───セイントブレード。
俺の持っている知識では、剣聖の名を継ぐ公爵家一族がたしかそんな家名だったはずだ。
なんとも直接的な名前のつけ方をするもんだと呆れた記憶があった。
ただし、その代々受け継いでいる術理はかなり洒落にならない代物らしい。
あのガキの右手からのびる光剣に、俺はかなり興味を惹かれていた。
そいつはルークの意思を感じさせる動きで、盾を避けて兵士の首筋に喰らいついている。
自由自在に形を変えるそれは、もはや剣術ではなく、どちらかと言えば光剣という新しい腕を使った体術のように見えた。
暴力をぶん回すだけのグニスとは違って、静かで効率的な殺戮だな。
まあ、それでもキルスコアはグニスの方が上なあたりに、あいつの特別性がよく現れている。
怪物のグニスとセイントブレード家のガキに襲われた敵兵の指揮官は、あたりまえに兵士全員を囮にしての撤退を選んだ。
そりゃそうだ。やつの仕事は俺たちを殺すことではなく、ご令嬢の護衛だからな。
指揮官の後ろに乗馬したユーリカお嬢様は、かなり戸惑ったご様子でなにか怒鳴っている。
手のひらをグニスに向けているから、魔術を撃とうとして失敗しているらしい。
……そうさせてるのは俺なんだが。
「──
きっと、この戦場にいる誰も気づいていないだろう。
ユーリカ・フォン・オルトディシアの頭上に、漆黒のロングソードが浮かんでいることに。
ちょうど、俺が腰にぶら下げている物とそっくりの剣だ。
ユーリカの手のひらから魔力が放たれるたびに、黒剣がそれを吸いこんで頭部との距離を縮めていく。
やっぱり、魔術師を相手にするのは楽でいいな。団長とかグニスとか、素の肉体が兵器みたいな連中とは殺りやすさが違う。
「……人目のない場所で奇抜な方法で殺せ、ねえ。意味わかんねえオーダーをする依頼主がいたもんだ」
ユーリカは街道からそれて森の中に姿を消した。あの指揮官、なかなか馬術がうまい。
ここらの森はまったく整備されていないが、だからこそ自分の腕前なら俺たちを撒けると算段をつけたか。
殺し合いの現場に近寄っていくと、ルークが最後の兵士を殺してから、俺に振り返った。
「よかったんすか? アニキたちが焦ってなかったからオレも見逃しましたけど」
「てめえクソガキ、ロウのアニキに失敗なんざないんだよお!」
「おいグニス、怒鳴るなよ。俺の隊に新人が定着しねえの、半分はおまえのせいだからな」
もう半分は任務の特殊性だろう。
なにせ、俺とグニスが特別すぎて任される仕事はいつも一癖があるものばかりだ。
そんな隊に入れられる新人はどいつもこいつもイカれた人間ばかりだ。
むしろ、アレックスみたいにまともなやつのほうが珍しい。
俺は反省して縮こまるグニスのスキンヘッドを叩いてから、ルークに視線をやった。
「いいか、ルーク。伯爵家のご令嬢をぶち殺すと言えた時点でおまえは合格だ。──つまり、こっからは正式に俺の部下として動いてもらう」
「はいッ──了解っすアニキ!」
こいつ、運動部の後輩みてえだな。
俺は臓物と鮮血でぐちゃぐちゃにぬかるんだ地面を遠慮なく踏みしめながら、ユーリカのあとを追うように森へ歩いた。
ルークが光剣で殺した死体は、その断面が焼け焦げて、血の一滴も流れていない。
こんなに散らかしたのは、どちらかといえばグニスの責任だな。
……よし、グニスに死体の後処理は任せるか。
嫌な予感でも感じたのか、震えるグニスを放っておいて、不思議そうな面をしたルークに目を向ける。
「ユーリカは魔術師だ。そこそこの使い手で、魔術は他人に誇れる自慢でもある」
「……そっすね。あの人、けっこう魔力もってました。やっぱ貴族だし、いい魔術具も着けてたんすよね。でも、なんか──頭上に魔力がもってかれてたような」
……こいつ、マジか? 本気で言ってんのか?
いや、正直言うとドン引きしている。ここまで魔力に敏感なやつはそういない。
そもそも、魔力は肉眼で捉えられない粒子なワケだから、腹の底で渦巻く自分の魔力と比べて強弱を量ることはできても、どこに流れているかなんてのは、熟練の魔術師か──特別な才能を持った人間でもないと、理解できるはずがない。
これはセイントブレード家の特性か? それとも、こいつの個性か?
「……まあ、調子が悪かったんだろ。それで、俺の術には他人にマーカーをつけて位置を追跡するものがある。それは魔力に反応するから、ユーリカみたいな魔術師相手にはうってつけなわけだ」
「ロウのアニキって、剣士すよね?」
ルークは探りを入れているわけではなく、純粋な疑問として俺に尋ねている。
それくらいは目を見ればわかるが、ここまでの特別性を見せつけられると勘ぐりたくなる。
俺だって、人を見る目に自信があるワケじゃないしな。
ああ、これがうちの隊を辞めていった連中の気持ちか。人のふり見て我がふり直せ、なんてのは戯れ言だと思ってたな。
「たしかに俺は剣士だが、おまえだってやたら魔力に敏感だろ?」
俺の質問に、ルークは目をふせて答えた。ずいぶんと気まずそうにするな、こいつ。
「ああ、それは……オレ、今代の「剣聖」だからしょうがないんすよ」
……おい、これで何度目だよ。こいつマジか?
俺は「無為の剣」の反応を追って全速力で駆けた。グニスは当然のことながら、ルークもまた馬に追いつける程度の身体能力を備えていた。
「……ここまで来れば死体も人目につかねえだろ」
後ろにいるルークとグニスを見て、俺は言った。
「──殺るぞ」
少し先で馬を駆る指揮官の腕前に不足はない。黒毛の尻尾を必死に揺らしながら、大木の隙間を縫うように疾走する黒馬もよくやっている。
ただ、相手が悪かっただけだ。
「ユーリカ様、大丈夫ですよ。この森は入り組んでいますから、この駿馬には追いつけません」
指揮官の声がする。
「……ええ、ありがとうございます。あなたがいてくれてよかった。そうでなければ、わたくしはとっくに捕まっていたでしょう」
ユーリカの安堵した声が聞こえた。
「ユーリカ様のお役に立てたのなら、これ以上喜ばしいことはありま───」
音はなかった。
ルークが走らせた光の剣は風切り音すら斬り裂いて、指揮官の頸を跳ね飛ばす。
跳躍して着地したグニスが真正面から馬を抱きとめて、押さえつける。巨岩にぶつかったかのような衝撃に、馬が怯えて嘶いた。
乗っていた馬から転がり落ちたユーリカは、血飛沫も出なかった指揮官の様子に呆然とし、そして怯えた目で俺を見た。
その瞳が、何かを捉えて、戦慄に大きく見開かれる。
彼女の頭上には、夜より暗い、漆黒のロングソードが静かに浮かんでいた。
──まるで最初からそこにあったかのように、異質な存在感を放っている。
「あなた、は──やはり「黒剣」のロウッ!……魔術師殺しのロウ・クレイドル……ッ!」
「おっと、光栄だな。伯爵家のご令嬢にまで名前を知られているとは思わなかった」
ユーリカは怯えと殺意の交錯した双眸を大きく見開いて、震える手のひらを俺に向けた。
その仕草には熟練を感じる。何万回と繰り返し、日常に溶け込んだ人殺しの技。魔術師にとって、魔術を放つ動作は呼吸にも似ているのだろう。
「悪霊の炎をッ──!」
穢れた蒼色の炎が彼女の手のひらに渦巻き、急速に膨れ上がる。
その炎が放たれようとした瞬間、頭上の黒剣が静かに、しかし確実に動き出した。
まるで吸水する穴のように、彼女の全てを懸けた魔力が、真っ黒な刃へ流れ込んでいく。
「───終わりだな、虐殺者」
ぱちんッ──そんな間抜けな音がした。それは炎が消える音か、魔力が枯渇した音か。
ユーリカの手から魔力が完全に吸い尽くされた瞬間、黒剣が、まるで重力に引かれるように、あるいは何かに押しこまれるようにして、ゆっくりと降りていった。
音はしない。風も切らない。
唖然とする彼女のうなじから入り、抵抗なく脊椎に沿って滑り落ちる。
──それは、淑女が優雅にナイフで食事をするように、静かに人体を二つに分けた。
血は飛び散らない。黒剣はそんな下品な人の喰い方をしない。
戦場の喧騒が嘘のように、その場には静寂が訪れた。グニスが馬を押さえつけながら固唾を飲んでいる。
ルークは地面に横たわったユーリカの、血も臓物も出ない、ただ前後で二つに分かれただけの遺体を呆然と見つめ、小さく息を飲んだ。
「ロウのアニキ、これは──魔剣、すか?」
ルークが震える声で尋ねた。その目は、恐怖というより、理解不能なものを見た純粋な驚愕に満ちている。
「……まさか、魔剣を個人で所有するのは違法だぞ? これは、まあ───」
黒剣は仕事を終えると同時に、闇に溶けるように掻き消えた。空間に歪みが生じたわけでもなく、ただ、最初からそこになかったかのように。
「───ただの人殺しの技だよ」
ユーリカを仕留めてから指揮官の頭を拾いあげて袋に詰め、だいたい四日後か。
俺はルークとグニスを連れて港町サウスウィンターにいた。
ここは海洋国家エウレカとの貿易で栄える都会で、このラウレンティア王国を経済で支える要所だ。
当然のように警備は厳しく、普通なら帯剣した荒くれ者が胸をはって歩けるような場所ではない。
とくにグニスのような見るからに凶悪な人相をしたやつなら、十歩進めば衛兵に声をかけられるだろう。
しかし、俺たちは住民からの訝しげな視線を受けながらも自由に往来を闊歩できている。
「ルーク、なぜ俺たちみたいな鼻つまみ者がこの都市にあっさり入れたかわかるか?」
「はい、アニキ。たぶんすけど──ここに
「ほお〜……そうだったのかあ。通りでサウスウィンターになあ……」
なんでこいつ、新人に団のこと教えてもらってんだ?
しかしまあ、さすが公爵家に生まれて今代の剣聖も務めるルーク・フォン・セイントブレードくんだな。
……なんでこいつ、傭兵団で新人やってんだ?
まあいいか。どうせまた団長がむちゃくちゃやってるだけだろうから。
「ま、わかってるならいい。くれぐれも団長に失礼のないようにしろよ? あの人、自分はマナーとか守らないくせに他人には求めるタイプだから」
「了解っす」
「大丈夫ですよおアニキ! ルークは話のわかるガキですからねえ!」
こいつら、いつの間に仲良くなりやがった。
というか、グニス。どちらかと言えばおまえの方が心配なんだよ。団長に何回ぶん殴られたら礼儀を学ぶんだ。
まあ、いくら傍若無人な団長でもグニスにそこまで期待してはないか。
俺はルークの頭をひっつかんで乱暴に撫でて励ましているグニスの馬鹿面を横目に、白を基調とした大きな建物の扉をくぐった。
───クレイドル傭兵団。
その名を聞けばよほどの馬鹿でなければ震え上がるか、憎悪に目を血走らせる。
それは、はじまりが団長である、イェレナ・クレイドルの悪逆非道な活躍にあったからだ。
その女は、ラヴェリウス公爵家の使用人の腹から産まれた。
この使用人ってのが没落した貴族、傭兵団の名前の由来になったクレイドル家の一人娘だったわけだ。
透き通るような銀髪に、輝くような金の瞳。白磁のように滑らかな肌を見れば、月光に佇む貴婦人のような神秘性と優雅さを感じるはずだ。
もっとも、すべてがまやかしで、ただの狂人でしかないんだが。
見た目の美しさに騙されて寄ってきた貴族の令息をぶった斬って以来、イェレナは本性を隠すのをやめた。
戦火が燻っているのを見れば、どこへでも赴いて血の海をつくりあげる。
まさに傭兵をやるために産まれたような女だ。
「やあ、ロウ。私の可愛い息子、よく帰ってきてくれたね」
エントランスに足を踏み入れた俺たちを、執務室から出てきたイェレナが満面の笑みで迎えた。
その美貌は一切の年齢を感じさせない。三十代に見えるが、実際は八十歳を超えていると聞く。どうなっているんだか。
「やめろよババア。あんたを母親だと思ったことはねえんだよ」
「ふふ、そうかそうか───」
その、金色の瞳が怪物みたいに歪む。
「───はしゃぐなよ、クソガキ」
和やかな空気が切り裂かれた。
肌が粟立ち、骨の髄まで凍てつくような悪寒が駆け上がる。肺から空気が絞り出され、周囲の音が遠のき、視界が歪む。
五感の全てが物理的な力で圧迫され、塗り潰されるような感覚──イェレナの放つ純粋な殺意だ。それは生物の限界を超えた、世界そのものから否定されているような圧だった。
やぺ、あんだけ注意しといて俺がスイッチを押しちまったか。
グニスはさすがにもう慣れて平気そうな面をしているが、ルークは苦悶の表情で脂汗を滝のように流していた。
その手は初めて人を殺すガキみたいに震えているし、何百キロも走ったあとのように膝をガタガタといわせて崩れ落ちそうになっている。
だが、イェレナの殺意に初見で耐えられている。
これは明確に異常だ。普通の人間なら心臓が止まっているだろうし、殺し合いに慣れた畜生でも一瞬で気絶する。
なんどもその瞬間を見てきたからわかるが、ルークはいままでの新人とはまったく違う。
「──わかった。悪かったな母さん! さっさとその殺意をとめろ、ルークが倒れるだろ!」
「わかりゃいいのさ、ロウ。それで──新人はそこのガキだけかい?」
イェレナは妖艶な笑みを浮かべて、その身が凍えるような殺意を収めた。
重苦しい空気が元に戻る。何度も経験している俺ですら生きた心地がしなかったわけだが、ルークはそれを耐えきってしまったわけだ。
「アレックスの野郎とその手下は伯爵令嬢の殺害にびびって逃げたよ」
俺はすこしばかりの畏敬を感じながら地面にへたれ込み、ぜえぜえと息をするそいつを見た。
「そんなことより、このガキが自分を今代の剣聖だとかほざいてやがった。マジなのか?」
「ああ、マジだよ。ロウも知ってるだろうが、私はラヴェリウス家当主とそのメイドの間に産まれてね。──そのガキも似たような出自なんだが、こいつは才能がありすぎたのさ」
その語り口は淡々としていたが、瞳は愉快そうに細められていた。
「……それでセイントブレード家に迎えいれて、今代の剣聖にまでしたってのか? 言っちゃなんだが、あんたと比べれば恵まれた環境だな」
イェレナはラヴェリウス公爵家に連なっていない。その家系図に名前を記されることはなく、いまでも腹違いの弟から顎で使われている始末だ。
なんというか、この傍若無人な女が公爵家とはいえ権力に従順なのは違和感すら覚える。
「私の場合はまた別さ。──ラヴェリウスに従うのは戒めであり、贖罪でもあるからね」
その金の瞳がなにかを思い出すように細められるのを見ながら、俺はルークの呼吸が安定してきたのを聞いていた。
背中をさすっているグニスに安心したのか、それとも馬鹿みたいに頑丈な精神構造をしてるのか。
「おい、ルーク。おまえがずっと考えてることを当ててやろうか──結局、ユーリカはなぜ殺されたのか。あの黒い剣はなんだったのか? そんなところだろ」
「いや、正直いまは団長のことで頭いっぱいっすね……ッ! まだ心臓が痛いんすけど……」
「はァ──? おい、ふざけんなよ。もっと俺に興味もてよコラ」
おいグニス、なにを「やれやれこの人は……」みたいな面してやがる。
イェレナもやんちゃなクソガキでも見るような目をしやがって。
普通は俺のえげつない能力とか、ユーリカを殺した理由のほうが気になるだろ。イェレナのこれは単純に生物としてのレベルが違うってだけで、なにか理屈のある力ってわけじゃないんだからな。
それにしても、ルークの特別性が気になる。イェレナはおそらく、わざとそれを俺に見せつけている。
このクソババア、絶対なにかろくでもないことを企んでやがるな。
「邪推はよしなよ、ロウ。さて、三人とも疲れただろ? 最高級のホテルをとっておいたから、ゆっくりしてきな」
ナチュラルに心読みやがって。
しかし、そのお高いホテルに免じてここは許しておいてやろう。
執務室に戻っていくイェレナを見送ったあと、後ろの馬鹿どもに視線を向ける。
「おい、グニス。そこのクソガキに肩貸してやれ。さっさとホテルに行くぞ」
「もちろんでさあ──アニキ! ほれ、ルーク。歩けるか?」
「大丈夫すよ、グニスのアニキ……。もう落ち着いてきました。ひとりで歩けますから」
……ルーク・フォン・セイントブレード、か。
俺はフラつきながらもグニスの手を払いのけて立ち上がったガキを見た。汗だくで震えてはいるが、笑ってやがる。イェレナの殺意を初見で浴びて、これか。
「無理はすんなよ、ルーク。おまえはよくやってるからな」
意外そうな顔のルークとニヤついてやがるグニスを後目に、俺はさっさと建物から離れた。