【完結】空飛ぶ雛と飛べない鳥~ヒナの親友だった少女が狂い彼女の敵になって壊れる話~ 作:詠符音黎
After Route1.肯定の末路
「私、は……」
もう、何も分からない。
考える事を止めたクイナは私の答えを待っているけれど、その私が何も導き出す事ができない。
クイナをこんな風にした私が、今更何を言えるっていうの?
どうしてクイナは、こんな私の事をこんなになっても信じられるって言うの?
どうして、どうして……。
「クイナ……どうして、あなたは私が正しいって言えるのよ……私が間違うなんて、思わないの……?」
私の疑問は、いつしか口から溢れていた。
膝をつき涙でグシャグシャになった顔を床に向けたまま、頭を傷つけていた指をだらりと垂らした情けない姿で。
「え? さあ、なんでだろう?」
そんな私に返ってくるのは、変わらない能天気な声。
自分で考えた理由も考えなくなった空虚な言葉。
この声を聞くたびに、私の心はポロポロと剥がれ削れこぼれ落ちていく。
友達の成れの果てを見ることができない情けない私もまた、どうにかなってしまいそうになる。
助けて……誰か……。
「でも、きっとヒナは正しいよ。だって分からないけれど心からそう信じられるんだもの!」
「…………ぁ」
“心からそう信じられる”。
その言葉が、私のもはや脆い穴だらけの飴細工になってしまった心を埋めていく。
――クイナが……私を信じてくれている……私の、事を……。
私は彼女に信じてもらえなかった。
信じ過ぎた私と、信じられなかった彼女。
ここがすれ違った果てに、この結果になってしまった。
でも今のクイナは、私を信じてくれていると言ってくれた。私にただひたすら無垢で純粋な気持ちを向けてくれていた。
私は顔を上げる。
そこにあるのは、にこやかで背後からの輝く陽光に包まれる笑顔のクイナ。
「は……はは……はは、は……」
笑みが、私の口から漏れた。
「ああ……そうよね……あなたが信じてくれる私なんだもの……きっと、正しいに決まってるわ……ねぇ、クイナ……」
「うん、そうだね。ヒナが言うならきっとヒナは正しいよ」
クイナがこう言ってくれている。
私を信じてくれているクイナが。じゃあ私はクイナを信じてるから、きっとこれは正しいんだ。
「そうよね、クイナが正しいって言うのならきっと私は正しいのよ……」
心がいっぱいになる。
親友が私を肯定してくれてるから、私も自分を肯定できるし私もクイナを肯定しようって気持ちになる。
そうだ、私はクイナを肯定する。
だって友達なんだもの、私がクイナを導いてあげないと。
「ねぇクイナ、私はあなたを導く存在として正しいのよね?」
「うん、ヒナが正しいと思うなら正しいんじゃないかな」
「ええそうね、クイナが私の事を正しいと言うのならきっと私があなたを導くのは正しいのよ」
クイナの言葉で私は確信を持つ事ができた。
そう、私はクイナを導く存在。彼女とこれからずっと一緒にいる事のできる者。
だってクイナがそう言うんだもの。きっと私はそうなのよ。
「はは……よろしくね、クイナ。私、頑張ってあなたと一緒にいるわね」
「うん、よろしくねヒナ」
クイナの笑顔に、私も笑って答えた。
とても幸せな気持ちになれた。
◇◆◇◆◇
私のこれからの人生はクイナのためにある。
そうと分かったので、私はさっそく行動に出た。
まず、風紀委員会を辞める事にした。
「い、委員長……? 何を言って……?」
アコを筆頭にみんな信じられないものを見るような顔で私を見てきた。
そうよね、私は今まで散々風紀委員としての職務にこの身を捧げてきたんだからそうなるもの当たり前だわ。
でもしょうがないじゃない、だってクイナと一緒にいるためなんですもの。
「ごめんなさいね。でもこれが正しい事なのよ。そう彼女が言ってくれたし」
クイナに「私、風紀委員を辞めようと思うんだけれどいいかしら?」と聞いたらクイナは「ヒナがそうしたいならきっとそれは“正解”だよ」と言ってくれたので、きっとこれが正しいはずだ。だってクイナがそう言ってくれたもんだもの。
「だからあとは任せるわねみんな。大丈夫よ、きっとみんなならできるわ」
晴れやかな気持ちで私はみんなにそれだけを告げて風紀委員会の教室を去った。
後ろから引き止める声がたくさん聞こえたけどうでも良かった。だってクイナが肯定してくれたんだもの。
それが間違ってるわけないわ。私は正しいのよ。
次にゲヘナ学園も退学した。これもクイナと一緒にいるためで、彼女に聞いたら「ヒナがそう思ったのなら間違いないよ」って言ってくれたので正しいと分かったから辞める事にした。
一応形式的に退学届は出したけれどこの学園でちゃんと受理されているかは知らない。
でももう学園に来ることはないのだからどっちにしろ一緒よね。
こうして私はクイナとずっと一緒の生活を始めた。
どっちの部屋に住むか考えたけどクイナの部屋で一緒に住む事にした。これもクイナに聞いたら私がそうしたいのならそれは絶対大丈夫だよって私を肯定してくれたからそうした。彼女がそう言うということはつまり私の考えは正しいという事だからそうした。
こうして始まった私とクイナの生活。そこで私は彼女のためにとにかく生きた。
朝はクイナのためにご飯を作ってあげて、彼女を起こして、服を着替えてもらって、ご飯を食べてもらえたらお片付けをして。
昼はお昼ご飯を用意して、それからはずっと彼女の隣にいて彼女が楽しめそうな事をやってみてもらって、夜にお腹が空いたらまた料理をして、その後一緒にお風呂に入って、歯を磨いてもらってそれから同じベッドで寝る。
私達の生活は基本的にこの繰り返しだった。
クイナは当然考える事を止めているので自分から希望を出さないし何かをしようとはしない。
だから全部私がやってあげるの。だって私は常に正しいしクイナの友達なんだから。
「ねぇクイナ、こんな風に私があなたの生活のお世話をずっとし続けるの。それってとっても素敵だと思わない?」
「うん、ヒナが素敵だと思ってるならきっと素敵な事に違いないよ」
「ああそうね。あなたがそうならきっとすごく素敵な事なのよこの生活は」
こんな風にクイナが太鼓判を押してくれたから私は何も疑う事なく彼女との生活を送れる。
クイナが信じる私の行動は全部正しいってクイナが言ってくれるから、他にないほど私達の生活は“正解”なの。
その証拠に、私はとても幸福な気持ちになれた。
彼女の幸せが、私の幸せなんだから。
「……ヒナ、クイナ」
そんなある日だった。
先生が私達の家にやって来たのは。
◇◆◇◆◇
「あら先生、久しぶりね。クイナの家を知ってたなんて。でも、前に私の家に来たこともあるし当然か」
部屋に招き入れた先生に対して、私はクイナと横並びにベッドの上に座って彼女を見上げながら言った。
エデン条約調印式のあの日、彼女が私の家に来てくれた事を思い出す。
ただあのときより先生は苦々しい顔になっていた。
「うん、久しぶりヒナ。それにクイナ」
「ふふっ、そうだね久しぶりだね先生」
なんとか笑みを作っているのが分かる先生の表情に対し、クイナはいつもどおりの笑みになっていた。
――良かった。クイナは先生と会っても変わらず幸せそうだ。
「それでどうしたの? 何か私達に用かしら?」
「……どう言えばいいのかな。れっきとした用というわけでもないんだけれど、でも二人に会いに来たのは間違いなくて」
私の言葉に先生は妙に歯切れが悪そうに言った。
彼女はわずかに俯いて目を泳がせていて、いつもの頼りになる面影が鳴りを潜めているように思えた。
「その……調子はどう?」
そして少し間をおいた彼女の口から出たのは、そんなありきたりで漠然とした問いだった。
「え? 別に……問題なく幸せに生活できているわ。ねえクイナ?」
「うん、ヒナは正しいから私達は幸福だよ」
「ありがとうクイナ。あなたがそう言うのだから私達は間違いなく幸福なのね」
私の言葉にクイナが頷いてくれているから私も正しい、間違いない。
一方で先生は、そんな私達を見てぎゅっと唇を噛んでいた。
「……そう。良かったよ」
でも、彼女はそれでも笑顔を私達に見せてくれた。
先生らしいな、と私は思った。
「風紀委員会もヒナが辞めた後結構忙しくしてたけれど、最近ようやく問題なく回るようになったよ。みんな元々ヒナに頼ってる状況に思うところはあったみたいだしね」
「そう」
「ここはマコトが少し風紀委員会に協力的になったのもあるんだけどね。さすがにあんなにドタバタしたら
「そう」
「……アコもイオリもチナツも、それにマコトだって淋しそうにしてるよ。ハルナは『本人の気の向くままが一番ですから』なんて言っていたけれど、それはそれとして彼女もちょっと寂しそうだったかな」
「そう」
「…………っ」
露骨に先生の眉間に皺が寄って、辛さが顔に満ちていた。
私の今のそっけない反応ならそうなるのも仕方ないわよね。
でも私としてもそんなこと聞かされてもしょうがないのよ、だって私はクイナの側を離れる気なんてさらさらないんだし。
「ヒナ……私はできるだけ生徒みんなの意志を尊重すべきだと思ってるし、クイナの今の状態は今ヒナがこうなった状況とそこから聞こえてくる話、そして今目の前にいる彼女を見てある程度は把握しているつもりでもある。私には……どうすることもできない事も」
先生は唇をそっと噛みながら真面目な顔で私をじっと見て言ってきた。
彼女の視界に映っているのは私だけじゃなく、隣にいるクイナもだろう。
でもクイナはきっと今先生が何の話を切り出そうとしているかもまったく理解できてないだろう。
ただ「急に真面目な顔になったな先生」ぐらいしか思っていないのでしょうね。
今のクイナはそれでいい。考えるのは私がやればいいんだから。
「でも、あえて聞かせてもらうね。ヒナ……君はずっとここで、こうしている。それでいいんだね」
それはきっと私の意志の最終確認なのだろう。
彼女は自分の目で見て自分の耳で聞いて私がどうしたいか確かめに来たのだ。
さっきも本人が言っていたように、彼女は私達生徒の自主性を大事にしてくれる。そしてそのとき我を見失って道に迷っていたら手を差し伸ばしてくれる。
彼女はそういう、立派で憧れの、そんな大人だ。
だからこそ私はそんな先生にニッコリと笑みを向けて言った。
「ええ、私はこれでいいわ。これからずっとずっと、クイナと一緒に過ごしていくの。彼女の代わりに考えて、彼女の代わりに頑張る。それが私を信じてくれるクイナのためにできる、唯一の事だから。私が見捨てたら……きっとクイナは一人ぼっちになっちゃうから」
「………………ヒナ……ごめん……情けない大人で、ごめんね……」
先生が目の前で涙をこぼし始めていた。
生徒の前では常に笑顔を見せてくれて、みんなの支えになるために頑張っていたあの先生が。
彼女が私とクイナを見て何もできない自分に罪悪感と後悔を強く感じてしまっているのが、痛いほどに伝わってくる。
悪いとは思っている。先生にこんな辛い顔をさせるのは本位ではないし、きっと前のクイナもそうだったろう。
けれども、もう私達がこの道から逸れることは、きっとない。
「泣かないで先生。先生は今でもクイナをなんとかできないか探しているのでしょう? それだけでも私は嬉しいし、きっと前のクイナも喜んだはずよ。でももうクイナは疲れちゃったから。だから私がクイナの分まで言うわね。先生……今まで、ありがとうございました」
だから私は笑いかけ、深く頭を下げる。
私に残った最後の正気の雫を絞り出して、“風紀委員長であり先生の生徒でもある空崎ヒナ”としての終わりの言葉を伴って。
「うん……私も今までありがとうヒナ。そして、クイナ。でも、私は諦めるわけじゃないよ。二人はいつまでも私の生徒だし、私は二人の先生だから」
先生もそれを悟りながらも、笑い返してくれた。
隈が浮かぶ目元を赤く腫れさせながらも、微笑ましい表情を作ってくれた。
そうして私達がお互いに最期の言葉を交わした後、先生は玄関へと歩みを進め扉を開き出ていく。
僅かに玄関から見えた空は、曇り空で雪が降っていた。
「ああ、そうか。そういえば今日はクリスマスだったわね。二人でいるとつい時間を忘れちゃうから失念してたわ」
「そっか、クリスマスなんだ」
「うん、そうね。私達二人っきりで過ごす初めてのクリスマスよ。ねぇクイナ……あなたは、私の事を、親友だって思ってくれている?」
私は彼女の方に顔を向けて聞いた。未だに笑顔な彼女に対して。
「うん、私とヒナは親友だよ。だってヒナがそう言ってくれたんだからきっと私達は親友なんだよ」
濁りのない笑み。
透き通った声色。
私は、そんな彼女を見て、とても嬉しくなった。
「ふふふ。そうね、私達は親友なのよ。だってあなたがそう言ってくれるんだもの。どうやっても私達は親友に間違いないのよ」
だから、私も笑った。
……頬を涙が落ちていく感覚がした。
私に残っていた“空崎ヒナ”がそれでなくなった。
それが、はっきりと分かった。
「ふふっ、ふふふふっ……」
でもそれでいいって、空っぽになった私は私を肯定できて、私はまた笑うのだった。