四月七日午前九時半―――。
一条楽は寝癖のついた頭を掻きながらムクリと起き上がる。普段はもう三、四時間程早く起床するのだが、今日は寝坊してしまった。
それもその筈で、昨日は桐崎家(組織名ではビーハイブと名乗っている)との抗争を止めるべく、桐崎千棘と恋人であることを堂々と宣言し、その後、夜遅くまで質問攻めをくらったのだ。
昨日一日が余りにも長かったせいか、未だに疲れが取れない。昨日のような恋人…あくまでも演技ではあるが、続けなければならないというのは正直、耐えられる気がしない。それを数年などと言われたら気の遠くなるような話だ。
(俺の貴重な青春時代をあんな暴力女との恋人役の為に消費されるなんて………。)
いっそのこと恋人役が清楚でおしとやかな女性であったならばもう少し喜べたかもしれない。
例えば―――。
(十年前約束した女の子が恋人だったら良かったのになぁ。)
もう顔も名前も思い出せないけれど、少なくとも乱暴な子ではない。むしろ思いやりのある優しい女の子だった。
(もしくは………。)
そこでもう一人、二年前くらいに出会った少女を思い出す。
「……………ッ…!」
すると激しい頭痛が起きる。二年前の記憶が甦ることを意図的にではなく、無意識に、自分自身で拒んでいる。
暫く、頭痛が治まるまで頭を抱えながら目を固く瞑っていた。
「…………フフ……。」
不意に口元から笑みが零れる。
恋人役…。即ち本物の恋人ではない。偽の恋人。桐崎千棘という少女はそれ以上でもそれ以下でもない。特に何を抱くわけでもない。
二年前の『あの日』まで間違いなくあの少女を愛していた。彼女と居た日々が一番平穏で、しかしそれ以上に華やかでもあった。
だが、『あの日』が到来してから愛というものが分からなくなっていた。もしかしたら彼女と居た日々は偽りだったのだろうか?彼女に抱いた気持ちも何もかもが偽りで………。しかし、それ以上に彼女を失った喪失感はよりいっそう愛というものを分からなくさせていた。
これから先、自分は愛情を抱くことはきっとないだろう。この先、誰かと一緒になったとしても、そこに向ける愛とは偽りでしかない。
偽の恋人役である桐崎千棘も同然だ。そもそも彼女との仲は絶縁の寸前であるが、もし仮に恋人であったならば、自分は本当の愛を彼女に向けることは出来ないだろう。
「………はぁ……」
起床して間もないが疲労を感じる。柄にもなく色々と考えすぎてしまったようだ。
今日は特に何もない上に、恋人役である桐崎千棘と会う必要もない。
「……寝るか……。」
再び布団の中にもぐる。今日一日くらいは全ての現実を逃避して睡眠に費やしても文句は言われまい。
そうして再び瞼を閉じたときだった。
「坊ちゃん、お早うございまーーーーーーすッッ!」
勢いよく襖を開けて出てきたのは家臣の竜だった。
「何だよ、竜。今日は日曜だろ。」
「いや、そうじゃなくてお客さんが来てますぜ。坊ちゃん。」
「は?客?こんな時間にか……」
「こんな時間にですよ。」
「………?」
楽は訝しげな表情をする。龍の口元がにやけて見える。何か良いことでもあったのだろうか?それとも何か企んでいるのだろうか?
取りあえず客を待たせる訳にもいかないので玄関まで足を運ぶ。
「は~い………」
眠そうに目を擦りながら玄関の扉を開ける。
「………………え」
瞬間、先程まであった眠気は嘘のように消えた。
そこに立っていたのは妙な作り笑いを浮かべた桐崎千棘だった。
「ご………御機嫌よう、ダ……ダーリン……。」
慣れていない口調のせいか上手く口が回っていない気がする。
「と…突然で悪いんだけど……デートに行かない?」
「………………は?」
一瞬何を言われているのか理解できなかった。
(デート?何で?)
すると横から長身の男性が現れる。ビーハイブ幹部のクロードだ。
「今日は天気も良いですし、絶好のデート日和です。」
「………はぁ」
内心、デート日和って何だよと毒づいていた。デートに日和も糞もあろう筈がない。
そんなことを考えていた時、楽が予想すらしていない驚愕の発言を零す。
「今、デートに天気も糞もないと思いましたね?」
「…………え……あの…いや」
何故か自分の思考を読まれ動揺する。この男は読心術でも習得しているのだろうか?
「こんな天気の良い、仲の良いカップルがデートをしない筈がありませんよね……?」
何処か謎めいたオーラが彼から漂っていた。
しかし、これを否定する勇気もなく、「あ、うん。そ……そだね。ハハハ」と答える他なかった。
すると、背後から一条家の面々が、
「「「坊ちゃん。デートですか。羨ましいですね~~。ヌフフフフフフ。」」」
「……お前ら……」
どうも不快にしか感じなかった。
チラリと千棘の方に目を向ける。が、キロリと鋭い視線で返される。
「………はぁ」
思わず溜め息が零れた。
「…………何故こうなった……?」
「………私に訊かないでよ。」
楽と千棘は互いにうんざりとした表情をしていた。
この先は土日も恋人役で潰れることを危惧していない訳ではなかったが、昨日の今日ですぐに変わるとも思っていなかった。
昨夜に遡る。
楽と千棘が互いに恋人であることを両家の当主から宣言され、抗争が鎮まると思いきや、感情的になった楽と千棘が互いに毒舌を吐いたために、再び両家の闘争は再興されようとしていた。
(や……ヤバい)
(ちょっと、どーすんのよ!コレ!)
(知るか。お前が問題発言するから悪いんだろ。ゴリラ。)
(またしても言ったわね、このモヤシ!っていうか、今度は「ゴリラ女」じゃなくて「ゴリラ」まんまにして言ったわね!)
(当たり前だ。女というのはお淑やかで慎ましい人に言う言葉だ。お前は女とは言わない。その短気な性格と常人を逸したその怪力はマウンテンゴリラと呼ぶ。)
(~~~~~~~ッッ!)
千棘が悔しそうに歯をくいしばっていた。楽のことを「このモヤシモヤシモヤシ」などと思っているのだろうが、どうも言い返せないでいるらしい。楽は内心「勝った」と思った。正直下らない争いでは在るのだが。今、それよりも深刻な争いは目の前で起ころうとしていた。
(まあ、口喧嘩はこの辺にしてこの状況をまず何とかしないか……?流石にマズイ気がするんだが。)
暫く千棘は楽を睨んでいたが、この状況が良くないという意見に賛同したらしい。
(まあ、そうね。確かにこの状況は良くないわね。)
どうすればこの状況を解決できるだろうか―――。
二人は懸命に考えたが良策は浮かばない。いや、一つだけあるにはあったのだが、二人ともその手を使うことをひどく拒絶していた。
(なあ………。)
(イヤ、絶対イヤ!)
(まだ何も言ってないだろうが……。)
(大体分かるわよ!何言いたいのか!アンタもどうせ同じこと考えていたんでしょ!)
(なら……………)
(でも、嫌よ。何でアンタなんかと……)
そこで千棘は言葉を止め、再度この状況を視認する。
(…………っ……)
(おい………?)
(………分かったわ。どうせやらなきゃいけないのは分かっていたし。でも、あくまでもフリだからね!)
(………あ、ああ。)
元々、二人には選択肢はなかった。この状況を打破するためには恋人役を演じなければならなかったのだ。ただ、それを演じる為の覚悟があるかないか…。しかし、彼らは此処で覚悟を決める。
―――全力で恋人役を演じるしかない!
「ま、待ってくれ!皆!」
すると、その場に居た全員の視線が楽と千棘の方に向く。
「さっきはゴリラとか言っちまったけど、実は俺達がラブラブ具合が並み以上のことだと教えたくてだな、なぁ、ハニー?」
「ええ、勿論よダーリン。さっきはモヤシとか言ったけど、モヤシみたいに白い肌のダーリンが魅力的って意味で……。」
楽は内心、モヤシみたいな白い肌って何だよ、と毒づいていた。対して千棘もゴリラでどうラブラブ具合を図るんだと、訝しんでいた。
だが、二人の演技の効力は絶大だった。
「ハハハハハハハハハッ。な~んだ、そうですよね。二人がラブラブじゃない訳在りませんよね。」
「ああ、確かにそうだな。」
「ハハハハハハハハハハッ!どうもすみません」
と、どうやらこれで誤魔化すことは出来たみたいだった。ただ一人、クロードという男を除いては。
ともあれ、二人はこうして偽の恋人となったわけだが………。
「おい、気付いているか?」
「…気づいていない訳ないでしょ。」
二人は今、デート(もちろん演技だが)しているがどうも背後から怪しい視線を感じていた。それもその筈で…。
(………全員、ついて来てやがる…。)
そう、一条家、桐崎家の両家が後ろからついて来ていた。上手いこと隠れているつもりなのだろうが、正直、人数が多すぎて隠れるにしては少し露出しているような気がする。
「あ~ッ、もう!何なのよ、コレ!どうなってんのよ!」
「オレが知るかッ」
だが、喚いていても状況が転換する訳でもない。どうやら彼らは二人のデートを影から見守っているだけなのかもしれないが、正直迷惑な話である。
「こうなったら、しょうがないわね。アンタ、幻惑系の魔術って扱える?」
「幻術?何でこんなとこで扱うんだ?」
「良いから答えろ!」
「い、いや、使えないけど…。」
「カス」
「ぐ……ッ」
辛辣な一言だった。が、同時に自分でも情けなくも感じる。
「しょうがない。此処は私が使うか。」
そこで千棘は魔術の術式を素早く組み立て発動する。
クロードは二人の様子を観察していた。
ビーハイブの組織全員は疑っている様子はないが、クロードだけは二人の様子に疑惑の視線を向けていた。あの二人は恋人と宣言している割には全く恋人らしい素振りがないように思える。
例えば、デートといえば、大抵男性が女性をエスコートするものなのに、あの一条楽という男は千棘に対しそんな素振り一つ見せず、寧ろ罵倒してるようにも見える。
(……クソガキが……。)
クロードの視線は徐々に疑惑から殺気へと変わる。
(お嬢に手を出す奴は殺す……!)
クロードは誰にも気づかれないよう銃に手を触れる。
しかし……。
(………ん?)
妙な気配を感じた。
「これは……魔力か?」
この空間全体が魔力に包まれている。しかし、他の者達がそれに気付く素振りはない。
一体誰がはなったのだろうか?もしかして身近に敵でもいたのだろうか?だが、それはないと否定する。何故なら、二十四時間三百六十五日感知を怠ることはない。そこで敵だったならば未知の魔力を感知するはずなのだ。
しかし、これは既知の魔力。つまりビーハイブの誰かがこの魔力を放っていることになる。が、それらしい人物はいない。
「いや…。これは……。」
正確には一人いる。これだけの高度の魔力を自在且つ繊細に操る人物を。
「お嬢……っ!」
だが、クロードの視界の先に桐崎千棘はいなかった。
「………何とか……逃げきれたか…」
「逃げきれた……じゃないわよ!」
息を荒くさせながら交互に言う。幻惑魔術を掛けた後に全速力でその場を離れ、行き着いた場所が公園だった。
「大体……何でアンタは……」
「何だよ」
「アンタ、ホントに魔術師なの?」
「何でだ?実際に帝国院に合格してるんだし。一応魔術師ってことには…」
「ならないわよ。アンタは魔力の気配すら感じない。そんな人間を魔術師と呼ぶことは出来ないわ。」
楽は動揺した。やはり帝国院に入学した者は優秀な人物ばかりだ。実力を見せずとも、感知能力だけで魔力の有無を容易く知ることが出来るらしい。
「………悪かったな」
「別に、文句を言ってるわけじゃないんだけど……。よくそれで帝国院に入学できたなって思っただけよ。」
「………それは…」
それは楽も同じく疑問に思っていたことだった。帝国院にはいる者は皆、一級の魔術師だ。二級くらいの実力しかない自分では入ることなど到底できる筈もない。
「ま、いいわ。興味ないし。」
「………む。」
またしても毒舌。何か反論しようとするが、その辺のことは正直干渉されたくないというのも事実だったので有難いことでもある。
「……ん?」
「どうかした?」
「いや、あれ。」
楽が指差す先には人がいた。
「アレって倒れてるんじゃ………。」
「マジか!」
楽は思わず駆けだした。
「あ、ちょっと!」
楽は倒れてる人物を抱きかかえ、そして驚愕を顕わにする。
「これ…は」
「ちょ、どうしたのよ!」
「見てみろよ」
楽が抱きかかえた人物は幼い少女だった。それも古い着物を着た、何処か古風な雰囲気を漂わせていた。