『三好左京大夫になりましたが先が見えないので朽木と手を結びたい』 作:零戦
「そうか、野良田の戦いは六角が勝利したか」
「御意」
永禄三年八月中旬、野良田の戦いから1週間は経過しており熊王丸は信九郎から報告を受けていた。
(やっぱ朽木の鉄砲隊か。まぁ長政……じゃなくて賢政はそこまで戦力は無いと思っていたようだが……流石に300丁もある鉄砲には敵わんか……)
原作と同じく川を迂回した賢政の本陣は朽木竹若丸の陣を無視して側面から義賢の本陣に迫ろうとした。しかし、朽木竹若丸は300の鉄砲を100丁ずつの斉射を5回し、賢政本人も鉄砲に討たれ討死した事で賢政の本陣は総崩れとなった。
結果として史実では敗北する筈だった六角は勝利する事が出来たのだが、朽木側に貸しを作った形になったのである。
「熊王丸殿、六角が浅井を負かしたようだが……」
「はい。朽木が絡んでいます」
「……やはり朽木ですか……」
「まぁ暫くは朽木も北近江に掛かりきるになるでしょう」
「と言いますと?」
長逸の言葉に熊王丸は報告していた信九郎に目配せをすると信九郎も頷き再度報告をした。
「……此度の戦、浅井の後ろに朝倉がいる模様です」
「ッ。朝倉が……?」
「はい。浅井との国境に兵を500ばかりと朝倉家の重臣が展開していました。ですが、野良田の戦い後には越前に引き揚げています」
「……まさか熊王丸様……」
「朝倉と浅井が手を結んでいる可能性も考慮しないといけません大叔父上。もし、両家が手を結んでいれば剣豪将軍は三好を討てという書状を彼方此方に出すでしょう。河内と紀伊の畠山がこれに飛びつけば再び畿内での戦乱は起こる可能性は有ります」
「成る程……しかし、そうなりますかな?」
「あくまでも可能性の一つです。一人一人考えている事は違いますので土壇場で考えを変えるという事もあります」
「フム、確かに……殿にも知らせておきましょう」
なお、長逸の進言もあり長慶は畠山の行動を縛る目的も兼ねて河内を攻撃し、10月24日に飯盛山城の安見宗房が、10月27日に高屋城の畠山高政が降伏開城するのである。
これにより長慶は河内を完全に平定し、高屋城は河内平定の功労者であった弟の実休に与え、自らは飯盛山城を居城にした。
また畠山家の影響力が強かった大和に対しても松永久秀に命じてこの年に侵略させ、11月までに大和北部を制圧して久秀に統治を任せるのである。
また、この戦いでも活躍した熊王丸の父親である一存もこれまで貸し与えられていた岸和田城を実質的に与えられ居城とするのである。
「父上、四国の統一はやりませぬか?」
「あぁ……良くて土佐を組み込む事が出来るくらいだろう。伊予の河野は兄上に誼を通じているが、奴等の後ろには毛利がいる。それに土佐も攻略すれば京にいる貴族も煩くなる可能性がある」
「……やはり一条ですか……」
「あぁ。だから四国は暫くはこのままだろうな」
「成る程。それは仕方ないです」
「しかし熊王丸、何故に四国の統一を?」
「我が三好家は畿内を攻略こそしていますが、摂津に和泉、山城、そして河内に北大和くらいしか保有してません。丹波や播磨等に影響力はあるでしょうが、領土を保有しているかしていないかで兵力の差も出てきます」
「現状では足りぬか?」
「四方に敵が多いのです父上。何処かと手を結び、囲まれた四方のうちの一つは風穴を開けるべきです」
「……成る程な。兄上に進言してみよう」
熊王丸の案に一存は頷き、一存は長慶に報告する。
「フム……確かに北は六角に波多野、南は畠山等がいるからな」
「どうだろう兄上? 三好家が周囲に敵がいるのは当然だが……一方向でも安心出来る箇所はいると思う」
「フム、それは同意出来る。だが問題は……」
長慶は畿内の地図を見ている時にふと、ある一箇所を見つめた。
「兄上……?」
「……一存。『敵の敵は味方』という諺があるが……今回はそれを利用しよう」
「と言うと?」
「お前の妻の実家の伝を利用してーーー」
長慶の言葉に一存は成る程と納得する。
「成る程。妻の実家を利用すれば可能性はありますな」
「その方向で話を進めてくれ。実休や冬康辺りが聞けば怪訝するだろうがな」
「まぁ兄上達の話も分かりますがね……」
貴族を好まない三好実休や安宅冬康の様子を思い浮かべた一存は苦笑する。
「……なぁ兄上、熊王丸が言っていたが……朽木とは同盟を結べないか?」
「……結びたいが朽木は六角と誼を持っている。しかも今度は嫁を貰う話もあるらしい」
「駄目か。熊王丸は朽木と手を結ぶ事が出来れば丹波から政情不安定の若狭に攻める事も可能と言っていたが……」
「……内乱状態の若狭はそこまで旨味は無い」
「だろうな……だが朝倉は若狭を目指しているようだ」
「朝倉が?」
「あぁ。熊王丸の忍びからの報告では六角と浅井を争わせている隙に兵を若狭に推し進めようとしているらしい」
「……警戒は必要……か。丹波の宗勝には警戒するよう促してくれ。場合によっては丹波衆を率いて若狭を攻撃しても構わないとな」
「御意。直ちに伝えましょう」
なお、この許可により永禄六年(1563年)六月に内藤宗勝が丹波衆を率いて丹波から若狭攻めを行い半月後には若狭は三好に占領されるフラグにまでなるのである。
しかしそれよりも前に熊王丸は悲痛な報せを一存の伝令から受け取る事になる。
「何!? 父上が病に!?」
「はっ、明日をも知れぬ重病との事……」
永禄四年三月、熊王丸の父親である十河一存が病になり床に伏す事になる。熊王丸が慌てて見舞いに行くと痩せ細った父親がそこにいた。
「おぅ……熊王丸か……」
「父上、直ぐに曲直瀬殿に見せましょうッ」
「若様、既に曲直瀬殿に観て頂いておりますが……瘡が此処まで腐っていてはどうしようも無い……と……」
「くッ(史実でも瘡が原因の死去と知っていたからこそ瘡の治療を勧めていたのに……迂闊だった……いや、俺の認識の甘さか……)」
熊王丸は三好家崩壊の序章は十河一存の病死と認識していたので健康に十分な注意をしていたが……それでも認識の甘さはあった。落ち込む熊王丸を見て床に伏せる一存は熊王丸の頭を撫でた。
「お前のせいではないぞ熊王丸。儂も自分の身体をもう少し知れば良かった……」
「……父上……」
「暫く養生するが……もしもの時は頼むぞ……?」
「……御意ッ」
一存の言葉に熊王丸は頭を下げる。しかし、一存の病状は悪化し史実と同じく4月23日に瘡の症状悪化で亡くなるのであった。
「重存、何れ御主はこの長慶の養子となる」
一存が亡くなってからの六月、一存の死去後に熊王丸は元服し名を『十河重存』と改めたが長慶に呼ばれ飯盛山城に向かうと長慶にそう言われたのである。
「……伯父上、それは……」
「分かっておる。家督を継ぐなら実休か冬康の子が妥当……しかし、二人の子と一存の子である御主とは大きな違いがある」
「……母が九条家の娘であり血筋的にも将軍に勝るからでしょう」
「……分かっていたか」
「生前、父上が血筋の事を言っておられたので(嘘だけどな、知ってるけどな!!)」
重存の言葉に長慶は感心していたが重存本人は違う事を思っていたりする。
「御主が分かっておるならそれで良い……しかし……」
「実休殿や冬康殿の伯父上らはそう思ってはおりますまい。兄弟関係を重視しております」
「ウム……」
一存を亡くしてか、少し窶れた長慶は頭をガリガリとかく。
「……息子の症状もおかしいのだ。最近、床に伏せがちになっておる。曲直瀬殿に観て貰っているが……眼が黄色くなっている」
「……成る程……(確か義興の死因は黄疸だったな……ん、待てよ。黄疸って確か……)」
重存は何か思い出した。黄疸への有効な治療法は今現在も存在しない。しかしながらある事を思い出したのだ。
「……伯父上、義興様にはシジミをを食しては如何ですか?」
「何、シジミをか?」
「以前、堺の商人から聞いた事があります。大陸でも眼が黄色くなる症状の人がシジミを食すれば全快ではありませんがある程度の良くはなったと……」
「それは真か!?」
重存の言葉に長慶は目を見開く。
「か、確証はありませんが……」
「いや、それだけでも良い。一つでも症状が良くなれば構わん!! 直ちにシジミを入手し義興に食させてみよう。我々も一緒に食すれば義興の病にも他の者は気付かないだろう」
長慶の決断は早かった。その日の夕刻の味噌汁にシジミが入り、シジミの味噌汁が振る舞われる事になるのである。そしてこれが功を成したのか、義興の黄疸の症状も軽くなっていき、最終的には史実よりも長生きするのである。
「……もしかして、生存フラグ入った……?」
そう思う重存であった。そして永禄四年六月、重存は再び長慶に呼び出されて飯盛山城に赴いたのである。
「重存、嫁を取る事になった」
シジミの味噌汁を多く食すようになった長慶は顔の憑き物が取れたような表情をしていた。
「はっ、承知仕りました。して、嫁は誰でございましょうか?」
「伊勢だ」
「は?」
「伊勢の北畠の娘だ」
(……え、マジ?)
「一存が生前の時から妻の実家を経由で探していたのだ。そして北畠が構わないと言ってくれたのでな」
(北畠が……? 何で……あ、そうか。織田対策か)
史実でも織田信長の伊勢侵攻は永禄十年以降からであったがこの頃(永禄四年)は信長が桶狭間で義元を僅かの兵力で討ち取った時期でもあったので北畠家の当主である北畠具教は京の貴族経由で情報が入った十河重存の嫁候補に自身の娘を充てる事で三好側との結びつきを強くしようとしたのである。
その為、両家の考えが一致した瞬間でもあり十河重存と北畠具教の娘の祝言が決まったのである。
「確か名は……雪姫だったな。重存より二つ程歳は下だがまぁ仲良くやれるだろう」
「はっ、ありがとうございます(雪姫って確かポンコツ野郎の織田信雄の正室だったような気が……)」
そう思う重存であった。そして同年9月に重存は雪姫と祝言をしたのである。重存、十歳の時であった。
祝言の年齢については史実でも徳川信康の嫁である五徳は9歳、秀忠の娘珠姫は3歳で祝言したりしているので重存はロリではないのは確か。
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