【完結】空飛ぶ雛と飛べない鳥~ヒナの親友だった少女が狂い彼女の敵になって壊れる話~   作:詠符音黎

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17.狂気の誘発要因による突然変異

 カラカラと、小さな車輪が回る音がする。

 目に映るのは、どんどんと流れていく暗い通路の天井。

 体は動かせず、ただ運ばれていく。

 どうやら私はストレッチャーに拘束されて運ばれているらしい。

 まるで大怪我をした患者が手術室に運ばれるようなシチュエーションであるが、私を運んでいるのがカイザーPMCの兵士達であることからそんな優しい状況ではないことが分かる。

 私は彼らに敗北した。

 あと一歩というところで力及ばず、情けなく捕まってこうしてどこかへと運ばれている。

 元々彼らがゲヘナの生徒を拐おうとしていたのもこうしてどこかへ運び出すためだったのだろう。

 しかし、一体なんのために?

 

「あなた達……何が、目的で……」

「ん? おい、目を覚ましたぞ」

「ちょうどいい。実験場に投げ入れるときの手間が省ける」

 

 実験場? 投げ入れる? そういえば私を撃ったやつも、サンプルがどうとか言っていたような……。

 

「ついたぞ。落とせ」

 

 私が思案する暇もなく、どこかについたかと思うと私のストレッチャーは急に放り出された。

 かと思うと、その先は下方へと続く斜めのダストシュートのようになっており、私を乗せたストレッチャーはその坂を下って勢いよく落下していった。

 

「かはっ……!?」

 

 私が落ちたのは、冷たい鉄の床の上だった。その衝撃でストレッチャーは壊れて、同時に拘束もなくなる。そういう作りだったのだろう。

 痛みを感じながらも立ち上がり見回すと、灯りは乏しく、わずかに周囲が見えるぐらいで全体を見渡せない。

 

「……これ、ゲヘナの校章?」

 

 キョロキョロと視線を動かしていると、かろうじて見える範囲の床に描かれていたものが私の目に止まった。

 掠れて判別はしづらくなってはいたが、それは間違いなく私が通うゲヘナ学園の校章だった。だけれど、なぜこんなところに? ここは学園に関係ある施設なの?

 ガシャン! と金属と金属がぶつかる音がする。突然の音に驚きながらもその方向を見ると、私の愛銃《シアターカーペンター》が落ちていた。

 私は怖ず怖ずと近づきながらその銃を拾う。

 

『わざわざお前の銃を拾ってやったんだ。せいぜい足掻いて、良いデータになってくれよ』

「は? どういう……」

 

 銃を拾った直後の言葉に疑問を投げかけ終わる前に、辺り一帯が急に強い照明で照らされる。

 強烈な光に目が眩んで反射的に手で目を隠すも、すぐに慣れて周囲を見回す。

 一言で言うなら、そこは闘技場だった。

 直径でだいたい二十メートルはありそうな円形のドームの中央近くに私は立っており、高さはだいたい三メートル近くありそうな壁の上には観客席とでも言うべき上階があって、そこにカイザーPMCの兵士が何人か立っている。

 またそのさらにずっと上、私が落ちてきたであろう上層階はこの闘技場を見下ろせる部屋が分厚そうなガラスがはめられて中が伺えた。つまり、その先にいる偉そうにしているカイザーの奴らからはこっちは金魚鉢の中の金魚を見るように覗かれているという話でもある。

 だがそれ以上に目を引き、かつ闘技場という印象を強めているのは円形の広場、その壁の中央ラインの端と端にあたる壁面にそれぞれ大きな扉があることだった。

 分厚そうな扉は両開きの形で、おそらく自動ドアの様に左右にスライドして開く事が見て取れた。

 まさしく、闘技場で闘士が入場する門が如くである。

 

『被験体D1057を投入しろ』

 

 冷たい闘技場に同じくらい冷酷な声がどこかにあるマイクから響く。

 すると、目の前の扉がやはり左右にスライドしながら重々しく開いた。

 

 ――グルルルルル……!

 

 獰猛な唸り声が聞こえてくる。明確で理性のない、野性的な殺意の唸りが。

 私はとっさに開かれた扉の方向に銃を向ける。

 すると、そこから現れたのは信じられない存在だった。

 

「な、に……あれ……」

 

 そこから現れたのは、とても大きな狼だった。

 大きさにして高さは私の身長と同じくらいだからだいたい一・六メートルと言ったところ。全長その倍ぐらいでだいたい三・五メートル。

 体毛の色は灰色で、顔は白目を向いて牙を剥く狼そのもの。口元からはだらりと粘りついたよだれが垂れ落ち、おぞましい雰囲気をより強めている。

 

 ――こんなの……キヴォトスでも、見たこと、ない……。

 

 明らかに異常な生き物。

 私達生徒とも、機械や動物の住人達とも違う、何か。

 そいつは今、私にはっきりと牙を突き立てる意志を向けてきていた。

 

 ――ガアッ!

 

「ッ!?」

 

 その化け狼は、一瞬で私との距離を詰めていた。

 気を張り詰めていなければ、きっと私の肉を抉ったであろう牙は、なんとか躱せた事によって空気を噛んだ。

 

「な、なんだか分からないけれどっ……!」

 

 私はそいつが背中を見せている中で、すぐさま射撃体勢を取って引き金を引いた。

 放たれた二十ミリの対戦車ライフルの弾頭はその化け狼を貫く……はずだった。

 

「……は?」

 

 だが、目の前での現実はずっと意味が分からなかった。

 私の《シアターカーペンター》のベルテッドケース弾は、肉を貫くことなく当たっただけで、しかもその化け狼の血液と共に外に排出されたのだ。

 またそれだけでは終わらず、私が撃った場所の銃創はまたたく間に塞がってしまったのである。

 

「なん、なの……!?」

 

 これを生き物と呼んでいいのだろうか?

 確かにそいつは私に明確な本能からの殺意を私に放っている。これは魂のない機械には出せないものだ。

 だが、先程の光景は常軌を逸している。いくらキヴォトスとは言えこの手の話など聞いたことがない。

 明らかに、尋常ではない。

 

 ――ガウッ!!

 

 そいつは再び突っ込んでいたので、私は更に避ける。

 こいつと死ぬまで戦わせてデータを取るのがカイザーの目的なのだろう。確かに、このままだと私に勝ち目はない。

 考えろ、どうすればいいか、必死に考えろ……!

 

「……あれ、は?」

 

 そのとき、私の目に止まったのは私が避けた化け狼が頭をぶつけた先、そいつが入ってきた扉だった。

 どうやらその扉は前にも何十回と似たような衝撃を受けてきたらしくヘコみがあること、またロクに手入れがされていないらしく故障箇所でもあるのかドアが移動するレールから火花が出ている事、そして既に若干扉と扉の噛み合わせが奥と手前にわずかにズレているのがよく見ると分かった。

 スナイパーとして目を鍛えていたことが、こんな形で役に立つなんて。

 そんなことを思いながらも、私はあることを思いつく。

 成功すれば生き残り、失敗すれば私は死ぬ。そんな一か八かの賭けだ。

 

「……よし!」

 

 決意をすると私は銃を構えて、できる限りの連射速度で()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もちろん化け狼もそんな私の銃声に気づき、再び突進してくる。

 だが私はそれをまた回避し、扉にありったけの弾丸を打ち込む。対戦車ライフルの衝撃は戦車の装甲よりも厚そうな扉を抜くまではいかなくとも、大きな弾痕を残し、そして既に限界そうなレールからズレていく。

 

 ――ガアアウッ!

 

 そして、私が避けた化け狼が再び私に向かって突進してくる。

 

「よし、こっち!」

 

 私はそれをうまく誘導し、私が撃っていた扉に真正面からぶつかるように避けた。

 すると、いろいろとガタが来ていた扉はついに吹き飛んだ。

 

『なっ!? 全兵士に告ぐ! 被験体D1057とゲヘナの娘が逃げるぞ! 両方とも処分しろ!』

 

 急に慌てた声が轟くがもう遅い。私は上から見ていたPMC兵の銃撃を背後に外に出ていく。更に幸運な事に、その銃撃は化け狼の方には当たり、意図しない戦闘が彼らと化け狼の間で発生していた。

 

「わ、わあああああああああああっ!?」

「ひ、怯むなっ! 対戦車ロケットを持って来い! ロボット兵器もだ!」

 

 悲鳴と狼狽しながらも指示を出す声が響いてくるが、私は振り返らず走る。

 ここがどこかは分からないが、多分あの私の落ちっぷりは地下かどこかだと思う。だから上に向かっていけばいつか脱出できるはずだ。

 でも問題はここの構造が分かっていないこと。ただ闇雲に上に昇っていくだけでは追い詰められ捕まってしまうかもしれない。だから、どこかで地図が手に入ればいいんだけれど……。

 

「おい! いたぞこっちだ!」

「あっちにいるらしいぞ! 挟み撃ちだ!」

「もうっ!」

 

 そんなことを考えながら狭い通路を走っていると、後ろと前、両方から私の進路も退路も塞ぐように声が聞こえていた。

 手持ちの弾はもうほぼ残っていないのでできるだけ温存したいし、相手の武器を奪ったとしても慣れない武器での射撃戦は私の腕前では怪しいところがある。

 なので私は周囲に逃げ込める場所がないかと思い首を振る。すると、近くに一つ扉があることに気づいた。

 下手をすればここで袋の鼠、しかし出入り口が一つしかないこと、また少し大きく厚い扉で横にキーパッドが備え付けられている事からロックがかけられる重要な部屋なのが伺え、うまくいけば内側からもロックできるかもしれないと思い、藁にも縋る気持ちでその中に駆け込んだ。

 部屋の中は案の定広く、多くの機械や実験機材のようなものが並んでいる。おそらく研究室か何かだったのだろう。そして幸運な事に、扉の横にはロックをかけられる電子パネルがあってそれは生きていた。

 なので私は適当な数字をそれに撃ち込んで扉にロックをかける。

 

「くそっ! よりによってあそこに入られたぞ! 早く開けろ!」

「駄目だキーを変更された! 無理矢理開くには少し時間がかかるぞ! 電子戦担当を呼んでこい!」

 

 扉の向こう側で、そんな慌てふためいた声が聞こえる。

 一方で私は、扉に背中を預け、ずず……と背中をこすりながら尻もちをついた。

 

「……とりあえず、たす、かった」

 

 そう言いながら大きく「ふぅ……」と安堵の息を吐いてしまう。

 

「どうして、こんな事に……」

 

 続けて、つい弱音が口からこぼれる。

 

「私は……ヒナや先生と一緒に歩みたい、それだけなのに……」

 

 だからゲヘナで無法を働こうとしていたカイザーの連中を倒そうとしたのに、結果はこれである。

 つくづく、自分の弱さが嫌になった。

 

「これから……どうしよう……」

 

 私は暗い気分になって、顔を丸めた膝に埋めながら呟く。

 逃げ込めたのはいいものの、やはり追い詰められているのは変わらない。

 せめてここに脱出のヒントがあればいいんだけれど……。

 

「……探さないと、だよね。いつまでも落ち込んでなんていられないし」

 

 状況をなんとか好転させるために、私は立ち上がって部屋を調べる事にした。

 立ち並ぶ研究機材は何をしていたか私にはまったくわからない。でも、さっきのアレを見るにロクでもない事をしていたのは分かった。

 また、それ以上にこの研究所にもゲヘナ学園の校章が壁に描かれているのも気になった。

 やはりここはゲヘナ……? いやでも、この荒れ果てた放置具合はおそらく二年から三年はされていると思うし、あるとしても多分より治安の悪いスラム方面なのかな……。

 そんなことを思いながら、ふと目についたパソコンのキーボードに触れた、そのときだった。

 急に、そのパソコンと繋がれているモニターが点灯したのだ。

 

「わっ!? ああ、スリープにしていただけか……てか、ロックもかけてないんだ……まあこんな風に侵入者を想定してなかったのかもだけれど」

 

 なんというか、そういうところが駄目なんだと思うカイザーは。だから先生達にあっさり負けて追いやられてしまうのだ。

 そう思いながらも何か情報がないかと私はマウスを動かし何か情報はないかと探ってみる。

 すると、すぐに収穫があった。

 

「えっと……『第731研究所見取り図データ』……って、もしかしてここの地図!? ……うん、そうだ。さっきの闘技場みたいな部屋とここまで走ってきた通路、全部一致する!」

 

 スナイパーとしての襲撃、またはカウンターのために建造物の構造を把握する勉強もしてきた私は見取り図と自分が動いてきた建物が同一な事も理解した。

 そして、私はどうやらいつの間にか地上のフロアの近い階層に来ていた事も知り、更にこの部屋から通気ダクトを使っていくつか部屋を経由すれば出られそうな見当もつけることができた。

 

「な、なんていう幸運……これからの人生の運、ここで消費してないよね……?」

 

 心に余裕ができたおかげでそんな軽口を叩けるぐらいにはなった私は、まだカイザーの方でこの部屋への突入にまだ時間がかかりそうでもあったし、さらにパソコンから情報を探ることにした。

 

「あの化け狼が何なのか、そのヒントだけでもいいから……」

 

 そう思い、更にマウスを動かし目に付くフォルダなどを探ってみる。

 すると、再びあっさりと私は目的のデータを見つけることができた。

 

「これは……『ベルセルク・ガス実験結果』? なにそれ……というか、どれもデータの日付が二年前で止まってる」

 

 さらに言えば、私が今見ているpdfデータは私とヒナがゲヘナ学園に入学し、ヒナが風紀委員会に入ってしばらくしてから更新が停止されている。

 つまりあの時期にここの研究はストップした、というわけだが……。

 

「一体、どういうこと……? ここで一体何が……?」

 

 興味が膨れ上がり、私はデータの中身を覗く。すると、そこにはひたすら同じような情報がズラッと並んでいた。

 

「ナンバー1、失敗により死亡……ナンバー2、失敗により死亡……ナンバー3、失敗により死亡……死亡、死亡、死亡……なにこれ、とんでもない数が並んでるのに、ほぼ失敗じゃないの……」

 

 この資料に記されているナンバーは、なんと二千番台まであった。正確には、ナンバー2591までの結果が書かれている。

 そして、そのほとんどが『失敗により死亡』と表記されている。……この死亡扱いになっているのが、どうかただの実験用のマウスであって欲しいと、私は体に寒気を走らせながらも思った。

 

「でも、成功がないわけじゃない……ポツポツと、数える程度の成功例はある……」

 

 その数、わずか六件。

 全体の総数から考えると、ぱっと暗算はできないからすごく簡単な数字にして割ってみても、成功率はだいたい〇・〇〇二パーセントほど。

 

「どうか、してる……」

 

 きっとカイザーも自分達で同じ様にこの『ベルセルク・ガス』というモノの実験をしたのだろう。そして、その貴重な成功例があの化け狼なのだ。

 だって、彼らが口にしたナンバーはこの資料のデータだと『失敗により死亡』だし。

 

「つまりこのガスは、化け物を作る、ガス……?」

 

 こんなものをゲヘナが作っていたって言うの?

 信じられない……。そんなマッドサイエンティストがゲヘナにいたなんて。

 

「……これは、ヒナに報告、しないと」

 

 私は震える声でパソコンの前を離れて当たりをつけていた通気ダクトから出ようとした。

 だが、そのとき私は気付いた。この部屋、出入り口と反対側の壁がガラス張りなのだ。そしてその先へと通じる通路も部屋の端っこにあった。

 更に、おそらくその部屋の照明をつけるスイッチも、すぐそこに。

 

「……まさか」

 

 私はゆっくりと手を伸ばし、スイッチをオンにしてみる。

 すると、目の前のガラスの向こうが一気に光りに包まれた。そこにあったのは、奥行きが百メートル近くはありそうな部屋に並べられた、大量の巨大なガスボンベだった。

 

「……これ、全部、そうなの?」

 

 ガラスから見下ろせるその部屋には、高さにして私の身長より二回りぐらい小さいから百四十センチぐらいだろう緑色のボンベが軽くダース単位で数えられそうなほどある。

 またそれだけでなく、横にも広い部屋の壁には棚があり、携帯できるサイズのボンベも置いてある。これもまた緑色だ。

 ボンベはいくつか歯抜けになっていて、おそらくカイザーが使用するために抜き出したのだと思う。

 

「と、とりあえず、写真でも……って、スマホ、ない……」

 

 きっとカイザーの連中に拐われるときに落としたんだろう。状況が落ち着いてやっとそのことに気づいた。

 ともかく、このことはヒナと先生に伝えないと、とんでもない事になるだろう。

 だから、早く出ないと。

 ……出ないと、なのに。

 

「……あのガスの成功例が……あの化け狼、なんだよね」

 

 あの狼は、私の知っている生命の範疇を超えた“力”を持っていた。

 いや、イニシャルがDの事とパソコンにロックすらかけないカイザーの単純さを考えると、あれは多分元は犬なんだろう。ドッグだからDなんて、安直な区分けだけれど、カイザーの連中ならやるだろう。

 つまりそこから考えると、ただの野良犬ですら成功するとあれほどの怪物になるという事なのだ。

 

「…………ヒナと先生に、伝えないと……」

 

 なら、それをキヴォトスの生徒が使用して成功したら? 一体どれほどの力が手に入る?

 

「……………………」

 

 いや、待て。

 馬鹿馬鹿しい。

 だって、〇・〇〇二パーセントなんだよ? そんなの成功するわけない。宝くじでも買ったほうがまだ健全でずっと真っ当だ。

 

「…………そう……どうかしてる……」

 

 ――そうだって、分かっているのに。

 

「これ、を……使えば、もしかした、ら……?」

 

 ――なんで私は、あの緑色のボンベにこんなにも惹かれているの?

 

「……馬鹿げてる……分かってるのに……」

 

 足が、動く。

 使えば死ぬと分かってる、悪魔の発明に向かって。

 

「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 私は今の部屋にある扉からそのガスボンベが並んだ部屋に降りていく。

 目をずっと緑のボンベから離すことができず、頭の中ではずっとあの変貌した犬の姿が思い浮かんでいる。

 対戦車ライフルでも貫けず、一瞬にして傷を治す治癒能力と生命力。

 今でも大勢の兵士がこの部屋ではなくきっとあの犬に対応させなければならないほどの“力”。

 

 ――あれは、私が一番求めている理想の姿だった。

 

「でも……下手したら死ぬし、結局効かないかもしれない。そんな、リスクが高すぎるしオカルトに足を踏み込んでそうな事、なんて……」

 

 それでも、私の足は止まらない。恐怖や理性をねじ伏せるほどの巨大な憧憬が何もかもを飲み込んでいく。

 

「でも……でも……もし、成功したら……私は……」

 

 ついに部屋にたどり着く。

 外が騒がしくなってきたみたいだけれど、どうでもいい。

 

「私は……やっと、強くなれる……!」

 

 そうだ……そうなんだ、私はやっと、弱い私から、さよならできるんだ!

 

「弱いだけの……何もなせない地羽クイナなんてもう嫌だ! 弱いせいで友達が作れなくて! 弱いせいで友達と並べなくて! 弱いせいで憧れの人に顔向けできなくて! 弱いせいで何者にもなれないっ! そんな“間違い”でしかない弱者なんて、いちゃいけないんだっ!!!!」

 

 私は生まれた頃から弱者だった。

 体が弱いから大事な期間を逃して友達作りで出遅れて、心が弱いから卑怯な手に走って墓穴を掘って、戦う力が弱いからヒナと並ぶ事ができなくて、意志が弱いから先生に追いつけなくて、全部が弱いから私は今こうして追い詰められている。

 

「小学校の誕生日会だって中学校の体育祭だって! 初めてのヒナとの買い物ときだってブラックマーケットでの戦闘でだって! エデン条約の日に何の力になれなかったのだって今日までのトラブルで何も先生を助けられなかったのだって! 全部、全部!」

 

 ――私が、弱者なんて“間違い”そのものな生き物だったから。

 

「全部全部全部! 私が弱者だからっ! 弱いだけの存在だから何も手にすることができなかった! でも、()()()姿()()()()()()……!」

 

 目の前の緑のボンベのバルブに手がかかる。体が震える。顔が、()()()()()()()

 一目見ただけで分かる力の塊。生ける暴力と成り果てた姿。

 ただの犬ですら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()あんな()()()()()()()()になれるのなら。

 

「ハァッ……! ハァッ……! 私、はッ……!」

 

 ――この“間違い”だらけの命を“正解”にできるのなら。

 

「強者として生きられるのなら、死んだっていいィ……ッ!」

 

 私はそこで、勢いよくガスボンベのバルブを回し、開いた。

 

 ――ヒナと先生の笑顔が、一瞬だけ……頭によぎった。

 

「ガッ!? ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!????」

 

 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいっ!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!? 寒い燃える寒い燃える寒い燃える寒い燃える寒い燃える寒い燃えるぅ!?

 

 ――オイ、あれ見ろ! あいつベルセルク・ガスを吸ってるぞ――

 ――バカな女だ。処分する手間が省けた――

 ――さっきの実験体を殺処分することになっちまった事への報いだな――

 

 体が引き裂かれる! 立ってられない! 体内の全部が、外に出ていくっ! 体全部がバラバラになって! 粉々になって! どろどろに溶けちゃうううううっ!

 

「オオッ!? オエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?!?」

 

 何もかも吐き出しちゃウ!! 口だけじゃなく、鼻からも目からも耳からも毛穴からも、アらゆるトころから何もかもが出ていグぅ!!

 

「ゴボボボボボボボボボボボボッ!?!? ゲオオオオオオオオオオオオオッ!!? エエエエエエエエエエエッ!!」

 

 ――ウワッ、キヴォトスの生徒に使ったらああなるのか……動物実験だけしか見てなかったがエグすぎんだろ……もうヘイローもボロボロじゃねぇか……――

 ――ああ、ありゃ確実に死んだな。でも思ったよりいいデータにはなってくれそうだ――

 

「グ、ギャヒアッ……!? カッ、ハッ……!? ア………………アア………………ア…………」

 

 私のすべてが、死んでいく。

 闇に消えていく。真っ暗に、堕ちる――――――――

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――

 

 ――――――――

 

 

 

「――――――――………………………………………………………………イ、ヒ」

 

 ――――――――幸せな世界が瞳に広がった。

 

 そして私は、“再誕”した。

 

「イヒ……イヒヒ……ヒヒヒ、イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!!!!!!」

 

 気持ちいい、心地よい、すっきりする。

 今までの苦しみ、悲しみ、辛さが全部反転して、ピカピカキラキラな幸せになっていく。

 体中が、力と命で溢れていく。

 

「イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒハハハハハハハハハハハハハハッ! ……あーーーーーーーーーーーーー……最ッ高ゥ……」

 

 膝をついていた状態から、私は立ち上がった。

 私は、勝ち取った。

 〇・〇〇二パーセントの地平線を越えて、素晴らしき“正解”という名前の桃源郷へと。

 

「……な、んだと!? バカな、こいつベルセルク・ガスに適応を――」

 

 ――うるさい小蝿がいたから、潰した。

 ああ、なんだ、カイザーの兵士だったか。

 命が弱すぎて分からなかった。

 

「ヒッ、ヒィッ!? か、片手で、あんな……!?」

「そ、そんな……! あの距離からこんな一瞬で……!」

 

 喚いてる。

 ただ弱くて価値のない、“昔の私みたいな弱者達”がギャアギャアと言っている。

 うるさ。ムカつく。

 

「ん? あっ」

 

 足下に何か当たったと思ったら、私の愛銃である《シアターカーペンター》が落ちていた。

 多分さっき知らない間に落としちゃったんだね。

 自分の銃は大事にしないとね。

 

「よっと」

 

 私は軽くつま先で蹴り上げて手に取る。うん、やっぱり自分の銃が一番だね。

 

「バカなっ!? こんなに撃ってるんだぞ!? それなのに目すら向けてこないなんて!」

「アアクソッ! 駄目だ逃げるぞっ! あんなの俺達どころかSOFでもどうしようも――」

 

 おお、すっごい簡単に当たった。

 っていうか、構えて当てるって感覚ですらなかったなぁ。なんていうか指鉄砲を向けたら本当に弾が出て当たったみたいな?

 こんなに変わるものなんだなぁ。ヒナもこういう感覚で銃撃ってたのかな。

 

「イヒヒッ、だとしたら、きっとすっごく楽しかったんだろうなぁ」

 

 圧倒的な力ってこんなにいいものだったんだ。

 そりゃあヒナだってずっと風紀委員長頑張れるよね。楽しいもんこれ。

 

「お願いだ助けてくれ俺はまだっギャアッ!?」

「来るな来るなやめろやめろやめろおわああああああっ!?」

「援軍をっ! 戦車大隊でもなんでもいいからとにかくありったけの援軍を!!」

 

 やっぱり強いって“正解”で弱い昔の私は“間違い”だってよく分かるね。

 こんな無様でみみっちぃ姿、いいところなんてなんもないよ。

 

「サーモバリックだ! ここにあるありったけのサーモバリックグレネードを投げろ! あれならキヴォトスの生徒だって殺せる!」

「ん?」

 

 へぇ、さすがにサーモバリックを食らうと肌が焼けちゃうんだね。

 私達の体でも耐えられない攻撃ってあるしなぁ。

 けれど別に問題なさそうだ。だって焼けてもすぐ元通りになってるんだから実質効いてないのと一緒でしょコレ。

 

「そ、そんな……全員逃げろっ! こんなのに付き合ってられ――」

「――は? 逃がすわけないじゃん。もっと付き合ってよ。まだやっと『まとも』になった体の事試したいんだらさ」

 

 ていうか、そんな腰が抜けた状態で今の私から逃げられるわけがないじゃん。

 あーあ、これだから弱いって嫌だなぁ。さっきまで私もこんな弱っちい生き物だったかと思うとマジ最悪。

 

「でもま、今は“正解”になれたしいっかぁ。過去は過去だよね」

 

 ヒヒヒ、いくらでも笑顔になれちゃう。

 今までの頑張りがやっと報われたって、そんな気分。成功体験ってこんなに気持ちがいいものなんだ。今まで体験したことないから知らなかったや。

 そんなことを言っていたら、いつの間にかビルのエントランスみたいなところに来ていた。

 ああ、弱い奴ら追い回してたら出口まで来ちゃってたんだ。

 

「えー、もう終わり? つまんないのー」

 

 私は唇を尖らせながら外に出た。まあもともと外に出る予定だったんだし、目標達成、かな?

 出口からは薄い光が差し込んでる。これ、多分朝になってるよね。じゃあ私が捕まってからまあまあ時間経ってるんだ。

 ヒナ、心配してるかな。悪いことしたかも。

 

「って、ここブラックマーケットじゃん。こんなところまで運ばれてたんだ私」

 

 この雑多な光景は見覚えがある。そりゃ前はほぼ毎日みたいに通ってた場所だしね。

 でも来るのは基本放課後だったから朝日に照らされているブラックマーケットは結構新鮮だなぁ。

 

「んー、なんでブラックマーケットにゲヘナ学園の校章があったんだろ? ……まあいいか。どうせ考えても情報足りないし分かんないよね。……そうだ、それよりも」

 

 私はいいことを思いついたので、思わず口角が上がった。

 

「ここなら、いくら暴れてもいいよね」

 

 だってここはブラックマーケット。それぞれの学園からいられなくなったはぐれものの弱い生徒、悪いことをするために集まってる汚くて弱い大人が集まってる場所だ。

 そんな弱いやつだらけなんだから、強い私は何やっても許されるよね。

 

「だって、この世界で一番の“正解”は強さなんだから!」

 

 こんなにニッコリと笑えたのっていつ以来だろうなぁ。

 やっぱり力があるって最高だね。

 うーん、これから楽しくなるぞー!

 

「イヒヒッ! 待っててねヒナ! 私、いっぱいいっぱい強くなったところ見せて、戻るからね! イヒヒヒヒッ!」

 

 彼女とのバラ色の未来を考えると、私はまた笑みがこぼれるのだった。

 

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