俺の恋人、メンヘラインキュバスなんだが? 作:キージェンエグゼ
母さんが死んだ。
それは、あまりにも突然だった。
目の前で──この世のものとは思えない“化物”に、引き裂かれるようにして命を奪われた。
俺の記憶に残っている、母さんの最後の姿だ。
それまでの俺たちは、普通の家族だった。
朝ごはんを囲んで笑い合い、たまに喧嘩して、でもどこにでもいる平凡な家族。
それがあの日、すべて壊れた。
耳をつんざくような轟音が町を襲い、空が砕けるように崩れ落ち、そこから“それ”が現れた。
化物。
理解を拒むような存在が、俺の友達を、近所の人たちを、何のためらいもなく喰い散らかしていった。
俺はただ、物陰で息を殺して震えていた。
母さんの死体から目を逸らせず、声も出せず、ひたすら恐怖に呑まれて。
どれだけの時間が経ったのか、わからない。
それでも──ついに、人の声が聞こえた。
「子どもだ! まだ生存者がいるぞ!」
その声とともに現れたのは、調査局の部隊だった。
黒い戦闘服に身を包み、圧倒的な力で化物を撃ち倒していく彼らの姿は、まるで物語の中の英雄のようだった。
その瞬間、俺の中に決意が生まれた。
俺も、ああなりたい。
誰かを救える存在に、ならなければならないと。
だから俺は、調査局に入った。
誰かの悲鳴に背を向けることのないように。
あの日の自分のように、助けを待つ子どもがいたとしても、今度は手を差し伸べられるように。
……だけど。
今の俺は、誰も守れていない。
リヴィは連れ去られた。俺の無力さのせいで、また大切な人が傷つこうとしている。
あのときと同じだ。
何もできず、ただ震えて、誰かに救われることしかできなかった俺のままでは、また誰かが目の前で死ぬ。
だから、今度こそ──俺が守る。
たとえ傷つこうと、命を懸けようと、構わない。
俺のこの手で、大切な人を取り戻すんだ。
それが、俺の、使命だ。
「ユウヤ、もうすぐ作戦開始だ。覚悟はいいか?」
「……ああ、大丈夫だ」
ハーデンの声には一切の迷いがなかった。俺もまた、もう迷わない。ここで、リヴィを救い出す。
作戦内容はこうだ。
リヴィが拘束されている場所は、異世界と同化した都市──禁界。人智の及ばぬ領域が広がる危険地帯だ。
標的の拠点はすでに特定されており、これからそこへ夜襲をかける。
投入されるのは、4人1小隊の2チーム、合計8人。
予想される敵勢力は20~30人と見られている。
まず、陽動部隊が先行して敵の注意を引きつけ、その隙に突入部隊が侵攻。
リヴィの確保と回収が完了次第、即座に撤収するという作戦だ。
猶予はない。時間との勝負。一瞬の遅れがリヴィの命取りになる。
「陽動部隊、降下完了。俺たちも行くぞ!」
ハーデンの合図と共に、ヘリのハッチが開かれ、冷たい夜風が肌を刺した。
ロープが落とされ、俺たちは順にそれを伝って地上へと降下する。
ナイトビジョン越しの緑色の世界が、静かに広がっていた。
禁界の都市、その闇の底。緊張で手が少しだけ震えたが、俺はその感覚を抑え込む。
絶対に、リヴィを助ける。
「……派手にやってくれてるな。敵は思ったより少ない」
誰かがつぶやく。陽動部隊の働きは完璧だった。
俺たちは拠点に接近し、慎重に包囲態勢をとる。
そのとき──空気を裂くような鋭い音が走った。
「伏せろ!」
ハーデンの怒声に反射的に身体を地面に投げ出す。
狙撃だ。 この感覚、間違いない。俺たちはスナイパーに狙われている!
「隊長! スナイパーはこのラミィに任せるのであります!」
緊迫した空気の中、ラミィの声が響いた。
だがその声音には、不思議と余裕と自信が満ちていた。
「よし、任せた」
ハーデンが即断で指示を出す。
状況は読めていないが、ラミィには策がある──その判断だ。
正直、不安はあった。スナイパーの位置もまだ特定できていないのに……。
けれど、あえて自ら名乗り出たラミィを、今は信じるしかない。
「前進するぞ!」
ラミィを後方に残し、俺たちは拠点内部へ突入する。
内部は照明があり明るいため、ナイトビジョンを外した。目に飛び込んできたのは、荒れた空間。
もとは住宅だったのかもしれない。だが今は完全に拠点化されている。
「ここで分かれる。ユウヤ、お前は2階を見てこい。俺ともう1人で1階をクリアリングする」
「了解」
俺はすぐさま階段を駆け上がった。
2階は構造的に1階よりも狭い。部屋数も少なく、見通しが利く。
……これなら、1人でもなんとかなる。
心を決め、俺は銃を構えた。
リヴィが、どこかで俺を待っている。──いや、きっと信じてくれている。
だから、今度こそ俺が、守るんだ。
ラミィは地面に伏せ、わずかに顔を上げて周囲を探る。狙撃の軌道を読み、反撃の準備を整えていた。
おおよその位置はすでに特定済みだ。
ラミィは狼の獣人(。人間のそれを遥かに凌駕する聴覚と嗅覚を持ち、視覚の弱点は支給された高性能センサービジョンによって補われている。
(……ビルの向こう、三十度方向。屋上の隅、そこから撃たれてますね)
その瞬間、すぐ横のアスファルトが弾け飛ぶ。狙撃弾ではなく、何かが突き刺さった感覚。
ラミィは素早く視線を落とす。
着弾地点には、銃弾ではなく黒い矢が突き刺さっていた。
火薬の匂いがしない理由も、ようやく理解する。
(……矢? 弓による狙撃……!?)
こんな距離を、あの精度で……。
人間離れしている。いや、異能の領域だ。
ラミィの背後に、かすかな笑い声が届いた。
風に乗って、ビルの上から届くその声は、低く、嗤うように冷たい。
「ふふ……その場に伏せて、怯えているつもりか?」
ラミィを狙うその者の名はオウル──清浄教会最強の狙撃手。
その名を聞いた者は、誰もが凍りつく。
「この私から、逃れられると思うなよ、狼の娘……」
ヴァルツの声が、夜の闇を裂くように響いた。
ラミィは矢を抜き、冷静に分析する。この矢は、ただの矢ではない。魔力を帯びた狙撃用の特殊弾頭。
つまりこの相手、ただの弓兵ではない。異世界の技術と魔術を融合した──殺戮兵器そのものだ。
だが、ラミィの瞳に恐れはなかった。
むしろ、その瞳には研ぎ澄まされた狩人の光が宿る。
「……速攻で終わらせます」
ライフルに高倍率サイトにつけながらラミィは呟いた。