【完結】空飛ぶ雛と飛べない鳥~ヒナの親友だった少女が狂い彼女の敵になって壊れる話~ 作:詠符音黎
ヒナとクイナの間にあった問題が解決してから数日。
ゲヘナ自治区の比較的治安が良い地区の通りを私は通っていた。
理由は簡単で、そこで生徒の相談事があってそれを解決していた帰りだからだ。
「そういえば、確かここにあるんだよねクイナの家って」
ふと私はそんなことを思い出した。
私はシャーレで先生をやっている関係上、関わりの深い子の住居はある程度把握していた。
エデン条約調印式の日にヒナの家を知っていたのもそれがあったからだ。
クイナはD.U.で綿密な検査をして『異常なし』と判断された。あんな恐ろしいガスを吸っていたのにその結果は驚きで、とても僥倖だった。
彼女も私の大事な生徒の一人だ。クイナが真っ当に幸せになってくれるのなら、これほど嬉しいことはない。
「……にしても、あのときちょっと変だったような」
クイナの顔をそんなことを考えながら思っていたけれど、検査が終わった日に彼女の顔を見たときにそんな違和感を覚えたのが頭に蘇ってきた。
なんというか、妙に落ち着いていた。そんな感じだった。
彼女はあれでいて結構騒がしいというか、感情表現が豊かな子だ。
だからこうついついこっちも興奮……いやちょっとからかっちゃう部分があるんだけれど、なんというかあの日のクイナは、対応が簡素過ぎた、そんな気持ちを少し抱いたのだ。
でも検査は日数がかかって疲れただろうし、きっとそれで元気もなかったのだと思ってそのままにしておいていた。
でも、思い出すって事は頭の中で引っかかってるんだよね……もしかしたら何か見落としているのかも――
「――って、わっ!? ご、ごめん! 大丈夫だったかな?」
そんな風に考え事をしながら歩いていたせいか、私は正面から人とぶつかってしまった。
多分ゲヘナの生徒だろう。ロボットや動物の住人はもっと感触が違うだろうし。
「……って、ヒナ?」
私にぶつかってきたのはヒナだった。
髪がボサボサに荒れて、目元がすごく赤くなっていて、とても疲れ、かつ怒りを孕んだ表情をしているヒナだった。
「どうしたのヒナ……? 一体、何が?」
「……別に。なんでもないわ」
「な、なんでもないってそんなわけ――」
「――なんでもないって言ってるでしょ!?!?」
すると、ヒナはカッと目を見開いて凄い剣幕で私に叫んで来た。
こんな感情を爆発させるヒナは、それこそエデン条約調印式の日やクイナを止めるために戦っていたときに見せたぐらいで基本は見せない顔だ。
「……ごめんなさい」
だけど、すぐ彼女は疲れた表情のまま落ち着き、暗く重たい声で私に謝ってきた。
「ヒナ、本当に何があったの? 私で良ければ話してくれてもいいんだよ?」
「……別に、大した事じゃない。そうよ……そんなの、ありえないのよ。嘘よ、偽りよ……」
ヒナはブツブツと呟いている。
その彼女の様子は見たくないものを見ないようにしている、そんな印象を受けた。
「ええ、そうなのよ……あんなのは、クイナじゃない……あれはクイナじゃないのよっ……!」
「クイナ……? ヒナ、ちょっと待って! クイナがどうかしたの!?」
そして、そんな言葉を吐き捨てるように言って私の制止も耳に入っていないのか彼女は足早に去っていってしまった。
本当なら追いかけたほうが良かったんだけれど、あんなヒナの姿を見るのは始めてだったものだから驚いて足を動かすのが遅れてしまった。
気づいたときにはもうヒナは人混みを越えて小さくなっていた。
「…………行ってみないと、か」
真実を確かめるため、私は近くにあるクイナの家に行くことにした。
きっとそこで何かがあったに違いない。だから私は知ってるクイナの住所に向かう。
「クイナっ!」
彼女の部屋の扉には鍵がかかっていなかった。
ヒナが出ていってそのままだったのだろうが、それもまた私を不安にさせた。
だけれどもそんな私の不安を余所にクイナはベッドの上に座ってニコニコとしていた。
何も無い、無機質な部屋の中で。
「あ、先生! えっと……まあ久しぶり!」
私の顔を見て口を開けて朗らかな声を出すクイナ。
でも光を背にする彼女の姿は、私を余計に不安にさせる。
「ねぇクイナ、さっきヒナが凄い勢いで出てくところを見たんだけど……何かあった?」
もしかして喧嘩でもしたのだろうか、いやその程度であって欲しいと私は思って聞いた。
喧嘩ならむしろ二人が感情を素直にぶつけ合えるようになったっていう話でもあるから。
でも、あのときのヒナは何かおかしくて。
対してクイナは今も笑っていて――
「え? いや別に……。ああでも先生、私ってクイナじゃないらしいよ。だから私は、えっと……なんて名乗ればいいと思う?」
――…………喉が凍りつき、空気が通う音も出せなかった。
異質さが、世界を蝕んでいくのが見えた。
「…………………………あ、と……え……それ、って……な……んで……」
十秒程の沈黙を経てから、私はなんとか言葉を出す事ができた。
意味が分からない。理解が……できない。
ただ分かるのはクイナに何かがあってヒナが激昂し、そしてその言葉をクイナは真に受けている、という事なのだ。
でも、どうしてそんな事に? なんでこの子はこんな風に笑って……?
「なんで? えーっと、私が頑張るのも考えるのも止めたって教えたらヒナはもうそんなのはクイナじゃないって言ったから。ヒナがそう言うんなら私はクイナじゃないんだろうなって。だってヒナはいつだって正しいし」
一瞬で、理解してしまった。
クイナの心が、取り返しのつかない事になってしまったのを。
彼女はひたむきに目標に向かって努力していた子だったから。そこで大きな障害にぶつかっても乗り越えようとして苦労をしていた子なのを知っていたから。
だからこそ今のクイナは、人生そのものを諦めてしまったんだと、私には分かった。
「…………私の、せい、なの?」
大人なのに、子供である彼女の苦しみに気づいてあげられなかったから。
大人なのに、子供である彼女の悲しい嘘を見抜けなかったから。
大人なのに、子供である彼女の求めていた一番欲しい助けを出してあげられなかったから。
「私の、せいだ……」
喉が乾く。
目を閉じられない。
匂いが分からない。
耳鳴りがする。
でも、どれだけ辛くとも、それはきっとこうなる前のクイナの方がずっと辛くて。
私が今感じてる苦しみなんて、愚かしく馬鹿馬鹿しい言い訳作りの自己正当化でしかなくて。
「……先生?」
クイナが、今の私を見てどうしてか急に近づいてきてそっと私の瞳を覗き込んでいた。
ただ私の顔を反射しているだけの、ガラス玉の瞳で。
「ごめんねクイナ……私が、私が悪いんだ……」
生徒の前でこんな弱々しい姿は見せないようにしていた。
私が参っていたら、生徒達はどうすればいいのか余計分からなくなってしまうだろうから。
でも、そんな大人としての矜持は脆くも崩れ落ちてしまった。
私の手からこぼれ落としてしまったクイナの前で、私は『先生』としての私を保てない。
「先生が悪いの? んー、何のことか全然わからないけど、でもまあ先生が言うんだしそうなんだろうね」
一切の悪気を感じない、プリミティブな態度。
そこに何の意志も存在はせず、ただの肉体的な反応とも言えてしまうほどの無意。
私の罪を自覚させるのにこれほどまでの姿と言葉は、きっとないだろう。
「……ああ、ごめんね、ごめんね……ごめんね、クイナ……」
謝罪が止まらない。
このままでは、きっと私もただ謝るだけのロボットになってしまう。
――それじゃ、駄目だ。
けれども、私はそこで踏みとどまった。
私が諦めたら、きっと彼女は本当に物言わぬ人形となって、埃を被って死んでしまうだろう。
だったら、私が彼女をなんとかしないといけない。
そうするまで、彼女を生かさないといけない。
彼女だけじゃなく、このキヴォトスにいる生徒の誰一人も二度と取りこぼさないようにしないといけない。
――だって私は、みんなの『先生』なんだから。
「……クイナ、私と一緒にシャーレに来て。そして、これからはあそこで暮らして欲しい」
クイナをここで一人にしちゃいけない。
きっと今の彼女は人に言われたらそれを否定することなく、ただ鵜呑みにして行動してしまう。
まっさらになった彼女を、誰かの悪意で汚させるわけにはいかない。
「うん、分かった。先生が言うなら絶対“正解”だもの。そうするね」
私に笑顔を向けるクイナ。
彼女に私もまた、なんとか笑顔を作って返した。
◇◆◇◆◇
あれからどれだけの時間が経っただろう。
いや、暦としては一年も経ってないのははっきりと分かっている。
ただあの日、本当の意味で生徒にすべてを捧げると誓ってからはもう時間など私には関係なく、それゆえに日の区切りなんてのも意味がなくなった。
とにかく生徒のために時間を割けるのなら余らせる事なく使う。
生徒からの相談、依頼があれば絶対に受けて重なればなるべく最速ですべてを受けられるスケジュールを組む。
今までの趣味への投資をすべて止めて、私の財産はすべて生徒に還元するために回す。
どこかで時間が空いたのならば次の相談や不測の事態に備えてできる限りの事をする。
この生活では睡眠する時間は無駄にしか思えなかったけれど、みんなの前で倒れたらまた心配されちゃうだろうから本当に限界ギリギリになったら取るようにはしていた。
そして、そんな生活の中でクイナの面倒も見ていた。
と言っても、毎日過ごして欲しいルーチンを確認し、命令するだけだけれど。
今のクイナは命令しなければ何もすることができなくなるけれど、逆に命令すればそれは絶対にやってくれる。
だから私は彼女に生きてもらうための生活を組んで、それを守らせ、あとは一人このキヴォトスにいるすべての生徒のために費やしている。
もう誰もこの手からこぼさず、手遅れにしないために。
そのためなら、私は――
「――……先生?」
急に、声がかけられた。
いつぶりだろう。随分と会っていなかったと思う。
「……ああ、ヒナ。久しぶりだね」
「…………ええ。先生、今までも大概だったのにいつからかそれが比じゃないくらいになっちゃったから、会えるタイミングなんてなくなったものね」
彼女が寂しそうに言っている。
ああ、悪い事をしてしまったな。
向こうからの誘いがなくても何か話したい事がある生徒だっているだろうに。これからはもっと気をつけないと。
「ごめんねヒナ。最近大丈夫かな? 何かあったら言ってね。私が絶対解決するから」
「……今の先生に言われても、説得力がないわよ」
「え? どうして?」
「だって……今のあなた、自分でどういう状況か分かっていないのでしょう?」
「どういう状況って……ああ、そっか」
私はそこでやっと自分がどこで何をしていたのか気付いた。
どうやら私は、ゲヘナの人通りがほとんどない駐車場の隅で座り込んでしまっていたらしい。
車も止まっておらず駐車スペースも二台程度しかないとっても小さな夜のコインパーキング。
そこにある強めの光を放つ古い自販機の側面に頭の横をくっつけて意識が飛んでいたようだ。
「はは、またやっちゃったみたいだね。最近、ちょっと居眠りしちゃう事があってさ……疲れてるのかな? だらしないよねーまったく。ヒナはこんな情けない大人になっちゃ駄目だよー? はははっ」
生徒に嘘は言っちゃいけないから言うけど、あんまり心配されたくないから笑い話としてヒナに話す。
でも、ヒナは一切私に笑い返さなかった。
むしろ、目に涙を浮かべていた。
「どうしたの? ヒナ……何か、辛い事でも――」
「――私の、せいなのよね……?」
「……え?」
ヒナの言っている意味が分からなかった。
彼女は何も悪くないのに、どうしてそんな辛そうな顔で、自分が悪いみたいな事を言ったんだろう。
子供は悪くない。悪いのは、全部私みたいな大人なのに。
「何言ってるのさヒナ。私がついこんなところで船漕いでただけで一体ヒナの何が悪いって言うの?」
「そっちこそ、何言ってるのよ……! 今は真冬で、雪も降ってて……! そんな夜に意識を失ってるのが、まともなわけないじゃない……!」
言われて、私はまた気付いた。
そうだ、今日は珍しくゲヘナにも雪が降っていたんだ。
しかもカレンダーではクリスマス。
みんなこの日は浮かれてプレゼントを送り合ったり、ちょっと開放的になったりしている姿もお昼には見られた。
だからこそ、きっと彼女は羽目を外し過ぎた生徒に注意するためにクリスマスにも夜のパトロールをしていたんだろう。
やっぱり立派だな、ヒナは。
「私が……クイナを突き放したから、あなたなんてクイナじゃないなんて感情的に叫んで逃げ出したから……それを全部、あなた一人が抱え込んでしまったから」
「……そっか。まあ、当然ヒナの耳にも入ってるよね。あれからしばらく経ってたわけだし」
「ええ……あくまでシャーレを訪れた生徒からの又聞きの噂だったけれど。でも……私はそれを確かめに行けなかった。もしそこに本当にクイナがいたら、また私はどんなひどい言葉を彼女にぶつけてしまうのかが分からなくて、怖かったから……」
本当に、ヒナは優しい。
彼女はとてもいい子だなって、何度も思ったことをまた繰り返し思う。
「でも、そのせいで先生はこんなに、なっちゃって……限界なんかとっくに越えて、それでも生徒のために働き続けて……みんなもう、先生には迷惑をかけたくないってしているのに、それでも、あなたはこうして……」
「……そうだね。いつの間にか、みんな私に相談する事がめっきりなくなっちゃったね。でもやっぱり心配でさ。だからこうして見回って、それで問題ないのなら嬉しくて、けどやっぱり不安だから見回って何か見つけたら手助けしてさ。はは、もっと生徒を信じてあげればいいのにね」
今のキヴォトスは本当に健全に回っていると私の目から見て感じている。
多くの生徒が抱えている問題を一人でなんとかしようとせず誰かに相談するようになったみたいだし、他者を理解し協調し何かあっても許し合う大切さを持っている、そんな風に見えた。
……でも、それでも私の心からは不安が、恐怖が消える事はなかった。
またクイナのようにいつの間にか自分を追い詰めて壊れてしまう、そんな子が出るんじゃないかって。
だから私は相談事がなくなってもみんなが心配でこうしてキヴォトスを見回って、少しでも困っている子がいないかを探すのに時間を費やし続けて、たまに動けなくなっちゃうんだよね。
情けないなぁ、本当に。
「ありがとうヒナ……おかげでうっかり凍死なんて恥ずかしい事にはならずに済んだよ。それじゃ」
私は彼女に感謝の笑みを浮かべて、シャーレに帰ろうとした。
「待って!!!」
でも、その私の背中をヒナが制止した。
「先生……お願い、もういいの……私、ちゃんとクイナに謝るから……先生にもう無茶はさせないから……だから、どうか、そんな風に自分を捨てるような事は、しないでよ……」
「……ごめんね」
きっと後ろでヒナは泣いているんだろう。
こんな弱々しい声のヒナは、折れてしまったあの日みたいだ。
だけれど私はそんな彼女に顔を見せて同意することもできなかった。
「きっと、私もおかしくなっちゃったんだろうね……心のどこかで先がないって分かっているのに、どうしても今の自分から動けなくなっちゃっててさ。だからこんな私の事を忘れてしまうのがいいのかもしれない。大人になるっていうのは、そういう部分もあるだろうから」
過去の思い出すべてが頭に焼き付くわけではない。
大人になると、どこか子供の頃の記憶で曖昧になるところも出てくる。
私はそんな、曖昧になる程度の記憶でいいんだ。
「止めてよ、先生……今まで私達を救ってくれたあなたが、あなた自信を否定するような事を、言わないでよ……」
とてもか細く、触れただけで壊れてしまいそうな声。
でもやっぱり私は振り向けず、彼女を肯定してあげることもできない。
「ごめんね……じゃあ、私はこれで」
そのまま私は歩みを進めた。
足下にはいつしか雪が積もっていてシャリシャリと路上で半端に層を作っているそれを踏みしめていった。
そうやって歩き続けてシャーレに帰る。
デスクの上にはもう向き合う事もなくなってどれだけアロナに顔を見せていないかも分からないシッテムの箱がある。
他には何もない。何か仕事があればとにかく即日片付けるし、物も買わなくなったから置くものもないから。
でも、それはどうでもいい。
今は彼女を確認しないと。
「ただいま、クイナ。何も問題はなかったかな?」
「おかえりなさい、先生。いつも通りだったよ」
シャーレ奥にある寝室のベッドの上で彼女は座っていた。
今日もルーチン通り起きていて、これから私は彼女が眠るのを確認する行程がある。
どうやら今日も変わりなくルーチンをこなしたらしい。そう、何も変わりがないまま。
「……いつかきっと、元に戻すから。だからそれまでは、私が見てるからね」
私は諦めない。
たとえ器からこぼれて床に広がった水でも元通りに器に戻してみせる。
それまでは私は死なないし、動き続ける。
「だって私は『先生』なんだから」
私の独り言にも、クイナはまったく反応せずにただ微笑んでいるだけだった。
どうしようもない現実を教え込まれるその姿から、私は目を向けながらも目を背けて、必死に否定することしかできなかった。