【完結】空飛ぶ雛と飛べない鳥~ヒナの親友だった少女が狂い彼女の敵になって壊れる話~ 作:詠符音黎
「……ガッ!? グ、ゴホッ……ゲホッ! ゲホッ!」
目を覚ますと共にやって来たのは、体と喉を焼くとんでもない激痛だった。
見上げているのは、煤けた空。
火と灰に染まる中で、私は体を起こそうとする。
「グ、カハッ……!?」
だが、まず体を起こすために転がしただけでとんでもない痛みが私に悲鳴を上げさせる。
それだけでも動きは止まり、次の動作まで時間がかかる。
そこから手足に力を入れて立ち上がろうとしても、さらなる苦痛で何度も崩れ落ちる。
歩くことを覚えようとする赤ん坊の方がまだ動けるんじゃないかというぐらいに情けない姿に、私はなっていた。
「アア、ク、ソ……!」
言葉もはっきりと出ず、流れる血が心をも挫く。
なんで私はこんな痛いのに立ち上がろうとしているんだろう。
このまま倒れて、助けが来るまで待てばいいじゃないか。そうだ、私にはそれがお似合いで――
「――先生……! 私の後ろから離れないで……!」
そのとき、霞む視界の端から聞こえてきた声で、私の頭は揺さぶられる。
ヒナだ、しかも先生と一緒に。この状況で、彼女らは諦めずに走っていた。
先生もいつものかっこいいコートが凄く真っ黒になっていて。特にヒナなんて本当に血だらけで。
あの頑丈な彼女が、とても苦しそうな顔で、必死に。
「……ア……アあ……ああっ! もうっ……! 私、は……!」
自分に活を入れるように私は叫び、立ち上がる。
この程度の体の痛みがなんだ。この程度の喉からの血反吐がなんだ。この程度の出血がなんだ。
ヒナと先生が。
私の大好きな二人が。
今、ピンチなんだ。
ここで動けなかったら私は、一生後悔する……!
「あああああああああああああっ!!」
私は立ち上がり、二人の後を追う。彼女らに気づいてもらえないぐらいのフラフラとした足つきで、必死に、みっともなく。
「ヒナ……先生……」
私は走る。歩きよりも遅いかもしれないぐらいの速度だが、それでも必死に走っているつもりで足を動かす。
「行かないと……二人の、ところ、へ……」
そうして、きっと二人が向かっていったであろう街中に入り、進み続ける。
無限に続くかに思えたその中で、私は見つけた。
――倒れているヒナと、帽子で長い髪の生徒に銃口を向けられている先生の姿を。
「っ……!? やめ、ろおおおおっ……!」
私は残された力すべてを使って走った。ようやくまともと言える速度で、駆けた。
『ああぁあぁぁぁっ!!!』
瞬間、私とヒナの咆哮が重なった。
ヒナは目の前の、おそらく今回の事件を起こした“敵”から先生をかばうように立って、そして私は、
「っ!?!? ク、クイナっ!? いや、今は……セナっ!!!!」
「先生! 手を!」
救急医学部の氷室セナちゃんが救急車で突っ込んできたかと思うと、先生の手を取って一瞬で先生を逃がしていった。
彼女達を追撃しようとする“敵”をヒナが射撃で牽制して守り抜く。私が彼女の体にしがみついている、そのままの姿で。
でも、その中で、去っていく先生の姿を、その
「わた、し……せん、せい、を……まもれ、なかった……」
先生の体は、銃弾一発で致命傷に至る。
そんな現実が、私の瞳に焼き付いた。
「ああ……わた、し……ごめんね……ごめ、んね……ヒナ……せんせ、い……どうか……ヒナ、だけ、で……も……」
「クイナ、しっかりして……! クイナ……!」
視界がはっきりしなくなってくる。耳が遠くなってくる。
もう意識を保つのが、難しくなってきた。
「……空崎ヒナ。貴様の友達、というやつか? ……虚しいな。どうせいくら足掻こうとすべては無駄で、消えてしまうというのに……とてもとても……虚しいな」
私の耳に最後に聞こえてきたのは、背後から聞こえてきた、そんな冷たく、同時にどこか苦しさも感じるような、哀れみすら覚えてしまうような声だった。
直後にヒナが何かを叫んでいた気もするけれど、ただ『叫んでいる』ことしか分からなかった。
――ああ、でも……ヒナがまだ無事なら、私なんかにも、価値は、あったのかな……私が死んでも、友達を、守れたの、なら……それで……。
私の意識は、そこで途切れた。
◇◆◇◆◇
この日、二度目の覚醒をした私を出迎えたのは、真っ白な天井、綺麗なベッド、そして心もとない月明かりだった。
「っ!? アコ行政官! クイナ先輩が目を覚ましました!」
誰かがアコちゃんを呼んでいる。きっとあれは風紀委員会の子だろう。
とすると、ここは多分ゲヘナの保健室だろう。どうやら私は、命は助かったらしい。
顔を横に向けると、そこにはさっきまで使用されていただろうベッドが並んでいた。シーツが乱暴にどけられたそんなベッドに。
このベッドで横になっていた子が誰か、私にはすぐに分かった。
「……クイナさんっ! 大丈夫ですか!?」
するとそのタイミングで、すぐさまアコちゃんが私の寝ているベッドの側まで走ってきた。
彼女も傷だらけで包帯やガーゼが目立っている。でも、私なんかの横にこんな急いで走ってきたって事は、きっと聞きたいんだろうね、ヒナの場所を。
「……ごめんアコちゃん。私も、ヒナの場所は知らないや」
「っ!? それは、確かに聞こうとしていましたが……ですが、クイナさんの心配だってしています! 救急医学部によると先生の次に重症だったのはクイナさんだと!」
彼女はかなりの剣幕で私に言ってきた。
だいぶ気が動転しているらしい。私の心配なんかしてるのがその証拠だ。
「本当に……ごめんなさい。私、ヒナの事、先生の事、ちゃんと守りきれなかった。ごめん、なさい……」
私には泣いて謝る事しかできなかった。放っておいてほしかった。
誰も彼も守れなかった、哀れで弱い私の事なんて。
「クイナさん、私は……」
アコちゃんが何か言いたそうにしている。でも、言葉が出ずに困っているようだった。
私なんかのせいで、アコちゃんが困っている。そんなのは、駄目だ。私なんかに、時間を割いちゃいけない。
「行って……アコちゃん。今はまだ、大変なんでしょ……? 何が起こってるか分からないけれど……ヒナがいない今、風紀委員会をまとめられるのはアコちゃんだけだからさ……」
頑張って笑顔を作ってアコちゃんに言ってあげる。彼女の背中を叩いてあげる。
「……分かり、ました。クイナさん、どうかご安静に」
アコちゃんは少し苦い顔をしながらも頷き、去っていく。
うん、それでいいんだよ。後ろなんて見ちゃ駄目。アコちゃんは前を向いて歩ける子なんだから。こんなどうしようもない、私の事なんて……。
「……雨、降って来た」
窓の外を雨粒が叩き始める。
なぜだか私はそれを見て、外に出たいと思った。多分、自傷行為がしたいんだろう。治療されたとはいえ、まだ痛みの残る体を苦しめたいんだろう。
意味のない行為だとは分かっている。でも、私はそれでも動く体を抑えられず、ベッドを抜け出して外に出て行ってしまった。
雨の降る中で、私は一人歩いている。
体温を奪う雨粒が私を包んでくれる。
もしかしたら今、また一人脱走者が出たことで救急医学部は騒ぎになっているかもしれない。でも、どうでもよかった。
たまにはこうやって人の迷惑を無視しても、いいだろう。これまでずっと人の顔色ばっかり伺って生きてきたんだから。
「そういや、私、ヒナに対してもそんなんばっかりだったかも……」
彼女と本当の友達になりたいと息巻いていたけれど、私は逆に彼女の事を本当に慮っていたんだろうか?
結局、自分の欲求を押し付けてしまってばかりだったんじゃないだろうか?
そうだ、あの胸の痛みだって、そういう事なんだ。
簡単な話だったんだ。あれは“嫉妬”の痛みだったんだ。ヒナも、先生も、私を一番に見て欲しくて。でも二人が絆を深めた事で私が一番じゃなくなった気がして。
それで私は、勝手に拗らせて。
「本当に……馬鹿だね、私」
自嘲気味に私はそう言った。どうしようもない気持ちのまま私はゲヘナを彷徨い続ける。
「あれ……ここは……」
どれだけの時間歩いただろうか。ひたすら当てもなく歩き続けてたどり着いたのは、知っている場所だった。
「懐かしいな……一回だけ来た事があったんだよね、ヒナの家……」
今私が見上げているマンションは、ヒナの部屋があるマンションだった。
彼女は基本他人に家の場所を伝えていないのだけれど、昔、私にだけ教えてくれたことがあった。
私にとって、それもまたヒナとの大事な記憶だった。自分だけが知ってるヒナの秘密。そんなところで優越感を感じていた。
「多分、今いるんだよね、ヒナ……」
きっと彼女も疲れてしまったんだと思う。
ずっと頑張ってきたエデン条約の調印式がまるごと潰されて、先生も撃たれて、私もただ無駄に撃たれただけで……彼女のこれまでの頑張りが全部ふいになってしまったんだから。
ヒナは日頃よく疲れを見せていた。けれど、彼女は真面目で頑張り屋だから決して風紀委員会の仕事に手を抜かず、ただひたむきに戦い続けていた。
彼女のその姿でみんなヒナは心も鋼の風紀委員長なんて思っている子もいるけれど、そんなことはない。ヒナだって普通の女の子なんだ。
でもヒナのそんな一面に気づかず、恐怖や尊敬の目を向けている子も大勢いる。彼女の良さに気づいている子もいるけれど、それは言ってしまえば少数だろう。
こんな環境が続いていたのだからヒナが折れても仕方がない。じゃないと、あの状況で保健室から逃げ出す理由もないだろうし。
「ヒナ……私は……」
私は彼女のマンションの中に入ろうとする。
でも、エントランスの扉の近くで止まり、開くために取っ手に手を伸ばすことすらできなかった。
「……私じゃ、あなたの力になれない、よ」
結局、私はそのまま踵を返してマンションが向いている横に伸びている道を歩いて去っていく。
友達を励ます勇気すらでない自分に、ここまで何度したかわからない自己嫌悪に襲われる。
私、今まで何をしてたんだろう……頑張って銃の腕とか磨いてきたと思ってたのに、肝心なときに何もできてないじゃないか……。
「…………?」
そんなとき、私は背後のマンションの扉が開かれるのに気づいた。
瞬間、私は近くビル影に隠れる。そこからでてきた姿に、私は顔向けできないと思ったからだ。
出てきたのは、ヒナ。
彼女の愛銃である《終幕:デストロイヤー》を持ち、風紀委員長のコートを着て、黒い手袋をはめて出てきている。
「……よかった、ヒナ。立ち直れたんだ」
さすがヒナだ。私なんかいなくても、彼女は前を向いてくれる。
そう、彼女は一人で――
「――……あれ……先生?」
ヒナは、一人じゃなかった。彼女の隣には、先生がいた。
コートは変わらず汚れたままで、撃たれたところは穴が空いて赤く染まっていたけれど、でもあのすらっとした高い背中を伸ばし、毅然とした雰囲気を漂わせて、しかし顔つきはいつもと変わらない優しい笑顔の、先生が。
「……じゃあ、先生も気をつけて」
「うん。でもヒナ、無理はしないでね。元気な体じゃないと水着パーティーできないでしょ?」
「だから……それはしないって……もう」
ヒナと先生が、笑い合っている。
それだけで分かる。先生が、ヒナを立ち直らせたんだって。
一番大事なときに、ヒナの横にいてあげたのは私じゃなくて、先生だったんだなって。
「う……あ……」
――ズキン! ズキン! ズキン! ズキン! ズキン!
ああ、最低だ、私。
二人が無事で、笑い合って、困難に打ち勝とうとしているというのに、私の胸は今、とんでもなく痛くて苦しい。
「……クイナにも、後でしっかりとお礼を言わないといけないわね。あのとき身を挺してくれたのに、私は何も言えてない」
「そうだね。じゃあ三人で一緒に水着パーティーだね!」
「先生……なんでそんなに水着パーティーに執着してるの?」
私のことを交えて楽しそうに話している二人。
でも、それを聞いても私の心はちっとも前を向いてくれなかった。
彼女達は私の事をあんな他意もなく想ってくれているというのに、私の心にあるのは醜い嫉妬、浅ましい独占欲、他人で自らを満たそうとしている打算ばかり。
「そっか……私、自分のためにヒナの事、友達なんて、呼んでたんだ……」
今更、私は気づいてしまった。
私はずっと自分の事ばっかり考えて、ちゃんとヒナの事を考えてあげていなかったんだ。
『友達のために努力する私』なんて状況に酔いしれて、献身的な悲劇のヒロインごっこをしていただけ。
これまでの私にヒナのために何かできたことなんてあった? いや、そんな事はきっとなかったんだ。ただ、その場しのぎの彼女の笑顔を見て満足してただけなんだ。
思い返せば、あの小学校であったクラスメイトの誕生会だってそうだ。自分があの人気の子の友達なんだって思い込みで浮かれて、自分が一番だってアピールしたくて真っ先にプレゼントを渡そうとした。そこに相手への思いやりなんてなかった。ただの醜い自己顕示欲だった。
中学校での体育祭のときだってそう。私が活躍すればみんなからチヤホヤされるって、自分の事ばっかり考えてチームスポーツなのに一人だけで目立とうとした。例えそれで勝ってたとしても、みんなから嫌われる結果は変わらなかっただろう。自己中心的なガキなんて、いつの時代もグループから排除されるものなんだから。
「ははは……何よ私。昔から今まで、ずっと、友達を作る資格なんて、なかったんじゃん……」
笑えてくる。
ようやくこんな当たり前の事に気付けなかった自分のバカさに、失笑してしまう。
いつの間にか、先生とヒナはいなくなっていた。二人共、戦いに行ったんだろう。
純粋な心で、誰かのために戦おうって、そう思って。
「……帰ろう。私も」
せめてヒナと先生が全部を終えたときにベッドにはいないと。
病院を抜け出したままだったら、私なんかのせいで二人にいらない心配をかけちゃうだろうから。
もう私にできる事は『いかに二人のこれからを邪魔しないか』しかない。
こんな私に、誰かに手を差し伸べてもらう価値なんか、ない。
「……ああ、虚しいな」
あのとき、私達を撃った長髪の彼女の言葉が頭の中で反芻する。
いくら足掻いてもすべては消え去り無意味となる。ならば最初から頑張る事は、虚しい事でしかない。
その意味が、少し分かった気がした。
……なのに、なんで。
「なんで私は……戻る足を止めているんだろう」
ヒナと先生が歩いていったであろう先の道を、立ち止まってずっと見てしまっている。
私が歩む先は反対側なのに。いくら見ていても虚しいと分かっているはずなのに、その先を見つめてしまう。
「ヒナ……私、どうしたらいいの……?」
動けないまま、手を伸ばす。何も掴めない虚空だと分かっているのに、それでも何かつかめるんじゃないかと無に指を震わせるばかりのこの姿は、一体他人から見たらどれほど哀れなのだろうか。
私はそうやって、雨か上がるまで足を動かす事ができなかった。