【完結】空飛ぶ雛と飛べない鳥~ヒナの親友だった少女が狂い彼女の敵になって壊れる話~   作:詠符音黎

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After Route3.逃避の末路

 考えてみれば私――天雨アコという人間にとって地羽クイナさんという人はヒナ委員長やカヨコさんとも違った独特な立ち位置にいたと思います。

 最初に彼女の事を知ったのは一年生のとき、まだ入って間もなかった風紀委員会の情報部においてでした。

 あの頃、私は情報部長をやっていたカヨコさんにその手腕を買われ、まだ風紀委員会に所属して一週間ほどしか経っていなかったというのにあの人の側で働くという役目についていました。

 情報部長だった頃のカヨコさんは部下を経験の長さではなく能力で見ていた事、そしていずれ来たる雷帝との戦いに備えて少しでも戦力を手元に置きたいなどといった理由から、私に少しでも多くの経験を積ませ、かつ『優秀な手駒』としての立ち位置を私に期待していたようです。

 そしてあの頃の私は、まあその……まあカヨコさんに強い憧れを抱いていましたからそれがとても嬉しくて、彼女の言うことにただそのままに従う日々でした。そうした日々の中でカヨコさんがヒナ委員長――当時はただの新入生空崎ヒナ――に目をつけ、その身辺調査の際にクイナさんの名前を知ったのです。

 彼女の第一印象ははっきり言ってしまえば「パッとしない生徒」でした。

 一年でありながらその能力を高く買われていたヒナ委員長に対して、クイナさんは特筆すべきところがなく、精神面もか弱い。

 ただヒナ委員長の隣にいるというだけで能力的には何も釣り合っていない、その程度の認識でした。

 ですがヒナ委員長が風紀委員会もとい情報部に所属してから、私のその認識は変わり始める事となります。

 私は当時のカヨコさんのバックアップをしながらも情報収集をおもだって行っていたのですが、その中でクイナさんがヒナ委員長に並ぶために努力をしている事を自然と知るようになりました。

 一日のほとんどを訓練に費やし、時には自らブラックマーケットに赴いて実践に身を晒していた事も知っています。

 その姿はまさしく愚直であり、言い換えてしまえばあまりにも不器用極まりなく、でもそんな彼女の事を私は嫌いにはなれませんでした。

 彼女自身と話す事はもちろんあまりなく、風紀委員会の仕事かまたはヒナ委員長と一緒にいるときが殆どでしたが、決して多くはない会話の中でも私が彼女に抱いた印象が変わる事はありませんでした。

 つまりはまあ特に悪印象を抱く事はなくむしろいつしか好意にまでなっていまして、それは雷帝失脚後カヨコさんが突然情報部長を止めて、私が行政官としてヒナ委員長の側につくようになってからはなおさらでした。

 そうなってきたら今度はヒナ委員長と仲良くお話する姿に少し……ええ、ほんの少しばかり嫉妬心を抱いてしまう事もあったのですが、まあそれはいいでしょう。

 ともかく、私個人としてましてはクイナさんはいつしか身内とまではいかなくとも好ましい相手となっていました。

 ……だからこそ、エデン条約のあの日、私は自分の無力さを感じてしまう事となりました。

 本来なら動けなくなって当然の重症を負いながらもその体を動かし、先生とヒナ委員長の盾となったクイナさん。

 あまりにもボロボロで状況によってはヘイローが壊れてもおかしくなかった彼女が、自分の事ではなくヒナ委員長の居場所を知らないと涙を零しながらも謝ってきたその姿を、現状のために無理をしているのがよく分かる笑顔で私の背中を押そうとする彼女の手を、そのまま受け入れる事しかできなかったのです。

 彼女の気遣いを無駄にしてはいけないというのもありましたが、私は自分の言葉ではクイナさんの心を支えられないと、そう判断してしまったのです。

 それが、あまりにも自分の情けなさを感じました。

 彼女自身は本当に自己評価が低く後ろ向きな部分があるせいでそう捉えてなかったのですけれど、私にとってクイナさんはもはや友人の一人であったのに。

 友人一人の心にすら私は寄り添えないのかと、あのエデン条約における混乱の中で私は感じてしまったのです。

 それは、その後に起きたベルセルク・ガスにまつわる騒動においてもより感じてしまいました。

 自分自身を追い詰めすぎて、自らの命を捨て去るような選択肢に手を出した彼女。その原因の一端には、きっと私にもあるんだと、そう思ってしまったのです。

 そしてあのとき私ができたのはヒナ委員長に現実に目を向けて貰い、彼女が後ろを向かないように裏方に勤しむだけ。

 他に私がクイナさんにできた事は特になく、仕方ないのは分かっていてもどうしても歯がゆさを感じていたのです。

 

 ……だからでしょうか。今日はヒナ委員長とクイナさんが二人っきりで出かけていると分かっているのに、私が彼女の家に向かってしまっているのは。

 

「はぁ……委員長に会ったらなんて言いましょうか……」

 

 自分で自分に呆れたため息をついてしまいます。

 なんならこうして言い訳を考えているのがよくない気もしますが、いざこうしてそこそこ足を動かして来ている上に片手にはお土産と最近お気に入りのコーヒー豆の銘柄を入れた袋なんてのも手にしているからもう引き返すには半端が過ぎますし、しょうがないです。

 今はどうヒナ委員長に怒られないようにしながらもコレを渡すかを考えるしかありません。

 そもそも二人はどこかで一緒に遊んでいて家にはいないでしょうけれど。

 いなかったらいなかったでマンションの前辺りで待てばいい話です。……なんかちょっとストーカーみたいですね、これ。

 そう考えるとまたなんだか自分の行いに呆れが来て、私は再びため息をついてしまいました。

 

「まあでも……ここから始めるのも、案外悪くないかも知れませんね」

 

 少し心境を落ち着かせるために手に持ったコーヒー豆を見て、自分の顔が少しほころんだのが分かります。

 クイナさんはコーヒーチェーン店に通うのが趣味らしいですし、きっと話は合うと思うんです。

 ええ、まずはこういうところから歩み寄るべきだったんでしょうね。

 私の心中だけで好意を抱いていても、行動に移し言葉にしなければ伝わりません。

 ずっとクイナさんと一緒にいたヒナ委員長ですらそうだったのです。

 私だってそうするべきなのでしょう。

 

「……あれ? クイナさん?」

 

 ですが、そんな私が会おうとしていた彼女と私は思わぬ早さで顔を合わせました。

 いつの間にか目の前からクイナさんが一人歩いてきていたのです。

 そう、一人で。

 横に委員長の姿はなく、着の身着のまま笑顔で歩く彼女に。

 

「あ、アコちゃん。こんにちは」

「え、ええ……こんにちはクイナさん」

 

 向こうも私を確認し、手を後ろに回しながら変わらない表情で挨拶してきました。

 ただなんだかそんなクイナさんの姿が、私には少しばかり奇妙に見えてしまいました。

 

「えっと、クイナさん。こんなところでどうしたんですか? 今日はヒナ委員長とお二人で遊びに出てたのでは……?」

「うん。でも私、ヒナから言われた事をやりにいかないとだから」

「……言われた、事?」

 

 要領を得ないとはこういう事を言うのでしょう。

 何かお使いを頼まれたと考えるのが普通の筋道です。

 でも彼女の「言われた事をやりにいく」なんて言い回しはそういったニュアンスは含まれているように思えませんし、なんなら今クイナさんが歩いていって私がこれまで来た方向にはコンビニの類などなく、何かお菓子とかを買うというわけでもなさそうです。

 というかそもそも、そうした場合もきっとヒナ委員長はクイナさんと一緒に来たはずです。「クイナとはもうずっとベッタリしてやるんだから」なんて先日冗談混じりに言っていましたが、あれはまあまあ本気のニュアンスだったとも思いますし。

 だから今こうして彼女が一人歩いているのは、やはりどういう事がイマイチ掴めませんでした。

 

「あ、そうだアコちゃん。ここらへんで高いところってどこだと思う?」

「は、はい? 高いところ、ですか……? えっと、あそこにあるビルの上とか……? いや、まずなんでそんな質問を――」

 

 そんな私の疑問を聞かず、彼女は笑顔で言いました。

 

「――ありがとう! じゃああそこから飛び降りるね!」

 

 ――…………は?

 

「え、ク、クイナさん……今、なんて……」

 

 クイナさんは私に返事することなく私の横を小走りで走り抜けていきます。

 その顔の先には私が虚を突かれたまま反射的に視線を向けた老朽化した廃ビルが。

 

「ちょ、ちょっとクイナさん!? どういうことですか!? クイナさんっ!」

 

 動揺で足が止まってしまっていた私ですが、すぐさまこれはただ事ではないと彼女の後を追います。

 ですが運悪く間に道路を挟んで、しかも車の通りが激しい大通りの横断歩道だったため、私は明確にまた足止めされてしまいました。

 そして既にその反対側に渡っていたクイナさんは笑って振り返って、軽く私に手を振りながら大声で答えてくれました。

 

「ヒナが『高いところから飛び降りろ』って言ったから! だから私やってくるの! だってヒナの言う事だからそれが“正解”のはずだし!」

「……はい!?!?」

 

 ニコニコとした表情で語られる、委員長が言うはずもないひどい言葉。

 あまりにも意味が分からなさ過ぎて、私はまたも束の間ですが呆けてしまいます。

 ですがその間にもクイナさんはどんどんと廃ビルへと向かっていって、でも信号は赤のままで。

 

「……もう! 何がどうなってるんですか!?」

 

 私は普段から持ち歩いているタブレットを使いヒナ委員長に連絡を入れました。

 プライベートの電話ではなく風紀委員会で使っている連絡用の回線で。

 これのほうがヒナ委員長はすぐに出てくれると思ったからです。

 

『……アコ?』

 

 目論見通り、ヒナ委員長はワンコール程度で応答してくれました。

 ですがその声にはあまりにも力がなく、より異常事態が起きているのを認識します。

 

「ヒナ委員長! クイナさんが、その、委員長に飛び降りろって言われたからと言って今、目の前の廃ビルに……一体何があったんですか!?」

『…………えっ? ……あ、アアッ?! ち、違うのよ……ただ私は、本当にクイナが壊れたわけなんて、ないって……だからできっこない事を言えば、きっと踏み止まるはずだって……え、ええ……そうよ……本当にするはずないわ……きっと、ギリギリになったらちゃんと考え直してくれるはず……そうよ、クイナは、壊れてなんか……私は、彼女に、そんなこと……!』

 

 ここまで動揺……いや、錯乱しているヒナ委員長の声は始めて聞きました。

 ただ、この声の感じに覚えがないわけでもありませんでした。これは、クイナさんがガスの影響でブラックマーケットで暴れていたときの映像から目を逸らしていたときと、同じ感じです。

 

「……とにかく、今座標を送りますので急いで来てください!」

 

 信号が青になったので私はビルに向かって走りながらも委員長に座標を送りました。

 既にクイナさんはビルに入っていて、今ビルのどこらへんにいるのかもわかりません。

 ただとにかく急がないと、委員長を呼ばないとと、直感がそう告げていました。

 

『ア、アコ……違うの……私は……私は、ただ……!』

「いいから! 早く来てください! じゃないと、恐らく取り返しのつかない事に――」

 

 今まで委員長に対し感じた事のないイラつきを覚え、つい怒鳴ってしまった、そんなときでした。

 

 ドスン。と、ビル前にまで走ってきていた私の目の前に、何かが落ちてきました。

 

 ――ええ、何かなんて言い方は、ごまかしにしか過ぎない事は分かっています。ここまでの状況からも、そうじゃないわけがないんです。目の前に()()んです。現実から逃げたって、どうしようもないじゃないですか。ああ、でも、私はそれを()()とは認めたくなくて……!

 

「……ア……ァ……ェ……ワ……マ……ダァ……」

 

 私の眼前、アスファルトの上で、手足が折れ曲がって血を吐くクイナさんが、わずかに何か口にしようとして、呻きました。

 

「あ……ああああああああああああああああああああッ!?」

 

 目の前の現実に、私はただただ絶叫する事しか反応を持ち合わせていませんでした。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 三日後。

 私はゲヘナで救急医学部が所持する病室の中にいました。

 座る私の目の前のベッドには、人工呼吸器を口元に当てられた状態で静かに寝息を立てている包帯だらけのクイナさんの姿が。

 

「……クイナさん」

 

 あの後、私はなんとか正気を取り戻してすぐさま救急医学部に連絡を入れました。

 セナさんを始めとした彼女らはすぐさま到着し、迅速な動きでクイナさんを救急車に収容、搬送していきました。

 ヒナ委員長が現場に来たのは、そんなセナさん達が出発しようとしたそのときでした。

 そして、私は委員長から事の仔細を教えてもらいました。

 クイナさんは体は元通りになりましたが、心が壊れてしまい考えることも努力する事も止めてしまったのだと。そして、ヒナ委員長はその現実が受け入れられず、逃げるように「本当にやれるものなら高いところから飛び降りてみるといい」なんて反射的に口にしてしまったのだと。

 そして、クイナさんは本当にそれを実行に移したのがこの惨状なのだと。

 ……言葉が出ませんでした。

 私は、この人が本当にずっと努力していたのを知っていました。

 恐らく、自らを肯定することができないクイナさん以上に理解していたと思います。

 この人の努力が並大抵のものではなかったのを、私は監視カメラ越しにずっと見てきましたから。

 クイナさんのあの姿はとてもいじらしく、滑稽さすらあり、だからこそ私にとってはなんというか……とても眩しく見えたのです。

 彼女の姿にカヨコさんのために頑張ったけれど捨てられたと感じていた自分の姿を重ねていたのかも知れません。ただ彼女の場合、私と違ってまず相手にそのことを悟らせまいとしていましたし、見られなくともいつか並ぶためと腐らずに励み続けていました。

 カヨコさんの背中を見て怒りと諦めを抱いてしまった私とは大違いで、それが羨ましくて、妬ましさもあって。

 私が委員長のために働くようになってからも、そんな複雑な仲間意識とでも言うべき感情は変わらなくて。

 だからこそ、私はずっと彼女の努力が実って欲しいと、ひっそりとですが思っていたのです。

 

「その結果が……これですか」

 

 心電図の音とクイナさんの寝息だけが響く病室で、私はポツリと零しました。

 クイナさんが一命をとりとめてから、私はずっとこの病室にいます。

 セナさん曰く「私達キヴォトスの生徒がいくら頑丈とはいえ、危うく本当に死体になるところでした」との事で、本当に危険な状態だったようです。

 それも、あのとき私がついあのビルの事を教えなければこんなことにならなかったのではないかと、なんなら、私が彼女にちゃんと寄り添ってあげていればと、そんな後悔ばかりが浮かび上がってしまい、むしろここから離れられないというのが正しいのかもしれません。

 ……また、これは今のクイナさんから目を逸らそうとしているヒナ委員長への当てつけであるとも自覚しています。

 委員長は、やはり今のクイナさんを受け入れられずにいるようです。

 普段の凛々しさはどこへやら、クイナさんに対しては「違うの……私は、ただ、そんなことないって、信じたくて……」と、弱々しく呟くばかりです。

 あんな委員長は始めて見ましたし、今、私は委員長に対してこれまで抱いた事のない感情を強く抱いています。

 

 失望と怒り、そして嫌悪……そんな敵対的な感情を。

 

 ……どうやら私は、思ったよりクイナさんの事が好きだったみたいです。

 きっとこうでもならないとこの気持ちには気付けていなかったでしょうね。

 あまりにも最悪な皮肉です。

 

「……大丈夫ですよ、私が側にいますから」

 

 私は眠る彼女の頭をそっと撫でました。彼女にはできるだけ心穏やかにいて欲しい、それが今の私の願いになっていました。

 

「……んっ」

「っ!? クイナさん!?」

 

 頭を撫でている中で、クイナさんが軽く声を上げながら目を開きました。

 その姿に私は座っていたパイプ椅子を大きく音を立てて動かしてしまうぐらいの勢いで立ち上がり、彼女の顔を覗き込みます。

 すると、クイナさんは私の顔を見て笑いかけてくれました。

 

「……あれ、アコちゃん……どうしたの……?」

「どうしたのって……あなた、死にかけていたんですよ!? どうしたのなんて言葉で片付けられる事じゃありませんっ! 私が、どれだけ心配したと……っ!」

 

 私の頬に生暖かい感覚が伝っていきます。

 彼女にそう怒鳴る中で私は涙を流してしまったのです。

 安心と怒りと心配と、とにかく色んな感情がないまぜになった、そんな涙でした。

 

「そっか……そうなんだ……うん……なるほど……」

 

 すると、クイナさんはベッドの上で何か納得したかのように言いました。

 どうしたのかと思い私が惑っていると、彼女は言いました。

 

「……じゃあ、また、飛び降りに行かないと……」

 

 ――理解ができませんでした。考えが追い付きませんでした。流れていた涙が止まる程に、私のすべてが凍りついてしまいました。

 

 でも、そんな私の姿に関係なく、クイナさんは人工呼吸器を外してベッドから起き上がろうとしています。

 折れた手足でうまく動けないというのに、それでもベッドの上から出ていこうとしだいているのです。

 

「っ!?!? 何をやってるんですかっ!?!?!」

 

 私はそんな彼女を乱暴にベッドの上に押し付けました。

 口から出た言葉はもはや怒鳴るなんて言葉では足りません。絶叫とでも言うぐらいに私は喉を痛めた大声を上げました。

 

「なんで、なんでそんな事を!?!?! せっかく助かったんですよ!?!? 痛かったですよね!?!? 怖かったですよね!?!? それなのにどうしてまた同じ事を繰り返そうとしてるんですか!?!?」

 

 とりとめがなくなりそうな言葉をぎりぎりなんとか形にして私は言いました。

 すると、彼女は変わらず今の彼女にできうる限りの微笑みを見せて、掠れた声で答えました。

 

「だって……ヒナがやれって、言ったから……なら、それが“正解”に違いないし……それに、人から言われたことやってるほうが……ずっと、楽ちんで、幸せで、辛くないから……」

 

 ……絶望。

 今の私の心を一言で表す、たった二文字の簡単な単語です。

 彼女は、これまでの人生すべてをかけてきた労苦の果てに選択をしたのです。

 意志の放棄を。思考の停止を。自分の魂を否定することによる安寧を。

 それほどまでに苦痛だったのでしょう。

 いくら挑み続けても決して望みに手が届かない、届く事がないという現実は、死の恐怖と痛みと天秤にかけて後者を取るほどに、彼女の心を苛む激痛だったのでしょう。

 そして、ここまで苦しんでいた事を知っていたのに、私はそれをただそういうものとして見逃してきてしまっていたわけなのです。つまり、彼女がこうなってしまった原因として私はいるわけで、そして、もはやどうやっても取返しがつかないわけで。

 

 ――なら、今の……これからの私に、できる事は……。

 

「…………分かりました」

 

 私は力んでいた手からそっと力を抜いて離し、今度は彼女の折れていない方の手の上に優しく重ね合わせました。

 

「でもクイナさん、もうそんな事しなくて……いえ、してはいけませんよ。そして、これからは私の言う事を聞いて下さい。これから私があなたを支えますから。だからクイナさんはこれからずっと私の言う事だけ聞いていればいいんです」

「……そうなの? うん、分かった。じゃあそうするね」

 

 私の言葉に答えてクイナさんは微笑み、そのままベッドの上でまた大人しくしてくれました。

 私はそんな彼女の頭をまたそっと撫でて、静かに笑ってあげました。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 それから、私は彼女ができるだけ普通の生活が送れるように努力しました。

 今のクイナさんは言ってしまえばビリヤードの球のようなものとも言えます。

 ただ人から言われたことだけに従い、自らは決して思考も行動もする事がありません。

 ですが生理現象などと言った日常に根ざした無意識でも行える行動はできますし、空腹時に食事までもできないというわけではありません。ただ、思考とそれによる自発的な行動が介在しないため、一度なんらかのきっかけで動き出すとあとはキューでつかれた白球のように流れのまま意志なく転がり続け、他者からの指示という壁や球にぶつかってやっと動きを変えることができるのです。

 ならば、そのすべてを私が支配してやればいいんです。

 意志もなく自ら何もできない彼女でも生活を送れるように、私が彼女という白球を突いてやるのです。

 そのために私は彼女と生活を共にする事にしました。

 そして一日の始まりに彼女が外見最低限の生活ができるような指示を出します。

 この指示の構築にはなかなか骨が折れました。

 起床や食事といった最低限の行動はいいのですが、学校に通わせるとなると他者からの言葉にいかに干渉されないような動きをさせるかというのが難題となりました。

 あいにく私とクイナさんはクラスが違うため、常に一緒にいることはできませんしそれこそ風紀委員会の活動もあります。

 なので訪れるタイミングはどうしても限られるので一つの命令でできるだけ彼女の動きを指定して干渉されないようにしなければなりませんでした。

 ちょっとした頼み事や雑談などからもイレギュラーな事が起きてしまうので、そのせいでクイナさんの行動に異常が見られ、果ては動けなくなってしまうと彼女がおかしくなってしまった事が知られてしまいます。

 私は、なんとかそうならないように頑張りました。だって、きっとそれがクイナさんの望みだったでしょうから。

 ただ友達のために頑張っていた彼女が、壊れたからって誰からも捨てられる世界なんて、私は御免被ります。

 このために風紀委員会を辞めるという手段もありましたが、私はそれを取りませんでした。

 だって、私は私の日常から逃げたくありませんでしたから。

 私だけはクイナさんから逃げ出さないって、そう決めましたから。

 こうしてそれ相応の苦労はしましたが、なんとかクイナさんをクイナさんとして周りに見せる生活ができるようになりました。

 先生はあの飛び降り事件の事もあって薄々気づいているようでしたが、私達が誰も何も言い出さないためにうまく手出しができないようでした。ええそうでしょうね、あの人は私達の事を思い心を大事にしてくれています。

 だからこそ、私はそれを利用してこの状況を維持させてもらっています。

 そうなってから、季節はあっという間に過ぎます。

 いつしか凍えるような風が自治区に吹き込み、しかし生徒達がみな浮かれた様子を見せる――そんなクリスマスが近づいてくる時期となりました。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ふふっ、ケーキ買えてよかったですね、クイナさん。一緒に食べるのが楽しみですね」

 

 イルミネーションが輝く夜の道で、私は隣で一緒に手を繋いでいるクイナさんに笑いかけます。

 今夜、私達は一緒にクリスマスパーティをする予定です。

 なのでこうして二人で買い物にでかけてきらきらと輝く街並みを歩いていました。

 

「うん、そうだねアコちゃん。一緒に食べるの、楽しみだね」

 

 クイナさんは私に笑って返してくれました。

 赤いマフラーと茶色いコートに身を包んだ彼女の笑顔は可愛くて、私は更に表情を緩めました。

 ちなみに私は青いマフラーと白いコートで、色違いのペアルックといった感じです。

 こうしたほうがきっと誰から見ても『友達』らしくていいだろうと思いましたから。

 

「さて、じゃあ家に帰る前に一緒に広場のクリスマスツリーでも……」

「……あっ」

 

 私がそう言ってクイナさんの手を引いて先導しようとしたとき、ふとそんな声が聞こえました。

 私は、その声で一瞬で不機嫌になってしまいます。

 

「アコ……それに、クイナ……」

「……パトロールお疲れ様です、()()()()

 

 私は、彼女にわざとらしく他人行儀に言いました。

 彼女は私の言葉に僅かに唇を噛みながら目線を下げます。

 

 ――相変わらず、クイナさんに目を向ける気はないんですね。この人は。

 

「えっと……その、私……」

「なんですか? 言いたい事があるならはっきり言ってください。ああ、言っておきますが少なくとも私は今日は休みを取ってますので風紀委員会の業務を手伝えはナシですよ?」

「ちっ、違っ……! そんなつもりは……」

 

 分かっています。

 ただこの人が私達を偶然見かけて思わず声をかけてしまった事ぐらいは。

 でも、そこから私達を直視するような勇気を未だ持てていない事をも。

 

「ならなんです? 何もないならもう去ってもいいですか? ……そちらも、そんな暗い顔をしていたらクリスマスで浮ついた問題児達に舐められてしまいますよ?」

 

 実際のところは彼女がいくら暗くとも下手なケンカを仕掛ける生徒などいないでしょうね。

 それほどまでにゲヘナの風紀委員長は力の象徴なんですから。

 でも私はあえてそんな意地悪を言ってやりました。この肩書ばかりで俯いている姿を見ていると、無性に腹が立って来ますから。

 

「……ええ。じゃあ、クリスマスを楽しんで」

「はい。()()()()()()()存分に楽しませて貰います」

 

 言わんとすることはきっとこの人も分かっているんでしょう。

 でもただ無言で言い返してこない彼女に私はまたさらに苛ついて、ちょっと強めにクイナさんの手を握ってそこから立ち去ってしまいました。

 痛かったはずなのに、クイナさんは声を上げるどころか顔色一つ変えませんでした。

 

 

 

「ふふ、綺麗ですね……」

「うん、そうだね」

 

 私達はベンチに座って二人揃って大きなクリスマスツリーを見上げます。

 十メートルはあるだろうクリスマスツリーはキラキラと輝いていて私達以外にも多くの生徒達が見上げ、仲のいい友達からカップルまでいろいろと組み合わせが見えます。

 ふと私達は周囲からどう見られているのだろうと思いました。

 ちゃんと仲のいい友人同士に見えているのだろうかと、そんな事を。

 

「……アコ?」

 

 と、またも私の名を呼ぶ声がしました。

 先程と違う声はまたも私の知っている声で、でもそれは意外な人物でもありました。

 

「……カヨコさん?」

 

 そこにいたのはカヨコさんでした。黒くてよく知らないですがどうやらバンドのロゴが入った冬用のコートに身を包んだ彼女の手には大きな茶袋が抱えられていてどうやら買い物帰りなのが分かりました。

 

「その姿は……便利屋のお使いか何かですか?」

「うん、まあそうだよ。みんなでクリスマスパーティするから。そっちは……なるほど、実際にこの目で見るのは初めてだけど、相変わらずなんだね」

 

 ……どうやら、今の私とクイナさんの事をカヨコさんは知っていたようです。

 さすが元ゲヘナの情報部長で……私が心から憧れたその人です。

 

「ええ、そうですよ。私は今、クイナさんとお友達の時間を過ごしているんです。ねぇ、クイナさん」

「うん、そうだね。アコちゃんの言う通りなんだね、きっと」

 

 私の言葉にクイナさんも応えてくれます。

 微笑みに微笑みで返してくれる、いつものクイナさんです。

 

「……あれこれと長話をする気はないよ。アコは一度こうってなったら頑固だから。……でも、一つだけ言わせてもらうね」

 

 カヨコさんは軽く間をおいて瞳を閉じ、そしてまた開いたかと思うとしっかりと私の目を見て言い放ちました。

 

「アコ。いい加減、逃げるのは止めたら?」

 

 その言葉はあまりにもまっすぐで鋭利で。

 まるであの時代に戻ったかのような切れ味があって。

 

「……………………私は……逃げて、なんか……」

「分かってるはずだよ、アコなら。今の自分がしてる事が、逃げでしかないって」

 

 ――……違うんです、私は、ただ、クイナさんの友達になりたくて。クイナさんの夢を叶えてあげたくて。彼女を一人ぼっちに、したくなくて……。

 

「私、は……違う……私は……そんな、こと……っ!」

 

 ――そう、これは逃げてるわけなんかじゃないんです……ええ、そうです……私が、自分のせいで失ったモノから目を背けて、ごっこ遊びをしてるなんて、そんなの、ありえない……!

 

「……私から言えるのはこれだけ。じゃあね、いい夜を」

 

 カヨコさんはそれ以上私に追求して来ず、そのまま背中を見せてツリーのある広場から離れていきました。

 あの冷たい姿のカヨコさんは、まさしく情報部にいた頃のようで。

 今、カヨコさんが封印したい記憶としているはずの姿で。それを、私に見せつけていたという事の意味を、私は分かっているんです。

 

 ――……でも。

 

「ああ、クイナさん……そんなこと、ないですよね? 私は、逃げてなんかないし、私とクイナさんは、友達になれたんですよね?」

 

 私はクイナさんにすがるように肩を掴んで聞きました。

 すると、クイナさんは笑って返してくれました。

 

「うん、アコちゃんがそう言うなら、それはきっとそうなんだよ」

 

 ただ人の言葉を受けいれてそのまま返すだけのクイナさん。

 

「ああ、そうですよね……そうですよね……!」

 

 そこに魂なんてものはとっくに存在していないと分かっているはずなのに、私はその言葉に安心し、笑いが口から出てしまいます。

 

 ――そうです、私は逃げてなんかないんです。私が愛した情報部長としての立場から逃げたカヨコさんとも、現実から逃げて尊敬していた風紀委員長としての誇りから逃げたヒナさんとも違うんです。私は、逃げてなんか、ないんですよ……!

 

「ええ、だって、友達のクイナさんが、そう言ってくれてるんですから……!」

 

 クイナさんは私に笑ってくれています。

 彼女の足元には私が肩を掴んだときの勢いで落ちたケーキの箱がありました。

 口を開き、中身がぐちゃぐちゃになっています。

 それを一緒に食べるのが楽しみなのだと頷いてくれたクイナさんは、ケーキに一切目を向けていませんでした。

 

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