俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが? 作:キージェンエグゼ
「お兄ちゃん、隣の人……誰?」
脳内にビリビリと電流が走る。まずい、これは非常にまずい。下手なことを言えば、ナナセは家族に全部バラしかねない。そうなったら、俺の平穏な日常は一瞬で崩壊だ。
「え、えっと……その、友達……?」
苦し紛れに出てきたのは、教科書通りの言い訳。だがナナセの視線は鋭く、まるで真実を見透かすようだった。
「じゃあ、どうして手繋いでるの?」
しまった——と反射的に、俺はリヴィの手を慌てて離す。
「ちょっと、なんで離すの!?」
頼むから空気を読んでくれ、リヴィ……。
「お姉さん、
……え? ナナセ、リヴィのことを「女」だと思ってるのか? なら、この場は“恋人”ってことにして乗り切れば——
「ん、恋人だよ」
リヴィが迷いもなく即答した。
次の瞬間、ナナセの目が大きく見開かれた。信じられないものを見たような、驚愕と怒りと混乱が入り混じった顔。
「お兄ちゃん、どうして嘘ついたの?」
その一言が、心臓に杭のように突き刺さった。
「いや、その……恥ずかしいっていうか……」
「別に恥ずかしくないでしょ?」
リヴィ、今は黙っててくれ……!
「あっそ」
ナナセの口調が冷たくなる。明らかに不機嫌だ。けれど、同時にどこか傷ついたような気配も感じた。まずい。これは間違いなく怒っている。
「私、友達待たせてるから、もう行くね」
足早に立ち去ろうとするナナセ。
「ま、待って——」
「なに? もういいでしょ」
冷たい言葉が返ってくる。俺は何も言えなくなった。引き止める言葉も、謝る勇気も出てこない。
帰りの電車の中、俺はずっと頭を抱えていた。揺れる車内の中、ぐるぐると同じことが頭を巡る。ナナセ、あれ絶対に怒ってる。父さんと義母さんにチクられるのは時間の問題かもしれない……。
「ねえ、あの女の子。本当に妹?」
ふいにリヴィが口を開いた。
「ああ。義理の……だけど」
そう、ナナセは血の繋がった妹じゃない。父さんの再婚相手の連れ子だ。けれど、小さな頃からずっと一緒にいて、まるで本当の兄妹のようだった。
今は17歳。思春期で難しい年頃だからか、最近は素っ気ないことも増えたが——
「……あの子と、あんまり関わらないで」
「え? なんでだよ」
リヴィは一瞬、言葉を選ぶように黙り、それから真剣な目で俺を見た。
「ユウヤのこと、男として見てた」
「は、はぁ!? ナナセは妹だぞ? そんな目で見るわけ——」
「……俺は夢魔だよ? 人の心の動きは、匂いでわかるの。あの子、間違いなく
リヴィの瞳に迷いはなかった。逆に俺の方が動揺する。
ナナセが俺を、男として——? いやいや、そんなバカな……。
「絶対にとは言わない。でも、なるべく会わないで」
リヴィが、俺の顔ギリギリまで近づいてくる。いつもは甘えん坊みたいな癖に、今は本気の目をしていた。
「俺は真剣だよ。ユウヤが他の誰かに盗られるのは、死ぬほど嫌なんだ」
俺は、ぐっと喉が詰まるような感覚に襲われた。嬉しい。リヴィにそこまで思われてるのは、素直に嬉しい。けれど……ナナセは、家族だ。
「そこまで言うなら……わかったよ。気をつける」
「じゃあ、証明して」
「証明……?」
「俺のことが本当に好きって。キスしてよ」
リヴィが小悪魔のように笑う。けれど、その奥にある不安が、俺の胸を締めつけた。
……俺はリヴィに、ちゃんと気持ちを伝えたことがあっただろうか。
ゆっくりと顔を近づける。リヴィの目がふわりと閉じられた。
「ん……」
静かに、けれど確かに唇が触れ合った。たったそれだけのことなのに、心臓が痛いほど高鳴る。こんなに緊張してる自分が、少し情けなくて、でも——
悪くなかった。
その夜、リヴィが寝静まった後も、俺は一人ベッドで目を開けていた。
頭の隅には、ナナセの姿がこびりついて離れない。
……調査局に入った理由の一つ。それはナナセを守りたかったからかもしれない。
まだ義理の兄妹になったばかりの頃、俺たちはほとんど話さなかった。
けれどある晩、ナナセがすすり泣いているのを聞いた。
『……お父さん、帰ってきてよ……』
ナナセも、俺と同じ。同化災害で親を失い、心に穴を抱えていた。あまりにも小さなその背中が、どうしようもなく寂しそうで、俺はつい口にしていた。
『……お兄ちゃんが守ってやるから、絶対に』
今思えば、安っぽい言葉だ。だけど、それ以来ナナセが泣くことは減った。そして、少しずつ俺に懐いてくれるようになった。
それから、俺たちは本物の兄妹になったんだ。
——だから。
俺には、守るべきものがある。帰る場所がある。
だから、絶対に死ねない。どんな任務でも、どんな敵が相手でも——生き延びなきゃならない。
そっと拳を握り、目を閉じる。ゆっくりと眠りに落ちるその瞬間まで、ナナセとリヴィの笑顔が、交互に脳裏をよぎっていた。