【完結】空飛ぶ雛と飛べない鳥~ヒナの親友だった少女が狂い彼女の敵になって壊れる話~ 作:詠符音黎
「…………ん……んん」
泥のように粘つく眠りの中から、私は意識を浮かび上がらせる。
私を目覚めさせた刺激は、鼻をくすぐり空腹を誘う甘い匂いだった。
「……な……に……?」
ベッドから起きた私はその匂いにつられて寝室を出る。
出どころは当然キッチンからだった。
「あ、ヒナ起きた? おはよう」
まだ眠くて重たい目をこすりながらキッチンに入ると、そこには先生がいた。
彼女はコンロの前に向かっていて甘い匂いはそこから漂っていた。
「先、生……? あ、そうか……私、あのあと先生に家まで運んでもらって……」
昨日の事を思い出す。
クイナが私に宣戦布告をして去った後、私はその場にかがみ込んで動くこともできなくなってしまっていた。
チナツやイオリ、そして通信越しのアコは私の事を心配した言葉をかけてくれたけれど私は答える事ができず、ずっと顔を膝にうずめて泣いてしまっていた。
一方で先生はそんな私に最後まで何も言わずついていてくれた。時折優しく背中をさすってくれたりもしたけれど、彼女から何か私に言う事はなかった。
そしてしばらくそうした結果泣き疲れた私を先生は家に運んでいってくれた。
もうだいぶ疲れていたから記憶が曖昧だけど先生はアコに頼んで改めて車を手配していてもらっていた覚えがある。
私の記憶は車の助手席に乗ったのが最後だったから、おそらく運転中に眠ってしまったんだろう。
じゃあ、それから一日先生は私のそばにいてくれていたの……?
「いいタイミングで起きたね。ちょうどできたところだよ」
「え? 何が……?」
先生がそう言ってテーブルに置いたのはホットケーキだった。
表面はちょっと焼きすぎって黒さをしているし、ダマを処理できてなくてぼつぼつしているし、厚みがあるどころかしんなりと薄いけれど、それでも何故かとても美味しそうだった。
「これ、先生が作ったの……?」
正直に言うと、先生に料理のイメージはなかった。
失礼は承知だけれどだいたい出来合いの物を食べていて、カップ麺が上限みたいな人だと思っていた。
だからまず、彼女がキッチンに立っている姿からして驚きがあったぐらいだ。
「疲れてるときは甘いものに限るよね。私も実はよくケーキとかシャーレに配送してもらったり、なんなら自分でお店に行ったりしてさ。トリニティに詳しい子達がいるからこっそり教えてもらったり……と、そんなことよりハチミツかけないと。やっぱホットケーキにはハチミツだよね」
先生はあくまで落ち着いた顔と笑みで言って、そのままハチミツをかける。
うちにはハチミツは置いてなかったし、なんならホットケーキの材料もなかったはずなので、これは外から買ってきたんだろう。
ふと時計を見ると、朝の八時十分だった。
「私、こんなに寝てたのね……」
「まあいいんじゃないかな。いつもパンクしそうなぐらいに仕事してるんだしたまにはね?」
「……それ、先生にだけは言われたくないんだけれど」
平然と数日徹夜をして倒れる事もある先生は私と同類だと思う。
その証拠に私の言葉に先生は「ははは……」と苦笑いするばかりだった。
「はぁ……まったくもう、あなたって人は」
私はため息をつきながらも席につく。
先生も微笑みながら静かに座り、二人でそのままホットケーキを食べ始める。
「……おいしい」
見た目通り焼きすぎだし、ボサボサしているし、ボリュームもないけれど、間違いなくおいしいと言えた。
きっとそれは、先生が作ってくれて一緒に食べてるからだろうと、私は思った。
以前ハルナが言っていた事を思い出す。
大事な人と食べる食事が、一番の美食なんだと。
だからこそこんなにおいしいんだろうし……ひと味足りないんだと、私は思った。
「……ここに、クイナも……いてくれれば」
フォークを握る手に、力が入る。
あのときの彼女に言われた言葉、そして思った事が反芻する。
クイナは私と並びたいから“正解”になったんだと言った。あの多くの人を傷つける姿が“正解”なんだと。
私はあのときそれに疑問しか浮かばす、そして絶望し何も言えなかった。
もっとちゃんとした返答をするべきだったのに、何も言えずにクイナにさらなる暴走の免罪符を与えてしまった。
「やっぱり……私、クイナの事、何も分かってなかった……!」
再び、涙がこぼれる。
先生のつくってくれたホットケーキに、涙が染み込む。
「三年間、ずっと友達だと思ってた……でも、それは私だけだった……私は、勝手に思い込んで、勝手な理想を押し付けて、ちゃんと友達らしい事、全然してこれなかった……そんな私に、クイナの友達を、名乗る価値なんて……」
「……ねぇ、ずっと不思議に思ってるんだけどさ」
と、私が後悔をこぼしているさなか、先生がポツリと言った。
「そもそも、友達に資格とか価値とか、そういうのっているかな?」
「……え?」
先生の顔を見る。
その顔は落ち着いていて柔らかい、優しい表情だった。
「立場とかそういうの全部置いておいて、ただ一緒にいるだけで楽しい。それだけでもう友達だって、言えるんじゃないかな?」
「……でも、私は……彼女の気持ち、気づいてあげられなくて……」
「そんなのしょうがないよ。それを言ったら私だって先生なのに何も気づいてあげられなかった。人の心なんて簡単には分からないし、簡単には打ち明けられない。私はここキヴォトスで、そんな生徒をたくさん見てきたよ」
しみじみと語る先生の目は、これまであったいろんな出来事を思い出しているようだった。
苦笑しながらも、どこか楽しそうな顔にもなっている、そんな気がした。
「あと、ヒナがクイナに対してそうだったように、クイナだってヒナに対してそうだったと思うよ。だってクイナは、ヒナの好意を……そして自分の気持ちを信頼してあげられなかったんだから」
「クイナが、私の事を……自分の、気持ちを……?」
先生の発想は、私にはなかったものだったのでつい抜けた声を出してしまう。そんな私に先生はホットケーキをナイフとフォークで細かく切りながら言い続ける。
「うん。ヒナはクイナが自分の事を友達として大好きだと思っていた。二人はそれでよかったんだよ。でもクイナはそれじゃ駄目だと思い込んでしまった。それは悪いことじゃない。自分を磨こうってのはとても素晴らしい事だし、私も応援したから。……でも」
そこで先生は、ホットケーキを切る手を止める。彼女の瞳は、とても悲しそうな色になっていた。
「もうちょっとヒナに対してワガママになっても良かったんだと思うよ、クイナは。もっと気楽で、ただ自分が楽しいって事を相手に押し付ける……そんなのでいいと思うんだよね、友達って」
「そう、なのかしら……」
先生の言う事が、いまいち私には分からなかった。
だって私には友達があまりいなかったし、それはクイナもだったから。
お互い友達初心者同士で、どうすればいいか分からないそんな関係から始まったから。
――でも、それでも、お互いただ初めての友達だって楽しくて、はしゃいでいた最初の一ヶ月足らずの日々は、純粋に楽しかったわね……。
「そうね……そうだわ……確かに、お互い細かい事は関係なく、ただ二人でいる時間は、それだけで楽しかったし、あのときのクイナの笑顔に嘘はなかった……と思う」
「うん。それだけでいいんだよ。なんなら、このキヴォトスにはそういう子達はいっぱいいるよ? ミレニアムのゲーム開発部やトリニティの放課後スイーツ部、それにゲヘナにだってキラキラ部のようにただ一緒にいて楽しい、そんな子達がいる。みんな難しい事を抜きに、ただ一緒にいて楽しいから友達なんだ」
「ただ一緒にいて楽しいから……友達」
先生の言葉を私は繰り返す。
そうだ、私とクイナの出会いに損得や上下関係なんて最初は存在しなかったはずだ。
私が偶然助けて、クイナが勢いでお茶に誘ってきて、そこから流れで友達になって……。
でもいつの間にか、それが拗れて、すれ違ってしまった。
お互いの小さな思い違い、勘違い、疑い、恐怖に見栄……いろんな小さな事が積み重なって、偶然も絡んでこんな事になってしまった。
ならば、私に何ができるだろうか? ここまでになってしまった互いの関係を元通りにするには、私は一体どうしたら……?
「……いえ、こうやって考えるのがよくないのかもしれないわね」
私はそこで思い直す。
私達がこうなってしまったのは、きっとお互い考え過ぎたのがいけなかったんだろう。
もっと素直に気持ちをぶつけて、もっと考える事なく接していれば良かったのかもしれない。
なんてことはない。いろいろと理屈は背景にあるけれど、突き詰めればただお互い臆病過ぎた、それだけの事だったんだ。
「……ありがとう先生、ちょっと前向きになれた」
「そっか……良かった。私は結局、みんなの背中を少し押してあげる事しかできないからね。自分の足で新しい道に進んでいけるのが、君達子供が持つ大人に勝る力だよ」
先生は、そこでまた優しく微笑んだ。彼女の顔と口ぶりからはちょっとどこか寂しさも感じるけれど、嬉しさも間違いなく感じられた。
これが、大人なんだろう。一足先にいろんな物を見てきたからこそ、子供を守って導ける、そんな人が、先生なんだ。
「じゃあ……寝すぎてしまったけれど、ここから反撃開始と行くわ。そのために、このホットケーキで栄養をつけないとね」
「ふふっ、そうだね。まあネットで調べて見様見真似で作った情けないホットケーキだけれど……」
少し目を逸しながら苦笑する先生に、私はつられて笑う。
大人な先生だけれど、やっぱり女性として可愛らしいところがあるなと、そう思った。
でももっと女性らしく服は着替えてもいいんじゃないかなとも思う。私もまったく人の事を言えないけれど今の先生のコートの汚れ具合は昨日のままだし――
「……って、あれ? 私、いつの間にパジャマに……?」
自分の姿を改めて見て私は思った。
あのとき私は助手席で眠りに落ちたんだから着替える事なんてできなかったわけで。
でも今の私はパジャマ姿だし、なんなら下着も新しいモノに変わっている。
じゃあこの家についてクローゼットを開けて私の服を脱がせて着替えさせたのって……。
「…………先生?」
キッと睨む私に、先生は目を瞑りフッと爽やかな笑みを作った。
「ふふっ。ヒナ……私は先生だよ? ただこの目と魂にその華奢な美体を焼き付けただけで不同意なわいせつ行為には及んでいないさ」
「…………以前、トリニティの正義実現委員会の子が、こんな事を言っているのを聞いたことがあるわ」
「う、うん……? えっと、それってもしかして、コハルじゃな――」
「――エッチなのは、死刑」
すぐ出立する予定だった私のスケジュールは、家の補修と先生の回復待ちでしばらく取られたのだった。
「……まったく」
少し赤面しつつも私は服を着替え終えていた。
いつもの風紀委員長としてのゲヘナの制服だ。コートも羽織り、黒手袋をキュッとはめる。
うん、この服を着ると身が引き締まる。
「本当に私もついていかなくて大丈夫?」
私の先に玄関に立っていた先生が聞く。彼女に私は軽く頷いた。
「ええ、もしかしたらこれから私が頼ろうとする子の中には先生に
「なるほど、やさしいねヒナは」
「別に、こんなの普通よ。先生だって生徒の意思確認はいっつもしてるでしょ?」
「まあそうだけれどね」
軽く苦笑する先生のいる玄関に私は歩みを進める。
そして先生が外に出た後、私も続いて外に出る。
「じゃあ、ゲヘナ学園まで一緒にいって私は風紀委員会のみんなと一緒にいろんな事後対応。そしてヒナはヒナの頼れる相手に相談を、だね」
「そうね。大事な友達を正気に取り戻すためですもの。藁にだって縋ってみせるわ」
私は決意を新たにする。
例え彼女に幻滅されようと、いくら彼女とぶつかり合う事になろうと、私はクイナを私のために取り戻す。そう決めたのだ。
「じゃあ、始めるわよ。……かつて、共に『雷帝』を失脚させた仲間達との同窓会を」