なんとなく見下ろした自分の腰に、人の命を奪うくらいしか役に立たない八十六センチのロングソードがぶら下がっている。
目立たない黒色のズボンには動きを邪魔しない程度にベルトが巻かれて、包帯やら携行食なんかの必要なものがポーチに収まっていた。
こんな物騒な装備に違和感どころか安心感を覚えるようになったのはいつからだろうか。
俺があの平和だった現代日本から、この世界に転生してどれくらいたった?
ぱっと自分の年齢が出てこない時点で、まあ色々と察するものがあるな。
おそらくは二十歳を越えて幾年か経ったくらいか。
いま、俺は戦場にいた。
ゆるやかに傾斜のある丘の上で、腰に手を当て呑気な顔をしながら敵兵の群れを見ていた。兵士の壁の後ろに一人の女がいるのがちらりと見える。
「しっかしまあ、いい天気ですねえロウのアニキ! こんな大きな白い雲ひっさびさに見ましたよお!」
隣で同じように敵兵を見下ろしていた部下のグニスが酒焼けした馬鹿でかい声で言った。
俺はもう慣れてしまったが、今回の任務に駆り出された新人どもが背後で顔をしかめているのがわかった。
別に頭の後ろに目があるわけではなくて、ここ数日はいつもそうだから、きっと今もそうなんだろうと思っただけだ。
「黙ってろ、グニス。俺と一緒に敵兵を観察してるおまえが、どうしてわざわざ雲に言及するのかは聞かないでやるから」
「へえ、すんませんねえ! どうもあっしは……いつもアニキに怒られてばっかだなあ」
そうだな。グニスは馬鹿でのろまで気の利かないやつだが、ちょっと他では見ないくらいの大男だ。
おおよそだが、背丈は二メートルは超えている。そこに鋼のような密度の筋肉を乗せた重機みたいな粗暴者なのだから、実家から追い出されて傭兵をやっているのも納得だな。
俺はグニスの陽射しに反射してぴかぴかと光るスキンヘッドをぱちんと引っぱたいてから、後ろを振り返った。
叩かれたグニスは照れ臭そうに鼻の下を指で擦っている。こいつ、山賊の親玉としか思えない強面のくせに、変な愛嬌があるから困るんだよ。
「おい、新入りども」
「はいッ! 突撃っすか──ロウのアニキ!」
俺の呼びかけに応えたのは、赤髪の背が低いガキ──たしかルークとか言ったか──だけだった。
それ以外の三人は黙ったまま俺を見つめている。
それは、なにか妙な反応の仕方だった。悪意があって無視しているなら、こんな風にはならない。
目を見ればわかった。赤髪のガキ、ルーク以外は俺に恐怖を抱いている。
そして、その視線がちらちらとグニスへ向いていることを考えれば自然に答えが出た。
こいつら、俺の知らないところでグニスに喧嘩でも売ったのか?
それで、まったく歯が立たずに押さえつけられたんだろう。
その証拠に、横にいるスキンヘッドの馬鹿がいい笑顔でサムズアップをしている。
「……まあいい。傭兵になろうなんて人間がまともなわけがないからな」
俺はグニスの手腕を信じることにした。見たところ新人に怪我はない。
さすがに殺し合いをはじめようってときに部下を痛めつけるほど、この馬鹿は阿呆ではないだろう。
「──いいか。これから俺たちはこの傾斜の下にいる人間をすべてぶち殺す。で、指揮官の首を叩き切ってもって帰るんだ。そうすると、団長からお褒めの言葉といくらかの金がいただけるわけだが……なにか聞きたいことはあるか?」
俺の言葉にルーク以外の新人どもはごくりと生唾を飲みこんで緊張に身を固くした。ルークだけが変わらない間抜け面でいる。
新人の中で一番背が高い金髪の男──アレックスが手をあげて発言の許可を求めてくる。いや、だれもそこまでしろとは言ってないんだが……ああ、グニスが余計な躾をしたのか?
「はいそこ、なにが聞きたいんだ? ちなみに手をあげなくていいぞ──馬鹿みてえだから」
「……わかりました、ロウ隊長。それで、ひとつ質問があるのですがよろしいでしょうか」
アレックス、やっぱりいやに丁寧な言葉遣いだな。よくよく見てみると、なかなか整った顔立ちをしている。長い金髪を編みこんで後ろに流したりして、どこか品のよさが隠しきれていない。
まあそれはそれとして、傭兵になろうって時点でたいした人間ではないんだろうが。せいぜい、どこぞの貴族の私生児ってくらいか。
「敵兵の掲げる盾、そこに刻まれた紋章には見覚えがあります。あの傾斜の下にいるのは……オルトディシア伯爵家のご令嬢ではないでしょうか?」
兵士の壁に隠れて、こちらを睨む女を指さしながらアレックスは言いきった。なかなかいい目をしている。指揮官の才能があるな。
その両隣にいた新人二人──こいつらの名前は知らない──が驚いたようにアレックスを見る。
「なッ……まさか、そんな」
「本当なのですか? アレックス様……」
やっぱりか。この二人はいつもアレックスのあとを付き従っていた。おそらくは家来かなにかなんだろう。
俺の隊に配属になったからには、上司は俺一人のハズなんだが──まあいい、どうせガキのままごと遊びだ。
三人まとめてグニスに勝てない時点で、脅威にはならねえな。
「ああ、よく知ってるな。そうだ──あの女はユーリカ・フォン・オルトディシア。伯爵家の三女で、二十三歳のご令嬢だな。最近、嫁いだ先の子爵家がぶっ潰れた関係で実家に帰ろうとしたところ、俺たちに襲われて死ぬことになる不幸な女だ」
「……なッ──なにを言っているのかわかっているのですか? あなたはいま、伯爵家のご令嬢を殺すと宣言しているのですよ!」
アレックスはそれはもう凄まじい焦りようだった。下手に貴族社会に詳しいからこそ、伯爵家に手を出すことの恐ろしさに震えるのだろう。
オルトディシア家と言えば、この国の王家に連なる血筋の由緒ただしいお貴族様だ。当然のように私設の騎士団を従えているし、それなりの魔術師団も揃ってるだろう。管理する領民の数は十数万人ってレベルの存在だ。
もしも一介の傭兵なんぞが手を出せば、二日で生首になって三日で家族親戚全員と仲良く土の下で暮らすことになる。
「……だから?」
「はァ……? どうしてそんなに落ち着いていられる──ッ! くそッ、私はこんなことのために傭兵団へ入ったわけではないんだぞ!」
「まあそうなんだろうな。だとしても、んなことは知ったことじゃないが」
俺は横で怖い顔をしたグニスの背中を撫でてやりながら、ルークを見た。
アレックスは小物だ。たぶん、多少の魔術とそこそこの剣術が自慢という程度で──武器をもった村人数十人を頑張って殺せるくらいか。
お付きの二人なんて酷いもんだ。ガキのわりにいい体格をしているが、肝心の中身がまるで伴っていない。
それに比べれば、このルークとか言うクソガキは立っているだけで香ってくるものがあった。
まず、姿勢がいい。無手の癖して、その手に剣を握っていると錯覚しそうなほど、剣術に最適な動き方をしている。
それに、いつでも殺し合いの準備ができている。日常が殺し合いを内包していると言ってもいい。
そして視線が素晴らしい。その赤色の目は常に俺の動作の起こりを追っている。
筋肉の動きと骨格の噛み合い方をよく理解してなければ、こんな風に視線を動かさないだろう。
「おい、ルーク。おまえはどうだ? 伯爵家のご令嬢を殺せるか?」
「それがあなたの正義なら──オレは殺ります」
ルークは即答した。その瞳には、得体の知れない感情が煮詰まっているように見えた。
「正義なんて言葉をマジメな面で吐くのは癪ではあるが……それでいい。アレックス、シンプルに考えろよ。人間ぶち殺すだけで大金が手に入るんだぞ? 人殺しの技がご自慢の癖に何をびびってやがる」
「私はッ……くそッ、もう付き合っていられない! 行くぞお前たちッ!」
アレックスは俺を殺意の感じる目で睨むと、家来二人を連れてどこかへ去っていった。
まあこうなる気はしていた。あいつ、なかなかまともな人間の香りがぷんぷんしてたからな。
俺はいまにも飛びだして行きそうなグニスのベルトを引っぱりながら、傾斜の下を眺めた。
街道を塞ぐ倒木の前で止まった馬車を庇うように兵士が陣取っている。
兵士どもはざっと二十人。装備は盾と長槍。青に染めた革の軽鎧。指揮官は馬に乗ってこちらを見据えている。その馬体に隠れるようにユーリカ・フォン・オルトディシアがいた。
たしか、ユーリカはそれなりに魔術が使えたはずだ。任務を受けるときに団長がそんなことを言っていた。
だから、わざわざ馬車から出張ってきたのだろう。
「さて、ルーク。どうして敵兵はたったの三人になった俺たちにすら、しかけて来ないと思う?」
「たぶんすけど、アニキの魔力が馬鹿みたいに強いから警戒してるんじゃないすか?」
……こいつ、思ったより鋭いな。さっきのアレックスは俺の異質さを感じつつも言語化できていなかった。
だから、あれだけ煽られても高いプライドを自分でへし折ってそそくさと逃げていった。
だいたい、魔術師として優秀と言われるくらいにならないと、ぱっと見で他人の魔力の善し悪しなんてわかるものじゃないんだが。
その点、ユーリカお嬢様も素晴らしい魔術の才覚があるようだ。
目があってからずっと俺を睨むように見据えている。
「……まあそんなところだ。グニス、やっとおまえに言ってやれるな。喋っていいぞ──あとつっこんで暴れろ」
「──うおオおおオォ! ロウのアニキは最強だァアアアああああ!」
律儀に黙っていたグニスは色々な鬱憤を晴らすように地面を右脚で叩きつけた。
───ドォンッ!
おおよそ、人間が出してはいけない爆発音を鳴らしながら、地面に亀裂を走らせてグニスは飛んだ。
砂埃が大量に吹き上がり、雨のように地面へ落ちるころには、既に敵兵の壁に殴りかかっている。
その鋼鉄の肉体を躍動させて長槍をへし折りながら、鉄製の盾を殴りつけ、人間をお手玉でもするみたいに吹き飛ばして、グニスは咆哮を放った。
「ロウのアニキは最高だろおおおオおオオォ!」
……ドン引きするような暴れっぷりだ。
これが、アレックスとその愉快な仲間たちと──プロの傭兵の違いってやつだな。
いやまあ、俺でもあんな化け物みたいなマネをするのはちょっと難しいが。
「…… ルーク、どうだ? あれが一応、おまえの直属の先輩ってことになるんだが」
「グニスのアニキ……最高っすね! マジでやばいっす!」
ルークはここ数日で一番のはしゃぎようだった。目をきらきらと輝かせて、戦隊モノのヒーローでも見るように、暴れ回って返り血まみれになったグニスを見ている。
このガキ……頭がおかしいのか? いや、だから傭兵なんてやる羽目になったんだろうが。
あの、戦争に狂った団長の気に入りそうな性格をしてやがる。
「アニキ、オレも参加していいっすか? あの暴れっぷり見てたら身体がウズウズしてきたんで!」
ルークはやはり、その瞳に興奮を浮かべて俺に言った。
……ちょっと共感してやれないな。最近のガキってのは案外こんなもんなのか?
「……ああ、いいぞ。ただし、ユーリカは俺が処理するから殺すなよ」
「はい! それじゃあ、ルーク・フォン・セイントブレード──いっきます!」
ルークは迷いなく丘を駆け下りた。
こいつと初めて会ったときからずっと疑問に思っていたことがある。なぜ剣士の癖に帯剣していないのか?
てっきり、馬鹿すぎて飯代のために剣を売り払ったのかと思っていたんだが、その答えはいたって単純だったようだ。
つまり、必要がないから。ルークは懐から取りだした果物ナイフを握り締めて、馬鹿でかい声で怒鳴った。
「──
そのナマクラのナイフから、眩い光が迸って、直剣を形作った。
それは昼間だってのに、降り注ぐ太陽光に負けることなく、刀身を煌めかせている。
相当な熱量を秘めているらしく、その光剣を中心にして景色が歪んで見えた。