具』を研究する為に海外から遥々やって来る者も数多いと聞く。いずれも一流に違いない。
だからこそ疑問を抱かずにはいられない。何故、自分のような者が補欠とはいえ合格できたのだろうか?自分は三流まで劣らずとも二流であることは間違いないのだ。当然受かったわけなので嬉しいという気持ちもあるが、心底、不快感の方が強かった。
「まあ、あまり気にするなよ。親友。ここに来ればお前の『魔力消失』についても何か分かるだろうさ。」
自分の悩みを見透かすように友人は告げる。
「ああ…。まあ、それはそうなんだけどよ。」
楽は曖昧な返事を返した。
「そんなことよりも楽、お前に今一番必要なのはこれだ。」
話題を変え、手渡されたのは明らかにアダルトゲームと思しきソフトだった。
「おい、俺達まだ十七だぞ?こういうのはあと一年足りない筈じゃ…」
「ああ、これ親父のヤツ。それなら年齢は足りてるだろ?」
「……は?」
楽は驚きあきれてしまう。舞子家は親子そろって、しょうもない性格をしているらしい。だが、この真面目とは程遠い陽気な性格にきっと自分は何度も励まされているのだろう。
とはいえ、陽気すぎる故に時々人を小馬鹿にするような態度もよく見られる。その為、苛立ちが募ることも度々あるのだが。
「まあまあ、入学祝と思って黙って借りとけよ。今まで味わったことのない未知の感覚が味わえるぜ?」
「……いや、いい。返す。」
健全な男子として全く興味、ためらいがなかったと言えば嘘になる。しかし、どうも「アダルトゲーム」という言葉それ自体に抵抗があった。
友人は返されたソフトを鞄にしまいながら「つれねーなぁ」などと呟く。そもそも入学説明会に持ってくるものではない。
「それより聞いたか?楽」
「何がだ?」
「今回、入学生の中には『七天』の騎士が紛れ込んでいるらしいぜ」
「……な……ッ?」
驚愕のせいか思わず声を上げられずにはいられなかった。
それもその筈で『七天』といえば、この国の上級騎士『プレイヴァ―』も上回る最強騎士の称号だ。それも相当優秀な七人にのみ与えられる特権と言っても良い。
「しかも、その騎士が、すんげー美少女らしいのよ!ムホホホホホホホホホッ」
「……お前、それが言いたかっただけだろ…。」
楽は然もどうでも良さそうに友人の丸見えな下心を指摘する。
「イヤイヤ。でも、やっぱり『七天』なんて呼ばれるだけあって実力はそれ相応みたいよ。」
「…ふーん……。」
「何だい?難しい顔して。」
「いや……。」
言おうか言わないか逡巡し、友人に顔を向け、
「そもそも、この国の最高峰とも呼べる位に到達して何か学ぶことでもあるのか?確かに帝国院もスゲー学校だけど…。」
「ん~。まあ、あるんじゃない?此処は熟練の魔術師、老練の錬金術師、一見卓越してるような人たちでも学びに来るみたいだから、それと似たようなことなんじゃない?」
「そういうもんか…」
特に疑問を抱かず、納得する。
入学手続き日が今日だということを忘れていた千棘は凄まじい勢いで着替えを済まし、家を飛び出した。
昨夜、就寝前にあれほど念仏のように「明日は手続き日、明日は手続き日」と呟いていたのに、日にちが変わり、朝起床したときには全て記憶から消失していた。
自分で暗示して尚、忘れてしまう自身の愚かさに苛立ちを感じた。
(もう、何でこうなるかな―――。)
元来、こういう予定日をすぐ忘却してしまう性格ではあったが、念を押しても結果が変わらないというのは、どうも報われない。
だが、悩んでも時間が再生する訳でもないので、ひとまずそれは置いておき、少しでも早く学校に着けるよう走る速度を上げる。
本人は気付いてはいないが周りから見る彼女の走りっぷりは年相応の少女の走りなどではなかった。それは野生に生きる猛獣のような勢いで疾駆していた。
その勢いでおじさんのヅラは外れ、女の子たちのスカートはふわりと舞い上がる。
そうして走り続けること数分―――。
(ようやく、着いた……!)
彼女が四月から通うことになる学校、帝国院の塀が見えてくる。そこで、そのまま校門の方へ向かうと思いきや、彼女は一端足を止める。
数歩後ろに下がり、再び走る。助走をつけたのである。
そこで彼女が助走をつけ飛び越すもの、それは三メートル近くある学校の塀だった。
彼女にはちゃんと校門を抜け、学校に入るという常識が彼女の辞書の中に含まれていなかった。
(やった…!間に合った)
しかし。
彼女は学校に着くことだけを目的意識としたために塀を飛び越えた先の着地場所など考えてすらいなかった。
自分が着地するすぐ真下には、あまりにも予想外だったのか、こちらを呆然と眺める男子学生がそこに居た。
「……え…」
「……げ…」
だが、この状態で状況が改善される訳でもなく…。
彼女の足は容赦なく男子学生の顔面を直撃した。
かくして、二人は出会った―――。