―――何だ?
楽は訳も分からず少女の飛び膝蹴りを喰らった。
突然、帝国院の塀から顔を出したと思いきや、そこから楽の顔面に向かって着地する。友人である集が「大丈夫か~い?楽く~ん」と然も他人事のように声を掛けてくるが、痛みでそれに構ってる場合ではない。
「いたたたたたた……。」
「むぐ……ゥ」
楽は何が何だか分からないまま、少女の下敷きとなっていた。
「…おい、てめ……。」
少女に何か言おうとするが、それよりも早く少女が立ち上がり、
「ご、ごめんなさい。でも、急いでたから!それじゃー!」
と言ってその場を去ろうとする。
(…なに?)
そうは行くかと踏ん張り、楽は少女を止める。
「待て、コラ。」
その声に反応し、少女はピタリと立ち止まる。
「……何よ」
その声には少し棘があった。しかし、それを気にせず、楽は自身の気持ちを告げる。
「お前、人様踏んづけといて、そのまま去ってくのは流石にねーんじゃねえのか?」
「あ~!もうッ!急いでんのに!それにちゃんと謝ったでしょ!」
しかし、楽にはアレが誠意のこもった謝罪とは思わなかった。
「アレの何処が誤ってるってんだよ!」
「私が謝ってるって言ったら謝ってるんですぅー!」
「べー」と舌を出して自分の正当性を証明しようとする少女。気が強いせいなのかこちら側が全く言い返せてない気がする。気の強い女子とは何かと面倒くさい。
―――何か言い返さねば…。
「この………っ!」
だが、何て言い返そう?
言い返したいことは山ほどある筈なのに最適な言葉が全く思いつかない。だが、取りあえず何か言い返さねばと思った。
そうして紡いだ言葉は―――。
「この、ゴリラ女ッ!!」
自分はとんでもなくまずいことを言ってしまったかもしれない。その時、少女の殺気が大きく膨れ上がるのを感じた。
「どう我がゴリラだぁぁぁッ!!」
直後、勢いよくアッパーを喰らわされる。
尋常でない威力だった。この腕力はとても年頃の女の子のものとは到底思えない。成程、無意識に言ったものの、ゴリラという言葉は最適だったかもしれない。
「二度と私の前に現れるなッ!このクソもやし!」
最後に捨て台詞のように悪口を叩きこんで去って行く。
「くそ…。何なんだ、あの女。アレで女かよ。」
楽が舌打ちして言うと、これまでの出来事を黙視していた集が、
「馬鹿だな。楽。お前はあの子の美しさを見ていなかったのか!」
突然、集が息を荒くして言う。
「あ?」
「容姿端麗!スタイル抜群!おまけに金髪ときた!あれはハーフに違いない!グヘヘヘヘヘヘッ」
―――確かに端整な顔立ちであったかも知れないが、あんな暴力を振るうような女子は女子ではない。少なくとも楽はそう認識していた。
「お前は見ていただけだから良いけど。オレは殴られたんだぞ。」
「なーにを言ってんだい、楽。金髪美少女に殴られるなんて羨ましすぎるぞ、キャッ。」
「キャッ。じゃねーよ。」
完全に他人事のように言う集。元から彼に同意など求めていないが、この悪友は友人である楽が殴られたという事実より目の前にいた少女の顔とスタイル、そっちを重視していたらしい。
「イヤ~。それにしても、もしあの子と一緒の授業だったりしたらオレどうしよう?ク~~~ッ!」
「ならねえよ……。」
正確にはなって欲しくない、だが。
しかし、その面では安心とも言える。この学院に通う人たちの数は限りなく万に近い。そもそも学校校舎が五、六校入るような敷地に頻繁に出くわすということはまずない。もし会うようなことがあっても、それは偶然と言える。
「まあ、そろそろ帰ろうぜ、楽」
「ああ、そうだな」
―――金輪際、彼女と遭遇しないことを願う。
(ホンットに有り得ない!)
桐崎千棘は怒りを顕わにしていた。
確かに自分は女子にしてはやや女らしさというものが欠けていると指摘されたことはある。
しかし、今まで十七年生きてきた中でゴリラなどと呼ばれたのは初めてである。そして、この上ない屈辱でもあった。
あの男とは今後一切会うことなどないだろうが、それでももし会うようなことがあり、罵倒するようなことがあれば、自分は理性を抑えられないだろう。
殴る、蹴るだけでなく、魔術と武具を併用した兵装、『魔具』の使用も厭わない。
とはいえ、それは会った場合の話であるので、その心配は不要だろう。この広い校内で沿うそう出くわすことはないだろう。
「…クソもやし」
再度、悪意を込めて呟いた。
☆
「…あ…」
目の前にいる少女をジッと見つめることで、ようやく自分と彼女が初対面でないことを認識する。
そう、約三週間、一か月経っているかもしれないが、彼女とは最悪の形で出会った。
「お…お前はあの時の……」
それに反応して少女は、
「フン、覚えていたのね。クソもやし。」
あの時と同様、毒舌を吐く。
「何だ、面識あるのか?」
「同じ学校に通うからね。」
両家の当主は二人の険悪な関係を知りもせずに暢気に言う。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、親父!」
「あん?」
確かに両家の抗争を止めたいという父親の意見には賛成だが、恋人となる相手が彼女だとは聞いていない。彼女と恋人のふりをするというのを了承するわけにはいかなかった。
「俺達、物凄く仲が悪いんだ!こんなゴリラ女と恋人のふりだぁ!?耐えられるわけねぇだろ!」
「誰がゴリラ女よ!このクソもやし!パパ、こんなひ弱そうな奴と恋人だなんて例えふりでもイヤよ!」
「さっきからモヤシモヤシうるせーな!誰がひ弱だ!」
「アンタ以外に該当者いないじゃない。この貧弱!」
そんな二人の口喧嘩を眺めていた両当主は口をそろえて言う。
「何だ、仲良いじゃねぇか。」
「仲良いみたいだね。」
だが、そんな筈もなく。
「「良くないッッ!!」」
と、反論する。
「だが、良いのか?」
「…? 何がだよ?」
「このまま恋人断れば、マズイことになるぜ?」
一体どういうことだ?と問いただそうとした時に。
「お嬢ーーーーーーーーーーーーーッッ!」
野太い声と共に何やら爆発音が聞こえる。一体何が起きたのだろうか?
「お嬢ッ!」
勢いよく襖を開けたのは端整な顔立ちをした男性だった。そしてその男性に続き、桐崎家の家臣がぞろぞろと入ってくる。
「く…クロード!?」
「お嬢、ご無事ですかッ!」
「ちょ、良いから落ち着きなさいよ。」
それに続き今度は…。
「坊ちゃーーーーーーーん!」
刃物を振り回しながらやって来たのは一条家の面々だった。
「坊ちゃん、ご無事ですかいッ!?」
「いいから暴れるな。」
まずいことになった。屋敷の中では流石に争うことはしないだろうと考えていた楽だが、それは浅はかな考えであることを悟った。
彼らはきっかけさえあればいくらでも暴れるし、例え屋敷が崩壊しても尚、戦い続ける。
「おい、桐崎家…。いやビーハイブのクソ共。今までは手加減してたけどの…。今度は手加減しねえぞ。」
「フン。集英組のクソ共が!お嬢に手を出したらどうなるか分からせてやる!」
そうして互いの拳がぶつかり合おうとする瞬間―――。
「あーコラ、ちょっと待てお前ら。」
口を出してきたのは一条家当主、一条有楽斎だった。
「勘違いしねえで貰いたいんだが…。」
すると、クロードと呼ばれた男性は怪訝そうな表情で、
「勘違い?一体何を…?」
そこで有楽斎と桐崎家当主アーデルトは自身の息子娘を前に出させ、
「コイツ等はラブラブのカップルなんだよ。」
何の前触れもなく坦々と告げる。
「「は?」」
思わず楽と千棘は声を漏らした。この状況下では火に油ではないのか?
「ぼ……坊ちゃん…」
「ボス、それは本当ですか……?」
有楽斎の言葉はこの状況下を全く無視した、抗争を激化させるのではないか、そう楽が思っていた次の瞬間―――。
「「「「ブラボーーーーーーーーッ」」」」
「「「「坊ちゃん、おめでとうございまーーーーす!」」」」
「「………は……?」」
楽と千棘は急な喝采に戸惑った。
(一体何が起きたんだ?)
あまりの態度の変わりように驚かずにはいられない。
「坊ちゃん」
振り向くと、そこには大粒の涙を零した家臣、竜の姿があった。
「ずっと心配だったんすよ。この年になって彼女一人もいないんで。」
―――正直、余計なお世話である。
「坊ちゃんの為ならこんな抗争やめますぜィ!」
龍に続き「オオオオオオッ」などと騒ぐ。恋人が出来るというのはこうも喜ばれることなのだろうか?正直よく分からないが、抗争を止めるという点に関してはメリットなのだろう。多分。
そして千棘の方にも涙で顔を歪ませたクロードの姿があった。
「お嬢……」
「な、何!?」
「まさか、お嬢がこんな立派なレディになられていたとは…。」
レディであるということは嬉しいことなのだろうが、正直こんなことでレディとは思われたくない。
「これを喜ばずして、何がお嬢のクロードでしょう」
「いや、別に私のとかじゃないし……。」
うんざりとした気分だった。
「ちょっと待ってよ!私はこんなもやしと……!」
「誰がモヤシだ、コラ!このゴリラ!」
今まで部屋中響いていた喝采は急に醒める。
直後、銃声音が轟く。撃ったのはクロードだ。
「あ?今、お嬢をゴリラって言ったか?クソガキ」
「え………」
確かに言ったが、軽い気持ちで「はい、そうです!」なんて言える雰囲気でないのは明瞭だった。
「てめー、坊ちゃんに何しやがる!」
龍がクロードに向かって刀を振り回す。
「このクソガキがゴリラって言うからだろーが!」
「それを言うなら、この女がモヤシなんて言うから……!」
口論は続き、次第に手を出し始める。先程の喝采は嘘のように消えていた。
(ど…どーすんだよ!)
(知らないわよッ!何でこんなことに!)
(けど、この状況をどうにかするしかねえだろ!)
その為には―――。
全力で恋人のふりをするしかない―――!
恋人を演じるのを嫌悪していた二人だったが今この瞬間決意をする。
この状況を打破するためには『恋人同士』でなければならない。
☆
―――人を殺すことに嫌悪などない。
今日で五百六十七人目。今日は体の一部一部捥いだ後に、心臓を抉った。やはりそこには臓器や血も含めて赤黒いものが備わっていた。
自分の周りにはこういう経験をする者が少ない。法律に縛られているのか、こうすることに恐怖があるのか、「殺し」というジャンルに距離を置いているように見えた。
一体何故そんなことをするのか全く理解できない。
憎悪、悔恨。そのような負の感情が高まった時には決まって殺す癖に通常時は自分のような存在をひどく厭う。それが正直気に喰わない。
まあ、自分の場合はそう言った負の感情ではなく、純粋な興味、そして殺すごとに膨れ上がる『魔力増強』の為、と言ったところだろうか。ある意味プラスの局面にある。
だが、ただ殺すだけでは魔力は増えることはない。それではただ殺したという「結果」が残るだけ。
魔力を増強する方法―――。それは心臓を喰らうことだ。
噛みちぎり、咀嚼し、呑みこむ。
「ごちそうさま」
満腹になったところで今日の「殺し」は終わりにする。
また明日、殺して心臓を喰らう。
口元についた血を舐めて『幼き少女』は暗闇へと消えた。