俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが? 作:キージェンエグゼ
SMGのトリガーを引く。一撃で終わらせる──そう、信じていた。
肩にずしりと反動がのしかかる。銃口が火を噴き、弾丸が唸りを上げて空を裂く。だが――。
「……いない!?」
ハーデンが、消えていた。まるで蜃気楼のように、すっと空気の中に溶けたように。錯覚ではない。確かに、そこにいたはずの男が、跡形もなく――。
「対応が遅いな」
冷気のように鋭い声が、耳元に這い寄った。直後、風を裂く細い音が耳を掠める。直感が警鐘を鳴らす。――あれは、銃弾。確実に撃てたはずなのに、あえて外された。
弄ばれている。
「舐めプかよっ!」
怒りに任せて叫び、即座に地面に伏せる。射線は切った、が――肝心の敵の位置がわからない。完全にこちらだけが“見られている”状況だ。
スモークグレネードのピンを抜き、白煙を展開。視界が白く霞んだ一瞬の間隙に、全力で駆け出す。
「遅いのですっ!」
鋭く響く声。ラミィだ――! 次の瞬間、弾丸が衣服を掠める音がする。肺が凍るような冷たさが走る。ギリギリで遮蔽物に滑り込む。
「くそっ……!」
目の前に、ラミィ。いつの間に!? 反射的にSMGを構えようとするが――
「っ……!」
蹴りが決まり、銃が宙を舞う。無防備な俺に、容赦などなかった。
背中に背負った刀を抜き、即座に斬りかかる。だが、ラミィは一歩、軽く後ろに退いた。その動きに、無駄はない。相手は銃。こっちは刀。このまま距離を取られたら終わる。
だったら、距離なんてものは壊せばいい。
「ーーーッ!」
叫びながら一気に距離を詰める。世界が、一瞬止まる。音が消え、視界が鋭く研ぎ澄まされる。ラミィの顔に、驚きが浮かんだ。
今しかない――
刃が腹部を打つ。ゴム製の訓練刀とはいえ、渾身の打撃だった。ラミィの身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「……やった、勝った……」
安堵の声が漏れる。その瞬間――
パチ、パチ……。
静かな拍手が、白煙の中から響いた。足音が、こちらへ向かってくる。
「ラミィを倒すとはな……。やるじゃないか」
ハーデンだった。だが、その声に称賛の色はない。あったのは、哀れみと冷笑――。
「ノコノコと出てきやがって……」
思わず唸る。なぜ? なぜわざわざ距離を詰めてくる? この男が、そんな愚を犯すわけがない。
ハーデンは持っていたライフルを地面に置く。そして、胸元のホルスターからナイフを抜き取った。
「これでフェアだろう?」
「な、なにがしたいんだ……」
「何がしたい? 刀と銃じゃ不公平だろう。俺は不公平が嫌いなんだ」
ハーデンは手招きをする。まるで“試している”かのように。その態度に、怒りが噴き上がる。舐めやがって……!
「そうかよ。じゃあ、遠慮なく行かせてもらう!」
大地を蹴り、斬撃を放つ。胴を狙った一撃が唸りを上げる。
「速いな。だが──」
止まった。
俺の刀が。ハーデンの掌の中で。
「な……っ!?」
動かない。どんな力だ……!? まるで刀身が鉄塊に吸い込まれたようにびくともしない。
「お前は、“掴まれるかも”と一度でも考えたか?」
ハーデンは落ち着いた声で言った。その目には、怒りも焦りもなく、ただ戦場を見据える冷徹さだけがあった。
「挑発され、怒りに任せて斬りかかった。戦いに必要なのは力じゃない。“心の揺れ”を突くことだ」
俺は、必死に刀を引こうとする。だが、ハーデンはあっさりと手を離し、俺を突き放す。
俺は後方へ跳び、距離を取る。
「お前も……お前の仲間たちも、あるものが欠けている」
ハーデンはゆっくりと歩みながら、冷たく語った。
「“人を殺す覚悟”がない。それは、お前らの敵が魔獣だからだ。人間じゃない。だから、対人戦闘の本質を知らない」
――その通りだ。調査局の敵は“魔獣”だ。人間ではない。人を殺す覚悟を求められる場面は、なかった。
「だが――もし、お前の恋人や、家族が敵の手で殺されそうになったら、どうする? 」
リヴィが、ナナセが……。守れるのか? 本当に、命を懸けて。
「言葉で解決できるなんて、綺麗事だ。暴力こそが、人を守る」
その言葉は、信念だった。戦場を生き抜いてきた者の、揺るぎない“答え”だった。
「……チェックメイトだ、ユウヤ」
その声が届いた瞬間には、すでに遅かった。
ハーデンは音もなく俺の背後に回り込み、冷たい刃を俺の首元に突きつけていた。動けない。いや、動く隙すらなかった。そのまま、演習は終了を告げる静寂に包まれた。
惨敗。
俺たちは、ただ一度の反撃すらできずに終わった。始まりから終わりまで、徹底的に圧倒された。全員が無力を晒し、何一つ通じなかった。ショウイチでさえ、普段のひょうひょうとした態度を崩し、沈黙していた。
その沈黙が、何よりも敗北を物語っていた。
くそっ……。
歯を食いしばる。悔しい。
だが――ただ負けたから悔しいわけじゃない。俺が今感じているこの苦さは、それとは違う。
リヴィに格好つけることさえできなかった。守りたかったものに、何ひとつ示せなかった。自分の“弱さ”を見せただけだった。
そして、何よりも――
俺たちには、“覚悟”がなかった。
命を懸ける覚悟。奪う覚悟。守るために、どこまでも堕ちる覚悟。
ハーデンたちにはそれがあった。戦場を生き抜いてきた者たちの、濁った現実と、その中で築いた信念。俺たちは、綺麗な理想ばかりを盾にしていたんだ。
それが、悔しかった。
あの一瞬で全てを見抜かれ、刃を突きつけられたあの瞬間よりも。ハーデンの言葉に胸を抉られたあの瞬間よりも。
覚悟の差を見せつけられたことが、何よりも――悔しかった。