俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが?   作:キージェンエグゼ

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殺意

 俺は脱兎のようにリヴィの元へ走った。

 あの狂った騎士の仲間がもう一人いるというなら、リヴィが危ない──それだけが頭を支配していた。

 

 息が切れ、蹴り飛ばされた横腹が疼く。一度見たときには青紫色に腫れ上がっていた。今は意識しないと、痛みで思考が持っていかれる。

 

「……なんだよ、これ……! 」

 

 辿り着いた先には、悪夢のような光景が広がっていた。

 まるでスプラッタ映画のワンシーン。

 一撃で両断された死体が、あちらこちらに転がっている。血飛沫が壁に描いた弧は芸術的ですらあった。

 鼻腔を満たす鉄の匂い。肺がそれを拒絶し、嘔吐感が込み上げる。横隔膜が痙攣し、膝が震える。

 

 そのときだった。

 

「あら……まだ敵がいたのですね」

 

 死体の山の奥から、一人の女が現れた。

 手には大斧を携え、赤く染まった修道服──それが返り血によるものだと、直感で理解した。

 その立ち姿は慈愛に満ちた聖女そのもの。だが、そこに宿る気配は凶刃そのものだった。さっきの騎士より、はるかに多くの命を奪ってきた殺気。それが、笑顔と同居している。

 

 圧倒的な“殺しの質”。愛情のベクトルが異常な方向に捻じ曲がった存在。

 

「怖がることはありませんよ。すぐにあなたの()()も、あの世に(おく)ってあげます」

 

「……リヴィのことか!? 」

 

「ええ。あなたは、あの悪魔に“毒”されています。その苦しみから解放してあげましょう」

 

 言葉は柔らかく、慈悲すら漂っていた。だがその実、彼女は──俺をいつでも殺せる。

 鳥の首をひねるように。だが、それをしない。理由があるのか?

 考えろ、今は時間を稼ぐんだ。呼吸を整えろ……!

 

「お前らは……何者なんだ!?」

 

「知りたいのですね? では、教えて差し上げましょう」

 

 彼女はにこやかに頷いた。その口調には確信と余裕があった。

 

「私は清浄教会の修道女、《シスター・エクスキューショナー》。神に代わってこの世の“穢れ”を断罪する者です」

 

 清浄教会──異世界との同化災害以降に突如出現し、中小国家レベルの権力を手にした宗教組織。

 その裏で“魔族”に対する迫害、拷問、処刑などの都市伝説が囁かれていたが……真実だったのか。

 

「なぜ魔族を殺すんだ……! 彼らに罪はないだろ! 」

 

 俺の言葉に、彼女の笑みが静かに消える。

 次に発せられた声には、激しい冷たさと、深い軽蔑が滲んでいた。

 

「魔族に罪はない? ……魔族に“生まれたこと”自体が罪なのです。それが、どうしてわからないのですか? 」

 

「ッ──」

 

 直感した。この女、魔族に対して個人的な、激しい憎悪を抱いている。

 何があったのかはわからない。だが、その憎しみは宗教的教義だけではない“私怨”を孕んでいる。

 

「もう、お喋りは終わりにしましょう。あなたと私が分かり合えることは、永遠にありません」

 

 その瞬間、彼女の姿が消えた。視界から一気に霧散する。

 気づいたときには目と鼻の先、大斧が、重力と憎悪を乗せて振り下ろされていた。

 

 俺は刀で防ごうと構えたが、間に合わない──!

 

「ぐあっ!! 」

 

 刃の縁が腹を裂いた。鈍く、重い痛みが全身を駆け巡る。

 焼けるような感覚と共に、視界がグラつく。血が溢れ、意識が遠のきそうになる。

 


 

 沈黙の中、騎士とハーデンが向かい合っていた。

 空気が張り詰め、わずかな音すら許されない空白が場を支配する。

 

「……ハーデンよ。お前を殺す前に、一つだけ訊かせてくれ」

 

 騎士が低く、だが興味に満ちた声で口を開く。

 その鋭い眼差しは、ただの敵を見るものではなかった。

 理解できぬ存在──それへの純粋な好奇心だった。

 

「見ればわかる。お前は間違いなく“強者”だ。……どうして、そこまで強くなれた?」

 

 ハーデンは微動だにせず、わずかの逡巡も見せずに即答した。

 

「それは俺が“兵士”だからだ。強くない兵士など、この世に存在しない」

 

 答えに迷いはなかった。まるでそれが、ハーデンという存在の“定義”であるかのように。

 

 騎士は数秒の沈黙の後、喉の奥から笑い声を漏らした。

 それは侮辱でも否定でもない。むしろ、楽しげな──あるいは、狂気じみた笑みだった。

 

「実に面白い冗談だ。俺は今日まで百を超える“兵士”を殺してきた。連中は皆、死の間際には泣き叫び、命乞いをし、喚き散らしていた。まるで子供のようにな」

 

 彼は過去の光景を思い出すように言った。

 戦士ではなく、“道化”のように死んだ者たちの姿。

 そして、ニヤリと笑いながら続ける。

 

「ハーデンよ。……お前は死の間際、俺に何を見せてくれる? 」

 

 ハーデンの目がわずかに細まった。

 

「さあな」

 

 それだけを呟くと、彼は手にしていたライフルを地面に落とした。

 乾いた音が場を切り裂く。

 そして腰のホルスターから、一本のナイフを抜いた。

 

「……これで、“フェア”になったな」

 

 騎士の表情が変わる。笑いがこみ上げる。

 それはすぐに、怒気を孕んだ激昂に変わった。

 

「ここまで……ここまで舐められたのは初めてだァッ!! 」

 

 怒声と共に、騎士が動く。

 視界が追いつかない。ほとんど閃光に近い速さで、騎士の剣が一直線にハーデンの首を狙う。

 

 だが──次の瞬間、その剣は止められていた。

 

「……ッ!? 」

 

 ハーデンは素手で、剣の刃を受け止めていた。

 血が、ポタポタと床に垂れる。

 刃が深々と手の平にめり込んでいる。常人なら、その時点で痛みに悲鳴を上げて倒れているだろう。

 

 だがハーデンの顔には、微動だにしない冷静さがあった。

 

「……遅いな」

 

 低く、静かな声だった。

 その言葉には挑発も虚勢もなかった。ただの“事実”として告げられた。

 

 ハーデンはそのまま、握りしめた剣を手繰り寄せ──

 

「……離すなよ」

 

 瞬間、騎士の体が浮いた。

 空中で回転し、次の瞬間には地面へと叩きつけられる。

 重たい音と共に、床が軋む。

 

 一瞬の出来事だった。誰の目にも、それは“反撃”というより、“処刑”に近かった。

 

 騎士が体勢を立て直すよりも早く、次の一撃が容赦なく襲いかかった。

 ナイフの刃が、右腕の鎧のわずかな隙間を正確に貫く。

 

「ぐああああッ!! 」

 

 悲鳴があがる。金属が軋む音と、肉が裂ける嫌な音が重なった。

 鮮血が飛び散り、床に朱の飛沫を描く。

 

 だが、ハーデンの目は一切揺れていなかった。

 その表情には怒りも興奮もない。ただ、任務を遂行する者の無慈悲な“静けさ”があった。

 

「なあ、騎士よ」

 

 低く、静かな声。それはまるで、処刑人が最後の問いを告げるかのように。

 

「お前は……“死の間際”に、何を見せてくれる? 」

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