俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが? 作:キージェンエグゼ
『お兄ちゃんの家に行っていい?』
朝起きてスマホを見ていたら、ナナセからそんなラインが届いていた。……どうしよう。来ていいよなんて簡単には言えない。リヴィがいるし、何より、最近のナナセの態度が少し……いや、かなり気になっていた。
スマホの画面と睨めっこしていると、背後から気配がした。
「あ、ちょっ——!」
一瞬にしてリヴィが俺のスマホをひったくった。目にも留まらぬ速さでメッセージを打ち込み、送信。
『来ていいよ』
その一文が画面に表示された瞬間、俺の心臓は止まりそうになった。
「おい、勝手に送るなよ……!」
「誰がユウヤの恋人か、はっきり示さないとね」
リヴィの目は、笑っているくせにまったく笑っていなかった。言葉にはっきりとした敵意がにじみ出ている。……ムキになってる? それとも、策があるのか? わからない。でも、いまの俺にできることはリヴィを信じることだけだった。
だが、内心ではリヴィと付き合っている自分に不安もある。リヴィは夢魔——人間とは違う存在。見た目は女性のように美しく、しかし実際は男。そして、俺は男と付き合っている。今でこそ世間は昔よりは寛容になってきているかもしれないが、それでも偏見はある。家族の反応、世間の目、将来のこと……全部が不安だった。
けど、それでも——リヴィといたいと思った。彼が俺に向ける真剣な想いを、俺は無下にはできない。どんな形でも、どんな視線を向けられたとしても、俺はもう決めていた。この気持ちだけは、絶対に譲れない。
土曜日の昼、ナナセがうちに来る日。
俺は落ち着かない。胃がきりきりと痛む。対して、リヴィはリビングのソファに優雅に腰かけ、お茶をすする余裕ぶりだった。なんでそんなに落ち着いてるんだよ……。
ピンポーン、とチャイムの音が鳴る。
俺が慌てて立ち上がろうとすると、リヴィがすっと手を出して止めた。
「俺が出るよ」
「え、でも……」
「大丈夫、任せて」
その言葉は妙に頼もしくて、思わず身を任せてしまった。俺はソファに腰を下ろし、ドキドキしながら玄関の方を見守った。
しばらくして、玄関のほうから二人の声が聞こえてきた。
「いらっしゃい。ユウヤから来てくれるって聞いてたよ」
「……お邪魔します」
ナナセの声は、いつもより少し硬かった。
そして数秒後、ナナセがリビングに入ってきた。
彼女は黒髪のロングを軽く揺らし、制服ではなくカジュアルな私服姿だった。白いブラウスに黒のタイトスカート、そして小さなトートバッグ。シンプルながら、どこか大人びた印象を与える格好だ。
「久しぶり。……ってほどでもないか」
ナナセは俺の顔を見て、微妙に笑った。だけどその笑顔には、どこか刺すような棘があった。俺は咄嗟に目を逸らしてしまう。
「なんだ、顔赤いぞ? 風邪でもひいたか?」
「べ、別に。なんでもないから」
なんだこの空気。居心地が悪い。だが、隣に座ったリヴィはまったく動じず、にっこりと笑いながら紅茶を勧めている。
「ナナセちゃん、ミルクティーでいいかな?」
「……ありがとう。いただく」
ナナセは紅茶を受け取りながら、チラリと俺のほうを見た。その目は探るようで、詰問するようで——そして、わずかに寂しそうだった。
やはり、前にリヴィから言われたように、ナナセは——。
「お兄ちゃん。彼女さんの名前、教えて」
「ああ、そうだな。リヴィっていうんだ」
ナナセはリヴィのほうをチラリと見る。その視線はじっとりと重く、何かを測っているようだった。ナナセの顔は整っていて、性格もしっかりしている。高校生にしては、大人びすぎているくらいだ。
「あの、リヴィさんはお兄ちゃんの……どこが好きなんですか?」
ナナセの声は静かだったが、その奥に熱のようなものが滲んでいた。
聞かれたリヴィは少しも悩まずに答えた。
「全部。ユウヤの全部が好き。すこし頼りないところも、素直なところも、照れ屋なところも、ぜーんぶ大好き」
リヴィは誇らしげに言った。まっすぐな瞳で、少し得意げに微笑んでいる。
俺は両手で自分の顔を覆った。すごく嬉しい。けど、すごく恥ずかしい。ナナセ、きっとドン引きしてるだろうな……。
「そうですか……」
だが、ナナセの声には、驚きも呆れもなかった。ただ、胸の奥にわずかに熱が溜まっていくような——そんな嫉妬の気配だけがあった。
「お兄ちゃんは? リヴィさんの、どういうところが好きなの?」
その一言が、心に鋭く突き刺さる。
——どうして、俺はちゃんと答えられないんだろう。
今まで、ずっと避けていた問いだった。リヴィのことは好きだ。誰よりも大切に思っている。けど、「好き」の理由を、言葉にするのが怖かった。
だって、それは——逃げ道を、全部ふさがれてしまうような気がして。
けれどナナセは、それを見抜いていた。まるで「本当に愛してるの?」と問い詰めるような目で、俺の答えを待っていた。
そして、その隣でリヴィは——俺の言葉を、どこまでも静かに、優しく待っていた。