俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが? 作:キージェンエグゼ
まぶた越しに、柔らかな光が差し込んでくる。
……俺は、生きているのか?
ゆっくりと目を開く。白い天井がぼやけながら視界に広がった。
消毒用アルコールの匂い。静まり返った空間。ここは……病院だ。
「……リヴィはっ!」
とっさに浮かんだその名を、反射のように口にしていた。
静寂に響いた自分の声に、心臓が跳ねる。
リヴィは、あのまま──。
扉が開き、看護師が慌ただしくベッドに近づいてきた。目を覚ました俺の容態を確認しに来たらしい。
簡単な検査と安静の指示を残し、看護師が出て行く。
その直後、病室の扉が再び開いた。
現れたのはハーデンとラミィだった。
「生きていたか、ユウヤ」
ハーデンはそう言って俺の顔を見下ろす。
続いてラミィが胸を張って一歩前に出る。
「私が来るのがあと数分遅れていたら、あなたは今ごろ天国でしたね? ふふっ、感謝するのです!」
「……ああ、ありがとう。助かったよ」
俺は素直に礼を言った。けれど、それどころじゃない。
……待て、リヴィは? あの女、あの狂ったシスターに──。
「リヴィはどうなった!?」
食い気味に問いかけると、ハーデンは一度目を閉じて言った。
「役員は連れ去られた。だが──生きてる。安心しろ、ユウヤ」
「でも、それじゃ──!」
「これ以上は聞くな。今は、お前のためにならん」
そんなこと、納得できるわけがない。
たとえ生きていても、リヴィは“連中”の手にある。
いつ殺されてもおかしくない。怯えてるに決まってる。あの子を……早く助けないと。
ハーデンが病室を出ようと背を向ける。
俺はベッドから無理やり立ち上がり、ふらつきながらもその背中を追った。
そして肩を掴む。血の気のない指先が、彼の肩に触れた。
「あいつは……リヴィは、俺の……俺の恋人なんだ。頼む。教えてくれ、全部」
ハーデンは一瞬だけ沈黙し、やがて振り返る。
その瞳はいつも通り冷たく、けれどどこかで、理解を示すような光が宿っていた。
「わかった。今、わかっていることを全て話す。ただし、ここではまずい。ついてこい」
俺はうなずき、ふらつく足でハーデンの後を追った。
彼に連れられて向かったのは、病院の無人のバックヤード。蛍光灯がちらつく薄暗い空間で、ハーデンは壁にもたれかかり、言った。
「今から6時間前、お前の恋人、リヴィを連れ去った連中が、アメリカ政府に動画を送ってきた」
「……動画?」
「ああ。内容は明白だった。『リヴィを殺されたくなければ、魔族との共生政策を即刻廃止しろ』という通告だ。政府に与えられた猶予は12時間。そのうち、残りは──8時間だ」
頭の中が真っ白になる。
8時間。それを過ぎれば、リヴィは……。
「デルタフォースの緊急対応部隊が動いている。救出作戦はすでに準備段階に入った。俺も、そのチームの一人だ」
ハーデンは変わらず冷静だった。いつものように、状況を淡々と伝える。
けれど、その瞳の奥には、わずかな怒りが見えた気がした。
「リヴィが拘束されている場所も特定済みだ。あとは突入のタイミング次第だ」
「俺も……俺も、参加できないか?」
思わず声が出ていた。
無茶な願いだってことは分かってる。
それでも──俺は、リヴィを自分の手で助けたい。
ハーデンは驚いたように目を見開いた。すぐに視線を鋭くし、少しの間黙って俺を見つめる。
「……無理だ、と言いたいところだが」
彼は低く息を吐いた。
「こちらも襲撃の影響で仲間が一人欠けている。お前を加えるとなると、俺のクビが飛ぶかもしれん。……だが、参加させてやる。指定した時刻に、指定した場所へ来い」
俺は息をのんだ。
その目は、任務を背負う兵士の覚悟に満ちていた。
「礼は要らん。口でなく、行動で示せ。──それが、お前にできる報いだ」
それだけ言い残して、ハーデンは背を向け、静かに去っていった。
しばらくその場に立ち尽くしたあと、俺はゆっくりと病室に戻った。
扉を開けた瞬間、そこにいた少女が勢いよくこちらへ駆け寄ってきた。
「お兄ちゃんっ!」
ナナセだった。俺の姿を見るなり、全身で飛びついてくる。
腕に抱きしめたその体は、小さく震えていた。頬には涙の跡が残っている。
「お兄ちゃん、いなくならないでよ……! もう……もう心配させないで!」
その声に、胸の奥がきつく締め付けられる。
俺は、こんなにもナナセを不安にさせていたのか。
妹としてじゃない。ただの「家族」ではない、
彼女にとって、俺という存在がどれだけ大きいものなのか、あらためて思い知らされた。
「怪我、平気なの? どこも痛くないの? 大丈夫……?」
俺を疑うような目で、ナナセは食い下がるように尋ねてくる。
「大丈夫」と返しても、彼女の表情から不安は拭いきれなかった。
「リヴィさんは……リヴィさんは、生きてるの……?」
その声は震えていた。希望と恐怖の狭間で揺れる、小さな祈りのように。
「……ああ、生きてるよ」
俺の返事を聞いた瞬間、ナナセはほっとしたように小さく息を吐いた。
それだけで、この子がどれほど心をすり減らしていたかが伝わってくる。
もう、誰も泣かせない。誰も、絶対に悲しまさせない。
俺は看護師さんの目をかいくぐり病院から抜け出した。ハーデンに指定された場所に到着すると、すでに彼ら──デルタフォースの隊員たちは全員、戦闘態勢に入っていた。夜の闇の中で、装備に身を包んだ彼らの姿は、どこか人間離れした威圧感を放っている。
「お前の装備もある。すぐに着ろ」
ハーデンが指差した先に、無骨な装備が無造作に並べられていた。
「了解」
用意されていたのは、調査局でもごく一部の特殊部隊にしか支給されない最新型の戦術装備だった。魔術式のエンチャントが施されたボディアーマーに、衝撃を吸収するハイエンド素材のヘルメット、暗視対応のナイトビジョンゴーグル。加えて、魔力感知センサーまで備えた複合型通信装置まで揃っている。
思わず息をのむ。
これほどの装備が用意されたということは、今回の任務がどれほど危険で、国家的に重要なものかを物語っていた。
俺は震える指を押さえながら、装備をひとつひとつ確かめるように身につけていく。
ボディアーマーのバックルを締め、ヘルメットのバイザーを下げる。
最後にライフルを手に取り、弾倉を装填したとき、呼吸が少しだけ整った。
──俺は、戦う準備ができている。
「乗れ。時間がない」
ハーデンの声に従って、俺たちは無骨なヘリの機内へと次々に乗り込んでいく。
機体が振動を始め、地面がゆっくりと離れていく。ローターの音が次第に大きくなる中、俺は思わず窓の外に目をやった。
遠ざかっていく地上の灯りを眺めながら、ふと考えてしまった。
調査局に入った理由を。