俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが?   作:キージェンエグゼ

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敗北

『お前は死に際に何を見せてくれる?』

 

 その言葉は、そっくりそのまま返された。

 騎士にとってそれは、最大級の侮辱だった。己の誇りと尊厳、存在そのものを踏みにじる悪意に満ちた返答。

 激情に突き動かされ、騎士は怒りに吠えながら立ち上がる。

 

「貴様ァァァァッ、ぶち殺してやる……! 絶対になァァ!!」

 

 怒声とともに大剣を高く掲げ、そのまま振り下ろす。力任せの縦斬り。

 その一撃は、確かに破壊的だった。だが、それは同時に致命的な隙を生む愚行でもある。

 ハーデンは冷静だった。否、冷酷だった。

 

 刃が地面に突き刺さる寸前、彼は必要最小限の動きで軌道を逸らし、再びナイフを抜いて騎士の右腕の隙間を狙う。

 

 ズブリ、と肉を裂く音。

 

「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!」

 

 騎士の絶叫が戦場に響く。

 ハーデンはそのまま右腕を掴み、関節と逆の方向に全力でへし曲げた。

 

 ナイフで二度突かれ、すでに脆くなっていた骨と筋は簡単に軋み、

 “ボキリ”という乾いた音とともに、腕は異常な角度へ折れ曲がる。

 裂けた鎧の隙間から血飛沫が噴き上がった。

 

「貴”様”アアアアアアアッ!!」

 

 残った左腕で騎士は渾身の斬撃を放つ。

 だがその軌道はあまりに単調で、もはや恐れるものではなかった。

 ハーデンは冷ややかに、それを回避すると同時に、勢いを乗せた回し蹴りを放つ。

 

 ──ゴンッ!

 

 蹴りは騎士の兜を直撃。金属が軋む鈍い音。

 視界が揺れた騎士の足元へ、即座にナイフが突き立てられる。

 

 狙いは左大腿動脈。

 

「アァァアアアア!!」

 

 肉を割った感触とともに、鮮血が噴水のように噴き出す。

 

「大腿動脈の損傷。出血多量で……おおよそ三分だ」

 

 ハーデンは静かに告げる。まるで医者の診断のように正確で、容赦のかけらもない。

 その目に光はなかった。虚無。闇。見る者の精神を吸い込むような、深淵の色。

 

「降伏するか……あるいは、俺に殺されるか。選べ」

 

 騎士は足元から崩れ落ちそうになりながら、乾いた笑いを漏らす。

 その笑いが諦めによるものか、それとも狂気の産物かは誰にもわからなかった。

 

「この俺を愚弄するか……!? 俺は……清浄教会の聖騎士、パラディンだぞォ……!!」

 

 満身創痍のまま、彼は最後の力を振り絞って突進する。

 片腕のない体で剣を振るい、ハーデンへと迫る――その時だった。

 

 シュバッ!

 

 残された左腕までも、ナイフによって切断され、宙を舞った。

 

「……終わりだ」

 

 呟いた声とともに、ハーデンは騎士の足を刈るように引っ掛け、転倒させる。

 

 ドサッ、と地面に倒れた騎士の喉元へ、ハーデンのナイフが迷いなく振り下ろされた。

 

 音はなかった。ただ、風が一度だけざわめいた。

 


 

「……おい、待て……」

 

 声を絞り出すたびに、血が喉奥から泡立つように溢れ、口元を赤く染めた。

 シスターがその声に気付き、こちらをチラリと見る。

 

「まだ生きていたのですか?」

 

 その言葉は、まるで潰れかけの虫にかけられる憐れみのようだった。

 目には一切の感情がない。乾ききった、無関心な死の目。

 

 クソッ……腕が動かない、足にも力が入らない。

 視界が揺れている。意識が……遠のく。

 でも、駄目だ。ここで俺が死んだら……リヴィが、リヴィが殺される。

 

 そのときだった。

 

「俺が……目的なんでしょ……! だったら、ユウヤは殺さないで!」

 

 震えた声が空気を割って届く。

 リヴィだ。隠れていればいいのに、奴の前に姿を現した。

 

 シスターはゆっくりとリヴィに顔を向け、微笑む。

 だがその微笑みに温もりはなかった。瞳は冷たく、氷のように澄んでいて、それでいて殺意が滲んでいる。

 

「たった今、(あるじ)より命が下りました。あなたは――まだ殺しません。しばらく、利用させていただきます」

 

 その言葉に、俺の中の何かが激しく揺れた。

 動け、この身体。動け……!

 

 シスターはゆっくりとリヴィへ歩み寄る。

 その歩みはまるで儀式のように、静かで、確実だった。

 

「……待て、この野郎……っ!」

 

 喉を焼くような痛みに耐えながら、俺は這い始めた。

 崩れ落ちた瓦礫の上を、血まみれの指で引きずるように、地を這う。

 どこかで骨が折れる音がしたが、それすら遠く感じた。

 

 だが、シスターは見下ろす。

 さっきまで見せていた“慈愛”の仮面はどこにもなく、そこにあるのはただの冷酷で、徹底した無関心。

 俺のことなど最初からどうでもいい、と言わんばかりの目だった。

 

 そのまま、リヴィの腕を掴み、抱きかかえるように拘束する。

 

「さあ、行きますよ。あなたには“使命”がありますから」

 

 リヴィが振り返る。恐怖を押し殺した瞳で、俺を見ていた。

 

「ユウヤ……!」

 

 俺は必死に手を伸ばす。だがその指先は、何にも届かない。

 わずかに掴んだ瓦礫すら滑り落ちる。

 前へ、前へと進もうとするたびに、意識が深い闇へと引き込まれていく。

 

 リヴィの声が、遠ざかっていく。

 目の前の世界が、暗く、静かに閉ざされた。

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